山田達也 : ウィキペディア(Wikipedia)
山田 達也(やまだ たつや、1963年4月30日 - )は、日本の建築家。山田建築研究所代表。
来歴
1963年、静岡県にて生まれた「山田達也」「代表者プロフィール」『会社概要 山田 建築研究所』山田建築研究所。。静岡県立掛川工業高等学校を経て、中部大学に入学した。1986年に同大学の工学部建築学科を卒業すると、愛知県名古屋市の設計事務所に勤務した。その後、二度にわたりヨーロッパを放浪し、いったん帰国した際には建設会社で勤務した。2001年に山田建築研究所を設立し、住宅、事務所、店舗、などの設計を手掛けている「会社概要」『会社概要 山田 建築研究所』山田建築研究所。。
作風
一般の住宅の設計なども手掛けているが、そのほかにスタジオジブリに関連する作品に多く携わっている「作品」『作品 山田 建築研究所』山田建築研究所。「ジブリ関連作品」『山田 建築研究所 ~ジブリ関連作品~』山田建築研究所。。スタジオジブリの第二スタジオ、第三スタジオ、第五スタジオは、いずれも山田の設計によるものである「第2スタジオ」『第2スタジオ ~ 山田 建築研究所 ~』山田建築研究所。「第3スタジオ」『第3スタジオ ~ 山田 建築研究所 ~』山田建築研究所。「第5スタジオ」『第5スタジオ ~ 山田 建築研究所 ~』山田建築研究所。。また、スタジオジブリ取締役でもある宮崎駿の個人アトリエと、駿の個人事務所「二馬力」が置かれている「豚屋」や「草屋」も設計した「豚屋」『豚屋 ~ 山田 建築研究所 ~』山田建築研究所。「草屋」『草屋 ~ 山田 建築研究所 ~』山田建築研究所。。木造家屋の勾配がある屋根を緑化する試みは珍しく、雑誌などで取り上げられている。
2005年日本国際博覧会においては、三鷹市立アニメーション美術館館長だった宮崎吾朗らとともに、パビリオン「サツキとメイの家」を建築するプロジェクトに参画し、設計監理を担当したスタジオジブリ責任編集『サツキとメイの家のつくり方』ぴあ、2005年。「山田達也さん」『山田達也さん 卒業生ホームページ「桃園の夢」 中部大学』中部大学、2005年10月1日。。
また、東京都杉並区の公園予定地内の家屋が火災により焼失し「公園整備予定地における火災について(宮崎駿著の『トトロの住む家』で紹介された住宅)」『杉並区 区からのお知らせ - 公園整備予定地における火災について(宮崎駿著の「トトロの住む家」で紹介された住宅)』杉並区役所。、その後、宮崎駿らの尽力により「杉並区立Aさんの庭」として新たに整備されることが決まると「Aさんの庭」『杉並区 施設案内 - Aさんの庭』杉並区役所。、その公園内の家屋の設計も手掛けることとなった「Aさんの庭」『Aさんの庭 ~ 山田 建築研究所 ~』山田建築研究所。。
人物
尊敬する建築家として、安藤忠雄の名を挙げている。
略歴
- 1963年 - 静岡県にて誕生。
- 1982年 - 静岡県立掛川工業高等学校卒業。
- 1986年 - 中部大学工学部卒業。
- 1963年 - 設計事務所勤務。
- 1991年 - ヨーロッパ留学。
- 1993年 - 建設会社勤務。
- 2001年 - ヨーロッパ留学。
- 2001年 - 山田建築研究所設立。
作品
- 豚屋(1998年)
- スタジオジブリ第二スタジオ(1999年)
- スタジオジブリ第三スタジオ(2000年)
- 草屋(2002年)
- サツキとメイの家(2005年)
- レンガ屋(2006年)
- 3匹の熊の家(2008年)
- 3匹の熊の家のはなれ(2008年)
- スタジオジブリ第五スタジオ(2010年)
- 杉並区立Aさんの庭(2010年)
関連人物
- 宮崎吾朗
- 宮崎駿
関連項目
- 草屋
- サツキとメイの家
- 豚屋
参考文献
- 建築ジャーナル編著『緑の屋根、緑の壁――夏涼しく冬暖かい「緑の冷暖房」』建築ジャーナル名古屋事務所、2002年。ISBN 4860350383
- スタジオジブリ責任編集『サツキとメイの家のつくり方』ぴあ、2005年。ISBN 4835615417
- 『Memo――男の部屋』8巻8号、ワールドフォトプレス、2007年8月。
外部リンク
出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 | 最終更新:2018/10/27 14:03 UTC (変更履歴)
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