川島宏 : ウィキペディア(Wikipedia)
川島 宏(かわしま ひろし、1942年頃 - 2022年6月3日)は、日本の新左翼活動家(赤軍派)。アーバンデザイナー。
東大全共闘の主要なメンバーで、東大闘争を最初から最後まで戦い敗北した。大菩薩峠事件以後、赤軍派に身を投じ、よど号ハイジャック事件、PBM作戦を主要な立場で担った。1970年7月11日逮捕され、実刑。のちに川島宏祥と改名し、アーバンデザインの設計者として後半生を生きた『静中・静高同窓会会員名簿』平成15年度(125周年)版 168頁に、「勤務先(株)川島宏祥都市建築設計研究所」とある。。
来歴
静岡県静岡市に生まれる『証言 連合赤軍』489,490頁。士族だった家系で、地主の父親は自由党選出の静岡県議会議員だった。父とは9歳の時に死別した『証言 連合赤軍』494頁。1960年6月15日、静岡市での反安保デモに参加。1961年、静岡県立静岡高等学校卒業『静中・静高同窓会会員名簿』平成15年度(125周年)版、168頁。。1962年、東京大学理科一類に進学。
学生運動にかかわり、1963年にMELT同盟を結成し、1966年には「東大ベトナム反戦会議」に参加した。1967年に東京大学大学院工学系研究科都市工学専門課程に進学『証言 連合赤軍』497頁。大学院では丹下健三門下でトップの成績だった『証言 連合赤軍』498頁。
1968年に東大闘争が始まり、全共闘が結成されるとメンバーとなる。1969年1月の東大安田講堂事件で東大闘争が事実上終結すると、同年の全国全共闘結成大会に参加の後、共産同赤軍派に加盟した。1970年には「長征」と称した全国オルグを開始。同年、赤軍派の第2次政治局員となる(他に塩見孝也・田宮高麿・高原浩之・森恒夫)。しかし、7月11日に逮捕された。 よど号ハイジャック幇助の罪で懲役4年の実刑判決を受ける。
2022年6月3日に死去リベラシオン社(「訃報」を参照)。
ハイジャックへの評価
注釈
参考文献
- 連合赤軍事件の全体像を残す会(編)『証言 連合赤軍』皓星社、2013年8月
関連項目
- 神田カルチェ・ラタン闘争
- 小西隆裕
- 国際根拠地論
- よど号グループ
外部リンク
出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 | 最終更新:2023/11/20 20:35 UTC (変更履歴)
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