エドワード・リー : ウィキペディア(Wikipedia)
第3代リー男爵エドワード・リー(、1684年1月13日 – 1738年3月9日)は、イングランド貴族。トーリー党所属。
生涯
第2代リー男爵トマス・リーと2人目の妻の次男(長男トマスは1682年3月10日に洗礼を受けたが、後に夭折した)として、1684年1月13日に生まれ、2月3日にで洗礼を受けた。1702年5月18日、オックスフォード大学ベリオール・カレッジに入学した。
1710年11月12日に父が死去すると、リー男爵の爵位を継承、1711年3月13日に貴族院にはじめて登院した。しかし、貴族院に数日間登院した後、21日に初代ロチェスター伯爵ローレンス・ハイドを代理投票人に登録して、イタリアに渡ったとされる(同年末に帰国した)。ウィリアム・ブロムリーはリー男爵が貴族院での味方になると期待したが、リー男爵は政治に関わらず、救貧とストーンリーでの領地の管理に着力したため、ブロムリーは代理投票人登録の白紙委任を得ただけであり、以降もほとんど登院しなかった。
1723年5月6日に登院した以降は全く登院しなくなり、1727年のジョージ2世戴冠式も健康を理由に出席を辞退した。
1738年3月9日にストーンリーで死去、同地で埋葬された。息子トマスが爵位を継承した。
家族と私生活
1705年9月11日、ストーンリーでメアリー・ホルベック(、1743年9月6日没、トマス・ホルベックの娘)と結婚、2男3女もうけた。
- エドワード(1708年頃 – 1737年8月2日)
- トマス(1713年 – 1749年) - 第4代リー男爵、子供あり
- メアリー - 生涯未婚
- エレノア - 生涯未婚
- アン - 生涯未婚
1714年より自領のの再建に集中し、再建は1726年に完成した。
出典
出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 | 最終更新:2023/09/14 03:43 UTC (変更履歴)
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