阿奈井文彦 : ウィキペディア(Wikipedia)

阿奈井 文彦(あない ふみひこ、1938年10月19日 - 2015年3月7日)は、ノンフィクション作家、エッセイスト。本名・穴井典彦(あない ふみひこ)本名については死去時のニュース及び「デジタル版 日本人名大辞典+Plus」では「穴井典彦」。日外アソシエーツ現代人物情報では「穴井文彦」、朝日新聞人物データベースでは「阿奈井文彦」と一定しない。。自称「アホウドリ」。朝鮮(現・韓国)全羅南道筏橋生まれ。

経歴

1945年、敗戦後、大分県に引き揚げる。大分県立森高等学校卒業、同志社大学文学部(哲学専攻)入学。教壇に立っていた鶴見俊輔と出会い、「朝鮮半島で生まれ育ち、戦後、大分県に引き揚げてきた自分の体験」を文章にまとめたところ、鶴見の紹介で雑誌「思想の科学」に掲載される。大学中退後、東京でクズ屋に就職。

1965年、ベトナムに平和を!市民連合(ベ平連)発足と同時に参加。開高健の知遇を受け、ベ平連の事務局員となる。

1966年から1967年にかけて戦時下のベトナム各地を取材。ベトナムに残留していた、元日本兵たちと出会う。

帰国後、ベ平連の中の米兵脱走を支援する組織「反戦米兵援助日本技術委員会」(JATEC)に参加。その後、文筆業に入る。代表作は、さまざまな職業の人たちへの聞き書きをまとめた「アホウドリの仕事大全」。

1976年韓国の定着村(ハンセン病回復者の共同体)での日韓ワークキャンプに参加、以後毎年韓国を訪れた日外アソシエーツ現代人物情報。

1980年代は、雑誌「漫画アクション」の名物匿名コラム「アクション・ジャーナル」に、亀和田武、呉智英、関川夏央、堀井憲一郎、村上知彦、山口文憲らとともに、執筆者の一員となった。

また、写真家・映画監督の本橋成一の写真集「サーカスが来る日」に文章を寄せ、のちに本橋が監督した、チェルノブイリ周辺の村を訪れたドキュメタンリー映画「ナージャの村」で、台詞構成を担当した。

2015年3月7日、誤嚥性肺炎のため死去ノンフィクション作家の阿奈井文彦さん死去 ベ平連参加 朝日新聞 2015年3月9日。76歳没。

著書

  • アホウドリにあいにいった 晶文社 1975 「アホウドリの青春不案内」力富書房
  • 商売繁昌 昨今職業づくし 三宅菊子共著 中公新書 1976
  • アホウドリ、葬式にゆく 昌文堂 1976
  • 喫茶店まで歩いて3分20秒 PHP研究所 1978.3
  • からだとの対話 ぼくの野口体操入門記 現代書館 1978.9
  • アホウドリの人生不案内 百人社 1981.7
  • アホウドリの行きあたりばったり ケイブンシャ文庫 1984.9
  • アホウドリの仕事大全 現代書館 1985.5 のち徳間文庫
  • アホウドリのにっぽん不案内 力富書房 1985.6
  • アホウドリの女性不案内 新潮社 1985.8
  • アホウドリの朝鮮料理入門 1987.8 (新潮文庫)
  • アホウドリの韓国ノート 1987年夏 現代書館 1987.12
  • 現代事物起源 生まれたモノ・消えたモノ 1978~1987(編)平凡社 1988.5
  • ベ平連と脱走米兵 2000.9 (文春新書)
  • 名画座時代 消えた映画館を探して 岩波書店 2006.3
  • サランヘ夏の光よ 文藝春秋 2009.8

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