渡辺忍 : ウィキペディア(Wikipedia)
渡辺 忍(わたなべ しのぶ、1883年(明治16年)5月29日 - 1955年(昭和30年)1月28日『朝日新聞』(東京本社発行)1955年1月29日夕刊、3頁。)は、朝鮮総督府官僚。
経歴
新潟県岩船郡関谷村(現在の関川村)出身。1909年(明治42年)、東京帝国大学法科大学独法科を卒業し、高等文官試験に合格。和歌山県属、同日高郡長、福井県理事官、神奈川県事務官を務めた。1919年(大正8年)、朝鮮総督府事務官に転じ、忠清北道内務部長、黄海道内務部長、平安南道内務部長、全羅北道知事、京畿道知事を歴任。1931年(昭和6年)、殖産局長兼山林部長となり、翌年に農林局長に転じた。
1935年(昭和10年)に退官し、東洋拓殖株式会社理事、日魯漁業株式会社(現在のマルハニチロ)取締役、南洋興発株式会社監査役、海外興業株式会社監査役、朝鮮農地営団理事長、朝鮮食糧営団理事長などを務めた。
戦後に中央日韓協会顧問を務めた。墓所は多磨霊園。
参考文献
出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 | 最終更新:2024/11/26 11:30 UTC (変更履歴)
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