上原げんと : ウィキペディア(Wikipedia)
上原 げんと(うえはら げんと、1914年(大正3年)12月28日 - 1965年(昭和40年)8月13日)は、昭和期の日本の作曲家。弟も同じく作曲家の上原賢六。
経歴
- 青森県西津軽郡木造町出身。(現つがる市木造)('本名':上原治左衛門)実家は蓄音機店。
- 1936年(昭和11年)から、演歌師などをしながら全国放浪をする。
- 1938年(昭和14年)2月、歌手の岡晴夫と組み、「国境の春」でキングレコードからデビュー。
- その後も、岡晴夫の黄金期を支える作曲家として数々の曲を作曲する。
- 戦後はコロムビアレコードに移籍し、美空ひばり、初代コロムビア・ローズ、島倉千代子などに曲を提供する。
- 作詞家・石本美由起もコロムビアレコードに移籍させコンビを組む。
- 1965年(昭和40年)8月13日、避暑地に向かう車中で心筋梗塞を発症し急死。。墓所は東京都八王子市の東京霊園。
- 没後、地元のつがる市内で『上原げんと杯争奪のど自慢大会』が開催され、2023年(令和5年)時点で45回目を数えている。
代表曲
- 『国境の春』(昭和14年2月)[松村又一作詞、歌:岡晴夫]
- 『上海の花売娘』(昭和14年5月)[川俣栄一作詞、歌:岡晴夫]
- 『港シャンソン』(昭和14年8月)[内田つとむ作詞、歌:岡晴夫]
- 『広東の花売娘』(昭和15年1月)[佐藤惣之助作詞、歌:岡晴夫]
- 『パラオ恋しや』(昭和16年7月)[森地一夫作詞、歌:岡晴夫]
- 『花の広東航路』(昭和16年8月)[佐藤惣之助作詞、歌:岡晴夫]
- 『艦上日記』(昭和18年3月)[武内俊子作詞、歌:岡晴夫]
- 『アラカンの夜明け』(昭和18年12月)[大倉芳郎作詞、歌:岡晴夫]
- 『ニュー・トーキョー・ソング』(昭和21年3月)[清水七郎作詞、歌:岡晴夫]
- 『ジープは走る』(昭和21年3月)[吉川静夫作詞、歌:鈴村一郎]
- 『東京の花売娘』(昭和21年6月)[佐々詩生作詞、歌:岡晴夫]
- 『長崎シャンソン』(昭和21年8月)[内田つとむ作詞、歌:樋口静雄]
- 『流れの旅路』(昭和23年6月)[吉川静夫作詞、歌:津村謙]
- 『薔薇を召しませ』(昭和24年6月)[石本美由起作詞、歌:小畑実]
- 『マドロスの唄』(昭和24年10月)[松村又一作詞、歌:岡晴夫]
- 『私は街の子』(昭和26年1月)[藤浦洸作詞、歌:美空ひばり]
- 『ひばりの花売娘』(昭和26年1月)[藤浦洸作詞、歌:美空ひばり]
- 『娘十九はまだ純情よ』(昭和27年4月)[西條八十作詞、歌:初代コロムビア・ローズ]
- 『伊豆の佐太郎』(昭和27年12月)[西條八十作詞、歌:高田浩吉]
- 『ひばりのマドロスさん』(昭和29年2月)[石本美由起作詞、歌:美空ひばり]
- 『渡り鳥いつ帰る』(昭和30年1月)[石本美由起作詞、歌:初代コロムビア・ローズ]
- 『白鷺三味線』(昭和30年1月)[西條八十作詞、歌:高田浩吉]
- 『逢いたかったぜ』(昭和30年7月)[石本美由起作詞、歌:岡晴夫]
- 『逢いたいなアあの人に』(昭和32年1月)[石本美由起作詞、歌:島倉千代子]
- 『港町十三番地』(昭和32年5月)[石本美由起作詞、歌:美空ひばり]
- 『東京のバスガール』(昭和32年9月)[丘灯至夫作詞、歌:初代コロムビア・ローズ]
- 『忘れ得ぬ人』(昭和32年12月)[石本美由起作詞、歌:島倉千代子]
- 『銀座九丁目水の上』(昭和33年5月)[藤浦洸作詞、歌:神戸一郎]
- 『素敵な今夜』(昭和35年10月)[西沢爽作詞、歌:美空ひばり]
上原作品でデビューした歌手
- 岡晴夫
- 若原一郎
- コロムビア・ローズ(初代、二代目)
- 神戸一郎(十代の恋よさようなら)でデビュー
- 宝田明
- 松山まさる(現・五木ひろし)(新宿駅から)でデビュー
- 村岡十九夫(作曲家・上村晴男、上村張夫)
- 松方弘樹(俳優)門下生
出典
出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 | 最終更新:2024/02/20 17:55 UTC (変更履歴)
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