貝谷八百子 : ウィキペディア(Wikipedia)
貝谷 八百子(かいたに やおこ、1921年3月15日 - 1991年3月5日)は、日本のバレリーナ、振付家である。本名・貝谷スミ子貝谷バレエアカデミー ホームページ 貝谷八百子バレエ団の歴史(2016年11月7日閲覧)。
生涯
1921年(大正10年)、貝谷真孜の三女大牟田市史編集委員会編『大牟田市史』下巻、大牟田市、1968年、898頁。『人事興信録』第11版 改訂版 上、人事興信所、1938年、カ60頁。として福岡県大牟田市で生まれる。生家は鉱山主で、豊かな家庭だったといわれる。1933年(昭和8年)、文化学院に入学するため上京し、1934年(昭和9年)からエリアナ・パブロワにバレエを学んだ。1938年(昭和13年)、貝谷バレエ団を立ち上げ、歌舞伎座を借り切ってデビュー公演を行った。1940年(昭和15年)から1941年(昭和16年)まで、二階堂トクヨの日本女子体育専門学校(現・日本女子体育大学)でクラシックバレエを指導した。
1946年(昭和21年)、蘆原英了・小牧正英などとともに東京バレエ団現在の東京バレエ団とは直接の関係はない。東京バレエ団の項目を参照のこと。を結成した。東京バレエ団は同年8月9日に帝国劇場で第1回公演『白鳥の湖』全幕を日本初演し、貝谷は主役(オデット)を務めた。
1950年(昭和25年)に東京バレエ団が解散した後もバレエ界で活躍を続け、1965年(昭和40年)に貝谷芸術学院を設立し、後進の育成や指導にあたった。日本バレエ協会副会長や、全日本舞踊連合理事などの要職も務めた。
1990年(平成2年)、肺炎のため逝去した。没後の2007年(平成19年)、「日本における『白鳥の湖』発祥の地記念碑」が貝谷バレエ団の敷地内に建立され、同年8月9日に除幕式が行われた「白鳥の湖」発祥の地に記念碑建立」。墓所は多磨霊園(21区1種10側8-2番)。
主な振付作品
- 『サロメ』(伊福部昭作曲)
- 『白鳥の湖』
- 『くるみ割り人形』
- 『シンデレラ』
- 『石橋』(しゃっきょう)
出演
映画
- 霧の夜の恐怖(1951年)allcinema
テレビ
- 第5回NHK紅白歌合戦審査員(1954年)
主な受賞歴
- 紫綬褒章
- 舞踊芸術賞(昭和49年度)東京新聞制定舞踊芸術賞(2010年4月19日閲覧)
- 勲四等宝冠章
参考文献
関連項目
- 永光基乃 - 女優・バレエダンサー。貝谷の門下でバレエを学び、1992年の貝谷八百子追悼公演『コッペリア』で主役を踊っている。
- 糸川英夫 - 「日本の宇宙開発・ロケット開発の父」と呼ばれた工学者。60歳で貝谷バレエ團に入団し、貝谷は「有名な科学者でも、他の団員と同じように基礎から練習をしてもらいます」と下のクラスから始めさせた冨田勲の2012年のアルバム『惑星 ULTIMATE EDITION』ブックレットに冨田が寄せた「このアルバムを糸川英夫氏に捧ぐ」より。。
外部リンク
- 貝谷バレエアカデミー
- 日本バレエ界に忘れえぬ足跡を印した人々(公益社団法人日本バレエ協会ウェブサイト)
- 歴史が眠る多磨霊園 - 貝谷八百子
出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 | 最終更新:2023/12/20 13:21 UTC (変更履歴)
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