トム・ケリー : ウィキペディア(Wikipedia)

ジェイ・トーマス・ケリーJay Thomas Kelly , 1950年8月15日 - )は、アメリカ合衆国ミネソタ州ビッグストーン郡出身の元プロ野球選手(一塁手、外野手)、監督。左投左打。愛称はTK「トム・ケリー」『パンチョ伊東のMLB名鑑1999』ベースボール・マガジン社 244頁。

経歴

のMLBドラフト8巡目(全体178位)でシアトル・パイロッツから指名され、プロ入り。までの13年間の現役時代でのメジャー経験はにミネソタ・ツインズでの1年だけであり、大部分をマイナーで過ごしている。なお現役時代の本職は外野手であったが、メジャーでは一塁手での出場が最も多かった。

、ツインズ傘下のAAA級タコマ・ツインズで選手兼任の監督となった。この時27歳の若さであった。「君はリーダーの素質がある。きっといい監督になれる」と勧められて転向したが、からは3年連続でパシフィックコーストリーグの最優秀監督賞を受賞した。同時期にシカゴ・ホワイトソックスで監督を務めていたトニー・ラルーサは「彼は知名度はないが、将来は大リーグをリードする存在になる」と断言していた。

にはツインズの三塁コーチに抜擢され、9月12日には解任されたの後を受けて監督に就任した。この年の最終戦終了後、スタンドのファンに向かって「今年は残念な結果に終わりましたが、来年ここ(当時本拠地のメトロドーム)にワールドシリーズを持ってきます」と宣言し、翌にアメリカンリーグ優勝を果たして本当にワールドシリーズを戦うことになった。そのワールドシリーズではセントルイス・カージナルスを破って世界一にも輝いた。

にはアトランタ・ブレーブスとの史上初の”前年最下位同士”となったワールドシリーズを制し、2度目のシリーズ優勝を経験した「1991 Magic Twins トム・ケリー」『1991大リーグ総集編』 週刊ベースボール1991年12月28日増刊号 ベースボール・マガジン社 48頁。

には日米野球でMLB選抜の監督を務めている。その後はチームの緊縮財政もあって今ひとつのシーズンが続くが、その間にトリー・ハンター、ジャック・ジョーンズ、クリスチャン・グーズマン、コーリー・コスキー、ダグ・ミントケイビッチ、ラトロイ・ホーキンス、エリック・ミルトンらの2000年代前半のツインズを支える面々が育ち、最終年のには9年ぶりのシーズン勝ち越し(85勝77敗で2位)を記録した。

1月26日、古巣ツインズはケリー在籍時の背番号『10』を永久欠番に指定したい旨を示した。この年の9月8日にケリーを本拠地ターゲット・フィールドに招いてセレモニーが催され、正式に永久欠番に指定された。

詳細情報

年度別打撃成績

MIN491471271123501311100231500223.181.262.244.506
MLB:1年491471271123501311100231500223.181.262.244.506

表彰

  • アメリカンリーグ最優秀監督賞:1回(1991年)

背番号

  • 16(1975年)
  • 41(1983年 - 1986年)
  • 10(1987年 - 2001年)

関連項目

  • メジャーリーグベースボールの選手一覧 K
  • メジャーリーグベースボールの監督一覧
  • ミネソタ・ツインズの歴代監督一覧

外部リンク

出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 | 最終更新:2023/10/21 09:15 UTC (変更履歴
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