姫宮接子 : ウィキペディア(Wikipedia)
姫宮 接子(ひめみや せつこ、1920年7月29日生、没年不詳)は、1930年代から1950年代に活躍した日本の女優。『キネマの美女: 二十世紀ノスタルジア』文芸春秋、1999年、209頁 - 2023年10月6日 Googleブックによる確認。『キネマ旬報』第801号、キネマ旬報社、1980年、560頁 - 2023年10月10日 Googleブックスによる確認。タップダンスの名手でもある『文學界』1937年、第4巻、5~6号、61頁 - 2023年10月6日 google ブックスによる確認『近代歌舞伎年表京都篇 10: 昭和11年~昭和17年』国立劇場近代歌舞伎年表編纂室、2004年、208頁 - 2023年10月6日 Google ブックスによる確認。前掲 歌舞伎年表京都篇 10、302頁 - 2003年10月6日 Googleブックスによる確認。。本名は林縫子豊国社「新映画年鑑 2600年度版」1940年刊より。あるいは林綾子『日本映画 第16巻』ゆまに書房、1940年、822頁 - 2023年10月6日 Googleブックスによる確認。で東京府日本橋区(現・東京都中央区)出身『映画朝日』(朝日新聞社・刊)1939(昭和14)年2月号83頁と考えられるが、石川県珠洲郡飯田町(現:珠洲市)生まれとする文献もある。
人物&来歴
1935年、高等小学校を卒業後にムーランルージュ新宿座に加入。美人でタップの名手として評判を集め、明日待子、小柳ナナ子を含め同年齢の看板スターの一人となる。同年、新興キネマから『若人の世界』で映画デビューし、映画女優としても活躍する。1937年3月東京吉本に所属し、日本におけるモダンダンスの祖と言われる中川三郎とペアを組む。音楽評論家の瀬川昌久は、後年の著書の中で二人を以下のように評した。『舶来音楽芸能史―ジャズで踊って』瀬川昌久、清流出版、2005年、214頁、ISBN 978-4860291396。
また当時の姫宮は、個人としてもタップにおいて女流で日本一と評された。1938年3月の中川の吉本脱退と共に、姫宮も吉本の舞台から離れ、映画としては日活多摩川撮影所に所属した。当時の日活では、健康的な娘役が少ない中で姫宮は重宝された。前掲 ジャズで踊って 216頁。またタップダンスの実演としては、別に姫宮接子とその楽団を立ち上げた。『近代歌舞伎年表京都篇別巻: 昭和18年~昭和22年補遺・索引』国立劇場近代歌舞伎年表編纂室、八木書店、2005年、10頁 - 2023年10月10日 Googleブックスによる確認。前掲 歌舞伎年表京都篇別巻、76頁 - 2023年10月10日 Googleブックスによる確認。
1940年、芸能の政府介入が激しくなると、姫宮の名は不敬と言われ姫美谷 接子に改名する『戦争と映画: 戦時中と占領下の日本映画史』清水晶、社会思想社、1994年、70頁 - 2023年10月10日 Googleブックスによる確認。『都新聞』1940年(昭和15年)5月11日付7頁。第二次大戦下でも、少なくとも1944年までの活動が確認できる。戦後の1946年には芸名を元に戻し、由利健次らと共に一座を結成し、2年程度全国を巡業する『日本映画俳優全集 男優篇』 キネマ旬報社、1979年、624頁。。その後、後述する1955年段階の芸能活動と、1999年の存命が確認できるライブ&レポート『川畑文子と中川三郎 戦前タップの黄金時代』(ブログ)moriy、1999年11月投稿 - 2023年10月6日確認。。
フィルモグラフィ
- 『若人の世界』1935年
- 『王者目指して』1935年、監督上野真嗣、原作・脚本一木歓、撮影杉浦宏樹、主演立松晃、共演姫宮接子、田中春男、大友壮之助、歌川八重子、鳥橋弘一
- 『五々の春』1936年、高田プロダクション、配給新興キネマ、監督・脚本牛原虚彦、共同脚本志村敏夫、撮影栗林実、主演高田稔、共演霧立のぼる、河津清三郎、田中春男、姫宮接子、浦辺粂子
- 『浮かれ桜』1936年6月7日公開、新井館(中野)、監督曽根千晴、出演山路ふみ子、立花晃、東海林太郎、日本橋きみ栄、姫宮接子、田中筆子、清水将夫『モンスター映画の誕生』児玉数夫著、1996年、172頁 - 2023年10月6日Googleブックスによる確認。
- 『牛づれ超特急』1937年公開、配給 東宝、製作 東宝映画映連データベース(日本映画製作所連盟)作品紹介「牛づれ超特急」 - 2023年10月12日確認
- 『僕は誰だ』1937年公開、配給 東宝、製作 P.C.L. 映連データベース(日本映画製作所連盟)作品紹介「僕は誰だ」 - 2023年10月12日確認。
- 『花束の夢』1938年1月14日、配給 東宝、製作 東宝映画。詳細 花束の夢映連データベース(日本映画製作所連盟)作品紹介「花束の夢」 - 2023年10月12日確認。
- 『押切り混線記』1939年7月20日公開、配給・製作 大映、脚本永見柳二、原作笠原良三、監督伊賀山正徳、主演姫宮接子。
- 『男一度』1940年9月、助演
- 『盗まれかけた音楽祭』1946年12月24日公開、配給・製作 大映映連データベース(日本映画製作所連盟)作品紹介「盗まれかけた音楽祭」 - 2023年10月6日確認。
- 『爆笑青春列車』1955年2月28日公開、製作・配給新東宝映画.com 作品紹介 爆笑青春列車 - 2023年10月6日確認。新東宝データベース1947-1962 爆笑青春列車 - 2023年10月13日確認。
舞台作品
- 『軽喜劇 男嫌い女嫌い』1937年10月21日公開、京都花月劇場、作滝村正治、主演横山エンタツ、花菱アチャコ、特別出演姫宮接子、応援出演永田キング
- 『松竹座 実演 タツプ・タツプ・シヨウ』1938年8月24~31日、姫宮接子、稲葉実、福島常雄ほか
- 『歌とタップ』1943年1月10日公開、京都座、姫美谷接子とその楽団
- 歌謡ショウ、1943年9月1日公開、京都座、姫美谷接子と其の楽団
- 『現代劇 新しき産声』1944年8月21日公開、花月劇場、新文芸座、出演 江川字礼雄、加賀邦男、黒田記代、姫美谷接子、小林十九二、高梨勝太郎、加藤貴美、田中千代子、佐久良千代、千草道代前掲 歌舞伎年表京都篇別巻、159頁 - 2023年10月10日Googleブックスによる確認。
著書
- 姫宮接子「タップを踊る」『会館芸術』通巻85号(第8巻 第7号)、大阪朝日新聞社会事業団、1939年、34頁。 阪急文化財団 池田文庫 蔵書検索 2023年10月6日確認。
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