芦原千津子 : ウィキペディア(Wikipedia)
芦原 千津子(あしはら ちづこ、1918年11月14日 - 2009年1月5日)は、松竹楽劇部(改名を経て、OSK日本歌劇団)娘役スター。
生涯
1918年(大正7年)生まれ。大阪府大阪市の住吉大社の近くで生まれ育つ100年史 p.171。
1931年(昭和6年)、松竹楽劇部に入団100年史 p.163。秋月恵美子によれば、芦原は「天才肌」であり、(稽古熱心だった秋月に比し)短時間で振付をマスターした100年史 p.164。またダンスに専念する姿勢でファンに「愛想をしない人」であった100年史 p.165。
1935年(昭和10年)、大阪劇場『アベック・トア』で秋月とのコンビで起用されるようになる。その後1937年(昭和12年)以降は、秋月が男役メインとなり、二人は男役・娘役ペアでコンビを組むようになった。秋月・芦原は「実力の大阪方」として活躍を見せ、ファン及び評論家から絶大な支持を得た100年史 p.166。
第二次世界大戦後も、二人は「100万ドルのゴールデンコンビ」と謳われ、戦後のレビュー黄金期の立役者となった100年史 p.168。1965年(昭和40年)のソビエト連邦公演など、海外公演にも複数回参加した100年史 p.181-185。
1973年(昭和48年)3月、『50周年記念祭典』を最後に、秋月と共に静かに現役を引退する100年史 p.170。在団42年のうち35年間にわたり、主演級のスターとして活躍した。
晩年は、出生地の住吉大社近傍で暮らし、OSK日本歌劇団の存続運動にも協力した。2009年(平成21年)1月5日、大阪市の自宅にて、心筋梗塞のため満90歳で逝去した。高齢になっても気位が高く、逝去した際も往年の名スターらしく、顔を上げ座ったままの姿勢だったという100年史 p.171-172。
参考文献
注釈
出典
外部リンク
出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 | 最終更新:2024/03/23 21:57 UTC (変更履歴)
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