長崎抜天 : ウィキペディア(Wikipedia)
長崎 抜天(ながさき ばってんぬきてん、は間違い、1904年4月1日 - 1981年1月3日)は、日本の漫画家である。戦後、ラジオの人気番組『とんち教室』(NHK)でのレギュラー出演で広く知られる京都国際マンガミュージアム公式サイト内の「『ひとり娘のひね子さん』が記録した世界展」の項の記述を参照。。本名は繁吉(-しげきち)コトバンクサイト内の記事「長崎抜天」の記述を参照。。
人物・来歴
1904年(明治37年)4月1日、東京市芝区新橋(現在の東京都港区新橋)に長崎繁吉として生まれる。「日本近代漫画の祖」と呼ばれる北澤楽天に師事した。
1924年(大正13年)、20歳のころ、日刊新聞「時事新報」(福澤諭吉創刊)に「漫画記者」として入社した。北澤楽天、保積稲天とともに「三天」と呼ばれた。子ども向けの漫画『ピー坊物語』や『ソコヌケドンチャン』を連載した。
1949年(昭和24年)1月、NHKラジオで『とんち教室』が放送開始、1969年(昭和44年)の放送終了まで、「長崎生徒」としてレギュラー出演をした「とんち教室」の項の記述を参照。。また1954年(昭和29年)に同番組に取材したコメディ映画『爆笑天国とんち教室』(監督渡辺邦男)を東映東京撮影所が製作、柔道家の石黒敬七らレギュラー陣とともに出演した#外部リンクのキネマ旬報映画データベース「とんち教室」の項を参照。。
1954年12月14日、「ゆうもあくらぶ」の設立に参加、賛同者は徳川夢声、石黒敬七、石田博英、江崎真澄、水谷八重子、春風亭柳橋、高橋掬太郎、宮田重雄、田河水泡、田村泰次郎、昔々亭桃太郎、榎本健一、松田トシ、並木一路、松内則三、古賀政男、内海突破ら47人。同日日比谷公会堂で発会式を行った。長崎はのちに同クラブの理事長を歴任した。
1966年(昭和41年)、永年の『とんち教室』出演の功日本放送協会公式サイト内の「放送文化賞」の項の記述を参照。とラジオ番組『喫煙室』の台本等で、第17回「NHK放送文化賞」(昭和40年度)を受賞した。
1981年(昭和56年)1月3日に死去。満76歳没。
主な作品
- 『ひとり娘のひね子さん』(『時事新報』連載、1924年 - 1925年)
- 『ピー坊物語』(『時事新報』)
- 『底抜けドンちゃん』(『ソコヌケドンチャン』、『時事新報』)
- 『とんだはね子』(『時事漫画』1930年頃)
- 『ケン六マンガ日記』(『少國民の友』、小学館)
- 『ハテナの半ちゃん』(『少國民の友』、小学館)
- 『[ マメ子ハト坊]』(東京漫画出版社、1950年)
- 『絵本明治風物詩』、東京書房社、1971年
- 北沢楽天『楽天漫画集大成』、北沢楽天顕彰会、1973年 - 1976年 - 編集
関連事項
- 木村光久 - 弟子
- マジックインキ
註
外部リンク
出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 | 最終更新:2024/10/22 05:58 UTC (変更履歴)
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