斎藤三郎 : ウィキペディア(Wikipedia)

斎藤 三郎(さいとう さぶろう、1917年5月10日 - 1996年3月17日)は日本の洋画家。浦和画家。

人物

23歳で太平洋戦争に応召し、生死のはざまで和紙に3000枚のスケッチを残した。生きて帰国できれば画家になると決意し、終戦後1945年に帰国。浦和市に居住した。

年譜

  • 1917年 - 埼玉県熊谷市に生まれる。
  • 1930年 - 旧制浦和中学校に入学。
  • 1937年 - 内務省に勤務するかたわら、東京物理学校(現東京理科大学)に学ぶ。
  • 1940年 - 東京物理学校を中退して出征。戦地で画家になることを決意し、多数のデッサンを描く。
  • 1945年 - 戦地から帰国。埼玉県浦和市に居住。
  • 1946年-第31回二科展に初入選。
  • 1948年-第33回二科展にて「敗戦の自画像」が特待賞受賞。
  • 1949年-サロン・ド・プランタンに出品。第3回美術団体連合展に出品。
  • 1950年-「信仰の女」で第35回二科展二科賞受賞。
  • 1954年-二科会会員推挙。
  • 1961年-第46回二科展にてパリ賞を受賞。
  • 1972年-渡欧。第57回二科展に出品、内閣総理大臣賞を受賞。埼玉県文化賞受賞。二科会委員となる、またこの頃からスペインの人物を描き始める。
  • 1974年-渡欧、おもにスペインに滞在する。
  • 1975年-渡欧、おもにスペイン、イタリア、ベルギーに滞在。二科展(エジプト政府主催、カイロ国立ファイン・アート・ギャラリー)に出品。
  • 1996年- 埼玉県浦和市にて死去。享年78。

作品

  • 『敗戦の自画像』埼玉県立近代美術館蔵

参考文献

  • 『埼玉の画家たち』さきたま出版会 2000年

外部リンク

出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 | 最終更新:2023/03/30 21:51 UTC (変更履歴
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