フランク・赤木 : ウィキペディア(Wikipedia)

フランク 赤木(ふらんく あかぎ、1939年8月5日 - ?)は、福岡県出身の日本の歌手、俳優。

来歴

金融業を営む赤木逸平と房子のもと、次男としてハワイに生まれる。父の仕事の都合で満州・大連へ移住するが、終戦直後、父が急逝し、兄と姉が動員されたため、母とフランクの2人だけで、日本へ引揚げた1962.5「彼の歌にはハートがある……フランク赤木」週刊平凡4(4) 平凡出版 pp.74-75。その後、兄と姉が帰国し一緒に生活するが、母が亡くなったため、兄と姉は仕事に追われ、フランクは一人で留守番することが多くなり、その間に寂しさを紛らすために歌を歌うようになる。

その頃、兄のすすめで習っていたボクシングの興行先でバンドと知り合い、小学6年生にして、バンドボーイとして米軍キャンプを回るようになる。ギターと歌に磨きをかけ、中学1年生にして上京。ウエスタンの「ワゴンマスター」に入る。17歳の時には、独立してデキシーバンド「ニュー・オルリンズ」を結成したが、その頃ロカビリーが急激に人気を集め、そのあおりをくって、三十万円の借金を残して解散しなければならなくなった。

その後、小野満とスイングビーバース、ブルー・レンジャーズのボーイ等を経て、1962年にレイ・チャールズのカバー「愛さずにはいられない」でデビューフランク赤木 DrillSpin (ドリルスピン)。のちにザ・キングトーンズが吹込んだ「暗い港のブルース」「暗い港のブルース」であるが、フランク赤木盤は薩摩忠の作詞によるもの、ザ・キングトーンズ盤はなかにし礼の作詞によるものであり、早川博二の作曲でもバージョン違いの形になっている。 も歌った。非常に歌唱力のある歌手で、ザ・キングトーンズにも歌唱指導した暗い港のブルース - 二木紘三のうた物語。

フランク赤木とブーツ・ブラザース、小坂一也とワゴンマスターズにも所属。寿司屋、電気屋、自転車屋、バンドボーイといろいろな職業を経験した。

1970年代以後、赤木の消息は不明とされる。

主な出演

映画

ディスコグラフィー

  • 浅草の灯
    作詞:三笠小路/作曲:曽根幸明
  • おんなの西銀座
    作詞:高原としお/作曲:三木たかし
  • 悲しみは降る星のごとく
    作詞:水木かおる/作曲:赤星建彦
  • 暗い港のブルース
    作詞:薩摩忠/作曲:早川博二
  • 零戦黒雲隊の歌
    作詞:滝田順/作曲:伊部晴美
  • 太陽の讃歌
    作詞:滝田順/作曲:中島安敏

注釈

出典

関連項目

出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 | 最終更新:2021/11/06 12:56 UTC (変更履歴
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