瓜生忠夫 : ウィキペディア(Wikipedia)

瓜生 忠夫(うりゅう ただお「瓜生 忠夫 ウリュウ タダオ」、20世紀日本人名事典、1915年(大正4年)5月6日 - 1983年(昭和58年)2月26日瓜生忠夫、デジタル版 日本人名大辞典+Plus)は日本の映画評論家とマスコミの研究者。東京帝国大学ドイツ文学科を卒業した後、日本映画社に入社。在学中は帝国大学新聞編集長を務めた。戦後は、映画評論やマスコミ研究に専念しながら、法政大学、明治大学、中央大学、専修大学の講師を務めた。共産党員であったため1950年にレッドパージを受ける『70年代にのぞむ左翼団体』極東事情研究会、極東出版社、1970、p694。駅弁の研究者としても知られていた。

著書

  • 『映画的精神の系譜』月曜書房、1947年
  • 『リアリズム映画論』銀杏書房、1949年
  • 『映画』三省堂出版、1949年
  • 『ソヴィエト映畫』月曜書房、1951年
  • 『映畫のみかた』岩波書店、1951年
  • 『映画とシナリオ』福村書店、1952年
  • 『映画入門』中教出版、1952年
  • 『映画えんま帖』法政大学出版局、1955年
  • 『日本の映画』岩波書店、1956年
  • 『マス・コミ産業 : その日本における発展の特異性』法政大学出版局、1962年
  • 『放送産業 : その日本における発展の特異性』法政大学出版局、1965年
  • 『駅弁マニア』報知新聞社、1969年
  • 『モンタージュ考 : 映画的認識の系譜』時事通信社、1973年
  • 『民族よ死に急ぐなかれ』ダイヤモンド社、1977年
  • 『駅弁物語』家の光協会、1979年
  • 『戦後日本映画小史』法政大学出版局、1981年

関連項目

外部リンク

出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 | 最終更新:2024/08/26 03:36 UTC (変更履歴
Text is available under Creative Commons Attribution-ShareAlike and/or GNU Free Documentation License.

「瓜生忠夫」の人物情報へ