伊藤京子 : ウィキペディア(Wikipedia)
伊藤 京子(いとう きょうこ、1959年9月1日 - 2000年2月21日)は日本の女優。埼玉県出身。旧芸名は辻今日子。
略歴・人物
高校を卒業し、9カ月のOL生活を経てモデルになる。1年後に東映俳優センターへ所属、さらに1年後に芸能プロへ移籍して、1980年代前半に日活ロマンポルノに脇役で4作品に出演した「ワイド特集 宴のあとの切ない結末 一年前に死んでいた石坂浩二の気の毒すぎる元愛人『女優』」『週刊文春』2001年2月8日号、pp.37-38。その他、テレビドラマなどに出演。日活ロマンポルノに出演していた時期には、近代映画社から写真集「夢レイプ」を出版しているが、出演作品がいずれも脇役で、芸歴を考えると、写真集を出版したのは異例である。
1982年に有名人がヌード写真を撮影するという雑誌企画で、石坂浩二と知り合う恩田揚子「浅丘ルリ子・石坂浩二の長すぎた『仮面生活』」『新潮45』2007年4月号、pp.74-75。1983年には石坂の劇団急旋回の旗揚げに参加「ポルノ女優・伊藤京子と劇場設立発表の席で… 石坂浩二が噂の"愛人"と公然会見」『女性自身』1983年3月17日号。1987年に写真週刊誌『FOCUS』が石坂のマンションでの半同棲生活やデートを撮影するなど、長年にわたって石坂の愛人とみなされてきた「石坂浩二『再婚相手』と間違えられてヌード写真まで掲載された元女優」『週刊文春』2001年2月1日号、pp.33-34「芸能写真誌も名前間違えた『石坂浩二』再婚の相手」『週刊新潮』2001年2月1日号、pp.51-52。
1990年頃には劇団を退団して、マンションで独居生活を送り、さらに実家へ戻って父母と暮らした。1997年7月から病院へ通院治療するようになり、2000年2月21日、相模原駅で飛び込み自殺を図り40歳で死去した。
2001年2月になって浅丘ルリ子と離婚した石坂が再婚する際、再婚相手として取り沙汰され、『週刊ポスト』は過去のヌード写真をグラビアに掲載したが「浅丘ルリ子との熟年離婚深層スクープ 20年前の本誌ヌードグラビアを全公開 石坂浩二が撮っていた『41歳愛人』のフルヌード」『週刊ポスト』2001年1月26日号、pp.36-38、その直後に自殺していたことが明らかになった。石坂本人は伊藤と20年近く会っていないと否定し、1988年頃から石坂の付き人を務めてきた再婚相手が伊藤と同年輩だったことからマスコミが取り違えていた事実が発覚した。
主な出演作品
テレビドラマ
- ミセスとぼくとセニョールと!(1980年-1981年、TBS)
- 土曜ワイド劇場「松本清張の小さな旅館」(1981年、テレビ朝日)
- ザ・サスペンス「猟人日記」(1983年、TBS)
バラエティ番組
- ジョークドキュメントBBS放送局(中京テレビ)
ビデオソフト
- 私の身体に悪魔がいる(1982年)
映画
- 悪女軍団(1981年)
- 天使のはらわた 赤い淫画(1981年)
- 女教師狩り(1982年)
- 肉奴隷 悲しき玩具(1982年)
DMMで視聴・ダウンロード可能なのは、「悪女軍団」と「女教師狩り」、「天使のはらわた 赤い淫画」の3作品である。
特撮
- 電子戦隊デンジマン(1980年、テレビ朝日)- 歯科衛生士 役
写真集
- 愛のらせん階段/女子高生真紀の日記(1980年、双葉社)
- 夢レイプ(1982年、近代映画社)
- 青野武雄ヌード作品集(1984年、近代映画社)
出典
関連項目
- 自殺・自決・自害した日本の著名人物一覧
出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 | 最終更新:2023/09/02 22:51 UTC (変更履歴)
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