東家浦太郎 : ウィキペディア(Wikipedia)
東家 浦太郎(あずまや うらたろう)は、浪曲の名跡。
初代
初代東家 浦太郎(あずまや うらたろう、1919年12月24日 - 2004年7月15日) 東京都東京市本郷区駒込出身。本名は 。昭和の浪曲最後の隆盛期に活躍。木村若衛、天中軒雲月、松平国十郎とともに四天王と呼ばれた浪曲師。現在において、胴声の最後の名人である。
- 1932年 - 千駄木尋常小学校を卒業。その頃から浪曲に親しむ。
- 1933年 - 東家燕左衛門に入門し、東家佐久良丸。
- 1934年 - 東家楽浦門下になり、
- 1935年 - 15歳で真打にスピード昇進。東家浦太郎を名乗る。
- 1942年から明治座を筆頭に各地で独演会を開催。
- 1964年 - 日本浪曲協会会長に就任。通算6期12年。
- 1995年 - 隠居し東家を名乗った。
受賞
- 1984年 - 文化庁芸術祭優秀賞。
- 1985年 - 紫綬褒章。
- 1991年 - 勲四等旭日小綬章
得意演目
- 「野狐三次」
- 「夕立勘五郎」等。
関連書
- 芝清之編『東家浦太郎関東節ひとすじ : 芸談・出演日誌 昭和九年~昭和五十六年』浪曲編集部、1994年。JP番号 94053742
2代目
東家 浦太郎(1942年11月15日 - 2022年5月8日) 千葉県匝瑳郡野栄町(今の匝瑳市)出身。本名は太田 清。荒川区立一中学校卒業。 節真似も得意で様々な節をこなし、「節のデパート」の異名をとる。テーブル掛けは、得意演題からの「浅草観音に捨て子された野狐三次」。多くの浪曲教室で教える。東京・金町で後援会が毎月入場無料で開く「浦太郎の会」は370回(足かけ30年)を超え、特筆される。
- 1955年 - 東家楽浦に入門、浦清を名乗り、下積み時代。一時、歌謡曲で「東新太郎」を経て
- 1970年8月 - 太田英夫と改名。
- 1972年 - 永六輔、小沢昭一をゲストに迎え、浅草国際劇場で「ヤング浪曲の会」。
- 1995年 - 初代引退に伴い、二代目東家浦太郎を襲名。
- 2002年 - 日本浪曲協会会長就任。2003年まで1期2年。
- 2007年6月 - 軽い脳梗塞で入院。8月に復帰。
- 2013年12月 - 胆石で入院。協会主催の「男の浪花節」公演を休演。翌1月に京都で舞台復帰。
- 2022年5月8日 - 食道がんのため、千葉県松戸市の病院で死去浪曲師の東家浦太郎さん死去 - 時事ドットコム 2022年5月9日。。
受賞
- 1987年 - 文化庁芸術祭芸術祭賞。
- 1990年 - 芸術選奨文部大臣新人賞。
得意演目
- 「野狐三次」
- 「義士伝」他多数
弟子
- 瑞姫(太田ももこ改め) - 現在は一門を離れてフリーで活動。
- 浪花亭友歌 - 演歌歌手と兼業。現在は東京を離れ、故郷の福井や大阪を中心に活動。
- 東家一太郎
- 東家孝太郎
- 東家恭太郎
出典
外部リンク
- 二代目東家浦太郎 - 日本浪曲協会
出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 | 最終更新:2023/12/29 20:39 UTC (変更履歴)
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