中村俊一 : ウィキペディア(Wikipedia)
中村 俊一(なかむら しゅんいち、1926年(大正15年)1月4日 - 1980年(昭和55年)11月25日)は、日本の演出家、俳優、劇団「仲間」主宰者。
人物
神奈川県横浜市生まれ松尾鉱山資料館の展示説明から。松尾鉱業の2代目社長中村正雄の長男。父方の祖父は松尾鉱業、太洋鉱業、増田屋各社長などをつとめた中村房次郎[ 『人事興信録 第14版 下』]ナ105頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2022年11月2日閲覧。。母方の祖父は日本の社会主義運動の先駆者で、早稲田大学野球部を創設したことでも知られる安部磯雄で、母・京はその次女である。
1945年に早稲田大学文学部国文科を中退。千田是也の知遇を得て俳優講習所に学び、俳優座に入団。演出助手や舞台監督、養成所の講師を経て、俳優座の養成所の2期生と共に1953年に劇団仲間を結成した。主宰者となる。
父が経営していた岩手県の松尾鉱山には、大きな劇場が2つあり、内装や照明などは俊一の意見を取り入れて作られた。新東宝が映画『思春の泉』を松尾鉱山のお膝元である田頭村 (岩手県)で撮影する為、松尾鉱業社長の息子である中村が主催する劇団仲間に協力を依頼、これが劇団仲間の最初の仕事となった。そのため、劇団仲間の旗揚げ公演はロケ前夜祭として松尾鉱山で行われた。1955年にヴァイゼンボルン作「三人の紳士」で演出を担当し、芸術祭奨励賞を受賞した。1980年11月25日に心筋梗塞のため死去。
演出家だけでなく俳優として、NHK「おはなはん」、「あしたこそ」「風の隼人」、TBS「ありがとう」、映画「トラ・トラ・トラ!」などに出演。
後任
中村の死後、その持ち役を引き継いだ人物は以下の通り。
- 塚田正昭 - 『刑事コロンボ』:エイドリアン・カッシーニ※追加収録部分のみ
出演作品
テレビドラマ
- NECサンデー劇場「三好十郎追悼番組 地勢」(1959年12月13日、NET)
- ドキュメンタリードラマ「指名手配 第25回 白い鞘」(1960年、NET)
- 愛の涯(1961年、NTV)
- お気に召すまま 第3話「天才の秘密」(1962年、NET)
- 連続テレビ小説「おはなはん」(1966年、NHK)
- 銀河ドラマ「朱鷺の墓」(1970年、NHK) - 森戸院長
- ありがとう(1970年、TBS) - 洞外大介
- 日本怪談劇場 第11話「怪談 耳なし芳一」(1970年、12ch)- 和尚十念
- 若い!先生(1974年、CX) - 校長
- 夏の光に…(1980年10月24日、NHK) - 松本
映画
- 春のおとずれ(1977年、日映科学映画製作所)
- 黒の奔流(1972年)
- 制服の胸のここには(1972年)
- トラ・トラ・トラ!(1970年)
- 松川事件(1961年)
- 武器なき斗い(1960年)
- ぶっつけ本番(1958年)
- 怒りの孤島(1958年)
吹き替え
- ママは太陽 (1970年ー1971年、NHK) - デンバー・パイル
- 刑事コロンボ 別れのワイン(1974年、NHK) - エイドリアン・カッシーニ:ドナルド・プレザンス
- イルカの日(1976年、テレビ朝日) - カーティス・マホニー:ポール・ソルヴィノ
- ミセス・コロンボ 殺しの日は雨(1980年、NHK) - イアン・A・モーリー:ドナルド・プレザンス
参考文献
- 人事興信所編『人事興信録 第14版 下』人事興信所、1943年。
関連項目
外部リンク
出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 | 最終更新:2024/06/05 21:21 UTC (変更履歴)
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