石松愛弘 : ウィキペディア(Wikipedia)
石松 愛弘(いしまつ よしひろ、1932年6月1日週刊テレビ番組(東京ポスト)1985年8月9日号「脚本家の横顔」65頁 - )は、日本の脚本家、小説家。
経歴
福岡県飯塚市に生まれ、大牟田市、宗像市に育つ。福岡県立宗像高等学校、東京大学文学部美学美術史学科卒。大学在学中から東宝のシナリオ研究会に所属。最初は東宝の入社試験を受けるが、採用者が決定する直前になって「胸に影」があったのが理由となって採用取り消しとなり、その代わりに大映を紹介してもらい、卒業後大映に入社し、白坂依志夫、舟橋和郎、増村保造らに師事。
1960年『弾痕街の友情』でデビューし、1962年に大映と脚本家契約をする。
以来、テレビと映画の別なく骨太なハードボイルド、任侠作品を数多く執筆し、大映のみならずカラーの異なる東宝、東映、日活といった各社でも活躍。
1971年、大映の倒産とともにフリーとなる。
フリー以降は様々なジャンルの作品のシナリオを手がける傍ら「宗方翔(むなかた しょう)」「宗方寿郎」という別名義でシナリオや小説も書いている。
小説の処女作は島原の乱を描いた『葬神』(宗方名義)。
映画監督の池広一夫は義兄。
主な作品
映画
- 黒い樹海(1960年)
- 黒の試走車(1962年)
- ある殺し屋(1967年)
- 続・組織暴力(1967年)
- 大悪党(1968年)
- ごろつき(1968年)
- 縄張<シマ>はもらった(1968年)
- 女賭博師さいころ化粧 (1969年、大映)
- 女賭博師花の切り札 (1969年、大映)
- あゝ海軍(1969年、大映)
- 雨は知っていた(1971年)
- 恋人岬(1977年)
- 北京的西瓜(1989年)
- ムルデカ17805(2001年)
- 渋谷物語(2004年)
テレビドラマ
- 水の炎(1964年、日本テレビ)
- ザ・ガードマン
- 絢爛たる復讐(1969年、NET)
- 独身のスキャット
- おくさまは18歳
- 非情のライセンス
- 特捜最前線(1977年、テレビ朝日)※宗方寿郎名義で#1「愛の十字架」#6「私の愛の墓標」#9「絶唱!愛と転落の女」
- 幻の女(1971年、日本テレビ)
- 松本清張シリーズ・中央流沙(1975年、NHK)
- 赤いシリーズ
- 暴れん坊将軍
- 太陽にほえろ!
- 大都会 PARTII
- 愛しい女(1980年、日本テレビ)
- 球形の荒野(1981年、日本テレビ)
- 警視庁殺人課(1981年、テレビ朝日)
- 悪女の招待状(1982年、テレビ朝日)
- はぐれ刑事純情派
- 松本清張スペシャル・山峡の湯村(1992年、日本テレビ)
関連項目
- 日本の小説家一覧
- 時代小説・歴史小説作家一覧
外部リンク
出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 | 最終更新:2024/08/22 00:50 UTC (変更履歴)
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