山下明彦 : ウィキペディア(Wikipedia)

山下 明彦(やました あきひこ、1966年2月6日 - )は、日本のアニメーター、キャラクターデザイナー、アニメ演出家・監督。岡山県倉敷市出身。

経歴

10代の頃、富野由悠季作品に影響を受け、なかでも湖川友謙に憧れ絵描きを志すようになる。また、『トムとジェリー』の芝居に魅せられ、『ルパン三世 カリオストロの城』にも夢中になったという「イラストノート No.43」誠文堂新光社、2017年7月、p29。。

岡山県立倉敷南高等学校卒業後にアニメーターを目指して上京、ビーボォーに所属する。ビーボォーからスタジオぱっくに移籍後、ぱっくを株式会社として改組したアトリエ戯雅の設立に参加。戯雅の解散後は、プロジェクトチーム・ムー(後のフェニックス・エンタテインメント)に参加し、『ジャイアントロボ THE ANIMATION -地球が静止する日』の作画監督、キャラクターデザイン、絵コンテを担当。

約10年がかりの仕事となり、20代のすべてを費やした『ジャイアントロボ』でやりたいことを思う存分注ぎ込み、制作が終わった後はモチベーションを失っていたが、『幻想水滸外伝』のOPの仕事で平田智浩と松本憲生に出会い、アニメーションの面白さを思い出したというアニメの未来を担うスタジオポノックこぼれ話!~米林宏昌監督×山下明彦監督対談~シネマトゥデイ(2018年8月)ジブリを支えてきた監督が、宮崎駿にかけられて「愕然とした言葉」bizSPA!(2018年8月)ぽろり春草「Character Designers Room」『電撃アニメーションマガジン 2000年8月号』角川書店、2000年、p58。

フェニックス・エンタテインメントが制作事業から撤退した後は、トライアングルスタッフに参加し、『NieA_7』の舞台設計を担当。同社の活動停止後、『ストレンジドーン』のキャラクターデザインを経て、スタジオジブリの『千と千尋の神隠し』に原画として参加し、クライマックスの千尋とハクの自由落下など重要な場面を担当する「ロマンアルバム 千と千尋の神隠し」徳間書店、2001年8月。。本作で宮崎駿の高い評価を得て借りぐらしのアリエッティ メインスタッフ紹介叶精二「宮崎駿全書」フィルムアート社、2006年3月、p241。、『ハウルの動く城』では筆頭作画監督に抜擢された。

『ゲド戦記』では作画演出という形で監督の絵コンテの整理や、レイアウトチェックの確認を担当。『崖の上のポニョ』では、参加スタッフの中で最も多くの原画を手掛け、リサカーと水魚のカーチェイスのシーンなどを担当。制作途中からは作画監督の補佐を行った「ロマンアルバム 崖の上のポニョ」徳間書店、2008年9月。。三鷹の森ジブリ美術館上映の短編映画『ちゅうずもう』で初の監督を務める菅野みゆき「ネズミが相撲、大奮闘――新作アニメ『ちゅうずもう』上映中――民話題材三鷹の森ジブリ美術館」『朝日新聞』44438号、多摩13版、朝日新聞東京本社、2010年1月10日、33面。。『風立ちぬ』でも最多となるカット数の原画を担当している「ロマンアルバムエクストラ 風立ちぬ」徳間書店、2013年10月、p41。。

多くのジブリ作品で中核を担い、安藤雅司から「(2000年代以降の)スタジオジブリ作品を支えてきた代表的なアニメーター」と評されている「ロマンアルバム 思い出のマーニー」徳間書店、2014年9月、15p。。スタジオジブリの制作部門解体ジブリ、「小休止」へ 製作部門解体「マーニー」以後は新作お預け?」産経新聞(2014年8月4日)に伴いフリーランスとなった以降は、妻の下笠美穂と共に『怪盗ジョーカー』などに参加したトラッシュスタジオ。有限会社トラッシュスタジオのCM制作にも原画や絵コンテで参加。西日本の生協グリーンコープの30周年記念CMシリーズではキャラクターデザインを担当している山下明彦公認情報サイト

2018年には、スタジオポノック制作の映画『ちいさな英雄-カニとタマゴと透明人間-』の一編である『透明人間』を監督。本作で第22回文化庁メディア芸術祭アニメーション部門新人賞を受賞メディア芸術祭アニメ部門優秀賞に「若おかみ」など選出、大賞はフランスの短編映画ナタリー(2019年2月)文化庁メディア芸術祭(2019年2月)。

2023年公開の『君たちはどう生きるか』では作画監督の本田雄を補佐する役割を担い、全修正が必要と判断された原画は主に山下が請け負った『SWITCH Vol.41 No.9 特集 ジブリをめぐる冒険』「本田雄 [報われた6年間]」スイッチ・パブリッシング、2023年8月、p.54。。作品のクレジットには筆頭原画として記載されている。

宮崎駿から「近頃珍しく健全なアニメーター」と評されている「ロマンアルバム ハウルの動く城」徳間書店、2004年12月、126p。。リアル系の作画で知られるビーボォーの出身であるが、決してリアル寄りの画風ではなかったと、山下と同時期にアトリエ戯雅に所属していた本田雄は語っている。そのうえで「リアル系ではないのに、リアルな画も描けるし、線が流暢なんです」と語り、2歳しか違わない山下の力量に当時強いショックを受けたという「月刊アニメスタイル 第2号」スタイル、2011年8月、p.66。。

参加作品

テレビアニメ

劇場アニメ

短編映画

OVA

Webアニメ

  • 日本アニメ(ーター)見本市「ザ・ウルトラマン」「旅のロボから」(原画、2015年)
  • 虫籠のカガステル(キャラクターデザイン、2020年)

ゲーム

  • ワンダープロジェクトJ2 コルロの森のジョゼット(キャラクターデザイン、1996年)
  • 幻想水滸外伝Vol.1(OP作画監督、2000年)
  • 幻想水滸外伝Vol.2(OP作画監督、2001年)
  • 幻想水滸伝III(OP作画監督、2002年)
  • アームド・パンツァー紫炎(キャラクターデザイン、2009年)

CM

参考文献

  • ぽろり春草「Character Designers Room」『電撃アニメーションマガジン 2000年8月号』角川書店、2000年、p58-59。

出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 | 最終更新:2023/11/26 08:29 UTC (変更履歴
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