佐藤文男 : ウィキペディア(Wikipedia)

佐藤 文男(さとう ふみお、1953年4月12日 - )は、広島県出身の元プロ野球選手(投手)。

同姓同名の選手在籍時の表記は、佐藤文(後述)。

来歴・人物

戸手商業高から、オフにドラフト外で近鉄バファローズにテスト入団プロ野球人名事典 2003(2003年、日外アソシエーツ)、255ページ。

主にフリー打撃投手として5年間を耐えると西本幸雄監督に素質を見込まれ一軍に抜擢された。普通打撃投手は打ってもらうのが仕事だが、佐藤は誰にも打たせまいと夜中に寮を抜け出し練習をしていたという。自然にスライドしてバットの芯を外す真っ直ぐとシュート、カーブを得意とした。

に一軍初登板を果たし、主に抑え投手として起用される。に初勝利しこの年6勝6セーブ、翌4勝6セーブと活躍した。しかし、ヒジの酷使からかヒジ・肩が故障しオフに戦力外となって、阪神タイガースに金銭トレードされた。

阪神ではほとんど出番がなく、在籍2年目の限りで現役を引退した。

引退後、郷里に戻り高校野球の監督を目指し猛勉強、1984年府中東高校の実習教員として採用され、11年後の1995年にようやく教員免許を取得した。一般的に30歳を越えると教員として採用されるのは難しく、部活動の指導者はさらに難しい。佐藤のように40歳を越えてからの例は珍しい。近年は日本高等学校野球連盟の元プロ野球選手の特別措置が緩和され2年間、教員としての実績があれば、日本学生野球協会の審査を受け指導者になる許可が出る。からまで同校野球部監督を務め、『西本魂』の厳しい指導を行ったが甲子園出場は成らなかった。

同姓同名

、佐藤は阪神に所属していたが、同年オフに同姓同名の「佐藤文男」投手が阪神にドラフト外入団した。この2人を区別するため、元から阪神にいた佐藤(本頁の選手)は「佐藤文」、新しく入団した佐藤は「佐藤男」と表記された。元から阪神にいた佐藤のほうは1982年で退団したので、この2人が同時に阪神に所属していたのは1982年のみである。

詳細情報

年度別投手成績

近鉄10000000------51.020000100000.002.00
391000636--.667428107.195142003471044413.451.07
343000426--.66735086.187101513332037333.451.18
210000303--1.00017341.14221004230021132.851.26
10000000------91.0420021005545.004.00
阪神30000000------244.0912001108511.252.75
通算:6年99400013515--.722989241.0239294711210640115973.621.19

背番号

  • 57(1972年 - 1980年)
  • 51(1981年 - 1982年)

関連項目

  • 大阪近鉄バファローズの選手一覧
  • 阪神タイガースの選手一覧
  • 広島県出身の人物一覧

外部リンク

出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 | 最終更新:2024/10/10 09:26 UTC (変更履歴
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