青山充 : ウィキペディア(Wikipedia)

青山 充(あおやま みつる「'82に飛躍する若きアニメ・ホープたち 青山充」『アニメージュ』1982年1月号、p.81、1954年2月16日 - )は、フリーの男性アニメーター、キャラクターデザイナー。新潟県上越市聞き手・小黒祐一郎「第百三十一回 この人に話を聞きたい 青山充」『アニメージュ』2010年6月号、pp.102-105聞き手・構成 星まこと「Animation Interview Series 青山充インタビュー」『まんだらけZENBU』No.114、まんだらけ出版部、2023年2月、pp.431-439出身。

原画を1人で描く一人原画の機会の多さが際立っているアニメーター。

来歴

小さい頃は病弱で『鉄腕アトム』や『8マン』などを漫画の絵を模写していた。漫画は読んでいたもの熱心なマニアではなく、漫画家志望でもなかった。工業高校卒業後は上京し、東洋美術学校でグラフィックデザインを学んだ。学校へ行かなくなりアルバイトをしていた頃に絵を描く仕事をしたいと思い立ち、友人から下請け作画スタジオのスタジオルックを紹介されて業界に入りし、東洋美術学校は中退した。『ポールのミラクル大作戦』の動画を引き受け、1年近く経って24歳頃に原画の担当となった。

1980年の『燃えろアーサー 白馬の王子』『がんばれ元気』の頃にスタジオルックにいた清山滋崇と佐々木正広に誘われて、3年ほど在籍したルックからスタジオアトンへ移籍。この頃に原画を担当した『がんばれ元気』は自身の仕事の土台になっており、一番思い出に残ってる作品だという。

1981年10月放送の『ぼくらマンガ家 トキワ荘物語』の頃にはフリーに。

1983年の『ベムベムハンターこてんぐテン丸』第15話「人形にされたヨーコちゃん」で初のテレビアニメシリーズの作画監督を担当した。30分アニメ1話分の原画を1人で描くようになったのは同作からである。

1984年の『とんがり帽子のメモル』以降、朝日放送制作日曜朝8時30分枠のアニメの東映動画作品で作画監督や原画を担当し続けており、フリーの立場で東映動画に机を置いて毎朝出勤して、東映とは専属のような形で仕事をしている。1987年の『ビックリマン』では初のキャラクターデザインを担当し、東映の歴代ビックリマンシリーズ全てでキャラデザインを務めた。その後も『GS美神』でもキャラクターデザインを担当するなど、同枠には2021年の『トロピカル〜ジュ!プリキュア』まで参加し続けている。

映画『プリキュアオールスターズDX』シリーズ3作では大塚隆史監督の希望で作画監督に起用されたWebマガジン幻冬舎: お前の目玉は節穴か 第6回 「プリキュア」シリーズの大塚隆史監督インタビュー 後編 (2011年3月22日閲覧)ぴあMOOK『プリキュアぴあ』(発行:ぴあ株式会社) p57。

人物

兄がおり次男である。

『とんがり帽子のメモル』の頃から少女ものを手がけることが多くなり、プリキュアシリーズなど2000年代以降は仕事のメインとなったが、自身は少女ものが得意ではなくむしろ嫌いで少年ものが好きであるという。フリーになった頃に家庭を持ち、それからは生活を第一にして作品の好き嫌いがあったとしても日曜朝の枠の仕事を真面目にやって、同じ時間帯の仕事を長く続けることを幸せと感じている。読書や映画鑑賞をすることはあるが、仕事人間であることを自認している。

2010年のインタビューでは後10年出来ればと語っており、2022年時点のインタビューでは引退については大分前から考えているがとりあえず70歳まではやろうと抱負を語った(インタビュー時68歳)。

参加作品

テレビアニメ

劇場アニメ

OVA

注釈

出典

参考資料

  • 徳間書店刊 「アニメージュ」2010年6月号 インタビュー記事「この人に話を聞きたい」第131回

関連項目

  • 東映アニメーション
  • アニメ関係者一覧

出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 | 最終更新:2024/03/03 00:02 UTC (変更履歴
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