清水クーコ : ウィキペディア(Wikipedia)

清水 クーコ(しみず クーコ、1952年〈昭和27年〉9月10日 - 1991年〈平成3年〉3月27日)は、日本のタレント、歌手。本名は親谷 邦子。東京都世田谷区出身。

経歴

4人姉妹の末っ子。グループ・サウンズブームの時はザ・タイガースのファンで、特に沢田研二ファンだった『めざめて、女、再び―清水クーコ写真&エッセイ集』「私の未公開部分」より。。

スクールメイツで約3年間活動、スクールメイツではリーダーを務めていたことがあった『月刊平凡』1971年11月号 84頁。1970年女性コーラスグループのザ・シュークリーム(ホーン・ユキ北原由紀、甲山暁美)を結成。この当時は本名および愛称の「クーコ」で活動し、セールスポイントは「ビーバーみたいな前歯」としていた。1974年、チャーリー石黒の門下生で象印スターものまね大合戦でアシスタントを務めた四人でクーコとエンジェルスを結成する「映画情報 38(12)(256);12月号」国立国会図書館デジタルコレクション。

1976年9月、あのねのねの清水国明と結婚『週刊宝石』1983年7月22日号 180-181頁。結婚直後は活動を休止していたが、翌1977年より活動を再開した『週刊大衆』1982年7月26日号「宮尾すすむの美女ニアミス対談」(50頁)。1979年頃から別居状態となり、1982年9月24日に正式に離婚。子供はいなかった『週刊ポスト』1985年11月1日号 214-217頁。2回ほど離婚宣言をして、3度目でようやく合意した3度目の正直で離婚した清水国明とクーコ|日刊ゲンダイDIGITAL2022年1月26日閲覧。。

国明との離婚報道時、双方ともマスコミに対して離婚理由の説明などはせず、ディスコで結婚披露宴のような「離婚パーティー」を開いた。本人曰く「明るい離婚」だったとのことで、その後もあのねのね事務所に籍を置いたままタレント活動を継続し、国明とは良き友人関係を続けたが、1988年、イギリスへの語学留学を決意したことや、国明の再婚が決まったことなどから、芸能界を引退して渡英した『週刊明星』1991年4月18日号 31-32頁。

1990年2月末、ビザの書き換えのため一時帰国した際に、体調が悪いとして検診を受け癌が発覚、余命半年と宣告された。

1991年3月27日、子宮頚癌で死去(享年38)。葬儀には梅沢富美男稲川淳二清水アキラせんだみつお大信田礼子ら約200人が参列した。喪主は元夫の国明が務め、最後まで「良きパートナー」を貫いた。

人物

肌が年中小麦色だったのが特徴。手足を広げて全身を徹底的に焼いていたという『婦人倶楽部』(講談社)1986年10月特大号 42頁。

自ら「ミーハー」という巨人ファン『週刊読売』1986年9月14日号 138-139頁。巨人選手にも友達がいたということで『週刊読売 臨時増刊』1987年10月27日号「やったぞV1!王ジャイアンツ」92頁「各回有名人の見たか聞いたかジャイアンツ」、一時ウォーレン・クロマティとの関係が話題になったことがある。

出演作品

映画

  • トラック野郎・男一匹桃次郎(1977年、東映)
  • 燃える勇者(1981年、東映)
  • シブがき隊 ボーイズ & ガールズ(1982年、東映)
  • 雨が好き(1983年、東宝)
  • 夕ぐれ族(1984年、にっかつ)

テレビドラマ

  • 熱中時代刑事編 第21話「熱中刑事タヌキ狩り」(1979年、NTV / ユニオン映画) - 家具店のカップル客
  • 事件記者チャボ! 第16話「えっ、チャボがドロボー!?」(1984年、NTV / ユニオン映画) - ユリ子
  • ママたちが戦争を始めた!(1985年、NTV)
  • 木曜ゴールデンドラマ「くらやみ祭に人が死ぬ」(1987年、YTV)

テレビ番組

  • ドレミファ学園(NTV、ザ・シュークリーム時代)
  • 全国テキに歌ァ!(NTV、ザ・シュークリーム時代)
  • スター誕生!(NTV、ザ・シュークリーム時代に番組最初期のアシスタントとして)
  • 金曜10時!うわさのチャンネル!!(NTV)
  • スターどっきり(秘)報告(フジテレビ)
  • 独占!女の60分(ANB)
  • 出没!!おもしろMAP(ANB)
  • 三波伸介の凸凹大学校(12ch)
  • オレたちひょうきん族(フジテレビ)- 「ひょうきんベストテン」高樹澪中森明菜役(初代)
  • 痛快なりゆき番組 風雲!たけし城(TBS)

ラジオ

  • 国明・クーコのサンデー新曲ベストテン(ニッポン放送)
    • 1979年10月14日 - 1980年10月5日、日曜AM8:00 - 8:30。当時夫だった清水國明と夫婦で共演していた。
  • 午前3時の女(RFラジオ日本)

音楽

シングル

発売日規格品番タイトル作詞作曲編曲
ザ・シュークリーム名義
日本コロムビア
1971年8月24日P-130A恋の五ヶ条阿久悠鈴木邦彦
Bホットパンツのお嬢さん
1972年1月P-152Aつらい時代の娘たち橋本淳中村泰士高田弘
B二人だけの場所
1972年8月P-158A甘い罠千家和也加瀬邦彦田辺信一
Bイエス・オア・ノウ
クーコとエンジェルス名義
フィリップス・レコード
1973年8月FS-1762A愛のときめきLynsey de Paul(リンジー・ディ・ポール)「Getting A Drag(恋のためいき)」の日本語カバー。チャーリー石黒藤はじめLynsey de Paul渡辺直人
B真夏の奇跡藤はじめ彩木雅夫馬飼野康二
1974年FS-1789A男と女千家和也馬飼野俊一
B東京赤坂3-14-9藤はじめチャーリー石黒馬飼野俊一
シンガースリー(今陽子とクーコ&エンジェルス)名義
キングレコード
非売品NCS-575片面は、BUZZの「楽園の歌」(作詞・作曲:浜口庫之助)。Aピンキーの花束かぞえ唄山川啓介いずみたく
清水クーコ名義
ワーナー・パイオニア
1979年L-276WAラッキー・レディ清水クーコ小坂忠井上鑑
Bウィンクひとつ高坂実
オレンジハウスレコード
1981年ORF-1014Aモガ・モボ・ルンバ売野雅勇チト河内大谷和夫
Bボビーにネック・ハンギングテレビ東京「歌えヤンヤン」イメージテーマソング。

出版

  • めざめて、女、再び―清水クーコ写真&エッセイ集(マイク岡田・共著、コアラブックス 1985年12月16日初版)

注釈

出典

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