安藤ありさ : ウィキペディア(Wikipedia)
安藤 ありさ(あんどう ありさ、1961年3月5日『声優名鑑 アニメーションから洋画まで…』近代映画社、1985年、p.14 - )は、日本の元女性声優。
略歴
東京都国立市に生まれる安藤ありさ「声がどこかではばたいてるよ ふらっぷふらっぷの1回目」『マイアニメ』1983年7月号、秋田書店、p.48。父は生命保険会社に勤めていたサラリーマン。高校2年生のときに見た再放送の『侍ジャイアンツ』『宇宙戦艦ヤマト』でアニメに夢中になり、声優を志願。東京都立国分寺高等学校後の大学浪人を1年した後、1980年に俳協付属養成所に入所。10期生。同期には平松広和、平野義和ら勝田久「声優クローズあっぷ 平松広和(俳協)の巻」『ジ・アニメ』1984年3月号、p.162。養成所時代には顔出しビデオの仕事をした『ザ・声優1995』メディアックス、1994年、p.76。養成所卒業後はNPSアクターズゼミナールで学び、俳協付属養成所講師だった手塚敏夫主宰の劇団「-劇舎(SHIBAIYA)-燐」にも参加。初仕事は教材用テープの女の子役。アニメデビュー作は、声優志望者による自主運営の勉強会ボイスアーツ『アニメージュ』1984年8月号、p.133在籍中の1983年、テレビアニメ『プラレス3四郎』のヒロイン、吹雪今日子役となる安藤ありさ「声がどこかではばたいてるよ ふらっぷふらっぷのお・し・ま・い」『マイアニメ』1984年2月号、秋田書店、p.60。原作を出版する秋田書店の『マイアニメ』誌ではエッセイを連載した。高校卒業時にはアニメ制作の仕事に携わろうとアニメ専門学校への進学を考え、アニメ声優としてデビューした後もセル画に彩色する仕上げのアルバイトをしていたという安藤ありさ「声がどこかではばたいてるよ ふらっぷふらっぷの3」『マイアニメ』1983年9月号、秋田書店、pp.34-35。
NPSテアトル、アーツビジョンを経て81プロデュースへ移籍小川びい『こだわり声優事典'97』徳間書店、1997年、p.10、その後に引退した。
人物・エピソード
姉がいる。
趣味はレコード鑑賞と詩の創作、ピクチャーロジック。前述の『マイアニメ』連載エッセイ「声がどこかではばたいてるよ」でも何度か自作の詩を披露した安藤ありさ「声がどこかではばたいてるよ ふらっぷふらっぷの2回目」『マイアニメ』1983年8月号、秋田書店、p.25。
『宇宙戦艦ヤマト』の大ファンであり、声優デビュー前の1980年、アニメ映画『ヤマトよ永遠に』公開記念の詩の一般公募に自作の詩4編を応募。そのうち1編が8千通の応募の中から選ばれ、同年より放送されたテレビアニメ『宇宙戦艦ヤマトIII』のエンディング主題歌「ヤマトよ永遠に」(歌:ささきいさお)として採用された。もう1人の入選作のエンディング「別離」が山口洋子による直しが入ってるのに対してほとんど直しもなかったという。補作詩のクレジットもない『ロマンアルバム・デラックス43 宇宙戦艦ヤマトIII』徳間書店、1981年、pp.118-119。
後任
安藤の引退後、持ち役を引き継いだのは以下の通り。
出演
テレビアニメ
OVA
劇場アニメ
- 北斗の拳(1986年、アイリ)
- 妖獣都市(1987年、ソープ嬢)
ゲーム
- ホーンドアウル(1995年、ケイト)
- ソニックウィングス アサルト(1998年、グリンダ)
ドラマCD
- 花のあすか組!(紅)
- サンダーバード秘密基地セット(1992年、ロンドンタワー場内アナウンス)
吹き替え
映画
- 初体験/リッジモント・ハイ ※フジテレビ版
- 龍拳(モゥンラン〈ノラ・ミャオ〉)
アニメ
- X-MEN(ルクル)
- ザ・シンプソンズ(テリー、シェリー、シーシー)※シーズン14まで
- ザ・シンプソンズ MOVIE(コリン)※オリジナル版
- スパイダーマン&アメイジング・フレンズ(ファイアスター)※ビデオ版
- チップとデールの大作戦(シェリフ)※新録版
ナレーション
- NNNニュースプラス1(日本テレビ)
CM
- 日本航空「JAL STORY」
- ヤマト運輸「宅急便 小笠原サービス開始篇」
出典
出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 | 最終更新:2024/07/20 01:19 UTC (変更履歴)
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