アル・クーパー : ウィキペディア(Wikipedia)
アル・クーパー(Al Kooper、1944年2月5日 - )は、アメリカの作曲家・ミュージシャン・プロデューサーである。
1960年代半ばにボブ・ディランのレコーディングに参加し、ブラッド・スウェット・アンド・ティアーズ結成を経て、1969年からソロで活動。
来歴
生い立ち
本名アラン・ピーター・クーパーシュミット (Alan Peter Kuperschmidt)。ニューヨークブルックリン区のユダヤ人の一家に生まれ、クイーンズ区ホリス・ヒルズで育つ。
独学でピアノやギターを弾き、1959年、ロイヤル・ティーンズにギタリストとして加入してプロデビューした。
1960年代
1965年
ソングライターとして活動するうち、1月にボブ・ブラス及びアーウィン・レヴィンと共作した「」がゲイリー・ルイス&ザ・プレイボーイズのデビュー曲に起用される。同曲は同年2月に全米1位となる。ジーン・ピットニーのためにブラスらと共に「I Must Be Seeing Things」を書いた。
6月15日にボブ・ディランがアルバム『追憶のハイウェイ 61』のレコーディングを開始する。クーパーは見学のためにスタジオに入りマイク・ブルームフィールドと出会う。6月16日に「ライク・ア・ローリング・ストーン」録音の際、即興でオルガンの演奏を提案し、飛び入りでセッションに参加した。
この年の後半にのオーディションに参加してメンバーになった。
1966年
1月から3月にかけてディランのアルバム『ブロンド・オン・ブロンド』のレコーディングに参加する。ほかにピーター・ポール&マリーの『The Peter, Paul and Mary Album』Peter, Paul And Mary - Album (Vinyl, LP, Album) at Discogs、トム・ラッシュの『Take a Little Walk with Me』Tom Rush - Take A Little Walk With Me (Vinyl, LP, Album) at Discogsなどのレコーディングにも参加した。
3月にブルース・プロジェクトのデビュー・アルバム『Live at The Cafe Au Go Go』が発表された。クーパーはオルガンを弾き、「I Want to Be Your Driver」でリード・ボーカルを担当した。
エレクトラ・レコードが6月に発売したコンピレーション・アルバム『What's Shakin'』で自作曲「Can't Keep From Crying Sometimes」を発表する。
1967年
6月16日から18日にかけて開催されたモントレー・ポップ・フェスティバルの17日昼の部にソロで出演した。ブルース・プロジェクトを脱退して、秋にブラッド・スウェット・アンド・ティアーズ(BST)を結成する。
1968年
1968年初頭にモビー・グレープのジャム・セッションにブルームフィールドとともに参加する。クーパーは「Black Currant Jam」で、ブルームフィールドは「Marmalade」でピアノを弾いた。これらの楽曲は4月に発売されたモビー・グレープのセカンド・アルバム『Wow/Grape Jam』に収録されたMoby Grape - Grape Jam (Vinyl, LP, Album) at Discogs。
2月21日にBSTのファースト・アルバム『子供は人類の父である』が発売される第11回グラミー賞のBest Contemporary-Pop Performance - Vocal Duo or Groupの候補に選ばれた。。3月にBSTを脱退。
4月15日にニューヨークのジェネレーション・クラブでクーパー(オルガン)、フィリップ・ウィルソン(ドラムズ)、バジー・フェイトン(ベース)の顔ぶれで、ジミ・ヘンドリックス、B.B.キング、ポール・バターフィールド、バターフィールド・ブルース・バンドのエルヴィン・ビショップとジャム・セッションをした。「ライク・ア・ローリング・ストーン」も取り上げられ、クーパーはオリジナルと同様にオルガンを弾いた。この演奏はいくつかの非公式CDに収載されているJimi Hendrix & B.B. King - The Kings' Jam (CD) at Discogs。
7月22日にクーパー、ブルームフィールド、スティーヴン・スティルスの名義でアルバム『スーパー・セッション』を発表する。
8月23日にロサンゼルスのハリウッド・ボウルで行われたサイモン&ガーファンクルのコンサートで、録音エンジニアを務める。この音源もいくつかの海賊盤に収載されているSimon And Garfunkel* - Voices Of Intelligent Dissent (CD) at Discogs。
9月26日から27日にかけて、サンフランシスコのフィルモア・ウェストでブルームフィールドと共演する。28日は出演不可能となったブルームフィールドの代役として、エルヴィン・ビショップ、カルロス・サンタナ当時はレコード・デビューの前だった。らが出演した。
この年はほかに、ローリング・ストーンズの「無情の世界」、バターフィールド・ブルース・バンドの『In My Own Dream』、ジミ・ヘンドリックスの「長く暑い夏の夜」などのレコーディングに参加する。
1969年
前年にブルームフィールドと共演したライブにオーバーダビングを施し、1月に2枚組のアルバム『フィルモアの奇蹟』として発表。
2月、初のソロ・アルバム『アイ・スタンド・アローン』を発表。同アルバムは全米54位となった。9月発売のジャニス・イアンのアルバム『愛のためらい (Who Really Cares )』にオルガンで参加Janis Ian - Who Really Cares (Vinyl, LP, Album) at Discogsする。
前年にシュギー・オーティス(ギター)と録音したオーティスはジョニー・オーティスの息子で、録音時には15歳だった。セッションを収録した『クーパー・セッション』を、オーティスとの連名で発表。
1970年代以降
1972年にジョージア州アトランタへ移住し、9月にジョン・プライン「サム・ストーン」のカバー・バージョンをシングルとして発表45cat - Al Kooper - Sam Stone / (Be Yourself) Be Real - Columbia - USA - 4-45691する。12月にアルバム『赤心の歌』を発表する。同アルバムに収録された「ジョリー」は日本で格別に愛聴されたSony Music Shop | Al Kooper・赤心の歌。同年にはMCAレコードのサブ・レーベル「サウンズ・オブ・ザ・サウス」を設立し、レーナード・スキナードを世に出してアルバム『レーナード・スキナード』(1973年)、『セカンド・ヘルピング』(1974年)、『ナッシン・ファンシー』(1975年)のプロデューサーを務めた。サザン・ロック・ブームの一翼を担う。
1980年代以降は寡作となるが、2003年に初めて日本で公演し、2005年7月に11年ぶりの新作『ブラック・コーヒー』を発表した。
2016年12月10日放送の「NHKスペシャル ボブ・ディラン ノーベル賞詩人 魔法の言葉」で「ディランをよく知るミュージシャン」として取材を受ける。
2023年、ロックの殿堂入り"Musical Excellence"部門の受賞。。
ディスコグラフィ
アルバム
- 『アイ・スタンド・アローン』 - I Stand Alone(1969年)
- 『孤独な世界』 - You Never Know Who Your Friends Are(1969年)
- 『イージー・ダズ・イット』 - Easy Does It(1970年)
- 『紐育市(お前は女さ)』 - New York City (You're A Woman)(1971年)
- 『早すぎた自叙伝』 - A Possible Projection of the Future / Childhood's End(1972年)
- 『赤心の歌』 - Naked Songs(1972年)
- 『倒錯の世界』 - Act Like Nothing's Wrong(1976年)
- 『チャンピオンシップ・レスリング』 - Championship Wrestling(1982年)
- Rekooperation(1994年)
- Soul of a Man(1995年)※ライブ・アルバム
- Rare and Well Done(2001年)※ボックス・セット
- 『ブラック・コーヒー』 - Black Coffee(2005年)
- 『ホワイト・チョコレート』 - White Chocolate(2008年)
コラボレーション・アルバム
- 『スーパー・セッション』 - Super Session(1968年)※マイク・ブルームフィールド、スティーヴン・スティルスと連名
- 『フィルモアの奇蹟』 - The Live Adventures of Mike Bloomfield and Al Kooper(1969年)※マイク・ブルームフィールドと連名
- 『クーパー・セッション』 - Kooper Session(1969年)※シュギー・オーティスと連名
- 『フィルモア・イーストの奇蹟』 - Fillmore East: The Lost Concert Tapes 12/13/68(2003年)※マイク・ブルームフィールドと連名、1968年録音
著書
日本公演
- 2003年 6月15日 渋谷クラブクアトロ、17日,18日 SHIBUYA-AX、20日 心斎橋クラブクアトロ
- 2005年 10月5日,6日 東京国際フォーラムホールC
- 2007年 12月7日 Billboard Live OSAKA、9日,10日 Billboard Live TOKYO、12日 Billboard Live FUKUOKA
- 2009年 4月10日 名古屋Bottom Line、11日 大阪BIG CAT、14日,15日 Shibuya O-EAST
注釈
出典
関連項目
- ブルー・アイド・ソウル
- ブラス・ロック
出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 | 最終更新:2025/11/08 06:22 UTC (変更履歴)
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