マイク・ボールドウィン : ウィキペディア(Wikipedia)

マイク・ボールドウィン (Mike Baldwin, 1955年1月15日 - ) はアメリカ合衆国カリフォルニア州パサデナ出身の元オートバイレーサー。1980年代にAMAスーパーバイクのトップライダーとして活躍し、世界グランプリにも参戦した。

略歴

ボールドウィンはAMAフォーミュラ1のタイトルを5度獲得し、また鈴鹿8時間耐久ロードレースで初めて3勝を挙げたライダーでもあった。世界グランプリにはケニー・ロバーツ率いるヤマハのチームから参戦し、1986年には500ccクラスでランキング4位の成績を挙げたMike Baldwin career statistics at MotoGP.com。そのまま最も成功するアメリカ人レーサーの一人になるかと思われたが、怪我によって選手生命を縮めることになった。

2001年、AMA殿堂入りを果たしたMotorcycle Hall of Fame

戦歴

AMA

  • 1974年 - ロードレースにデビュー(10勝)『片山敬済[疾走する戦士たち]』(p64)より。
  • 1975年 - AMAノービス250ccクラスに参戦
  • 1978年 - AMAナショナルF1クラス チャンピオン『片山敬済[疾走する戦士たち]』(p60)より。
  • 1983年 - AMAナショナルF1クラス チャンピオン
  • 1984年 - AMAナショナルF1クラス チャンピオン
  • 1985年 - AMAナショナルF1クラス チャンピオン

ロードレース世界選手権

  • ボールド体のレースはポールポジション、イタリック体のレースはファステストラップを記録。
クラス チーム マシン 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 ポイント 順位 勝利数
1979 500cc スズキ RG500 VEN- AUT14 GER10 ITA5 SPA3 YUG- NED- BEL- SWE- FIN- GBR- FRA- 17 13位 0
1981 500cc スズキ RG500 AUT- GER- ITA- FRANC YUG- NED- BEL- RSM- GBR- FIN- SWE- 0 - 0
1985 500cc HRC ホンダ NS500 RSA9 SPA7 GERNC ITA11 AUT7 YUG- NEDNC BEL11 FRA10 GBR- SWE7 RSM8 18 11位 0
1986 500cc ラッキーストライク・ヤマハ YZR500 SPA3 ITA3 GER3 AUT5 YUG5 NED3 BELNC FRA4 GBR18 SWE3 RSM4 78 4位 0
1987 500cc ラッキーストライク・ヤマハ YZR500 JPNNC SPANC GER- ITA- AUT- YUG- NED- FRA- GBR- SWE- CZE- RSM- PORNC BRA10 ARG6 6 18位 0
1988 500cc HRC ホンダ NSR500 JPN- USA10 SPANC EXP- ITA- GER- AUT- NED- BEL20 YUG14 FRA13 GBR13 SWE- CZE- BRA- 14 19位 0

鈴鹿8時間耐久レース

車番 ペアライダー チーム マシン 予選順位 決勝順位 周回数
1978 2 ウェス・クーリー ヨシムラレーシング スズキ・GS1000 21 194
1981 1 デビッド・アルダナ ホンダ・フランス ホンダ・RS1000 6 1 199
1982 20 木山賢悟 ホンダ 2 Ret 3
1984 1 フレッド・マーケル ホンダ ホンダ・RS750R 5 1 191
1985 2 ドミニク・サロン アメリカ・ホンダ ホンダ・RVF750 5 2 195
1986 2 ケニー・ロバーツ チーム・ラッキーストライク・ヤマハ ヤマハ・YZF750 2 Ret 130

人物

マイクはアメリカ西部のカリフォルニア州の山の中の町で生まれ、3歳のときに同州内にある湖の近くに転居し、10歳のときに東部のコネチカット州に転居する。兄弟は、実兄1人、実弟1人、異母弟1人、異母妹2人である。趣味はスキーとヨットで、スキーは大回転が得意である『片山敬済[疾走する戦士たち]』(p62, p67)より。。

マイクは16歳のときに初めてバイクに乗った。最初のバイクは125ccのトレールバイクで、それに乗って森の中を走り回っていた。18歳になるとロードスター(roadster)に乗り換え、舗装路での走りを楽しんでいた。友だちに誘われてバイクレースを観戦しに行く。レースへの出場も誘われ、出走することになる。最初のレースは1974年で、使用したバイクは、レース会場まで乗って行ったロードスターであった。マイクはレーサーを持っていなかったのである『片山敬済[疾走する戦士たち]』(p63, p64)より。。

家族の中でバイクに乗るのはマイクだけである。マイクは19歳でロードレースを始めたが、そのことを知った家族はあまりいい顔はしなかった。そこにはアメリカ東部でのバイクレースの社会的な位置付けが関連し、また、バイクレースはスキーよりも危険だという認識が家族にはあった『片山敬済[疾走する戦士たち]』(p62)より。。

マイク自身にとってはスキーもバイクレースも危険性は同じであった。ただ、スキーでは収入を得ることができない、と考えていた。それに対して、バイクレースは楽しんで収入を得られるもの、という認識であった『片山敬済[疾走する戦士たち]』(p63)より。。

1974年のデビューレースでバイクレースの面白さに気づいたマイクはロードスターを売り、レーサーを探していた。そんなときにある友だちがマイクのために市販ロードレーサーヤマハTR-2(350cc)とヤマハTA125頂点をめざして YAMAHA Motorcycle Racing History - since1955・前期、閲覧日 2009年9月1日(火)、より(125cc)の2台を買ってくれた。その友だちはマイクに無償でロードレーサー2台をあげたのである。2回目以降のレースはこの2台で出場した。その年は全レースを走り、10勝をあげた。

1975年はAMAノービス250ccクラスに参戦。ヤマハTR-2(350cc)を250ccに改造しての参戦である。TA125は売却し、ハーフトラック(約800m)用のダートトラックレーサーを購入し、ダートトラックレースに1年間参戦した『片山敬済[疾走する戦士たち]』(p65)より。。

マイクが掲げるレーシングライダーとして必要なことは次の三つである。

集中力を身に付けることはたやすいことではないが、一度その方法を会得すれば、その後は集中力を維持することは容易である、とマイクは考えている。一方、勝利への決意を維持することは難しいと考えている。レース経験を重ねると緊張感が緩んでくるというのである。そのため、いつも自分を奮い立たせる必要があるという。レースに対する思い入れについては、マイクはスキー選手だった頃にスキーレースに打ち込んでいて、スキーのことばかり考えていた。そのことが習慣として身についており、ロードレースを始めてからは、シーズン中はロードレースのことばかり考えることがごく普通にできるのである『片山敬済[疾走する戦士たち]』(p65 - p67)より。。

マイクにとって、走ることは楽しいことであり、ダートトラックレースなど他のスポーツはロードレースでより速く走るための糧である『片山敬済[疾走する戦士たち]』(p67)より。。

参考文献

ウェブサイト

出版物

  • 片山敬済『片山敬済[疾走する戦士たち]- トーク・アバウト・GPライダー』〈別冊ベストバイク 15〉ベストバイク社・講談社、ISBN 978-4061073852

出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 | 最終更新:2024/10/10 09:00 UTC (変更履歴
Text is available under Creative Commons Attribution-ShareAlike and/or GNU Free Documentation License.

「マイク・ボールドウィン」の人物情報へ