チャールズ・パドック : ウィキペディア(Wikipedia)
チャールズ・パドック(Charles ("Charlie") William Paddock、1900年8月11日 - 1943年7月21日)は、アメリカ合衆国の陸上競技選手。
パドックは第一次世界大戦で野戦砲兵隊の大尉として従軍の後、南カリフォルニア大学に入学する。ここで陸上競技のチームの一員となり特に短距離でその才能を発揮させる。第一次大戦後、最初のメジャー大会となった連合国大会の100mと200mで優勝する。
翌年、パドックは1920年アントワープオリンピックのアメリカ代表として参加する。ここで彼は100mで金メダル、200mで銀メダル、さらに4×100mリレーでも金メダルを獲得し大活躍を見せた。パドックはゴール直前にフィニッシュラインに向けて飛び込んでいくという変わったフィニッシングスタイルで有名となった。
翌年彼は110ヤード(100.58m)で10秒2という記録を作る。距離は違うが100mでこの記録が破られたのは1956年である。さらに、彼はヤード法で行われたレースではいくつもの世界記録、タイ記録を樹立している。
1924年パリオリンピックにパドックは再び登場し、100mと200mの決勝に残る。しかし、4年前ほどの活躍はできず、200mでは2大会連続の銀メダル。100mでは5位という結果に終わる。リレーのメンバーには入っていない。1928年アムステルダムオリンピックにも出場したが、200mでは決勝に残れなかった。
パドックは競技を続けながら、いくつかの新聞社の経営にも携わっていた。1920年代後半には映画にも出演している。また第一次大戦後からはウィリアム・アップシャー(William P. Upshur)少将の個人スタッフとして従事。第二次大戦中、パドックとアップシャーはアラスカのシトカ近郊の飛行機事故で死亡した。
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