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大森一樹監督、生前最後の企画「幕末ヒポクラテスたち」2026年初夏公開 主演・佐々木蔵之介らキャスト発表

2025年11月12日 12:00

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上段左より:佐々木蔵之介、内藤剛志、藤原季節 下段左より:藤野涼子、室井滋、真木よう子、柄本明
上段左より:佐々木蔵之介、内藤剛志、藤原季節 下段左より:藤野涼子、室井滋、真木よう子、柄本明
(C)「幕末ヒポクラテスたち」製作委員会

2022年11月に他界した大森一樹監督生前最後の企画を、「独立少年合唱団」の緒方明監督の手で映画化し、佐々木蔵之介が主演を務める「幕末ヒポクラテスたち」が、2026年初夏に全国公開されることが決定。大森監督の命日である本日11月12日にキャストが発表され、あわせて緒方監督がコメントを寄せた。

本作は、幕末に奮闘する村医者の物語。京都府立医科大学出身の医者であり映画監督であった大森監督の20代の代表作「ヒポクラテスたち」(80)は、彼の母校の学生寮、鴨川沿いの喫茶店などを舞台に京都で撮影、医大生達の青春と葛藤を描き出して高い評価を受けた。2020年、コロナ感染症が広まった頃、大森監督企画「幕末ヒポクラテスたち」が京都府立医科大学150周年プロジェクトの最優秀に決定し、映画が製作されることになった。

その原案となったのは、移りゆく時の流れに取り残されていく人情味あふれる医者とその妻を描いた1960年公開の「ふんどし医者」(主演・森繫久彌、原節子、監督・稲垣浩/©1960TOHO CO.,LTD.)。しかし、撮影準備をしていた矢先に大森監督が他界する。そのため一度は幻になりかけたが、京都府立医科大学の協力のもと、かつて大森監督の助監督を務めていた緒方が遺志を受け継ぎ監督を務め、映画完成した。

旧来の漢方医と、西洋医学を学んだ蘭方医とが混在した時代、幕末。京都の村を舞台に、村医者である蘭方医・大倉太吉の奮闘と次代への思いの継承を生き生きと描く本作で、貧富や立場の区別なく市井の人々を救う蘭方医・大倉太吉に佐々木が命を吹き込む。太吉のライバルで、“どんな病も葛根湯”の漢方医・荒川玄斎を演じるのは、「ヒポクラテスたち」でデビューを果たした内藤剛志、大けがを負ったところを太吉に助けられた気性の荒い青年・相良新左を藤原季節。新左の妹・相良峰に藤野涼子、太吉を支える妻・大倉フミを真木よう子、そして謎の侍・弾蔵を45年前「ヒポクラテスたち」で年長者の研修医役を演じた柄本明が担当。ナレーションを、大森監督作「風の歌を聴け」(81)で映画デビューを果たした室井滋が務める。脚本を大森監督を70年代から知る西岡琢也が担当し、京都と大森監督にゆかりのあるキャスト、スタッフが集結している。

緒方監督のコメントと、大森監督のプロフィールは以下のとおり。


緒方明監督
私にとって大森一樹は師であり、兄貴であり、大学で映画を教える講師仲間であり、映画を肴に痛飲する友人だった。そんな大森さんが還らぬ人となったのはコロナの猛威がほんの少し落ち着いたかに見えた2022年の秋。私はただただ呆然とするしかなく深い喪失感に包まれた。
そして、大森一樹は巨大な宿題を遺していった。「幕末ヒポクラテスたち」と題された一冊の脚本。西岡琢也さんと作り上げたそのホン。生前下北沢の飲み屋で「これが俺の遺作やな!」とよく語っていた企画だった。その映画を完成させないか? 森重プロデューサーから話があった。私は震えた。とんでもない「置き土産」だった。世の中には「断れない依頼」というものが存在する。大森さんの不在をなかなか受け止められない私は大森さんの遺作になるはずだった作品を監督することにした。
この歳になって初めてのことばかりだった。初めての時代劇。初めての京都太秦撮影所。スタッフルームには大森さんのニッコリ笑った写真を置き毎朝手を合わせてから現場に向かった。
頼もしい東京、京都混成チームのスタッフや豊かな俳優陣と共に濃密で幸福な時間が流れ作品は完成した。映画は暗闇で観るもの。でも映画を作る私たちはいつだって「暗くなるまで待てない!」でいる。

大森一樹監督(本作製作総指揮)
1952年3月3日生まれ。大阪市出身。医師である父の転勤で10歳の時に兵庫県芦屋市に転居、芦屋市立精道中学校、六甲高等学校、京都府立医科大学医学部卒業。1983年、医師国家試験合格。希少な「医師免許を持つ映画監督」としても知られる。六甲高校在学中から仲間たちと8ミリ映画を撮り始める。京都府立医大在学中に監督した16ミリ作品「暗くなるまで待てない!」を各地で自主上映し、一躍映画ファンに自主制作映画の金字塔としてその名が知られる。
1977年(25歳)に脚本「オレンジロード急行(エクスプレス)」で第三回城戸賞。翌1978年に同作品を自ら監督し、医大生でありながら劇場映画監督デビューを果たす。1980年、自身の医学生時代を描いた「ヒポクラテスたち」(監督・脚本)を監督、同年に京都府立医科大学 卒業。1981年に中学校の3年先輩である村上春樹さんの小説「風の歌を聴け」(監督・脚本)を監督。
1980年から吉川晃司主演3部作、斉藤由貴主演3部作、1989年から「ゴジラ対ビオランテ」(89)、「ゴジラ対キングギドラ」(91)をはじめとする平成ゴジラシリーズの脚本や監督を務める。他にSMAP主演の「シュート!」(94)(監督)、「緊急呼出し エマージェンシー・コール」(95)(監督・脚本)、「わが心の銀河鉄道 宮沢賢治物語」(96)(監督)、「悲しき天使」(06)(監督・脚本)など30本を超える作品がある。
2000年4月から大阪電気通信大学 総合情報学部 メディア情報文化学科 教授、2005年4月から大阪芸術大学芸術学部 映像学科 学科長を務め若手映画人の育成に携った。2022年11月12日、急性骨髄性白血病のため兵庫県内の病院にて逝去。

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