「これらが全てFantasyだったあの頃。」監督×主演インタビュー
2025年9月12日 19:00

映像制作集団「世田谷センスマンズ」に所属する林真子が長編初監督を務め、ぴあフィルムフェスティバル2024で審査員特別賞を受賞した映画「これらが全てFantasyだったあの頃。」がシモキタ-エキマエ-シネマ K2で公開されている。
20代の終わり、監督・林真子と俳優・塚田愛実は、一つの映画を完成させた。苦悩する自主映画制作者の現実と虚構が、創造した作品世界の現実と虚構と混ざり合い、内面の黒い感情と共鳴していく様子を描き出している。偶然の出会いからはじまり、共に時間を重ね、そして「別れ」を前にして残した記録でもある。本作がどのように生まれ、どんな思いを託したのか。二人に語ってもらった。

―まずはお二人の出会いについて伺えますか?
林 世田谷センスマンズの北林の企画が八王子映画祭に通り、短編映画を撮ることになりました。そこでオーディションを開催したのですが、100名以上の応募があり、その中に愛実さんがいました。
塚田 合格して出演したのが、本作の劇中でも登場する短編「夜が明けるまで」です。その現場が、私と真子監督の最初の出会いでした。
林 ただ、その時点で特別に親しくなったわけではなく、良い俳優だなと思っていましたが、交流が深まったのはずっと後です。ある時、北林から「愛実さんがFilmarksで3000本以上レビューを書いている」と聞いて驚きました。私自身も映画を観る方ですが、同世代の方でそこまで映画を観ている人には出会ったことがなく、「ぜひ友人になりたい」と思ったのがきっかけです。
―その後、お二人は急速に親しくなっていったと。
塚田 泊まりに行ったり、一緒に映画を観て好きなシーンを語り合ったり、自然と遊ぶ時間が増えていきました。
林 「映画友達」という関係から始まりましたが、気づけば互いに人生の節目を共有する存在になっていたと思います。
―そこから「映画を一緒に撮る」という関係に発展した経緯を教えてください。
林 愛実さんが2023年の2月末に一度広島へ戻り、その後8月に韓国へ留学すると聞いたとき、「いつか映画を一緒に撮れたら」と考えていました。ただ私自身が他の仕事で忙しく、具体的に動けないまま2月を迎えてしまった。そんな中で、思い出づくりとしてディズニーシーのチケットを贈り、みんなで遊びに行ったんです。
塚田 実はディズニーシーに行ったことがなかったんです。真子さんたちがサプライズで企画してくれて、とても嬉しかったのを覚えています。
林 そのとき突然、愛実さんから「一緒に映画を撮りたい」と告げられました。まるで告白のような言葉でした。
塚田 アトラクションに並んでいる間に話しながら、思わず言ってしまったんです(笑)。
林 それを受けて、ゴールデンウィーク頃に脚本を書き、6月に準備、7月に撮影、8月に旅立つ前に撮り切るというスケジュールを組みました。劇中に登場するカレンダーの「留学」という文字は、愛実さんが実際に飛び立つ日を書き込んだものです。作品と現実をリンクさせています。
―ストーリーはどのように構築していったのでしょうか。
林 最初に、愛実さんが自分の思いを綴ったメモを渡してくれました。同世代の俳優たちが前へ進んでいく一方、自分は留学という道を選び、一時的に立ち止まる。その不安が正直に書かれていたんです。
塚田 当時の私は迷っていました。役者をやめるわけではないのに、活動を中断することへの恐怖がありました。東京で築きかけた関係やチャンスを手放すことになるのではないか、戻ってきたときに自分の居場所がなくなっているのではないか……。そんな思いを、真子さんに託しました。
林 私はむしろ、その選択を尊敬していました。だからこそ「行ってこい」と背中を押す映画にしたいと考えました。同時に、愛実ちゃんが監督に私を選んでくれたことから、俳優だけの視点ではなく、作り手の視点も入れようと思いました。映画は俳優一人の物語ではなく、多くのスタッフが関わる総体です。その姿も描きたいと思ったんです。

―塚田さんはなぜ林監督を選んだのですか?
塚田 真子さんが「映画を作りたい」とずっと語っていたことを知っていましたし、真子さんが監督した作品を観てみたいと思ったからです。私が渡したメモを受け取り、すぐにプロットを送ってくれたのですが、自分の葛藤に制作者側の葛藤が加わり、さらにスタッフたちの物語まで描こうとしていて、よくこんな発想ができるなと感心しました。真子さんの真面目さと優しさを強く感じました。
―撮影現場はいかがでしたか。
塚田 監督として全責任を背負う真子さんの姿に、正直「大丈夫かな」と心配することもありました。でも同時に、その葛藤ごと作品に注ぎ込んでいるのを目の当たりにして、「この人に託してよかった」と何度も思いました。
林 振り返ると、自分が監督として機能できていたのかどうか、記憶が曖昧な部分もあります。ただ、愛実さんがシーンの繋がりを冷静に把握してくれていて、とても助けられました。
塚田 映画とは、監督の頭の中のイメージを形にする作業だと思っていました。ですが実際には、現場での議論やアイデアを通じて、監督の想像を超えたものが生まれていく。そのダイナミズムを体感できました。
林 そうですね。映画作りは「頭の中にあるものを形にする」だけではなく、「頭の中にないものを生み出す」作業だと思うようになりました。多くの人の力が重なり合うからこそ、新しい表現が立ち上がるのだと。
―完成した作品を観ての実感をお聞かせください。
塚田 企画を立てた立場としては、時系列を操作する意図などは理解していましたが、観客がどう受け止めるか不安はありました。ただ「これまでに観たことのない映画になった」という確信もあります。
林 私は「すぐには理解できないが、辿っていけば何かが掴めてくる」映画を目指しました。観終わってから考えたり、解釈を重ねたりできる作品にしたかったんです。
―ぴあフィルムフェスティバルでの経験については?
林 吉田恵輔監督に憧れていたので、審査員として評価をいただけたことが非常に嬉しかったです。吉田監督は華やかな部分だけでなく、制作の裏側を知り尽くした作り手。その方からコメントをいただけたのは大きな励みでした。
塚田 最終選考に残るまでに、本作を強く推してくださった方がいました。その方に直接お会いし感謝を伝えられたのが良かったです。誰か一人に深く刺さったという事実は、この映画が持つ可能性の証拠だと思います。多くの人に観てもらう勇気をもらいました。
―お二人にとって、本作はどのような位置づけになりましたか。
林 「夢を追う映画」は、一生に一度しか撮れないと思っていました。20代最後に、これまでの人生をすべて注ぎ込み、支えてくれた仲間や愛実さんと共に形にできたことは幸せでした。
塚田 一つの映画でありながら、極めて個人的な記録でもあります。上京してから出会った人たちとの集大成であり、エンドロールに並ぶすべての名前が愛おしい。自分がおばあちゃんになっても観続ける作品になると思います。

―最後に、これから観る方々へメッセージをお願いします。
塚田 役者を志す私の視点が色濃く反映されていますが、何か新しいことを始める人や夢を抱える人が、自分と重ね合わせて観てもらえたら嬉しいです。
林 初見では戸惑うかもしれませんが、作品に身を委ね、観終わった後に「あのシーンはどういう意味だったのだろう」と考えていただけたら嬉しいです。いろんな解釈が可能な映画ですので、ぜひ繰り返し観ていただき、噛みしめるように楽しんでほしいと思います。
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