その無念を晴らす日が来る。23年の1月から明治座で、やっと開幕することに。折しも23年は、明治座150周年となる記念の年。なんとめでたいではないか。そこで、再びチェーザレに向き合う中川と、チェーザレと敵対する枢機卿、ジュリアーノ・デッラ・ローヴェレ役を演じるミュージカル界のベテラン、岡幸二郎というめずらしい顔合わせ(なんとミュージカルでの共演は01年の「キャンディード」以来!)で話を聞いた。
まずは2年8カ月前、思いを断ち切られてしまった苦い経験を経て、再びこの作品と向き合ったときの気持ちは?
中川 先日、稽古初日顔合わせのときに思ったのは、あの日止まったままだったいろいろなものが、3年近い月日を経てまた歩き出したんだと。あのときと同じ稽古場だったので、そのときの空気とか景色がふわーっとよみがえってきて。ミイラじゃないですけど密封されたときのまま、綺麗なまま保存されていたものが、息を吹き返してまた色鮮やかに始まるんだな、動きだすんだなと思うとうれしかったですね。
岡 2020年は、コロナというものがどんなものだかまだわからない時期に中止となってしまって。大きな舞台では初めてだったんじゃないかな。いきなりメールで「もう稽古場での稽古は終わりです、本番もやれません」と。ぼんやりとしたショックで。荷物を取りに行けない、みんなに「またね」も言えない。こんなことってあるんだ、と思いました。今回この再開に向けては「少しずつ戻りつつあるんだな」という部分と、中止になった作品がたくさんあって、いまだ行われないままの作品もいっぱいあるなかで、「ちゃんとやっていただける」というありがたさ。そこには「どうしてもこれをやる」という明治座さんの熱を感じました。
やっと再開した今回の稽古場では、前回と比べてどういう違いを感じているのだろう。
中川 3年近く経っても、忘れているだろうなーと思ったすべてが鮮やかによみがえってきて。でも同じことをやろうとしているわけではない。キャストも面白い新メンバーが加わっていますし。作ってきたことに戻りながらも、そこからまた新たな進化、もっとより深めていけないだろうかという作業で。作ってきたものを壊して、またそこから作っていこうとしています。当時の記憶とかそのシーンや、役づくりへの思いみたいなものに蓋をして、そのまま真空保存されていたんですけど、私たちの時間は確実に過ぎていて。その間にいろんな経験をして、成長してきている。その経験がそうさせるのかな。稽古場にいる僕たちみんなが「オリジナルミュージカルのオリジナルキャストとして、描かれている以上のことを自分で描き足さなきゃ」という、プレッシャーではなく心構えを感じています。
まさに、“破壊の創造者たち”! チェーザレ・ボルジアといえば、ドラマ「ボルジア家 愛と欲望の教皇一家」などで描かれるように、野望のために残忍な手段も行使する冷酷な権力者というイメージが強い人物。だが、惣領氏が史実を調べ尽くして描いたのは、そんなイメージがつく前の、まだ何もしていない16歳のチェーザレ。中川が抱くチェーザレ像は?
中川 演出の小山さんに、チェーザレはヨーロッパ史のなかで「ヒトラーやスターリンと並ぶ、黒い人物」だと教えてもらって。でも、そこに行き着く前の学生時代にフォーカスを絞って、史実を勉強してあの原作の世界にまで仕上げたのは惣領先生のこだわりですよね。僕は今回、前回とちょっと捉え方が変わった部分があるんです。大学で同級生たちに刺激を受けながら、正しいリーダーへの道は何かと考えているチェーザレは、ちょっとキラキラしていていいのかなと思っているんです。前回稽古場のときはそうではなく、思考し続けているとか、十手先十歩先を考えている芝居が必要なのかななんて。先入観で入っていたんですよね。
岡 わかる。だから前回の稽古場では、「あれ、これアッキーのチェーザレが成長していく話なのに、アッキー最初からずいぶんわかっちゃっているな」と思った。そこは、明確に変わってよかったと思う。
中川 前回のチェーザレとして自分が思い描いていた役の印象よりもいまの方がより若く、少年っぽくなっていて。悩んでいるんですけど、その悩みさえも悩みと思っていないぐらい熱いというか、楽しいというか、好きというか、あるいは苦しいんです。父親という存在も含めて。そんなチェーザレが自然のなかに解放されたときに、「馬ってこうだな」とか、「自分の見ているトスカーナの景色ってこうだな」とか、「先人の知識ってこうだな」と思い、そこに太陽が輝いていたり草木が満ちていたり、何かそういうものに「神ってここにいるのかな」と思う。そういう純粋さ。そんなチェーザレ像が今回は見えてきています。
岡 これが難しいのは、チェーザレと言って一般人がもっている意識と違うってところだよね。一般に見に来るお客様は「え、中川くんがチェーザレ? ちょっとキャラ違うんじゃない?」って思うかもしれない。でもこの作品で見られるのは、あの黒さが形成される前の彼がどうなのか、を演じる中川くんでしょ。それをどう打ち出すかだよね。「アッキーがキャラの違う役やるんだね」で終わらせたくないから。
そう、例えれば、「鎌倉殿の13人」の最初の5話くらいにおける北条義時のような。まだ純粋そのものといったチェーザレなのだ。それに対して、岡扮するジュリアーノは、チェーザレの父ロドリゴ(別所哲也)と激しく対立。将来的には教皇ユリウス2世となり、チェーザレをいたぶるしたたか者だ。
中川 岡さんはイタリアで、ジュリアーノが実際に住んでいた建物を使ったホテルに泊まったとか。ジュリアーノは芸術を愛する人だったんですよね。
岡 そう、そこ共感ポイント(笑)。いま芸術が育たないのはパトロンがいないからなんだよ。昔はジュリアーノみたいなパトロンがいて、ミケランジェロとかにお金じゃんじゃん使って、「ほかの人が作らないようなもん作って」って言うからすごい芸術が生まれてきた。だからジュリアーノはルネッサンスを芸術で満たした、実はいい人なんだよ。だけど結局、彼はものすごく信仰心が強かったんだよね。だから今回、お祈りのシーンが増えたことで、だいぶ救われたんだ。
中川 岡さんは衣装の着こなしにもこだわりを感じます。
岡 あれはイタリアの生地を使った、すごく贅沢な衣装。主な出番が2場面しかないのに、ちゃんと2着作ってくれる明治座さんに本気を感じます(笑)。その衣装が、衣装として見えちゃったら自分は0点だと思うんだよね。だってその人が当時着ている私服なわけだから。それが舞台上で似合ってなかったりサイズ感が違ってたりっていうのは、てんでおかしい話で。だからちゃんと似合うためには、ちゃんと自分で「ここは2センチ詰めて」とか言った方がいいし、自分で言うには自分の身体を勉強した方がいい。私は稽古着にもこだわるよ。
中川 それ、わかります。「モーツァルト」のときも、
小池修一郎先生から「本番でモーツァルトはデニムを履きます」と。「この時代はそうじゃないんだけど今回デニムだから。デニムであの動きができるか、動きやすいかどうか知るために、ちゃんと履いてきなさい」と言われて。作品の世界と稽古場は地続きだって教わった気がしています。岡さんは、刺客として使うラファエル役の
丘山晴己さんとも、すでに関係性を築いていますよね? 稽古場でのおふたりがすごいオーラで(笑)。今日も丘山さんが岡さんの話を熱心に聞いていましたが、あれ、何を話していたんですか?
岡 昨日マントをフッと脱いで、後ろについてる子に渡したとき、振り返って「ありがとう」って言ったの、彼が。それで「自分の下の者にはお礼なんて言わないでしょう、この当時は」という話をしていて。「小者に見えるよ」って。
中川 さすがです! 勉強になります。
実力者同士心から信頼し合う、よき先輩・後輩である岡と中川。その根底にあるのは、やはりミュージカルへの愛だ。それをひしひしと感じさせられたのは、「この作品で観客に何を感じ、何を受け取ってもらいたいか?」という質問を投げかけたときのこと。
中川 まずは音楽。音楽がある演劇、つまりミュージカルがオリジナルとして生まれてくる、この明治座から。そこに必然性みたいなものを感じるんですね。そこが僕にとっては始まりで。島健さんオリジナルの音楽に、何を感じ取るか。受け取る人の感性というものが、原作の惣領先生も描きたかった何かが見えてくるポイントなんじゃないかなと思うんですよ。この作品は言葉も歌詞も、すごく美しいんです。その美しい日本語に音が乗ったときに、役者としてその歌をどういうふうに演じるかという、これは俳優のすごくやりがいだと思っていて。それをオリジナルキャストのチェーザレとして初めてお客様に届けるとき、劇場に来たお客様に経験として味わってもらいたいと思うんです。
岡 ミュージカルに偏見持っていて、「いきなり歌いだすから嫌い」だとか言う人がまだいるじゃないですか。
中川晃教の魅力は、そこがすごくうまいところ。ミュージカルなんだけど、「悪い意味でのミュージカルになっていない」と思わせるんです。しゃべっていたのがいきなりワーッて歌い出すんじゃなくて、ちゃんとこの芝居のその前のセリフの芝居のテンションから気持ちで歌い出して、「ああ、ここで歌を歌って当たり前だな」みたいな歌い方をする。そこが本当に上手なの。だから、「ミュージカルは急に歌い出す」とかいうイメージを払拭するためには、みんな
中川晃教を見てもらいたい。日本のミュージカルってのはまんざら捨てたもんじゃないんだ、と思わせたいもん。しかも明治座でやるんだよ。劇場あるのは浜町だよ。浜町にミュージカル見に行くって、いまちょっとおしゃれな感じがするじゃない。
中川 いろんな劇場ありますけど、150年の歴史って一番古いんですよね! しかも上演が延びたことで150周年に当たったって、こんな必然ないですよね。まさに運命的。
岡 その明治座が初めてオーケストラピットを開けるんだよ。って、そこばかり前面に打ち出しすぎだけど(笑)、ここでルネッサンスを味わえるんですよ。
中川 浜町でね。
岡 いいじゃない、“浜町ルネッサンス”! 地元でたい焼き売っている人たちが、みんなルネッサンス色に染まったりしてね。赤坂が「ハリー・ポッター」色に染まっているみたいにさ。自分がミュージカル好きからミュージカル俳優になった人間だから、考えるんだよ。作品を俯瞰して見て、どうやったら見に来た人たちの気分が上がるんだろうとかね。若い頃、1回舞台見るっていうのがどれだけ自分のなかで大きかったか。そこで失敗したらもう悔しくてしょうがない。そういう子がいまもいるかもしれないでしょ。バイトして貯めたお金で1万何千円払って見に来て「嘘でしょこれ?」って思わせるのは、すごく嫌。
中川 だから真剣ですよね。
岡 そう、だからプロデューサー的な見方をついしちゃうんだよ。今回はこれ、“浜町ルネッサンス、開幕!”で決まりだね(笑)。
ミュージカル「チェーザレ・ボルジア 破壊の創造者」は1月7日~2月5日、明治座で上演される。詳しい情報は公式サイト(https://www.cesare-stage.com)で確認できる。