片渕須直監督&のん、「この世界の片隅に」から3年を経て「全てがつながった」
2019年12月22日 12:00
[映画.com ニュース] 2016年11月12日に公開された劇場アニメ「この世界の片隅に」。片渕須直監督が、こうの史代氏の同名漫画を映像化した同作は、公開から1日も途絶えることなく3年以上もロングラン上映を記録した。最終的に1133日にもわたって作品が各地の映画館をめぐったように、片渕監督、主人公すずを演じた女優のんも歩みを止めることはなかった。片渕監督は取材とアニメーション制作を続け、のんは多数の作品に出演しながらも心の片隅には「離れたところにいても、すずさんは同志」という思いがあり、それぞれの場所から作品に寄り添ってきた。
そして「この世界の片隅に」公開から3年、250カットを超える新場面を追加した「この世界の(さらにいくつもの)片隅に」が完成。片渕監督が、「前作で描いた戦時中の時代が、皆さんから自分たちに隣り合わせなものとして受け止めてもらえるようになったからこそ、今作ではすずさん個人の心の物語にまで踏み込んでいけるようになった」と噛みしめる通り、のんが「さらに意味深いものになった」と熱弁する通り、前作からの“歩み”には意味があった。「この世界の片隅に」アニメ化企画が始動した2010年からはじまった“すずさんとの縁”は、“さらにいくつもの場所”へと広がっていく――。(取材・文/編集部、写真/堀弥生)
「この世界の片隅に」は、第二次世界大戦下の広島・呉を舞台に、大切なものを失いながらも前向きに生きようとする女性すずの日常を丹念に描いた。新たなエピソードが追加された今作「この世界の(さらにいくつもの)片隅に」は、すずと遊郭の女性リンの交流、すずの夫・周作とリンの関係などが明かされ、登場人物たちの心の葛藤が浮き彫りになる。
片渕監督 僕に関して言うと、作業はずっと続いていたので、ずっとすずさんと一緒にいた、すずさんのことを考えながら今日まできたような感覚です。「ずっと」という意味では、2010年から作り続けているので「9年4カ月の間、すずさんと一緒にやってきたな」という感じですね。
のん 前作の公開後、舞台挨拶などで監督のお話を聞く機会がたくさんありました。そのなかで監督が「すずさんが生きていたら、今年92歳なんだ」「みんながすずさんのことをひとりの人間として“さん付け”で呼ぶのがすごくうれしい」とおっしゃって。それ以来「すずさんは、同志みたいな、仲間みたいな存在なのかもしれないな」という気がしています。他の作品で違う役に集中していても、「離れたところにいても、すずさんは同志」という確信があるというか。
のん 前作のアフレコ後、完成した作品を見たり、舞台挨拶や取材で監督の話を聞いたりするなかで「(アフレコで)監督がおっしゃっていたことは、こういうことだったんだ!」というすり合わせができたんです。そして、監督との関係や信頼も高まっていたので、今回のアフレコは安心感がありました。前作は、「声だけで演じて表現する」ということに慣れない、監督とも「はじめまして」という状況で演じたので、「どういう風に考えたらいいんだろう」とくみ取ろうとしていましたが、今回は監督の演出を受け止めながら演じることができました。
片渕監督 3年前は、マイクテストが終わった後に「すずさんはどういう人なのか、もう少し話を聞きたい」とのんちゃんに言われて。その時話したことが、ここへ来て生きてきたなと感じています。その時は、「すずさんは、“表から見えているのとは違うすずさん”が床下みたいなところにいて、そのすずさんが一生懸命何かをしようと思うのだけど、その思いは口から出てこないで“絵を描く”という行動として出てくるんだよ」と話したんです。そしたら、のんちゃんが「すずさんが“右手で絵を描く”ということを一番期待してくれている人がリンさんなんですね」と言って。その瞬間、いろんなものがつながったような気がして。あの瞬間があったからこそ、今回、すずさんのなかに「リンさんがどれくらい大事な人なのか」ということを表現できたような気がします。
片渕監督 今回はあらためた説明はしませんでした。説明しないでも、のんちゃんが自分のなかで組み立ててきたもの、「こういうことなんですね」と持ってきたものが大正解だったんです。
片渕監督 周作さんが3カ月家を空けることになった時に、すずさんが「この家におらんと周作さんを見つけられん」と話す場面がありますが、3年前は「理屈で言ったら周作さんが見つけるんだよね。どっち(が言うセリフ)にしようか」となったんです。のんちゃんに「すずさんとして、どっちだと思う?」と聞くと、「すずさんが見つけに行く方だと思う」と言ったので、「じゃあそうしようかな」となりました。その結果、すずさんが主体的な存在となり、その解釈が今回の作品だとちゃんとはまる。今回は、あの場面の前にリンさんとの出来事があるので、すごくはまったんです。3年経って全部つながった、いろんなことがつながった感じがあります。
のん すごくハッとしたのは、前作のラストに出てきたシラミの子。すずさんがあの子に出会って、お家に連れて帰る場面について、監督は「すずさんは母親になるんだ」とおっしゃったんです。その時は「そういうことなんだ!」という驚きがありました。でも今回は、すずさんが“嫁の義務”に悩むシーンがあることによって、最後に母親になることの意味深さが浮き彫りになりました。すずさんの強い意志でお母さんになったということに、すごく感動しました。前作からさらに意味深くなっているというのは……不思議な体験でした。
片渕監督 最後の場面は何も変わっていないのにね。同じ映像に、同じ声が入っているのに意味が変わっちゃったんです。
片渕監督 「戦争中って本当はこんな時代で、こんな人が住んでいて、皆さんと同じように生活していたんですよ」という理解までが前作だったと思うんです。その部分をきちんと語ることができたからこそ……「そこに住んでいる人の心の中には、こんな葛藤があってね」というところに新たに踏み込んでいけるようになった気がしていて。前作を通じて、戦時中の時代も今の我々の時代と陸続きなんだ、と受け止めてもらえて、今作ではこんどはすずさんの心の中まで踏み込む。そこにあるものもまた我々が感じているものと共通した葛藤であったわけです。"自分が存在することに意味はあるのだろうか?”という。
片渕監督 「すずさんが確かな身体性を持って感じられて、その周りにある世界も自分もそこにいるように感じられて。だとしたら、そこにいるその人個人の悩み、心のなかの葛藤だってこういう形をしているかも知れない」と伝えて、「自分たちと同じだな。我々と共通していて当然」と思ってもらえる。そういうところまでやっときたという感じですね。
のん 「すずさんはこういう風に考えていたんだ」と、ハッとしました。例えば、リンさんと話している時に、すずさんが「嫁の義務を果たさないと」と言っている姿を見て、すずさんは自分の居場所を見つけようと一生懸命で、必死で、焦っていたんだと驚きました。前作でも描かれていたことかもしれませんが、より実感が沸いてきた感じがあって……すごい作品だなと思いました。
片渕監督 実は、(制作)途中で考えが変わったことがあって。パイロットフィルム制作時に、リンさんが桜の木の上で動いているカットを作ったんです。その時はピンク色の着物を着ていたのですが、今作では黒い着物を着ています。桜の木のシーンは、最初に空襲があった直後の場面なのですが、そこでリンさんは「人間は死ぬ時はひとりだから」という話をはじめます。リンさんは「自分の死のこと」「みんながこれから死んでしまうかもしれないということ」を思いながら、黒い服を着てあそこに出てくる。これからみんなの上にやって来る死の象徴のように。でも同時に、ああいう時代のなかで生きるって、死への意識と共存しつつだったんだなとも思ったんです。
片渕監督 「あの場面は本当に大変だった」と(リン役の)岩井七世ちゃんも言っていました。最初はすずさんと同じようにボケボケだったリンさんが、ああいった状況下だから、どんどんどんどん違う側面を見せていかなければいけない、「自分の死について語るりんさん」になっていかなければいけなかったんです。
のん 本当に特別な作品になりました。自分がこれから役者をやっていくうえで、絶対に欠かせない作品というか。今後出合えるか出合えないか……というくらいのすごい作品。大切にし続けていく作品です。
のん 「すずさんとそっくり」と言ってくれる人もいますが、自分ではそこまで「すずさんとばっちり重なっている」とは思っていませんでした。でも、「ぼーっとしていると言われながらも、働き者なところが似ている」と言われた時に納得してしまって。絵を描くのが好きなところや、監督がおっしゃっていた「言葉にできない分、右手で絵を描く」という感覚には以前から共感していましたが、「働き者な部分が似ている」というのは意外で……でもすごくしっくりきて。「慣れないながらもいろいろなことに挑んでいって、北條家でお嫁さんとしての役割を果たそうとするすずさんは、確かに働き者だ!」と思い、そこでやっと自分とすずさんが重なりました。
片渕監督 3年前、「この世界の片隅に」の最初の試写会で、完成版を初めて見たのんちゃんはポカンと目を見開いていて。「自分はいったい何を起こしちゃったんだろう」みたいな顔をしていて。そこから3年経って、今ののんちゃんは自分からすずさんのことをたくさん語るし、すごく変わったなと感じています。今回は、「どういう風に演じると、どういう結果が見えるのか」と、かなりの自覚を持ったうえで演じてくれたような気がします。すずさんを描いてきたのと同じような思い、「のんちゃんはこういうところにたどり着けたんだな」という思いがあります。
片渕監督 「女性の情念」とかは述べた覚えがないです。むしろ、この作品の意味合いはもっと一周まわったところにあって、女性とかっていうよりは、人間ってこういうものなんだなというものだという気持ちです。そこを中心に据えるところにまで、たどり着いちゃったというか。
小野さんには、「水原哲は不純な立場ではなく、良い奴なんだと。すずさんのことを本気で考えているから、あの場面でああいう行動をとったんだ」という話をしたんですね。それは同時に、「すずさんの人間性を肯定する人として出てきてほしい」という意味合いでもありました。リンさんの他にすずさんの絵を認めてくれるのが哲なんです。だから、小学校の頃にすずさんが描いた絵は良かったなという話をしてくれるし、すずさんが「ここから先はいきたくない」と言ったら、幼なじみに戻ってくれる。男だから女だからというよりも、人として認めてくれているかどうか。そういうことだったのだと思います。
のん 私は、すずさんが自分の居場所を見つけようとしている姿が心に残っていて。そして、最後はすずさんがお母さんになると決めて、固い意志でみんなと暮らしていく姿がすごく印象的でした。シラミの子がお家にきて、「この子をお風呂にいれなきゃ!」となる場面では、“未来を生きていかなきゃいけない象徴”である子どもが家にきたことによって、みんなが明日を生きようとするというか。そうやって毎日がまわり出して、未来が見えたことに、鳥肌が立ちました。希望の灯りをつないでいく、明日を生きることへの希望が見える作品だなと思いました。
Amazonで関連商品を見る
関連ニュース
映画.com注目特集をチェック
関連コンテンツをチェック
シネマ映画.comで今すぐ見る
第86回アカデミー作品賞受賞作。南部の農園に売られた黒人ソロモン・ノーサップが12年間の壮絶な奴隷生活をつづった伝記を、「SHAME シェイム」で注目を集めたスティーブ・マックイーン監督が映画化した人間ドラマ。1841年、奴隷制度が廃止される前のニューヨーク州サラトガ。自由証明書で認められた自由黒人で、白人の友人も多くいた黒人バイオリニストのソロモンは、愛する家族とともに幸せな生活を送っていたが、ある白人の裏切りによって拉致され、奴隷としてニューオーリンズの地へ売られてしまう。狂信的な選民主義者のエップスら白人たちの容赦ない差別と暴力に苦しめられながらも、ソロモンは決して尊厳を失うことはなかった。やがて12年の歳月が流れたある日、ソロモンは奴隷制度撤廃を唱えるカナダ人労働者バスと出会う。アカデミー賞では作品、監督ほか計9部門にノミネート。作品賞、助演女優賞、脚色賞の3部門を受賞した。
父親と2人で過ごした夏休みを、20年後、その時の父親と同じ年齢になった娘の視点からつづり、当時は知らなかった父親の新たな一面を見いだしていく姿を描いたヒューマンドラマ。 11歳の夏休み、思春期のソフィは、離れて暮らす31歳の父親カラムとともにトルコのひなびたリゾート地にやってきた。まぶしい太陽の下、カラムが入手したビデオカメラを互いに向け合い、2人は親密な時間を過ごす。20年後、当時のカラムと同じ年齢になったソフィは、その時に撮影した懐かしい映像を振り返り、大好きだった父との記憶をよみがえらてゆく。 テレビドラマ「ノーマル・ピープル」でブレイクしたポール・メスカルが愛情深くも繊細な父親カラムを演じ、第95回アカデミー主演男優賞にノミネート。ソフィ役はオーディションで選ばれた新人フランキー・コリオ。監督・脚本はこれが長編デビューとなる、スコットランド出身の新星シャーロット・ウェルズ。
ギリシャ・クレタ島のリゾート地を舞台に、10代の少女たちの友情や恋愛やセックスが絡み合う夏休みをいきいきと描いた青春ドラマ。 タラ、スカイ、エムの親友3人組は卒業旅行の締めくくりとして、パーティが盛んなクレタ島のリゾート地マリアへやって来る。3人の中で自分だけがバージンのタラはこの地で初体験を果たすべく焦りを募らせるが、スカイとエムはお節介な混乱を招いてばかり。バーやナイトクラブが立ち並ぶ雑踏を、酒に酔ってひとりさまようタラ。やがて彼女はホテルの隣室の青年たちと出会い、思い出に残る夏の日々への期待を抱くが……。 主人公タラ役に、ドラマ「ヴァンパイア・アカデミー」のミア・マッケンナ=ブルース。「SCRAPPER スクラッパー」などの作品で撮影監督として活躍してきたモリー・マニング・ウォーカーが長編初監督・脚本を手がけ、2023年・第76回カンヌ国際映画祭「ある視点」部門グランプリをはじめ世界各地の映画祭で高く評価された。
「苦役列車」「まなみ100%」の脚本や「れいこいるか」などの監督作で知られるいまおかしんじ監督が、突然体が入れ替わってしまった男女を主人公に、セックスもジェンダーも超えた恋の形をユーモラスにつづった奇想天外なラブストーリー。 39歳の小説家・辺見たかしと24歳の美容師・横澤サトミは、街で衝突して一緒に階段から転げ落ちたことをきっかけに、体が入れ替わってしまう。お互いになりきってそれぞれの生活を送り始める2人だったが、たかしの妻・由莉奈には別の男の影があり、レズビアンのサトミは同棲中の真紀から男の恋人ができたことを理由に別れを告げられる。たかしとサトミはお互いの人生を好転させるため、周囲の人々を巻き込みながら奮闘を続けるが……。 小説家たかしを小出恵介、たかしと体が入れ替わってしまう美容師サトミをグラビアアイドルの風吹ケイ、たかしの妻・由莉奈を新藤まなみ、たかしとサトミを見守るゲイのバー店主を田中幸太朗が演じた。
文豪・谷崎潤一郎が同性愛や不倫に溺れる男女の破滅的な情愛を赤裸々につづった長編小説「卍」を、現代に舞台を置き換えて登場人物の性別を逆にするなど大胆なアレンジを加えて映画化。 画家になる夢を諦めきれず、サラリーマンを辞めて美術学校に通う園田。家庭では弁護士の妻・弥生が生計を支えていた。そんな中、園田は学校で見かけた美しい青年・光を目で追うようになり、デッサンのモデルとして自宅に招く。園田と光は自然に体を重ね、その後も逢瀬を繰り返していく。弥生からの誘いを断って光との情事に溺れる園田だったが、光には香織という婚約者がいることが発覚し……。 「クロガラス0」の中﨑絵梨奈が弥生役を体当たりで演じ、「ヘタな二人の恋の話」の鈴木志遠、「モダンかアナーキー」の門間航が共演。監督・脚本は「家政夫のミタゾノ」「孤独のグルメ」などテレビドラマの演出を中心に手がけてきた宝来忠昭。
奔放な美少女に翻弄される男の姿をつづった谷崎潤一郎の長編小説「痴人の愛」を、現代に舞台を置き換えて主人公ふたりの性別を逆転させるなど大胆なアレンジを加えて映画化。 教師のなおみは、捨て猫のように道端に座り込んでいた青年ゆずるを放っておくことができず、広い家に引っ越して一緒に暮らし始める。ゆずるとの間に体の関係はなく、なおみは彼の成長を見守るだけのはずだった。しかし、ゆずるの自由奔放な行動に振り回されるうちに、その蠱惑的な魅力の虜になっていき……。 2022年の映画「鍵」でも谷崎作品のヒロインを務めた桝田幸希が主人公なおみ、「ロストサマー」「ブルーイマジン」の林裕太がゆずるを演じ、「青春ジャック 止められるか、俺たちを2」の碧木愛莉、「きのう生まれたわけじゃない」の守屋文雄が共演。「家政夫のミタゾノ」などテレビドラマの演出を中心に手がけてきた宝来忠昭が監督・脚本を担当。