ジョアン・ジルベルトを追ったドキュメンタリー監督、ボサノバの神様の死を悼む「バッハの死と同じような重要さ」
2019年8月23日 14:00
[映画.com ニュース]今年7月に88歳で死去した、ブラジルの伝説的ミュージシャン、ジョアン・ジルベルト。「ボサノバの神様」と称され、08年以降は公の場から姿を消していたジルベルトの行方を追った、ドキュメンタリー「ジョアン・ジルベルトを探して」が8月24日公開される。ブラジル音楽をこよなく愛するジョルジュ・ガショ監督が来日し、作品について語った。
はい、正にそれが、私がこの映画を製作するにあたってのひとつの目標にしていたことなんです。それは、もしかすると、私がジョアン・ジルベルトに実際会ったことがなく、コンサートに行ったこともないことも関係しているかもしれません。映画では彼の音楽、繋がりのある人びとや土地を映し、そこから彼の実像が見えてくるのです。また、この映画の中で、音楽は俳優のような役割を果たしています。何かを表わす象徴的なものではなく、それ自体が映画を先に進めていく、重要なストーリーの一部になっているのです。
そう思います。もちろん、ジョアンに会いたいという気持ちは以前からありましたが、今回の映画はマークの本があったからこそのものです。そして、この本がなければ全く違う映画になっていたと思います。例えば、マルタ・アルゲリッチについてのドキュメンタリーでは、ライブのアーカイブ映像を使ったり、彼女のインタビューを取り上げたりしていますが、今回は、この本に出合ったために全く違う方向性の映画になりました。
多くの共通点があります。母語ではないのですが、私もドイツ語を話しますし、マークの本はドイツ語で書かれているので、映画の中でもドイツ語のナレーションを行いました。また、生前の彼と私は同時期にリオ・デ・ジャネイロにおり、その時、私は彼のことは全く知りませんでした。今回の企画が進行し、私がブラジルから帰った後に、マークが撮った数千枚のデータを、彼の両親から受け取りました。それをパソコンに取り込んだら、彼がブラジルにいた同じ日に、私も同じ場所で同じような写真を撮っていたのです。そういった相似性は、少し恐ろしいと感じるほどでした。
偶然です。前作のアシスタントが、「あるドイツ人が、ジョアン・ジルベルトを探す本を書いているんだ」と教えてくれました、その時にすぐには読まなかったのですが、あるときにふと思い出して、アマゾンで検索してこの本を手に入れました。しかし、作者は既に死亡しているということがわかったのです。
そして、うっすらとしか覚えていないのですが、私がリオにいたときに、見知らぬドイツ人が私のところに電話をかけてきて、私に会いたいと言ってくれたようなことを思い出しました。自分自身の記憶もあいまいになっていて、とても混乱があります。こういったことからもフィクションの傾向のある映画になりました。マークの本を下敷きに台本も書いていますし、撮影作業もドキュメンタリーではなく、ドラマ的な手法だといえます。
バッハが死んだときに、彼は「皆悲しまないでくれ、私は音楽が発生した場所に戻ってくるから」と言ったそうです。私は、ジョアンも同じことを考えたのではないかと思います。彼が成し遂げたもの、そして、作った作品、今のブラジル音楽に対する大きな影響力を考えると、彼の死はバッハの死と同じような重要さがあると思います。彼は幸福な気持ちで死んで行ったのではないでしょうか。ブラジル伝統のサンバの楽曲を、ギターだけでボサノバにアレンジして、自分のものとして歌った。本当にブラジル音楽の核となる存在だったと思います。
「ジョアン・ジルベルトを探して」は、8月24日から、新宿シネマカリテ、YEBISU GARDEN CINEMAほか全国順次公開。