【佐々木俊尚コラム:ドキュメンタリーの時代】「カンパイ!世界が恋する日本酒」
2016年7月10日 11:45
[映画.com ニュース]東日本大震災が起きた後、自粛の嵐が日本中を吹き荒れたことがあった。桜の季節がやってくると、当時の石原慎太郎・東京都知事が「桜が咲いたからといって、一杯飲んで歓談するような状況じゃない」と言い放って自粛を求め、花見もしちゃいけないという雰囲気になった。
その時に、一本のユーチューブ動画が登場した。決して綺麗とも言えない撮影動画の中でカメラを真正面に見てしゃべっていたのは、岩手の銘酒「南部美人」の蔵元、久慈浩介さん。「このままでは経済的な二次被害を受けてしまいます。お酒というのは、人々を元気にし、癒やしを与えるものです。日本酒を飲んでいただくことで、われわれ東北を応援してください。自粛していただくよりも、お花見をしていただくことがありがたいのです」
この動画は、多くの人の心を動かした。自粛ではなく「食べて応援」「消費して応援」という考え方は、この一本の動画から広まっていったと言っていいだろう。
その久慈さんが、本作の主要な登場人物たちのひとりとなっている。他には、京都のお酒「玉川」の杜氏をしているイギリス人フィリップ・ハーパーさんと、英語で日本酒の魅力を伝える活動をしているアメリカ人のジョン・ゴントナーさん。この3人に加え、津波で酒蔵が壊滅し、原発事故で跡地に立ち入ることさえできなくなった「磐城壽」の鈴木大介さんも登場する。
国内で日本酒が飲まれなくなっている、といった話はかなり以前から問題になっている。これは数字からも明らかで、日本酒の販売量は1980年代ぐらいは150万キロリットルぐらいもあったのが、2010年代には50万キロリットル台にまで減っている。半減以下というたいへんな落ち込みだ。
しかし日本酒はいま、海外では日本食ブームに乗るかたちで人気を高めてきている。宣伝のために海外を駆け回る久慈さんや、英語圏の人たちを相手に日本酒セミナーを開くゴントナーさんたち。海外でいかに日本酒が熱く受け入れられているか、その雰囲気が映像からはよく伝わってくる。まるでクラフトビールをつくるように、米ノースカロライナで日本酒のブルワリーを立ち上げているアメリカ人たちの話も出てきて、驚かされる。
もちろん国内でも、日本酒の人気は高い。山口の「獺祭」や宮城の「浦霞」、福井の「梵」といった人気の酒は多くの人に好まれているし、センスの良い居酒屋に行けば各地のお酒がたくさん用意されている。地酒ブームという言葉が言われるようになったのは1970年代末ぐらいだから、すでに地酒は日本の食文化のなかにきちんと定着している。
それでも販売量がこの30年落ち込み続けているのは、なぜか。これは世代交代のためだ。いま後期高齢者ぐらいになっている世代は昭和のころ、日常的に日本酒を飲んでいて、そのころはビールやウィスキー、焼酎よりも日本酒の方が圧倒的にポピュラーだった。そのころ飲まれていたお酒はいまのような純米酒や吟醸酒ではなく、さらに各地の酒蔵がつくる地酒でもなく、三増酒と呼ばれる安いアルコール添加酒だった。やたらと甘ったるくて、食卓にこぼすとおちょこが糖分で貼りついてしまうほどだった。
この手の酒の消費量が世代交代とともにビールや焼酎に取って代わられ、日本酒の消費量激減を招いたということなのである。しかしいまの日本酒は、昔のアル添酒の時代とはまったく異なる世界である。そういう視点で見ると、日本酒の未来は実は明るい。その可能性を感じている人たちが世界から集まってきて、日本酒に夢中になっている。そういう様相が、本作を観ていると熱いほどに伝わってくる。
別の視点をすこし補足しておくと、英国生まれで名門オックスフォード大学を卒業したハーパーさんと、オハイオ州生まれのゴントナーさんは、なぜ日本に来て日本酒にかかわるようになったのか。実は2人とも、大学卒業後にJETプログラムで英語教師を務めるために来日していたのだった。これは日本政府が1980年代からおこなっている制度で、地方の小中高校などで英語の教師をつとめると日本への渡航費用は無料で給料ももらえるというものだ。こういう地道な国際交流制度が、こうやって日本酒を世界に広める一助になっていたのかと思うと、なんだかとても嬉しい。
「カンパイ!世界が恋する日本酒」は、7月9日から全国順次公開。
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