【佐々木俊尚コラム:ドキュメンタリーの時代】バベルの学校
2015年2月8日 09:00
[映画.com ニュース] フランスの学校には、「適応クラス」という学級があるという。北アフリカや東欧から、フランスには年間3万人から4万人もの移民たちの子供がやってくる。フランス語がしゃべれない子供たちのために、フランス語の集中トレーニングをしながら教育をしていくためのクラスで、フランス全土に840校が設置されているとか。
この映画は、パリ10区にある適応クラスの1年を追いかけたものだ。女性のジュリー・ベルトゥチェリ監督は自転車でも通えるぐらいの近所に住んでいて、カメラを担いで毎週のようにこの適応クラスに通い、子供たちの仲間に入るようにして撮影を続けてきたという。だからどの子も表情はとても自然で、時にはワガママを言って泣き、時には心から笑ったり喜びあったりする表情やしぐさが自然に描かれていて、本当にかわいく好感が持てる。
子供たちが移民してきたさまざまな背景事情が、お話が進むにつれて少しずつわかってくる。セルビアでネオナチの集団に標的にされ、家族と逃れてきたユダヤ人の少年。母国では教育を受けることができず、フランスの親戚の家に預けられた子供。以前は大きな家に住み、友人もたくさんいたのに、フランスの小さな部屋に住んで孤立し、つらさを感じている子。
さまざまな事情があり、それぞれの文化や言語があり、それが共存して生きるという政教分離・文化共存のフランスの理念「ライシテ」が、この映画ではとてもわかりやすく、具体的に描かれている。
適応クラスを担当するとても素敵なブリジット・セルボニ先生は、インタビューで「フランス語を覚えると母国語を失うことにならないんでしょうか」というような質問に、こう答えている。「新しい言語を修得するのは、母国語を忘れることではありません。映画のなかで『こんにちは』をそれぞれの言語では何というのか尋ねるシーンがありますが、自分の言葉や文化を否定するのではなく、母国語が素晴らしいものだと再認識し、アイデンティティを保ちながら学んでいくのです」
ああ、なるほどフランス人たちが必死で守ろうとしているライシテの理念ってこういうことなんだなということがよく理解できる。監督はこう語っている。「国や文化の違いは決して悪いことではなくて素晴らしいということ。『みんなと同じ』である必要はない。また、他人を受け入れること、他人に偏見をもたずに接することは非常に大切。相手を理解することで人種問題もなくなり、共存していける」
人と人の共通点、そして人と人の違い。共通点はなにで、違っている点はなにか。それらを可視化していくことからスタートし、共存できるバランスを探していく。こういうアプローチは、人と人の違いをあまり自覚してこなかった日本人にとっては不得手だったと思う。だからささいな差異が怒りや侮蔑を生み出してしまいがちになる。
一方で、フランスでは排外主義も吹き荒れ、先日のシャルリー・エブド襲撃のようなテロ事件も起きた。排外を訴える極右政党は第一党になりそうな勢いだ。この映画では、学校の外のそうした冷酷な世界のことは、おそらく意図的にであろうと思うけれど、描かれていない。
暖かいまなざしで生徒たちを見守り支援していくセルボニ先生と、フランス社会のこの実態はどこでどうつながるのか。
移民の子供たちとセルボニ先生の関係は、とても当事者的だ。先生は子供たちの置かれてる事情や両親たちの実情、子供たちの性格もよく理解している。先生に限らず、私たちは自分たちに近しい人たちのことはよく理解できるし、理解しようとする。
でもだんだんと距離が遠ざかるにつれて、私たちには当事者性がなくなっていく。隣の家に住んでる子供のことは当事者として見守れるけれども、どこか遠くの知らない学校でいじめられた子供のことにはなかなか当事者性は持てない。「自分ごと」ではなくなっていく。そして遠ざかれば遠ざかるほど、その子供のリアルな人格や表情は視界から消えて行き、「移民の子」「アフリカ人の子」という抽象的なラベルだけに収斂(しゅうれん)していってしまう。
そういう抽象化されたラベルから、排外まではごくわずかな距離だ。だからいま求められているのは、私たちの近くにある関係、近くの共同体、そういうアソシエーションから、遠い距離にいる人々との関係をどうなめらかにつないでいけるのかという、そういう社会の構造を考えていくことなのだろう。この映画を見ていて、そういうことを痛切に考えた。
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