彼方のうたのレビュー・感想・評価
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道で立ち尽くす主人公のショットがすごい
登場人物は、何か重たいものを抱えていそうに見える。けれど、そのことははっきりとは描かれない。普段、道で通り過ぎる人もそれぞれの人生でつらいことを抱えているだろうが、それが何かはわからない、みたいな感じで、観客は映画を観ていても登場人物たちの内面をはっきりと見ることができない。普段通り過ぎて「風景」にすぎないよく知らない人々の、人生を少しだけのぞかせてもらうような、そういう鑑賞体験だった。
冒頭、主人公の春はどうして雪子に声をかけたのか。何か悩んでいるのだろうと察して道を聞くという行動で、寄り添おうとしたのだろうか。そして、不思議な春という主人公も何かを抱えていることが、終盤の道で立ち尽くす彼女のたたずまいから伝わってくる。このショットはすごくいい。道路を挟んだ向かいからカメラで捉えたその距離感が醸し出す、手が届きそうで、届かなさそうなその距離感が。
雪子の自宅で作られるオムライスが美味しそうだし、真島秀和演じる剛の娘と映画作りをする優しい空気感も心地いい。この映画は物語としてどこを目指しているかは不明なまま進むのだが、それが不快に全く感じないのがすごい。観終わったあと、街の景色が違って見えてくる。道行く人々にもそれぞれ人生があって、何かを抱えて生きているんだなという想像力が増すのだ。
杉田協士監督作で反復される“うた”。多摩映画としての一面にもご注目
杉田協士監督の長編映画は「ひとつの歌」「ひかりの歌」「春原さんのうた」そして今作「彼方のうた」と、常に“うた”がタイトルに含まれている。だがそれだけでなく、第1作では歌人・枡野浩一を重要な役で出演させ、2作目では枡野と共催した短歌コンテストで選んだ4首に基づき映画化、3作目は歌人・東直子の短歌を原作とするなど、短歌という抽象度の高い文学表現をいかに映画作りに転用できるかという挑戦を続けてきたようにも見受けられる。広大な世界と膨大な時間からひとときの状況と情景を切り取り、つないで、余白は受け手の感性と想像に委ねるというか。小説や漫画のようなストーリーテリングの手法とは目指す方向が違うので、ストーリーがわかりやすく具体的に語られる映画に慣れているとあるいはとっつきにくく感じるかもしれない。
登場人物らがすべてを把握して行動しているわけではないように、観る側もわからない部分はわからないままで、映画の流れに身をゆだねてこの世界の不確かさを味わうのもひとつの向き合い方だと思う。
なお東京都多摩市出身の杉田監督は、前作に続き今作でも同市関戸にあるカフェ「キノコヤ」をはじめ聖蹟桜ヶ丘駅近辺でロケを行っている。ちなみに3月2日公開の清原惟監督作「すべての夜を思いだす」は同じ市内でも多摩ニュータウンを舞台にしているのだが、撮影の飯岡幸子、音響の黄永昌など杉田組の常連が清原監督作にも参加している点が興味深い。多摩映画の輪が広がっているようでもあり、地元の人間として単純に嬉しい。
ミニマルな描写ながらも、語られない物語の中にストーリーを感じさせ...
ミニマルな描写ながらも、語られない物語の中にストーリーを感じさせた『春原さんのうた』の杉田協士監督の最新作です。
今回もやはり登場人物の背景は何も語られません。心に何かを抱えた人の出会いにカメラを向けているだけです。
「〇〇だから寂しい」とか「××だから哀しい」の「〇〇」や「××」を描くのではなく、「寂しさ」「哀しさ」そのものを映像に収めようとしている様に感じました。『春原さんのうた』を更にスリムにしたスタイルと言ってよいでしょうか。でも、僕のアンテナ感度のせいか、どこか空回りしている様に感じ、もどかしさが残りました。
でも、オープニングとクロージングの呼応し合う様な長回しショットは大変印象的でした。
(ただ、杉田監督の作品はいつも音声が聞き取り難いのが今回も辛かったです)
繊細な心理描写を言葉にしない美しさと品の良さ
2024年劇場鑑賞23本目 良作 63点
2024年No.1見返したい作品かもしれない
風の噂に聞いていた、同監督作品の春原さんのうたが傑作らしく、登場鑑賞の機会を逃してしまった身としては、配信もされないであろうことも相まって杉田作品を堪能しようと少々浮き足で劇場に足を運んだのを覚えている
前述した通り、見れば見るほど理解が深まりより楽しめ愛が深まる、そういった作風な為まだ1/3も染み込んでいないと自覚がありながらも2024年も2/3が終わった今レビューを書きながら記憶を巡っている
さぞ杉田協士監督は繊細で奥ゆかしい感性の持ち主で、この人の生の声を聞いてみたい、深く共感するに違いない
あぁ面白いなぁと思えるシーンの数々ですが、あえて上げるなら物語冒頭の通りすがりの人を選定して店に案内してもらう所謂映画としての掴みの部分から興味をそそられた
大概の映画やドラマは最初の15分や1.2話で全体のエピローグというか、説明と惹きつけを行う掴みの部分でのめり込むし、作り手も意識するだろうけど、今作のそれは、悪くマジョリティな言い方をしたら"不思議な始まり"で、良くマイノリティな言い方をしたら一音一音聴き込む様な静かさの中に間と表情で人となりや歩んできた道を言葉以上に映像表現として伝える心理描写の美しさと品性に、洋画とはまた違うし、国外映画賞を取りやすい作風の濱口竜介や黒沢清などに通ずるも、また違った感性で妙に惹きつけられる
またどこかで、選びに選んび紡いだ台詞ひつとひつとを聞き入れ頭を翻弄させたい
とにかく死んではダメということを訴えられた気がする。
この作品は、主人公が何を目的に生きて、探して、人と関わっているかをずっと想像、観察しなければならない作品であった。
道に立ち尽くしたり、号泣されたり、抱擁されたり。これらの描写には恐らく死に関連があったものだったと思う。
現代社会の歪みを少しでもやわらげてくれるような作品だったのではないか。
道端で偶然出会った人々が、打ち解けて意気投合する様子…かと思いきや...
道端で偶然出会った人々が、打ち解けて意気投合する様子…かと思いきや、接近した意図があるような。
説明や理屈は、可能な限りそぎ落とされた映像、
過去の経緯など、断片的なフレーズは時折出てきます。
それぞれで打ち解けたり動揺したり。
演者さんの表情や目線や親密さなど、徐々に変わってゆく様子…。
観ている側が抱く印象は、観て聴いて何を理解するかに委ねられています。
普段の我々の生活でも、他の人々と出会って抱く印象は、みな画一ではないはずで。いちいち説明を授かれることもなく。それと同じことかな、とも。
同じ室内で同じ映像を数十人で観ているはずなのに、刹那や一期一会を感じるような。
映画をただ見たいだけの気分でいくと、なんのこっちゃで終わるかもしれないですね。
映画鑑賞も受け身なだけではいられないぞと、感覚を揺さぶられる映像体験でした。
なんだかよくわかりませんでした。
予告がとても静かで、どんな映画なのかさっぱり予想できず、「どんな映画なんだろう」と楽しみで見に行きました。
結果、ストーリーもわからず、そもそも何についての話なのかも理解できず、ましてや何を伝えたかったのかも皆目わからないという、(ある意味)予告そのままの映画でした。
ただ、あの静かさは好きです。
解説が欲しい映画でした。
小川あんの表情に魅入ってしまう究極の無説明映画作品!
とにかく説明らしきものは一切なく、解釈が観客に委ねられている割合がこんなに多い作品は
他に観たことがありません。そのくらい面くらいました。
いやあ、すごい。凄すぎます。杉田協士監督。
杉田監督作品は本作が初見ですが、正直面くらいました。
そのくらい説明というか、観客側にこの映像をどう捉えるか、どう認識するか、どう理解するかが
委ねられているんですね。
それもこれも小川あんの表情や余白のある"間"に脳がフル回転して
あれやこれやいろんな想像をすることができました。
特にラストシーンの表情は秀逸だと思いますし、
杉田監督曰く、別の小川あんの表情のシーンも撮影しているのだとか。
それも観てみたい!と思いました。
こんなに鑑賞後にあとをひく作品もないでしょうね。
大切な人と一緒に観て、鑑賞後にあれやこれや語りたくなる映画です。
私は、杉田監督の舞台挨拶回で鑑賞し、監督の話を聴くことができて幸せでした。
パンフレットにサインも頂戴し、とても嬉しかったです。
短歌集のような映画
「うた」とは何を指すのか。英文タイトルが「Following the Sound」と置かれているので直接的には、はるが追い求めている川の音を指しているのだろう。繰り返し出るラヴェルの「亡き王女のためのパヴァーヌ」も意識されているのかもしれない。でもこの監督が強く意識しているのはおそらくは定型詩文学としての短歌、うた。
今回、本作を観て、短歌集のような映画だと感じた。短歌集では百首とか二百首の短歌が収録される。共通のテーマがあることも多いが、基本、一つ一つの歌は独立していちいちその歌の世界を言い切っている。この映画は構造的にそこが良く似ている。つまりシーンあるいはシークエンス個々の独立性が高く、基本的には会話劇なのだが、主人公たちはシーン毎に意思を示したり感情を吐露している。ある意味、シーン一つ一つが完結しているわけだ。ただ一つのシーンだけで全ての背景が説明できるわけではないので観る人によっては説明不足とか意味不明とか感じてしまうのだろう。その意味で無駄なシーンは一つもない。そしてこの監督の極めて優れたところは時系列を一切崩していないところにある。季節は秋から冬、そして春に向かって流れ、シーンとシーンは端正に重なり合いシンクロしながら進行しやがておおよその背景理解と共感が観客側にも生まれていく。
最後の雪子とはるが言葉を交わし抱き合うところが感動的なのはそういった設計思想があるからだと思う。
短歌とのつながりを示す根拠を一つ。枡野浩一の作だが、おそらくタイトルをつけるときに意識されたのではと思う。
「またいつかはるかかなたですれちがうだれかの歌を僕が歌った」
理解できたかどうか、自信はないけれど
杉田協士監督の作品を初めて鑑賞しました。映画って本当に幅広い、こんな作品があるんだ…と驚きました。
余白が多いため鑑賞直後はフワフワした感じでしたが、自分なりの解釈を経て、良さをかみしめています。
印象的な場面が積み重なり、苦しさの中にも、人と人とのつながりで癒やされていく登場人物たちが表現されています。
辛さもにじみますが、希望も垣間見える、素敵な映画でした。
私好みのお茶ではなかった
邦画の饒舌な映画はあまり好きではないが、ここまで「文中の四角部の空白を埋めよ」みたいな、断片的なエピソードだけを繋ぎ合わせられたような突き放された作劇はいささか厳しい。
上映後に舞台挨拶があり監督さんが
「この世のなかの出来事はすべて映画であり、そこにカメラがあって定着されれば映画になる。わたしの映画はドキュメンタリー的なアプローチ」
みたいなお話をされて、ああそういうことかとなんとなく腑には落ちた。
映画の見巧者さんたちのあいだでの評価は高いようですが、ただ好き嫌いでいえば、正直 It's not my cup of tea の作品でした。
ポスターがダサい。
後半は光が綺麗だったけど、前半は絵がパッとしなかった。主人公と女性、男性に過去なにがあったのか見ててもわからなかったので見終わってあらすじ見たけど、そんな事わかるくだりあったっけ?
そして主人公にもなんか悩みがあるっぽい、、、というのが最後にわかるけど、それが何かは分からない。
まあ世の中わからない事だらけで、皆んな悩みを抱えてるし、皆んな自分の都合のいいようにわかってるつもりになってるだけだからな、これがリアル世界なのかもなと思う。大切な事を描かずに表面の事象だけ描き、大切な事は見た人がそれぞれ想像する、、的映画なんだろうか?
そういう映画は好きだけど、やはり説明不足を感じた。観てる人は制作者が思うほどわかってない事が多い。
役者もいい感じだったし、部分的に素敵感あったけど説明しない良さ、、というより説明が下手なだけなんじゃなかろかと思ってしまった、、、なんだか残念。
イチゲンさんお断り
映画表現上の約束事を心得た上でそこから外れるのを面白がっているように見えるし、そういう態度は嫌いではないが、本一冊分の内容を俳句の字数で表そうとしているような、鑑賞者の想像力に過大に期待した作品だと感じた。それでも説明過剰のアホみたいな映画よりはずっと好感が持てるし、何よりラストシーンで「うん、そうだよな」と言いたくなるのは術中にハマったって事?
今ここでオムレツを作って食べているということ
《彼方のうた》
"いま、このとき"は流れている時間のほんの一瞬なのであることを感じさせてくれる。それは、かき混ぜた卵のように決して元に戻ることはないが、あの時卵を割ったから、かき混ぜたから、"いま、ここ"にオムレツがあるし、とても美味しいということ。
2024年1月11日/2回目/シネクイント
《彼方のうた》
何かを探すかのようにウォークマンと共に町を彷徨う春。出会う人達と濃密な時間を過ごすがその関係はあいまいなまま。幾通りも想像できる物語はすべてが各人の"ほんとうのこと"なのだろう。切り取り方で全く異なって見える現実世界のように。だってこれは"春さんのオムレツ"なのだから。。
長回し、概ね後ろ姿からのカット、映っていない所に"だいじなところ"が描かれている。バイク、バイク、バイク。初日なので深くは触れませんが杉田ワールド大集合でした。。
杉田監督のアフタートークで"世の中の誰にでもフォーカスを当てれば映画になると思っています。今回は春だったというだけ"の言葉に、過去作まとめて腑に落ちました。
年始1本目から年ベスの予感。。
2024年1月5日/シネクイント
余白から浮かび上がるいくつもの物語
パンフレットにレビューを寄せている筒井武文さんが、「極論を言うと、杉田協士はただ一本の映画を撮り続けている映画作家で、一本一本は仮に作品になっているに過ぎない」と書いている。私は、杉田監督の他の作品を未視聴なのだが、この指摘はきっと当たっているのではないか。
本作で杉田監督が描こうとしているのは、起承転結のあるストーリーではない。「映画」というと、その起承転結の妙や、張られた伏線の回収の見事さなどが評価されるものもあるが、この作品は、まるっきり違う所を見据えているのだろうということが、杉田作品初めての私にも、次第に伝わってくる。
そもそも、ストーリーメインで観ようとすると、小さな違和感の積み重ねで破綻し「なんじゃこりゃ」になる。
例えば、「行きたい店への行き方」を尋ねてある人に話しかけるくせに、既にその店では常連だったりするし、ストーカーしている相手といつの間にビールをのんで家にまで上がりこんでいるし、上田になんのゆかりがあるのかわからないまま、二人乗りしている東京在住の人のバイクのナンバーはなぜか「上田市」だし…。
でも、待てよ。いやいや、その違和感こそ、読み解けるヒントじゃないの?と思ってからいろんな可能性が見えてきた。
余白が多いということは、その解釈の自由度も多いということ。冒頭に述べた筒井さんは、やや比喩的な表現ながら、主人公=宇宙人説を述べられていたが、そういう解釈も普通にありだろう。
監督が、撮り続けているものは何か。
今日のアフタートークでは、「そのシーンで映したいのはこれというのを、撮影の飯岡さんと明確に一つに絞って撮った」という言葉が聞かれた。また、パンフレットでは「本当だと心から思えることを大事にしたい」と語られている。監督は、「見せる気満々で、ちょっと隠れているものもあるくらい」とも語っており、その場面での監督の考えるリアリティは存分に表現されているのだ。それをシーンごとに積み重ねながら、鑑賞者の多面的なリアリティとのすり合わせを試みているのが、一つ一つの「作品」となっているのではないだろうか。
内容の分かりにくさを指摘する声も多い中、観た人の多くが認める画面の緊張感の理由は正にここにあって、余白があることこそが実はリアルということだと思う。
そもそも、私たちが現実社会で出会ったりすれ違ったりする人たちは、細かな説明などして来ないし、丁寧に語られる言葉が本当に「本当」なのかもあやふやだ。
私たちは、その距離感の中で、自分なりの物語を紡いで毎日を生きている。
ラストの中村優子さんのセリフは、ハッとさせられるが、それに気がつけたのも、それまでの彼女の物語があってこそで、その彼女の物語がはっきり見えないこともリアルだ。だから、私たち鑑賞者は、これまでの自分の物語を重ねて、少し近づいたり、離れて俯瞰してみたりしながら、味わえばよいのだと思う。
主人公を演じる小川あんさん、脇を固める中村優子さん眞島秀和さん、3人とも素晴らしい。この3人が3人とも、その表情から過去にあったであろう様々な物語を連想させてくれた。
あと、全く違う話になるが、映画に出てくる中華料理店「檸檬」のかた焼きそばは、「青天の霹靂」で上田に訪れた大泉洋も通い詰めた。上田に来られたらご賞味あれ。
非・物語のふしぎな空気
「なにかの喪失感に耐えて生きている人たち」の物語なのは前作と同じ、それがいったい何の喪失なのかはまったく分からないのも同じ。
この映画の監督は美術や照明や撮影でひとつの世界をつくりあげようとはせず、カメラの前で日常とは異なる空気感が現れることだけを狙っていて、それが画面に定着されている。要するに一般的な意味での「映画」とはまったく別の方法で作られている。
普通そういうやりかたは単なる独りよがりに陥るものだけど、この映画の画面は、ところどころでやはり素通りしがたい不思議な強度をもっている。明るい光に満たされた電車内で扉にもたれて立つ女、山へ向かう二人乗りのバイクのドライブショット、キッチンに立つ女二人の後ろ姿、わすれがたいショットはいくつもいくつも登場する。ここは評価されるべき美質だと思う。
でもさ、作り手自身が「これが一体何の映画なのかを手探りしつづけている」「完成したあとでも何の映画だったか考え続けている」感があって、それは監督が意識的に選びとった手法というよりは、映画という表現形態が積みかさねてきた「分からせる技術」を単に彼がきちんと習得していないからでもある。
ここには構造が存在しないし、だから「物語」にもなっていない。なんか素敵なCMのようなゆるい短編が延々と羅列されているかのよう。そういうのはいくら国際映画祭に出したって賞レースではどうしようもない。だって分からないんだから。
これはこれで作品の世界だとは思うけど、もう少し映画の技術的ベースをていねいに学び直したうえでこの空気を組み立て直したら、意外な名匠が誕生するかもしれない。本当はそういうふうに導くのがプロデューサーの役目だと思うけどね。
それにしても池袋の映画館、さっぱり人が入ってなかったなあ。
いや、さすがに、と思ってしまったな
意味のないシーンが多いなと思ったのね。「このシーンなくてもいいんじゃないか?」っていう。
観終わって「『なくてもいいんじゃないか?』ってシーンだけで構成された映画なのでは」と思ったな。
事情を一切明かさないんだよね。それは作り手だけが分かっているという。
「ある事情をもった人達が、色んなことをやっています。それを淡々と映します。さて、この人達の行動の裏には、どんな事情があるでしょうか?」っていうクイズ番組を観せられた印象もあるの。
そんな感じなんだけど、それでも観てしまう強さというのが、作品の中にはあったよ。
そこはスゴイと思った。
でもさすがに、ここまで事情を明かさないなら、作品として世に出す意味あるかな。
まあ、観る人いて、ポレポレ東中野も満席だったから、意味はあるんだろうけど。
そんな感想を抱きつつ、それでも、この監督の他の作品観てみようかなとも思ったので、良い作品なんじゃないかな。
主たる登場人物のバックグラウンドは一切語られないので、複数人で観て...
主たる登場人物のバックグラウンドは一切語られないので、複数人で観て観賞後にあーでもないこーでもないと感想を語り合うのが良いんじゃないでしょうか。
最後のワンシーン
助けを必要としている見知らぬ人のことを思い、丁寧に関係を築いていこうとする女性の物語。
生きていると本当にいろんなことがあって、それが積み重なって、滲み出てきますね。言葉にしなくてもそれを汲みとって、その人のことを思い行動できるって素晴らしいことだと思います。
最後のワンシーンで全てが理解できる。素晴らしい作品だと思います。
小川あんさん、中村優子さん、眞島秀和さんは、皆さん役どころの人生を言葉なしで表現していて素晴らしかったです。
全23件中、1~20件目を表示