市子のレビュー・感想・評価
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嘘っぽくてダメだった…。
蒸発癖のある女の物語かなと思って観ていました。
冒頭、女性の白骨死体の事件でニュースになっていた生駒山の麓で生まれ育った僕は、まさに実家での暮らしを思い巡らせながらこの作品を眺めていた。
(そういえば、行方不明になる女いたなぁ……)
と、恋愛して幸せそうになると、その幸せに耐えきれず夜逃げする女。
僕の母親の親友にそんな雰囲気のした女性がいた。彼女もその傾向が強く、よく家に来ていては母に恋愛の相談をしていた。その女性の情緒不安定さと似ているなぁと思い返す。
ちなみに僕の中学時代の初恋の女の子も、卒業したあとに失踪していた。噂では男と駆け落ちしたとか、バイト先のお金を盗んで逃走とか、いろいろ言われていたが……真相はいまだに不明である。
そういう失踪ばかりする女の話かと興味を持って観ることにした。
しかし見ているうちに、どうやら戸籍がなさそうというのが判明。
密入国? 移民?
そっち方面のダークな話になるのかと身を乗り出した。
さらに、どうやら人を殺していそう……。
いろいろハードな過去が揃ってきたところで、嘘くささが増してきた。
市子が都合よく生き抜けているのだ。
そんな簡単じゃないだろう。
一文無しで逃げられるわけがない。きっとホームレスに陥ってしまうだろう。たいがいドラマだと、そこでお節介な人間が出てきて、普通の暮らしに戻れちゃうんだけど……世の中、そんなにお節介な人とは簡単に出会わないよ。出会ってもコミュ障だと無視されるだけ。
だからこそ、そこをどう主人公は乗り切って、助けてもらえるようになるのか。
ここに現実感があると面白くなるのですよ。
リアリティを積み重ねていって、はじめて人は市子を実在している人のように受け止めて感情移入できるのだ。
有吉佐和子著の「悪女について」もこの映画と同じように、ひとりの女性の生き様について、いろんな人間が証言していくスタイルの小説だったが、悪女と呼ばれる主人公と証言者たちとの出会いや触れ合いのエピソードの数々にリアリティがあったので、徐々に主人公の謎めいた女性への興味は増し、感情移入の高まりもおぼえた快作だった。
僕としては、市子はコミュ障だけど、何とか人に助けて貰おう、寄生しようと消極的ながらアプローチしていく。だけどそれを気味悪がって逃げていく人もいる。そんな中で市子の張った蜘蛛の巣みたいな罠に引っかかって、お節介で市子を助ける人も出てくる。だけどお節介が過ぎて、それが苦痛になると市子は逃げ出す。それでもお節介な人間が追いかけてきて、市子を連れ戻そうとする。そこに支配される恐怖を感じて、その助けてくれた人を殺してしまうとか。
助けてくれる人を次々に乗り換えていく、ヤドカリのような生活……その助けてくれる人の捕まえ方、その人に感謝していたはずなのに反動で残酷になるサイコパス的な猟奇性と二面性。また市子を犯人として追っている警察の網からの逃れ方。そういうサスペンスを見たかった。
全体的に踏み込みが甘くて、物足りなさがあり、市子の凄味が弱く感じられた。
別に自分に恋した男たちを次々に殺していく話でもいいけど……現代のメルヘンみたいにね。
というわけで……何となく今回の映画は、観客である僕がほとんど傍観者のようにポカーンと最後まで眺めてしまい、登場人物の誰にも感情移入できなかったのが残念な出来映えでありました……。
ダメでした…
私には嘘っぽく見えてしまった。
性被害、ヤングケアラー、虐待、就籍の問題など色々あってそういうことに苦しむ人々が現実にたくさん居るのに、観ていて迫ってくるものが無かった…作り手の自己満足をブツブツ小間切れにして延々と見せられているような気分になってしまった。
・・・この作品は決して“市子”の目線だけで観てはいけない。
『うち花火好き』『嫌いな人おらんで』
『うん、皆んなが上向いてる時安心すんねん』
誰しも花火を観に行ったら、夜空に輝くその輝きにときめくだろうが、市子は違った。
あまりにも深く屈折した人生は、“普通”に生きてきた者には想像もできないのかも知れない。天空に煌めく花火を観ても、彼女に見えている物はその煌めきでは無く、誰もが目を背けてくれている事だった。
市子は普通に“人”として生きたかったのだろうが、この世に生まれてきたその時から許されなかった不条理。彼女が行った行為には1mmも同情出来ないが、そんな不条理の中生きて行く事の息苦しさが画面全体に溢れている。
宇多田ヒカルの歌に『真夏の通り雨』という曲がある。
「降り止まぬ 真夏の通り雨
ずっとやまないやまない雨に
ずっと癒えない癒えない渇き」そんな歌詞がある。
通り雨ってサッと降ってやむから通り雨なのに、降り止まない通り雨ってどんなだろう?
と思っていたが、“市子”の人生はまさに降り止まぬ通り雨なのかも知れない。
彼女はずっと一人の“人”として普通に生きる事を願っているのに、決して許される日は訪れない。
まさに、いつかはやむだろうと思っているのに、やむことの無い雨そのもの。
苦しすぎる。
そして、多くの観客は杉咲花演じる“市子”の目線に立つであろう。なんて不条理で可哀想な人生・・・。
はて?それが正解?
市子とは?不条理な生き方を強いられた可哀想な人?だろうか。
この作品を、市子の目線に立って観ていると、つい「杉咲花」演じる“市子”に感情移入してしまうかもしれない。
“市子”の人生は不遇な人生かもしれないが、この作品では決して「不条理な生き方を強いられた可哀想な人」として描いてはいない。
無戸籍だった市子は小学校への入学を境に、難病を患っている妹、“月子”として生きてきた。それが彼女にとって唯一、社会の中で人として認められる人生だからだ。
そして、健常者だが“人”として“認められていない”市子は、“人”として“認められている”が難病を患い、健常者としては生きられない月子の命を奪う。
この作品の中で唯一本当の月子が登場するシーンがある、ほんの短いシーンだが、月子の視線が脳裏に突き刺さり、離れない・・・。
月子は、言葉を発する事も、呼吸する事さえ機械が無ければ出来ない。月子が何を見ていて“その時”をどんな気持ちで迎えたのか、正直想像も出来ない。
月子の最期は、ただ医療機器の空虚なアラームが鳴っているだけだがそのアラームの裏に何があったのか、しっかりと見つめる必要がある。
多くの観客は市子の目線に立っているだろう、しかし市子が“人”として生きる為に行った行為が、“人”として決して越えてはならない行為だと言う事実。難病の家族を診る事がどれほど大変な事なのか、軽々に語る事は勿論出来ないが、だからと言って月子が殺されなければならない理由など一つも無い。
例え市子の立場に立って全てを俯瞰したとしても、市子が行った事を見て見ぬふりする事など私には出来ない。
タイトルなし(ネタバレ)
演技とかはケチをつけるつもりはありませんが、お話があまり面白くない。
戸籍にない存在としては生きづらいであろう。正式に戸籍を取得するには罪を重ねた過去が邪魔をする。詰んでる。
もともと無いものとして存在している人間が生きながらにして生まれ変わる精神を生きる術として身につけた、という印象だった。
市子は罪を償っていない。そこが引っかかる。
だがその罪は追い詰められての結果の所業。情状酌量の余地はある。
存在を認めない社会、罪を許さない社会、市子にとって社会はサバイバル。
だが、市子を救いたいという彼はいた。だが市子は彼から逃げた。社会的な契約である結婚の話が出たからだ。それだけでしたっけ?
重なって、過去に犯した隠した罪が社会の表に出てきてしまった。逃げる市子。
市子が手を下した男のことは当然ながら、また妹も市子にとってそのとき愛すべき対象ではなかった。だから救われるどころか殺されてしまった。
一方、すべてを知りつつも市子を救いたいという人間はいた。彼、そして事情を知る共犯片思い男。彼らは市子を愛していた。そして共に生きたいと思っていた。
介護が負担となっていた妹が不憫だ。あの環境で生きることが妹の幸せなのかという話は置いといて、姉に命を終わらされてしまう、母はそのことを感謝した。その状況が不憫だ。
面倒をみられ負担になる弱い存在こそ、守られるべき愛すべき存在であるべきだ。
説得力が全然ないからこそ、悲しい。
いや結局は、人間には限界がある。その限界を迎える前に対処することがある、積極的にするべきだ、ということに落ち着こう。
苦しい…
人並みの幸せ…市子から想像するにどれほど極上のものなのか。親ガチャのせいで戸籍上、自分は存在しない。重病患者の妹月子を殺し、虐待した母親の男を殺し、自分の過去を知る男、自殺志願者をも殺し、求婚された長谷川との幸せの生活を手放し、どこへ行くのか。心を無くしてしまったような杉咲花の演技が良かった。
えげつない
市子、えげつない。。。
環境が生み出したのか、それとも持って生まれたものなのか。
あるいはちょっとした要因であんな風になってしまう凶暴性を誰しも持っているのか。
杉咲花ちゃんの少女感と中身のえげつなさのギャップが怖さを倍増させてくる。
終始市子は驚くほど無邪気で利己的。もはやサイコパス。
バレたっていいから市子として生きていきたいと言っていたけど、結局逆戻りしてしまったのは長谷川君との生活が幸せすぎたから?
戸籍がなくて結婚できなかったから、やっぱり戸籍持って、次の人とはちゃんと幸せになりたいなということ??
そうだとしたら、サイコパス界の頂点かもしれない。。。
大きな違和感がある
市子が筋ジストロフィーの妹の人工呼吸器を外すシーンがある。仕事から帰ってきた母親がそのことを知ったとき、なんと「市子、ありがとう」と言うのだ。後に母親の告白で「もう限界だった」とあるので、妹のためではなく、自分たちの介護疲れで殺したということになる。どんなに介護が大変でも母親はわが子に生きてもらいたいと考えるものだ。世の同じ境遇の母親たちが介護疲れで難病のわが子を殺したなんて聞いたことがない。この殺人と母親の「ありがとう」は、同じ境遇の人たちにあまりに無頓着で失礼だと思う。
そして、妹を殺しておいて(他に3人も殺している)良心の呵責も感じないで自分は幸せを求める市子を、戸籍もない過酷な環境で育った幸薄い女みたいに描いているのには大きな違和感がある。「人は殺しているけど、かわいそうな女なんだよ」とでも言いたいのだろうが、どれも情状酌量の殺人とは思えず(注)、第一、市子を見ていると同情も共感もできない。
(注)母親の男から罵声を浴びて殺すが、あの程度の罵声で人を殺すのは異常。
むずい
この人が悪い!と明確に決められるわけではなく、破綻した家族システムの中で起きてしまった悲劇だなあと思いました。
でも1番の被害者は月子ちゃんじゃないでしょうか。他の登場人物にはまだ選択肢がある中、体が不自由な月子ちゃんは選べない中で一方的に殺され、誰にも死を悲しまれない、、
かなりキツかったです。
市子も存在を否定されなかなか過酷な家族環境で育ち、被害者の1人ではありますが、
何人もの人を殺しておきながら自分は幸せになるぞーと考えていて、自責の念はないのかなとか殺人をして心のバランスを保てるものなのかなとか、ある意味精神面の強さを感じました。
展開が読めずおもしろかったです。
無戸籍というワードが特別感を演出している
アマプラで観ました。見返したりもしました。
時系列は飛びますが難なく理解できる範囲。上手く面白くしていると思います。とてもおもしろかった。
無戸籍では無いにしてもこういう女性のお話というのはあると思います。
私はジョゼを思い浮かべましたが、市子も最初の殺人の時から一人で生きる覚悟はあったはずです。人に頼ることが頭にないのです。北くんは勝手に覗き勝手に隠してヒーローになろうとした。北くんや殺されたオッサンは被害者かもしれないけど、仕方ないんじゃないかな。市子の前では。
長谷川も市子の人生経験の糧であり、作品上必要なキャラですね。
幼少期、うまくできなかった友達が社会に出てみるとできたり、結婚までのプロセスを学び、戸籍まで手に入れた市子。立派な犯罪者ですが、逆に存在しない人の犯罪ってどうなるのだろうか。
自分が長谷川の立場だったらしばらくは未練があると思いますがそのうち「いつかまた会えたら良いな」くらいになるだろうから、進んで口をわらないと思います。
自分的にはハッピーエンドでしたね。
最後のお祭りのシーンが回想ではなく、新しい名前を名乗ってやり直しとかだったら大興奮だったかもですが笑
誰より虐げられた被害者は市子と月子だから
また観たいと思わせる作品。
戸籍は手に入れたのだろう。
これから、保険証やケータイの心配はなくとも、また市子と名乗れない長い長い苦痛の日々が始まるのだろう。
それでも、長谷川くんと過ごした市子としての3年間は、これまでの人生にはなかった、小さくとも濃い光になるであろうことは、彼女にとっても観てる側にとっても救いだなぁと思った。
妹が死んだ後の母親の歌には、狂気の中にも呪縛からやっとの思いで逃れたという解放感があったのに、同じ歌を、シアワセから離れざるを得なかった市子が歌うシーンはすごくすごく切ない。
エンドロールが鼻歌なのもとても良かった。
欲を言うなら長谷川くんのバックボーンもちょびっと欲しかったかなぁ。
個人的な望みとしては長谷川くんが市子に逢えて欲しかったけど、逢わせないことで市子のこれからの人生の切なさがより浮き彫りになってすごく染みた。
悲しい
杉咲花さんの演技に脱帽。プロポーズされて涙する可愛らしい女性…からの失踪、存在しない事実、過酷な過去…。
始まりがもう自分ではどうしようもできないことだから…。なんであの時月子とツキコを入れ替え、月子と市子を入れ替えないとダメだったのか。なんで無戸籍なんかにしたんだ…とか、いろいろ考えた。
最後はショックでした。市子は、生きることを諦めなかったし、そのために人を殺すことをいとわなかった。あのストーカー男は、大人しく殺されたんだな…。なんか怖いし悲しい映画でした。
名もなき人
突然行方不明となった恋人市子を探す長谷川はその行方をたどるうちに彼女の壮絶な過去を知ることとなる。そしてようやく現在の彼女にたどり着いたとき彼女はもはや自分の知っている彼女ではなかった。そもそも自分が知っていた市子という女性はこの世に存在したのか。
貧困、劣悪な環境で育った彼女には戸籍がなかった。法の不備やネグレクトなどが原因で今の日本では累計一万人もの無戸籍者がいると推定される。
重度の障害を抱える妹の介護は実質母子家庭では彼女の役割だった。ヤングケアラー、部屋には当然クーラーなどない。
むせるような夏の暑い盛り、彼女は妹の呼吸器を外す。息絶える妹、それに感謝する母親、これで肩の荷が下りたと。幼い彼女にとってそれは自分を守るためにした行為だった。
しかし、妹の戸籍を借りて学校に通う彼女の生活は妹の介護から解放されても変わらなかった。義理の父による性的虐待、それに耐えかねた彼女は相手を殺してしまう。苦しみから逃れようとした行為がさらなる苦しみを生む、この不幸な境遇を洗い流してくれと言わんばかりに彼女は土砂降りの雨に身をさらす。
高校を卒業し家を出た彼女、無戸籍ゆえにできる仕事は限られる。こんな自分は普通に生きていくことはできないのか。
過去を捨て市子として生きようとした彼女は長谷川と出会いひと時の幸せを手に入れる。だが彼からのプロポーズを受けた矢先、彼女の過去が容赦なく追いかけてくる。着の身着のままでその場から逃げ出す彼女。
市子として新たな人生を生きようとした彼女だったが、戸籍のない彼女はこの社会では存在しないも同然だった。婚姻届けも出せないのだ。そして自分は殺人者だった。この社会で誰でもない自分は殺人者であることだけは確かだった。そんな自分が長谷川と幸せになれるはずがなかった。
彼女は自分の境遇を呪ったことだろう。戸籍のない自分はこの社会では何者でもない、何者でもない自分がこの社会の何かに縛られて生きなければならないなんて理不尽だと。だからこそ彼女は何者でもない存在として最後の手段をとったのかもしれない。
市子の行方を捜す長谷川が彼女にたどり着いたとき、それはすでに自分が知っている彼女ではなかった。月子でもなく市子にもなれなかったどこの誰とも知れない自殺志願者の女なのだ。
自分の過去を知る同級生の北を殺し、自分の身代わりとなる女性も殺してその戸籍を奪った彼女。壮絶な人生の末にもはや引き返すことのできないところまで行きついてしまった彼女。
この社会のすべてのセーフティネットから零れ落ちてしまった彼女を誰が救えたのだろうか。自分ではどうすることもできない境遇に生まれ苦しみ続けた彼女が生きていく唯一の道はこれしかなかったのだと、そうするしかほかに道はなかったのだと思わせるほどの壮絶な悲しい人生。
作品冒頭とラスト、夏の日差しの下で汗を垂らして無心で歩く彼女の姿が描かれる。彼女は何者になったのか、ただの冷酷な殺人者か、あるいはこの社会でもがきながら生き抜こうとする何かか。
人間社会で置き去りにされた一人の女性の狂おしいまでの悲痛な叫びが聞こえてきそうな作品。女優杉咲花の存在感に圧倒された。
このような社会派を装った駄作を持ち上げる事こそ日本の闇
やたら絶賛されていたので鑑賞したが、何でも他人のせい、"日の当たらない場所に光を当てている自分"に酔った人間が作ったとしか思えない非社会派ダークファンタジーとでもいうべきか。まさかジョーカー、半地下の家族のような知性のない駄作が日本でも作られ絶賛されるとは…ただただ呆れるばかり。少し考えれば、おかしい事ばかりなのだが。
そもそも子どもの権利は?
終始カメラの揺れが酷すぎて酔った。こんな酷い物をお金を貰って人に見せようとする神経が理解出来ない。お金を貰っても見たくない。観客を馬鹿にしている。
ここからはネタバレあり。
まともに取材してないのがまるわかりな駄作。
この妹は障がい者手帳を貰ってないのか?
福祉サービスも一切なしであの医療器材はどうやって調達維持したのか?
重度の障害を持っているはずの子供が学校に健常者として通ってばれないのか?
病名だけ提示して雑な作りで病気を軽々しく道具として扱うことに躊躇もない作りで社会派ぶった作品。
市子は杉咲さんの作品選びの信用を失墜させた。今まで杉咲さんの作品はわりと見たが、それがなかったら二度と見たくない俳優になっていた。
先日杉咲さんが次の作品のインタビューでその事について話していたが、考えを改めたということだろうか。
3年も一緒に暮らして嘘をつかれてたわけでもなく素性を知らなかったのも、そんな相手にプロポーズするのも気持ち悪い。誘拐犯の心理みたいなものだろうか。
そもそも3年一緒に暮らしてる感じが全然しないのは演技力の問題なのか俳優同士の相性が悪いのかわからないが全く説得力がないと感じた。
市子が泣いたのはちょろい男と住んでたが、また1からやり直さなければという涙なんだろう。それにしても逃げようとしてるのに次の日テレビを見る余裕っぷり。長谷川が帰って来てから慌てるのも不自然。
警察が一般人にペラペラ話し行動を共にしたり、長々と戸籍の説明をし同情を誘っていたが、違和感しかない。
宣伝文句で市子を宿命としていたが、全くもって宿命ではない。子供の時の戸籍がない事も宿命ではなく、悲劇程度。親が出生届を出さなかっただけでいつでも改善出来ただろう。実際宿命は病気を患い自身の自由が効かない妹に使うべき言葉だ。一度は戸籍を取得しようとした時点で逃げたのは自分の意志。
そもそも、夫に居場所がばれない為に出生届を出さないという知識があるのが違和感なくらい何も考えずだらしない母親で矛盾を感じる。夫に問題があるなら通報し、戸籍は子供の当然の権利として取得、事実婚の相手が本当に家族として受け入れるなら養子に出来そうだが。役所が使えないと言いたいのかはわからないが、この母親がそこまでの努力をしていないように感じるが、子供の権利まで奪って役所に相談せずにいた理由はなんなのか。たしか妹は3歳違いだったはずだが、妹の戸籍は取得。せめてその時点で相談しないのはなぜか。不幸な可哀想な母娘演出と法律を無視する母親の選択をまさかの法律から抜け落ちたかのような演出に辟易する。小学校で誰もが習ったはずのこどもの権利条約すら忘れて書いてるのか?法律は守りません。でも権利は主張します。というような活動家の映画だろうか。まぁそういう人間もいたとしよう。その責任も当然親が負うべき事だが。
日本で子供が学校に行かなければ一般的に不審がられる。妹になりすますまで声も出さず、外にも出ずだったのか?
母親が申請しなかったとはいえ、妹になりすまし外の世界を知っているなら殺人が問題だとわからないわけはない。演出では介護が大変だったように見せようとしていたようだが、さして介護をしているような演技ではなかった。杉咲さんは過去作で介護を担う役を演じてそれなりに見えていたが、本作では普段から介護らしい介護はしていなかったようにしか見えなかった。逆にそういう演出ならば、介護苦での殺人というよりただ邪魔だからということになる。
窓開けておいて市子が襲われそうになってるのをわかりながら外から見ているのも気持ち悪い。インターホンなり大声で忘れ物!とでも叫べば状況変わるぐらい出来そうなのにしない。無理やり気が利かない男にしてそのシーンを見せるのも気持ちが悪い。殺人への持っていき方も雑。
北が気持ち悪いストーカーのように扱われていたが、むしろ長谷川の方がより気持ち悪いなよなよストーカーにしか見えなかった。それを良い人のように見せようとするせいで尚更気持ち悪い演出だと思った。
若葉さんの演技も演技に見えない自然な演技というよりただやる気がないように見えた。泣きそうな顔してるだけ。よく考えたら若葉さん出演作品いくつか見たことがあったが全部内容もなくだらだらと気持ち悪かった。そこで気づくべきだった。
病気の妹は雑に扱いながら中盤の無駄に長いキスシーン。この監督はこれが撮りたかっただけなんだろう。ただ気持ち悪いだけだったが。わざわざ見せなくても学生時代からそういう子だったことはいくらでも見せられる。
実際に題材になっている状況下にいる人に対して、あまりにも無礼で、フィクションだから何をしてもいいという驕りを感じた。
唯一森永さんはいい俳優だと思った。杉咲さんと森永さんの無駄遣い。同じ題材でも中学生ですらここまで酷く書けないだろう。
無理やり良い点をあげるなら見た感想でその人の犯罪傾向がわかることくらいか。
馬鹿みたいに騒ぐ頭空っぽ映画の方がずっとマシ。★0.5もつけたくない邦画史上最低な駄作。
うーん
無国籍児が就学できないわけではない。
戸籍を奪う必要はない。
設定がおかしい。
それが殺人の動機になるのは弱すぎる。
杉咲はなに得も言われぬ説得力があるので持っていかれるのだけれだけれども、
よく考えると、うーん。
52ヘルツもそうで、彼女の演技力というか説得力で持っていかれて、でもちょっと待てよ、
みたいな感じ。
どうしようもないトラウマや事情を内に抱える主人公
というのがはまる杉咲だけれども、
こちらの期待の演技になっているので、
どうだろう。
もったいない感じがする。
杉咲花の熱量
Amazonプライムで視聴。
撮影も脚本も構成もとてもバランス良く出来た作品だと思う。
一緒に暮らしていた女性が突如失踪して、その行方を追う恋人の物語。
彼女の過去が徐々に詳らかになり、彼女の背負ってきたもの、人生を知っていく。
この作品の見どころはなんといっても主役の杉咲花の芝居だろう。
感情を押し殺した芝居と溢れ出す所のギャップは惹きつけられるものがある。
これまでの男性にとって、どこか放って置けないオーラと魅力を、表情と佇まいだけで表現する彼女の芝居は凄まじいものがあった。
無戸籍が故に難病の妹の戸籍で学校に通い、夢も希望もなく、身勝手な大人たちに巻き込まれていく。
好きになっても家庭の事は打ち明けられず、夢を持っても上手くいかない。自分の名前さえも言えない少女時代は人格形成において致命的だろう。
精神がおかしくなっても無理はない。
最後は、自殺願望のある自分に似た背格好の女性と、自分を慕っている同級生を自殺に見せかけ、死んだ女性の身分証で新たな人生を生きていくのだろう。
彼女の終着点はどこなのか、どうしたいのか、行き着く先を知りたいと思った。
何人も殺してしまった彼女に平安はないのかもしれないが、捕まるのか、逃げ続けるのか、また誰かと暮らすのか、納得感が欲しいと個人的に思いました。
余韻は良いんだけどね。
タイトルなし(ネタバレ)
「幸せな時もあった」そう語る母親
最後に恋人との過去の幸せな時間を回想する市子
他人だけじゃなく、自分のこれからの幸せさえも犠牲にしていく
過去の幸せな思い出の為だけに、苦しみながらも生きる道を選び続ける市子には同意も出来ないし理解出来ない
それでもその強さには圧倒された
そせて杉咲さんの演技、魅力にもまた圧倒された
いつ見ても凄い役者さんだなと思う
自分なりの解釈を描きます
市子が月子の酸素マスクを外して殺すシーンで市子の見た目が今に近すぎて時系列が噛み合わない問題について
市子が月子を殺す回想シーンは実際に起こったことではなく市子の中で都合よく改変された記憶だと考えます。
市子が今の姿に近いのは、市子が月子として過ごしていた時間の記憶を自分の中で消して市子として生きていくという決心をしたからなでは無いかなと思っています。(人間は自分に都合の悪い記憶を消すと言いますし)
少し怖い
映画自体の感想ではないが、私が目にした映画の感想が市子に同情的なものが多くて少し怖くなった。酌量の余地はあってもシリアルキラーではないか。「虹」を口ずさみながら浜辺近くの道をのんびりと歩く姿は、裏を返せば恐怖そのものだろう。もし作り手がそれらしくないシリアルキラーを描きたかったのであれば大成功だと思う。
都合よく見てはいけない場面に遭遇するとか、気になるところはあったが、観る人にわかりやすいサスペンス仕立てで、蝉の鳴き声の演出もまとまりがあってよかったと思う。
ただいま。 おかえり
ただいま。と言える相手と帰る場所を手にしたのに、それを自ら手放さなければならない境遇というのは、それが過去の罪によるものだとしてもむごい事だな
最後に市子は身分証をまんまと手に入れて長谷川の元に帰ろうとしたのか?
それともさらに逃亡を続けるのか…
長谷川と出会ったときは新聞配達の住み込みバイトをしていて、そこのオーナーが倒れてからは無職だったよな。
でも、新聞配達の仕事先で出会ったキキちゃんとケーキ屋の仕事に転身した?
ケーキ屋時代に北と再開してる?
この辺がこんがらがってきて、難しかった…
年表があるらしいので、それを見ればハッキリするとは思うけど。
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