市子のレビュー・感想・評価
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想像は超えてこない
まず最初の感想は、2023年の話はないんかい、というツッコミ。2015年から始まるので、最終的には2023年の市子が見られるのだろうとという期待と逆算の姿勢で見てたぶん、かなり肩透かしを食らった。
話としては市子の過去を追っていくという内容であるが、それぞれのエピソードも全て予想の範囲内。
役者陣の演技力のおかげで見られない作品ではないが、内容は平凡。
※細かいこと点をもう一つ。最序盤に出てくる白骨化遺体という言葉が気になったが、今では身元不明でも遺体という言葉を使うそう。でも、2015年時はどうだったんでしょうね?
障害者の月子と健常者の「月子」
<映画のことば>
それがどうも…。
存在せえへんのですよ。
月子を捨てて、本来の市子を、いわば「取り戻す」ためには、悪魔にでもなるということでしょうか。
要するに、本作の言わんとするところは。
生まれた時から「当たり前のように」戸籍があり、その戸籍を使って(少なくとも法律面では)「当たり前のように」自分というものの存在を同定できる立場にいる評論子らからしてみれば、その苦悩は、容易には推し量ることができないものがあるのかも知れません。
約一億人も住んでいで、そして、これほど完備された戸籍制度を持っている日本は、世界的には、稀有な国と聞いたことがあります。
(アメリカには、日本のように出生から死亡までを一貫して把握できる戸籍制度はなく、申告によって、出生証明書と死亡証明書が取れるだけで、両者の間には関連性(同一人性)が必ずしも担保されていないと聞いたことがあります。(それゆえ、他人への成り済ましが、日本よりは容易とか。)
プリントされてしまえばほんの数枚の紙切れなのですけれども。
しかし「人が無戸籍でいること」のその重さに、慄然とするとともに、本当に胸が痛みます。
そのことに改めて思いが至ったということでは、佳作と評価して良いのではないかと思います。
評論子は。
(追記)
市子の無戸籍も、言ってしまえば今の法律の結果と言うことなのですけれども。
そういう市子のような無戸籍児が出てくる原因は、まだ前婚が解消にならないうちから他と異性関係を結んだという結果にも他なりません。
その民法の嫡出推定規定「だけ」が果たして悪者なのか。
そのへんの議論をちゃんと突き詰めないと、いつまで経っても、法改正の動きは出てこない(出てきても、「子の身分関係の安定」とか「戸籍による身分関係の確実な公証」という建前に、結局は潰されてしまう)ように、評論子には思われてなりません。
(なお、この制度の合理性ということでは、最高裁が平成26年に判断し、科学的な父性の正確性よりも、子の身分関係の安定を優先しようとする制度で、不合理ではない、としていますが、3対2の、いわばギリギリ多数での判決(多数意見)で、誰かあと一人の裁判官が反対に回っていたら、結論が違っていたというケースでしたけれども。)
(追記)
本作の全編を通じて「罵(ののし)り合うシーン」「言い争うシーン」がやたらと多かったというのが、本作を観終わっての、実は第一印象でした。
(追記)
長谷川のプロポーズは、心底では嬉しかったのだと信じたいところではあります。
けれども、彼女の(突然の?)失踪は、彼のそのプロポーズが「ダメ押し」になったことも、また事実だろうとは思います。
評論子は。
ましてや生駒山中での白骨化遺体発見のニュースで、グイグイと背中を押されていた、正にその状況下で。
結局は、長谷川のプロポーズが嬉しければ嬉しいほど、市子には、その嬉しさが「重た過ぎた」ということでしょう。
そう思うと、胸の痛さということでは、本当にやりきれない思いも禁じ得ません。
(追記)
サイトの解説を読む限り、どうやら『名前』は、観たことがありそうなのですけれども(心許ないことで、ゴメンナサイ)。
その一方で、また他の作品を見比べてみたいと思える監督さんに出会えたことは、一映画ファンとしては、嬉しくも思います。
個人的には秀作と思われながら、傑作とは思えなかった理由とは
(完全ネタバレですので必ず鑑賞後にお読み下さい!)
※重要作品なのにレビュー漏れしていて今更ですが‥
この映画『市子』は題材、内容、俳優陣からしても傑作になり得た作品だと思われていました。
しかしながら個人的には以下理由によって傑作には届いてない感想を持ちました。
それは、
A.市子とは何者なのか?という、長谷川義則(若葉竜也さん)の現在から過去にさかのぼる視点
B.市子がどんな人生を生きて来たのか?という、川辺市子(杉咲花さん)の過去から現在に向かう視点
がそれぞれ断片的構成で描かれていた所にあると思われました。
A.の市子とは何者か?の視点で描かれれば、ミステリー度合いが増します。
B.の市子の生い立ちを幼少期から見せて行けば、私小説度合いが増します。
それぞれの描き方は、それぞれで映画的な満足度が得られたと思われます。
しかし今作の映画『市子』は、A.のミステリー度、B.の私小説度、の両方を取ろうとして、個人的にはどちらも中途半端に切断される描かれ方になっていると思われました。
個人的には、最後の長谷川義則と市子の母・川辺なつみ(中村ゆりさん)との漁港での会話のシーンでそこまでの感銘はやって来ませんでした。
それは、長谷川義則が主体となって初めから最後まで市子の生涯をさかのぼって解明したわけでなく、一方で、私小説的な市子の生い立ちも長谷川義則の真相究明の場面によってぶつ切りになっていた、のが理由だと思われました。
ドラマ「アンメット」でも分かるように、杉咲花さん若葉竜也さんの演技の素晴らしさはこれまでのそれぞれの出演作品での演技を観ても、今さら言う必要はないと思われます。
また題材的にも今作の映画『市子』は傑作になり得る作品だったと思われます。
個人的には、もちろん多くの人が評価しているのは理解するのですが、今作はミステリーとしても私小説としても、欲張った構成によってそれぞれ中途半端となり、傑作になり得なかった作品だと僭越ながら思われました。
杉咲花さんは市子でしたね。
3年付き合った彼女にプロポーズをした翌日に主人公の市子が失踪する。すると刑事が市子の捜査をしていると、また市子と言う人物は存在し無い人物だと伝えられ恋人の長谷川は途方に暮れる。行方を追う長谷川は市子の壮絶な人生を知る事になる…
市子を演じた杉咲花さんは最高でした。
関西弁で『好き』とあの瞳で言われるとドキドキしますよねー。
衝撃と言うか市子のキャラクターを杉咲さんが演じる事で市子に同情するか、嫌悪感を抱くか?
別れるでしょうねー。
観ていて感情が揺さぶられ、面白かったです。
無戸籍であり、月子と名乗ったり市子と名乗ったりと市子に関わった人物が登場しストーリーが過去と現在が交差し徐々に市子の人物像が浮き彫りになっていきます。
市子は小学生の頃の頃から大人の目線と言うか、開き直った生意気な子供に見えます。
もし自分が同級生なら近づかないかなー!
でもきっと男性には惹かれる魅力があり、市子はその魅力を自分でも気付いていた?女を武器にする悪魔的な存在に見える。
全編通して見て、親の無責任が故に生まれた市子。
隠された存在にされる事で徐々に歪んで行ったのか?
寝たきりの月子は自分と母親に取って邪魔な存在?
もしくは月子を母親の為に消す行動に至ったのか?
もしくは母親への復讐心があっての行動か?
いや月子の事を思っての行動か?
その心理は分かりません。しかし市子よそれはダメなやつだとがっかりさせられる。
母親の『ありがとう』と言う言葉も、ゾッとするし壊れているとしか言いようが無い。
北君もとんでもない事に巻き込まれている。少し気持ち悪い存在で、ストーカー気質で心底市子に惚れていた。しかし市子にとっては一番の理解者で助けてくれる存在だがラストまで利用されてあーそうなるのーと言う結末にやっぱり邪魔な存在だったのかと思ってしまう。
ここまで来ると、確かに親の責任、無戸籍といろんな原因はあるが、市子の存在が完全なサイコパスにも写ってしまう。終盤になると背景にある問題が薄れてきてしまう。
逃げられない過去と現実に生きる市子は悪魔にも映るし、ただ純粋に普通に行きたかっただけと健気に映る杉咲花さんの演技は素晴らしかった。
本当に可哀想なのは巻き込まれた長谷川君で、もしかしたら市子に…と思ってしまう。
タイトルの意味
『市子』というタイトルは、彼女の周囲の人から、特に恋人の長谷川からの視点で、彼女に呼びかけ、彼女を呼び求めている「市子」なのだと途中までは思っていたけれど、
鑑賞後、これは彼女が、自分は「市子」なのだというアイデンティティ、「市子」であることを求めているという意味なのかなと考え直しました。
「市子」であるために彼女が必死にやってきたこと。そこにはどうしても罪がまとわりついてしまって。そのせいで、やっと手に入れた幸せすら自ら手放さないといけなくなって、さらに重ねられてしまう罪。
そんな虚しくやるせない感傷で、鑑賞後しばらくぼんやりしてしまいました。
心をえぐられました
下知識無し、杉咲花が影のある役をやるっぽいというだけで視聴。
心がえぐられました。
Eテレで無戸籍の人の話やってましたが、無戸籍というだけで人生超ハードモードになるのは想像に難くない。この映画は、さらにヤングケアラー、殺人事件が絡み、観ているだけで苦しくなりました。
こんな役、どうやって演じるのだろうと思いますが、杉咲花が見事に演じます。恐ろしい。かわいいはずの杉咲花が、時にかわいく、時に恐ろしい表情を見せつける。圧巻です。
色々と考えさせられますが、心が抉られたので☆マイナス1個です。
杉咲花の目が印象に残った
月子を殺めた後の市子の目が一番印象に残った映画。後先考えず市子産んで無戸籍にしたり、月子として学校に行かせたり、挙句の果ては市子が月子を殺めてしまったのを見て、ありがとう、ってどこまでも母親がクズすぎる。
気分の悪くなる内容だったけど、杉咲花も若葉竜也も演技が素晴らしく作品としてはよかった。
果たして彼女は救われたいのか。杉咲花さんのお芝居の凄み。
この作品は、戸籍がないことで様々な事に縛られながらもこの世を渡り歩かなければならない女性のお話です。そして結果的に彼女と関わった男性達は次々に市子という人間に翻弄されていきます。
辛い境遇にある彼女ですが、見方によってはサイコパスな作品とも言えるでしょう。
市子は男性達の人生を狂わせ、自分が不利な状況下に置かれると何事もなかったかのように去ってしまうのだから。
ただこの作品において市子という女性が、幼少期から長く続く辛い現状から救われたいという風には見えませんでした。
手を差し伸べてくれる男性達はたくさんいたけれど、決して誰かの手を取ることはなかったように思います。
ふらりと生きていけるというような彼女の気持ちが透けて見えるような感じがしました。
幸せって何なんでしょうね、って考えさせられる作品でした。
難病の子供について、ちゃんと取材してから作ってほしい
杉咲花さんの演技が上手で見入っておりましたら、月子さんの亡くなるシーンで猛烈に腹が立ちました。
介護疲れでお子さんを殺してしまう事件、今の日本に多いですか?
難病の子供や重症心身障害児など数は増えている(医学の進歩で当事者の死亡率は劇的に下がっています)のに、そんな話は聞かないでしょう?
日本では地域自治体の福祉課や保健所、病院、訪問看護ステーション、ヘルパーさん、ボランティアさんなどが皆で見守り、地域で暮らせるよう体制を整えています。今は医療的ケアがあっても特別支援学校へ通学できます。
お母さんがシングルマザーであれば各種手当も含めてちゃんと暮らしていける給付もあります。家庭内の介護が難しいなら優先的に施設へ入所させてもらえます。
そもそも人工呼吸器は裏でどうこうして手に入れらるものではありません。
たくさんの人達が苦労して難病の子供たちが家で暮らしていけるように政治に働きかけて少しずつ支援体制を作ってきたのです。
一生懸命生きている子供をみんなで支えています。医療看護行政の支援無しには難病の子は自宅で生きていくことはできません。「誰にも知られずに…」って無理です。
ご都合主義に使わないでいただきたい。
また、小学校入学時に年上の子が妹の名前で学校へ行く?
小学校低学年は一番成長する頃です。永久歯に生え変わるころで年齢詐称が一番難しいころです。ありえません。入学時検診で発覚するでしょう。
細かいことをぜんぶ大目に見たとしても、お母さんが妹を殺した姉に「ありがとうな」とは絶対に言いません。難病の子供の介護は大変だけど、とてつもなく可愛いそうです。
亡くなっていたら半狂乱になってしまうと思います。
劇場の芝居なら演劇好きな人だけが見に行って、それでいい。
「フィクションにそんな目くじら立てるな!」と自分でも思いますが、外国の映画祭にたくさん出品されているので、日本の医療福祉体制を誤解されては困ります。
切ない
まずは杉咲花の圧倒的演技力、存在感、大好き。
話は切なすぎる。
途中ちょっと間延びしすぎ。最初はすごく面白そう!と思ったけど。そしてあーこれこのままふんわり終わっちゃうやつやーで、本当に終わってしまった。わかるよ、そこで終わりたいのは。しかしスッキリはしない。
あの必死な彼氏と幸せに暮らしてほしかったが、そうはいかないな。
心中、あのストーカーがやったん?そこがよくわからなかった。あの子の戸籍をもらいたかったんだろうけど、そんなにうまくいくか??
うーん
演技はとても良かったです。
ただ、話の流れに無理があるかなーと。
警察はほぼ何もしていないし、
警察よりもただの一般人(市子の婚約者)が
情報も少ない中、関係者を先に見つけ出せるのか?
というところに疑問。
市子の都合のいいようにストーリーが進んでいって
リアリティがあまり感じられませんでした。
最後もここで終わるのかーと腑に落ちず
モヤモヤが残りました。
嘘っぽくてダメだった…。
蒸発癖のある女の物語かなと思って観ていました。
冒頭、女性の白骨死体の事件でニュースになっていた生駒山の麓で生まれ育った僕は、まさに実家での暮らしを思い巡らせながらこの作品を眺めていた。
(そういえば、行方不明になる女いたなぁ……)
と、恋愛して幸せそうになると、その幸せに耐えきれず夜逃げする女。
僕の母親の親友にそんな雰囲気のした女性がいた。彼女もその傾向が強く、よく家に来ていては母に恋愛の相談をしていた。その女性の情緒不安定さと似ているなぁと思い返す。
ちなみに僕の中学時代の初恋の女の子も、卒業したあとに失踪していた。噂では男と駆け落ちしたとか、バイト先のお金を盗んで逃走とか、いろいろ言われていたが……真相はいまだに不明である。
そういう失踪ばかりする女の話かと興味を持って観ることにした。
しかし見ているうちに、どうやら戸籍がなさそうというのが判明。
密入国? 移民?
そっち方面のダークな話になるのかと身を乗り出した。
さらに、どうやら人を殺していそう……。
いろいろハードな過去が揃ってきたところで、嘘くささが増してきた。
市子が都合よく生き抜けているのだ。
そんな簡単じゃないだろう。
一文無しで逃げられるわけがない。きっとホームレスに陥ってしまうだろう。たいがいドラマだと、そこでお節介な人間が出てきて、普通の暮らしに戻れちゃうんだけど……世の中、そんなにお節介な人とは簡単に出会わないよ。出会ってもコミュ障だと無視されるだけ。
だからこそ、そこをどう主人公は乗り切って、助けてもらえるようになるのか。
ここに現実感があると面白くなるのですよ。
リアリティを積み重ねていって、はじめて人は市子を実在している人のように受け止めて感情移入できるのだ。
有吉佐和子著の「悪女について」もこの映画と同じように、ひとりの女性の生き様について、いろんな人間が証言していくスタイルの小説だったが、悪女と呼ばれる主人公と証言者たちとの出会いや触れ合いのエピソードの数々にリアリティがあったので、徐々に主人公の謎めいた女性への興味は増し、感情移入の高まりもおぼえた快作だった。
僕としては、市子はコミュ障だけど、何とか人に助けて貰おう、寄生しようと消極的ながらアプローチしていく。だけどそれを気味悪がって逃げていく人もいる。そんな中で市子の張った蜘蛛の巣みたいな罠に引っかかって、お節介で市子を助ける人も出てくる。だけどお節介が過ぎて、それが苦痛になると市子は逃げ出す。それでもお節介な人間が追いかけてきて、市子を連れ戻そうとする。そこに支配される恐怖を感じて、その助けてくれた人を殺してしまうとか。
助けてくれる人を次々に乗り換えていく、ヤドカリのような生活……その助けてくれる人の捕まえ方、その人に感謝していたはずなのに反動で残酷になるサイコパス的な猟奇性と二面性。また市子を犯人として追っている警察の網からの逃れ方。そういうサスペンスを見たかった。
全体的に踏み込みが甘くて、物足りなさがあり、市子の凄味が弱く感じられた。
別に自分に恋した男たちを次々に殺していく話でもいいけど……現代のメルヘンみたいにね。
というわけで……何となく今回の映画は、観客である僕がほとんど傍観者のようにポカーンと最後まで眺めてしまい、登場人物の誰にも感情移入できなかったのが残念な出来映えでありました……。
ダメでした…
私には嘘っぽく見えてしまった。
性被害、ヤングケアラー、虐待、就籍の問題など色々あってそういうことに苦しむ人々が現実にたくさん居るのに、観ていて迫ってくるものが無かった…作り手の自己満足をブツブツ小間切れにして延々と見せられているような気分になってしまった。
・・・この作品は決して“市子”の目線だけで観てはいけない。
『うち花火好き』『嫌いな人おらんで』
『うん、皆んなが上向いてる時安心すんねん』
誰しも花火を観に行ったら、夜空に輝くその輝きにときめくだろうが、市子は違った。
あまりにも深く屈折した人生は、“普通”に生きてきた者には想像もできないのかも知れない。天空に煌めく花火を観ても、彼女に見えている物はその煌めきでは無く、誰もが目を背けてくれている事だった。
市子は普通に“人”として生きたかったのだろうが、この世に生まれてきたその時から許されなかった不条理。彼女が行った行為には1mmも同情出来ないが、そんな不条理の中生きて行く事の息苦しさが画面全体に溢れている。
宇多田ヒカルの歌に『真夏の通り雨』という曲がある。
「降り止まぬ 真夏の通り雨
ずっとやまないやまない雨に
ずっと癒えない癒えない渇き」そんな歌詞がある。
通り雨ってサッと降ってやむから通り雨なのに、降り止まない通り雨ってどんなだろう?
と思っていたが、“市子”の人生はまさに降り止まぬ通り雨なのかも知れない。
彼女はずっと一人の“人”として普通に生きる事を願っているのに、決して許される日は訪れない。
まさに、いつかはやむだろうと思っているのに、やむことの無い雨そのもの。
苦しすぎる。
そして、多くの観客は杉咲花演じる“市子”の目線に立つであろう。なんて不条理で可哀想な人生・・・。
はて?それが正解?
市子とは?不条理な生き方を強いられた可哀想な人?だろうか。
この作品を、市子の目線に立って観ていると、つい「杉咲花」演じる“市子”に感情移入してしまうかもしれない。
“市子”の人生は不遇な人生かもしれないが、この作品では決して「不条理な生き方を強いられた可哀想な人」として描いてはいない。
無戸籍だった市子は小学校への入学を境に、難病を患っている妹、“月子”として生きてきた。それが彼女にとって唯一、社会の中で人として認められる人生だからだ。
そして、健常者だが“人”として“認められていない”市子は、“人”として“認められている”が難病を患い、健常者としては生きられない月子の命を奪う。
この作品の中で唯一本当の月子が登場するシーンがある、ほんの短いシーンだが、月子の視線が脳裏に突き刺さり、離れない・・・。
月子は、言葉を発する事も、呼吸する事さえ機械が無ければ出来ない。月子が何を見ていて“その時”をどんな気持ちで迎えたのか、正直想像も出来ない。
月子の最期は、ただ医療機器の空虚なアラームが鳴っているだけだがそのアラームの裏に何があったのか、しっかりと見つめる必要がある。
多くの観客は市子の目線に立っているだろう、しかし市子が“人”として生きる為に行った行為が、“人”として決して越えてはならない行為だと言う事実。難病の家族を診る事がどれほど大変な事なのか、軽々に語る事は勿論出来ないが、だからと言って月子が殺されなければならない理由など一つも無い。
例え市子の立場に立って全てを俯瞰したとしても、市子が行った事を見て見ぬふりする事など私には出来ない。
タイトルなし(ネタバレ)
演技とかはケチをつけるつもりはありませんが、お話があまり面白くない。
戸籍にない存在としては生きづらいであろう。正式に戸籍を取得するには罪を重ねた過去が邪魔をする。詰んでる。
もともと無いものとして存在している人間が生きながらにして生まれ変わる精神を生きる術として身につけた、という印象だった。
市子は罪を償っていない。そこが引っかかる。
だがその罪は追い詰められての結果の所業。情状酌量の余地はある。
存在を認めない社会、罪を許さない社会、市子にとって社会はサバイバル。
だが、市子を救いたいという彼はいた。だが市子は彼から逃げた。社会的な契約である結婚の話が出たからだ。それだけでしたっけ?
重なって、過去に犯した隠した罪が社会の表に出てきてしまった。逃げる市子。
市子が手を下した男のことは当然ながら、また妹も市子にとってそのとき愛すべき対象ではなかった。だから救われるどころか殺されてしまった。
一方、すべてを知りつつも市子を救いたいという人間はいた。彼、そして事情を知る共犯片思い男。彼らは市子を愛していた。そして共に生きたいと思っていた。
介護が負担となっていた妹が不憫だ。あの環境で生きることが妹の幸せなのかという話は置いといて、姉に命を終わらされてしまう、母はそのことを感謝した。その状況が不憫だ。
面倒をみられ負担になる弱い存在こそ、守られるべき愛すべき存在であるべきだ。
説得力が全然ないからこそ、悲しい。
いや結局は、人間には限界がある。その限界を迎える前に対処することがある、積極的にするべきだ、ということに落ち着こう。
苦しい…
人並みの幸せ…市子から想像するにどれほど極上のものなのか。親ガチャのせいで戸籍上、自分は存在しない。重病患者の妹月子を殺し、虐待した母親の男を殺し、自分の過去を知る男、自殺志願者をも殺し、求婚された長谷川との幸せの生活を手放し、どこへ行くのか。心を無くしてしまったような杉咲花の演技が良かった。
えげつない
市子、えげつない。。。
環境が生み出したのか、それとも持って生まれたものなのか。
あるいはちょっとした要因であんな風になってしまう凶暴性を誰しも持っているのか。
杉咲花ちゃんの少女感と中身のえげつなさのギャップが怖さを倍増させてくる。
終始市子は驚くほど無邪気で利己的。もはやサイコパス。
バレたっていいから市子として生きていきたいと言っていたけど、結局逆戻りしてしまったのは長谷川君との生活が幸せすぎたから?
戸籍がなくて結婚できなかったから、やっぱり戸籍持って、次の人とはちゃんと幸せになりたいなということ??
そうだとしたら、サイコパス界の頂点かもしれない。。。
大きな違和感がある
市子が筋ジストロフィーの妹の人工呼吸器を外すシーンがある。仕事から帰ってきた母親がそのことを知ったとき、なんと「市子、ありがとう」と言うのだ。後に母親の告白で「もう限界だった」とあるので、妹のためではなく、自分たちの介護疲れで殺したということになる。どんなに介護が大変でも母親はわが子に生きてもらいたいと考えるものだ。世の同じ境遇の母親たちが介護疲れで難病のわが子を殺したなんて聞いたことがない。この殺人と母親の「ありがとう」は、同じ境遇の人たちにあまりに無頓着で失礼だと思う。
そして、妹を殺しておいて(他に3人も殺している)良心の呵責も感じないで自分は幸せを求める市子を、戸籍もない過酷な環境で育った幸薄い女みたいに描いているのには大きな違和感がある。「人は殺しているけど、かわいそうな女なんだよ」とでも言いたいのだろうが、どれも情状酌量の殺人とは思えず(注)、第一、市子を見ていると同情も共感もできない。
(注)母親の男から罵声を浴びて殺すが、あの程度の罵声で人を殺すのは異常。
むずい
この人が悪い!と明確に決められるわけではなく、破綻した家族システムの中で起きてしまった悲劇だなあと思いました。
でも1番の被害者は月子ちゃんじゃないでしょうか。他の登場人物にはまだ選択肢がある中、体が不自由な月子ちゃんは選べない中で一方的に殺され、誰にも死を悲しまれない、、
かなりキツかったです。
市子も存在を否定されなかなか過酷な家族環境で育ち、被害者の1人ではありますが、
何人もの人を殺しておきながら自分は幸せになるぞーと考えていて、自責の念はないのかなとか殺人をして心のバランスを保てるものなのかなとか、ある意味精神面の強さを感じました。
展開が読めずおもしろかったです。
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