劇場公開日 2023年12月8日

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「市子のアイデンティティー」市子 R41さんの映画レビュー(感想・評価)

5.0市子のアイデンティティー

2024年3月9日
PCから投稿
鑑賞方法:VOD

知的

難しい

2度目の鑑賞のレビュー
この作品が、舞台「川辺市子のために」からの映画だと知った。
このタイトルが示すのは、市子に寄り添う想いだろう。
映画の「市子」とだけ表記することで、この映画に対する見方は視聴者に委ねられることになる。
そしておそらく、舞台とはだいぶ違うであろうこの映画のプロットはよく練り込まれている。
小説でもあまりないプロットの作り方が、映像では非常に効果的になっている。
特に、時系列でありながら差し込まれる回想は、いま見せる部分といまは隠す部分を使い分けている。
記憶に残る作品になったこの映画をもう一度見たくなった。
当時見た印象と、いま見た印象に感じる差異
輪をかけてよく理解できた感じはなく、より好きになった訳でもない。
この物語の出来事は多数あるが、何ひとつ解決されないという特徴がある。
現実的に何も解決されないということに日本社会などのモチーフを感じるが、本当に何も解決しなかったのかと問いたくなる気持ちでいっぱいになった。
さて、プロポーズした市子がいなくなったことと、数日後にやってきた警察、市子が何の事件に関わっているのかどうしても知りたい長谷川によってこの物語が進行する。
冒頭のシーンと最後のシーン
市子の鼻歌は、かつて月子を殺した際の母の鼻歌
「もう限界だった… いろんなことが」
長谷川は、後藤刑事と一緒に市子の足跡を追った。
物語は市子の素性を追う展開を見せるが、真実を知った長谷川の、市子に対する共感が膨れ上がってくる様子を窺わせる。
この長谷川の群像が北だ。
北は市子を好きになり、たまたま見た男が市子を強引に家の中に連れ込む様子と二人の話、そして市子に対する暴力と反撃した市子の一刺しを目撃した。
この男を線路に寝かせて事故死、または自殺に見せかけた。
しかし、それ以来市子は行方不明になった。
北は必死になって市子を探し、そしてケーキ屋でバイトする彼女を発見した。
北は「市子は俺にしか助けられんから」という。
市子にとって北は「昔の人」
そしてもう関わりたくない人になっていた。
しかし、ストーカーのようになってしまった北から、市子はようやく見つけた「夢」を諦めなければならなかったのだろう。
「決断」
市子の黒い服 それは「何物にも染まらない」という裁判官のような意味ではなく、自分で決めたことを貫くという意味の「勝負服」のようなものかもしれない。
この後おそらく市子はすぐに、キキにさえ何も言わずに飛び出したのだろう。
そうしてとある縁日で長谷川と出会ったのだろう。
市子熱望した「幸せ」
それは、長谷川がフェリーに乗って島を去る時の回想シーンに現れていた。
ところが、
この回想シーンはやがて、市子の回想シーンと被っているのがわかる。
この意味
フェリーを待つ長谷川
足元に落ちてきた蝉
七日くらいの短い命 そして、人の思考を狂わせるほど暑い夏の象徴 耳障りな鳴き声
このシーンはいったい何を意味していたのだろう?
大声で喚き散らした時期ももう終わりを告げるのだろうか?
それは、市子が逮捕されるのを示唆するのか?
または、そんな苦しみながら生きていることから、長谷川が解放してあげられるのか?
北は恋愛、特に市子に対する思い込みが激しく、また偏ってしまっている。
ここが市子の処分の対象になったが、長谷川はどうなのだろうか?
「市子を助けたいんです」
この言葉に、市子の母は清楚な服装になって長谷川を見送りにやってきた。
この蝉と清楚な母と長谷川の想い。
ここは端然と市子に寄り添っている。
この寄り添うことが、市子を救うことになるのかもしれない。
二人の、あの幸せに過ごした回想シーンが重なっていることは、「希望」があるように思われる。
市子のしたこと
月子の人工呼吸器のマスクを外して殺したこと。
山中に月子を埋めた男から逃げるために刺し殺したこと。
ここまでは「情状酌量」の余地はある。
しかし、北を自殺希望の北見と一緒に心中工作して殺したのは、おそらく情状酌量は認められないだろう。
フェリーに乗り込むとき、長谷川は後藤刑事が掛けてきた電話に出なかった。
そこに感じる「黙秘」
それが長谷川が決めた「決断」
この生き方
社会の中で生きながら、無戸籍と殺人罪 そして逃避
長谷川はそれを決断したのだろう。
そんな生き方を選ばせる社会
「まず、罪のないものからこの女に石を投げよ」
イエスの言葉を思い出す。

以前のレビュー
この作品は、主人公のアイデンティティと素直な自己表現を、映画を通して人々に問いかけている。「あなたは彼女の生き方に何を感じた?」
市子のあの黒い服は、心の闇を表現しているのではなく、裁判官と同じく「私は何者にも染まらない」という決心の現れなのではないだろうか。決心したとき着る服なのだ。
汗が滴り落ちる暑い夏が、年代問わずに同じように背景にある。朦朧とする思考…
市子の鼻歌は、月子の人工呼吸器を止めたとき、無意識に母のした鼻歌だった。
限界からの開放… 「ありがとね」思いもしなかった母の言葉
無戸籍だから小学校にもいけない市子と戸籍はあるけど筋ジストロフィーで寝たきりの父親が違う妹月子。
そして3歳遅れで「月子」の戸籍を利用して入学したのは、母の知恵だったのだろう。
この物語は細部や結末まで描かれていない。そして、この物語がどこへ向かうのかも描かれていない。視聴者が自分で感じて考えるのだ。
私は月子ではなく市子だ。これが彼女の心の叫びとなり変化のきっかけとなる。
多くは、どうしようもなくなって、そうしていわゆる「犯罪」は起きるのだろう。
そのある種の狂気を暑い汗の滴る暑い夏に乗せている。
母は2度目の離婚で、生計のためにスナックで働く。離婚が、幸せな日々を奪ったのだろう。長谷川が見せた家族写真を奪い、胸に押しつけて涙する母のシーンは、振り返ってみればあの時が一番幸せだったことを伝えている。
どれだけ振り返っても返ってこない過去。母が感じている犯してしまった数々の失敗と隠し通したい犯罪。彼女の思いは至極一般的で、だから徳島の小さな島に移住したのだろう。罪悪感と後悔が彼女を包みこんでいる。
でも市子という人間は彼女とは違った。市子は勇敢で積極的で恐ろしく狡猾だ。北に対し「何を思ってもいい」というシーンがあるが、これこそが市子の心の声だ。だから私の思ったとおりに生きてゆく、のだろう。
市子は貧困で無戸籍であるにも関わらず、彼女を放ってはおけなくさせるオーラが、彼女の人生の時々で友人となって現れるが、北のように窮地を救うものが今度は市子を困らせる役となる。
そして婚約者の長谷川もまた、北と同じように彼女を追いかけることでこの物語が紡ぎ出されていく。
市子の母が長谷川の乗るフェリーに深々と頭を下げるのは、「娘をよろしくお願いします」という意味だろう。それが彼女の清楚な服装に現れている。
長谷川は、刑事からの電話に出なかったように、今後も出ないだろう。
市子という人間の過去を知り、その人生に同情と共感で泣いたところで、本当の彼女を知ることはできない。彼女は常にその先へと動いているからだ。
長谷川は、どこかで北の事故死を知るだろう。その時彼は初めて市子という人物を知ることになると思う。
彼女にとって一番いいのが、母が言ったように追いかけないことになる。
そうして長谷川は彼女をリリースすることができて初めてこの問題に決着できると思われるが、盲目になってしまえば…
この作品は、人が犯す犯罪というものの視点ではなく、どうにもならない運命でもなく、社会や法律や恋人よりも「私」という存在が一番上にあるのだということを見る人に伝えたかったのかなと思った。
犯罪とかではないが、市子のように常に自分が一番上に立った物の考え方は、私は正しいと思う。

R41
りかさんのコメント
2024年10月2日

こんばんは♪
共感ありがとうございます😊
再度鑑賞して気づいたのですが、黒い服の着用は、終わり近くに映されていた長谷川と市子が最初に会った花火大会の焼きそば屋台でのシーンでも着ていました。ただ、出会っただけのシーンです。
本作の市子の衣装は、制服かモノトーンぐらいで深い意味は無いかと思いますが。

りか
しろくろぱんださんのコメント
2024年4月7日

フォローありがとうございます。
…市子は
とても難しい作品でした。
深いメッセージまではわかりませんでしたが“生きる“ことに対する意思の強さを感じました。
様々な感じ方がありますね。
参考になります。
三度目の殺人はモヤモヤしたところがありましたがとても参考になりました。
コメントありがとうございます。

しろくろぱんだ
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