「ここにはいない」市子 サプライズさんの映画レビュー(感想・評価)
ここにはいない
主題歌の無い映画は怖い。落ち込むほど食らってしまう。作品のテイストによるだろうけど、邦画はこうあるべきだと思う。エンドロールに何かある訳でもないのに、誰一人として席を立たない。このたった3分間の暗幕が身震いするほど恐ろしい。「福田村事件」以来初めて、もどかしくやるせない感情が全身を襲った。
テーマとしては昨年度日本アカデミーの作品賞を受賞した「ある男」と似たものを感じるが、それ以外は他のどの作品にも当てはまらない唯一無二の独創性があった。映画を熟知している人が撮ったんだと見て取れる。登場人物に迫るカメラワーク、無機質で静かな演出、そして他人目線で描かれる市子という存在。どれもこれも秀逸。パンフレットによると、大好評により2度も再演した人気舞台が原作で、映画化にあたり黒澤明監督の「羅生門」をベースにして作品を構成したらしく、おかげで非常に厚みのある物語に仕上がっている。とても舞台が原作だとは思えない、小説らしくもあり映画的でもある作品。魔法にかけられたように惹きつけられた。
市子というタイトルでありながら、市子目線で描かれることは決してない。常に第三者目線で市子という人間が語られるため、彼女がどんな気持ちだったのか、何を考えていたのかは全く分からない作りとなっている。当人の目線で描いていれば、他人からは見えない部分が見えてくるため、より一層感情移入し共感出来たりするのだけど、本作ではあえてその手法をとっていない。それがすごく辛い。他人から見た市子はどれも本当の市子ではなく、真の姿は母親ですら知り得ない。当然、観客である我々にも分かるわけもない。だが、1人だけ彼女を知る人間がいる。それは是非とも劇場でご覧頂きたいが、とにかくその人物との関係性が悲しく辛いのだ。
人を理解すること、そして逃げること。失踪事件から始まった市子探しは、いつの間にか市子本人ではなく、市子の気持ちを探す物語へと変貌。サスペンス、ミステリーのような序盤から、胸にグサッと刺さる人間ドラマに持っていく展開の上手さ。時系列を見事にバラし、観客を困惑させながらも作品の渦へと巻き込んでいく。ストーリーから演出まで、映画のあるべき姿を徹底して練り込まれた、杉咲花の代表作とも語られるだろう大傑作。言語化するのは難しいが、少しでも興味を持ったら見て頂きたい。今週、いや、今月のベストムービー。ぜひ。