市子のレビュー・感想・評価
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人生で一番幸せな味は…。
観たかったけれど、近くの映画館でやっていなかったので見逃してしまった作品が、Amazonプライムに登場していたので、さっそく鑑賞。劇団チーズtheaterの旗揚げ公演作品、舞台「川辺市子のために」を映画化したという変わり種の映画作品。
2度見返しての感想を書きます。
この映画を見終わって、真っ先に思い出したのが、渡辺和子さんの「置かれた場所で咲きなさい」という本。
『置かれたところこそが、今のあなたの居場所なのです。咲けない時は、根を下へ下へと降ろしましょう。次に咲く花が、より大きく、美しいものとなるために。現実が変わらないなら、悩みに対する心の持ちようを変えてみる。いい出会いにするためには、自分が苦労をして出会いを育てなければならない。
心にポッカリ開いた穴からこれまで見えなかったものが見えてくる。希望には叶わないものもあるが、大切なのは希望を持ち続けること。「ていねいに生きる」とは、自分に与えられた試練を感謝すること。』だとこの本は教えてくれます。
プロポーズをされても、戸籍がないから書く名前がなくて心から喜べない人を実際に私は知らない。けれど、世の中にはそんな不遇な境遇に苦しんでいる人ももちろんいるのだとは思う。この映画が伝えたいのは、そういう不遇な境遇の人たちのどうにもならない生き方だけなのだろうか?
市子の母の「幸せな時もあったんよ」という言葉が耳に残る。終始不遇な境遇の中にあっても、市子にも幸せな瞬間はいくつかあった。友達の家でケーキをお腹いっぱい食べたあの日。将来一緒にケーキ屋さんになろうといってくれた友だちがいたこと。そしてその夢を実現しようとした日々があったこと。そして一番の幸せは、やはり彼氏となる長谷川との出会いではないだろうか。一緒に暮らし始めた時より、浴衣をプレゼントされた時より、プロポーズされた時より、一番の幸せだった瞬間は、彼と一緒に焼きそばを食べたあの瞬間ではなかったかと思う。永遠に続かないことを知っているからこそ、始まる瞬間がマックスである市子の幸せ。あとはいつか失うことを恐れながら暮らす日々であるから。
願わくば、ラスト歩き出した市子のその先に彼との再会があり、彼女が逃げることをやめて、己の不遇をまっすぐ受け入れた時、その痛みの先には、きっと彼とのささやかな幸せが待っていると信じたい。
私を「私」と証明する方法は
私はいかにして「私」となれるのか、と問われているような鑑賞体験だった。付き合っている男性から結婚を切り出され、結婚届けの書類を差し出されるカットがある。その書類には当然、名前を記入する欄がある。そのカットが写った瞬間は何も気にならないが、主人公の女性が実は偽名であり、戸籍のない存在であることがわかってくると、あのカットの重みが後半、変わってくる。公的な書類の名前記入欄に書ける名前がないということの苦しさが後半、どんどん立ち上ってくる。
自分という存在はいかに保証されるのか。社会のシステムとしての戸籍になければ存在しないことになるのか。しかし、戸籍こそが自分だなんと言う人はいないはずだ。もっと何か、実存の深い部分にある何かが「自分」じゃないのか。あるいは、関係する他者との距離や差異が「自分」を規定するのだろうか。私はいかにして「私」であることを証明できるのか。観客自身も存在を揺さぶられる作品だ。
綿密に計算され尽くした逸品と人間の二面性について
脚本・演出を担当した舞台を自ら映画化しているためか、ストーリーの演出が非常に精巧にできており、タイトルその他細かな点も含めて伏線の出し方と回収の仕方が素晴らしいが、敢えて冒頭の海のシーンを男女「2人」の遺体で裏切らせるあたりはニクい。
杉咲花の演技力も相まって、過酷な生育環境から感情を失ったヒトの抜け殻から覗く、長谷川くんやキキちゃんのような本当は温かいものに飢えている面、北くんの前やラストで見せた生き延びるために極めて狡猾な手段を臆せず使えるサイコパスな面など人間二面・三面性の描出も素晴らしかった。黒いロングワンピースを着た市子はその人間性の象徴のようで、非常によく似合っている。
監督自身が小中学時代にあのような地区の人々と交流があるからか、単に汚いだけでなく、子供が親のスナックで飯を食うなど社会的常識や規範意識に乏しいあのような環境の描出もリアルだった。
話の本筋とはそれるが、人工呼吸器を外された月子を見た母親や「ありがとうな」というの、大きな声では言い辛いけどやっぱりそうだよなと。安楽死の法整備は必要だよな…
生命力
この境遇で自ら命を絶つ人もいるだろう。
しかし市子は生きたい思い、夢を持ち未来を模索する。
それが犯罪であっても市子から生命力を感じる。
杉咲さんの魅力全開で、市子は男を虜にする天性のものがある。
実際観てる私も市子を守ってあげたい、救ってあげたいと思ってしまった始末で、それだけどっぷりとこの作品に溺れた。
ちひろさん演じた有村架純さん以来こんな気持ちなった。
あの状況で長谷川君が北君に市子の事で嫉妬してるように見えなんか凄かった。
杉咲さんが歌う虹、にじいろカルテで高畑さんが歌う虹。
全く違うものだが、身体の隅々まで行き届きました。
この作品に出会えた事を誇りに思います。
意外に空っぽ
最後は流すし
時系列しんどいし
必要だったかなってシーン多いし
詰め込みすぎて本末転倒系に感じました。
杉咲さんの演技はやっぱりいつもと同じように感じてしまう
よく言われるキムタクより
アウトロー。
花ちゃん。。
生涯通して無戸籍な人生の壮絶さは、最初から最後までずっと辛かった。
無戸籍だとこんなにできないことがあるのか。
遺産相続、パスポート運転免許取得、銀行口座開設、就職、国家資格の取得。。
長谷川さんと出会い、25歳くらいから初めて家庭というものを味わえた市子に笑顔が多い。より一層それまでの人生の重さを知った後だからこそ、市子にとっての家族愛が幻に近いかけがえのないものであることにかなり泣いた。
ちはやふるを観た後だと、百人一首のちはやぶるの龍田川周辺の生駒山に、千年後には妹の白骨化死体かーと思うし、同級生北くんは、あ!机くん!
アンメットの前にこんな深い映画を撮っていたらそれは、若葉竜也と杉咲花の演技の関係性は相当に深く出来上がっているはずだわと納得しかない。
母の離婚後半年以内に産まれ無戸籍となった市子は、3年後に産まれた筋ジストロフィーで立ち上がるのもままならない妹の月子の戸籍を借りて、10歳から小1と偽り小学校に通い、水商売の母のかわりに妹の介護をして生きてきた。
家庭は貧しく、友達の家の常識とはなかなか食い違ってしまい、子供なりにお返ししたくてもお店の物を盗んで返すしかできず、下着も買って貰えない状況。
幼いうちはそれが一般的な家庭と比べて異質である事も、振る舞い方もわからないから、奇特なことを友達の反応で知っていく。さぞかし寂しく辛かっただろう。
母のお店のお客さんの介護福祉課の小泉が妹の関連からか家に出入りするようになり、母に手出ししている。
母も市子も弱者として限界を感じていたところで、熱い夏の日、ふと妹月子の人工呼吸器が暑そうで外してあげようかなと思い立った市子は、本当にやってしまった。帰宅した母から言われた言葉は、まさかの、ありがとう。これ以上ないほど親子は疲弊していた。
その妹を小泉の力も借りて生駒山に埋めたあとは、それを理由に小泉は市子にも手出しし襲うようになった。ある日はずみで小泉に逆らい殺してしまったところを、同級生で市子を好きな北くんに見られる。
小泉の遺体は北くんの助けを借りて踏切に置き、電車に轢かせて処分した。そのあと行方をくらました市子だったが、戸籍がないので新聞配達の仕事をしていた。そこでの友達キキとケーキ屋さんになる夢を初めて持ち、これまで名乗っていた月子から、市子と名乗り方を変えたのだ。やっと自分として生きたくて。
しばらくしてケーキ屋さんで働くところを北くんに見つけられた時も、もう関わらないでと言った。
その後、市子としてお祭りの焼きそば屋台で長谷川さんと出会い、3年一緒にいてプロポーズもされた。
でもその翌日市子は失踪。
市子は、小泉と母と市子と妹で幸せだった瞬間の写真と、月子の保健証を隠し持って行こうとしていたが、長谷川さんが帰宅し、置いて出るしかなかった。
それを手掛かりに、必死に探す長谷川さんは今まで市子から語られなかった市子の数々の生い立ちを知っていく。市子の母なつみから全ての顛末を聞いた後には、泣いていた。こんなにも過去もまるごと受け入れようとしてくれる人と出逢えたのに。市子は無戸籍どころか殺人2回である。
しかも、生駒山から見つかった遺体から、警察は絞りを進めていく。
市子は北くんに匿ってもらっていたがそこにも警察が。
戸籍がない不利益、
行き場のない産まれ、
居場所のない育ち、ここまでは仕方ない。
ひと夏の間に、要介護の妹の息の根を止め、翌月小泉もはずみで殺した。
ここまでも情状酌量の余地があるかもしれない。
戸籍取得も検討したが指紋を出せば過去がバレる。
結婚したくても、タイムリーに妹の遺体はあがるし、無戸籍でできない。
川辺市子名でSNSに投稿し呼び寄せた自殺希望者と、北くんを呼び寄せた市子は、2人を車ごと海に落とし殺人し、合計4人を殺めたようだ。
貧困の連鎖、ヤングケアラー、きょうだい児、性被害とてんこもりの人生で覚えてしまったのは、愛よりも戸籍の乗っ取りだったか。
でもどこからなら引き返せたのだろう。
北くんに警察が来たのは気付いていて、北くんが警察に打ち明け済だったなら、北くんまで殺す必要はなかったはず。
北くんが警察には言わずに隠し通すほど市子に執着しているのを想定済だからこそ、殺したのではないか?
そう思うと、市子は苦しい環境で育つ中で既に、黒い闇も身につけてしまったと思われる。
戸籍の外だけでなく、法の外にも行ってしまった今、市子はどこに生きているのだろうか。
母親なつみもまた、市子は最初の夫、暴力男との子。月子は2番目の夫、借金男との子である。
つくづく男運がなく水商売で生きている身。
子供たちどちらも、本当は望んでいなかったのかもしれない。
そんなことに多感な時期、市子が気付き始めていたとしたら、月子が呼吸を止めた日、帰宅後に母親なつみが鼻歌で虹を歌うのを聴いて、自分の事もいらないのだろうなと思ってもおかしくはない。
だから、小泉の後の失踪か?
やっと夢を見つけても、それは殺人の後。
本名で身寄りのない自殺希望者を呼んだのは、もう川辺市子であることも葬ることにしたからなのだろう。
乗っ取った戸籍で、次はどんな人生を送るのだろうか?鼻歌の歌詞から、市子が花火を好きな理由がわかる気がする。
みんなが上を向いているから安心する。
そうだわ、下には埋めてしまった家族がいるもんね。
庭のシャベルが一日濡れて 雨があがってクシャミをひとつ
雲が流れて光が差して 見上げてみれば ラララ
虹が虹が空にかかって 君の君の気分も晴れて
きっと明日はいい天気 きっと明日はいい天気
洗濯物が一日濡れて 風に吹かれてクシャミをひとつ
雲が流れて光が差して 見上げてみれば ラララ
虹が虹が空にかかって 君の君の気分も晴れて
きっと明日はいい天気 きっと明日はいい天気
花は水をあげなければちゃんと死ぬから安心する。
そうだよね。
愛情を返してもいないのに、全て知っていてずっと追いかけてくる北くんには不安だよね。
しんどい人生なのに死ぬこともできず、殺す側になり自分は生きている。
新しい戸籍で、いつか東大阪から石川、徳島へと行った母親の事も、事情を知る者として殺めにいくのだろうか?
探してくれている長谷川さんのことも、殺めにいくのだろうか?
北くんを殺した市子にはもう、共感できなかった。
社会の片隅で法からはずれ、人生そのもの闇に陥ってしまった市子は罪を償ったとしても、誰と名乗るのだろう。
抑えた演技が得意な花ちゃんにしか、できない弱者一般人の役。
それでも花ちゃんから溢れ出る目力を消すために、ずっとブサイクに見える髪型をさせられている。
美味しそうに食べるなぁと言う長谷川さんに、あったりまえやわキャベツの子やで!と突っ込んでしまった。
可憐さの中に潜む狂気が恐ろしい
中々面白い映画でした。
杉咲花さんの演技が凄く良かった。
可憐さの中に潜む狂気が恐ろしい。
いわゆる無戸籍の問題をミステリー的に取り上げているのだけれど、最後に、モヤモヤとしたまま映画を終えてしまうのが良いですね。
宮部みゆき原作の火車と似たような構造なのは少し気にはなったけど、こちらも良い映画だと思います。
是非見てください!
こんなに感情を揺さぶられる映画には久しぶりに出会いました。
杉咲花の幸薄く、影のある女性の演じ方に引き込まれるのですが、周りを固めた俳優陣の一人一人がそれぞれのシーンで何を考え、どんな気持ちで行動しているのかがハッキリと分かる気持ちが視聴者に伝わる演技をしていて、本当に素晴らしかった。
話としても、年代を行ったり来たりする割に、見せ方が良くて非常にわかりやすく、引き込まれました。後で知りましたが、元々はお芝居の脚本だそうで、映画になったのはこの立て付けの良さがあったからではないかと思います。
北くんが死んでしまったのか、もしくは市子が事前に用意した誰かが死んだのかは謎でした。個人的には、北くんが自ら死を買ってでるとは思えませんので、市子に殺されたのだと思います。視聴者に任せる方法をとったのは少しだけ謎めいた終わり方の方が話題を呼ぶからなのかなあと。
この映画と関係ありませんが、前日に見たゴッドファーザーに全く感銘を受けなかったので、この映画に対する賛辞が止まらない私です。
凄まじい映画
それでも生きていく
ヤングケアラーとしての過去
母親の離婚が原因で戸籍のない状態で暮らし、
重い障害の妹になりすまして学校へ通う
介護に疲れて妹の生命維持装置を外してしまった過去
母親の恋人を刺し殺したこと
全てを消し去って、生きていたのに
8年前に埋めた妹の死体が発見されて
恋人との暮らしを捨てて逃走し、
自殺志願者の保険証を受け取って、生きていく
悪いことだけど哀しい
そして自分の人生を諦めない強さ
淡々と生きる市子を杉咲花が
消えた市子を探す恋人を若葉竜也が演じる
どちらも実力派だから
ドラマ「アンメット」でも恋人同士役だったけれど
全く別人を演じてみせる
「生きることをやめられない」という叫び
若葉竜也さんはこの役の話が来た時に「自分じゃなく他の人がこの長谷川という役をやっているのは想像したくない」と思ったそうです。
彼の演じる長谷川くんは、この重たい映画の中で一筋の希望のようでした。
だからこそ、市子が彼の前でだけ見せる幸せそうなかわいらしい笑顔が胸に詰まって苦しかった。
それまでの長い無表情が効いています。
市子は、その幸せを捨ててまで「私」として生きたかったのですね。
監督が映画の前に書いていた戯曲では、市子は「生きることをやめられない」と叫んだそうです。
自ら選んだのではなく、母親のせいで狂わされてしまった人生を決して諦めることなく、抗いながら生きていくことは、彼女が選んだもの。
人並みの人生を生きたいと望むがゆえに悲劇を繰り返してしまう彼女を、ただ責めるだけでいられるでしょうか。
いろんな想いが胸の中に渦巻いてしまいました。
長谷川くんと幸せになってほしかった…
でもこの物語は、そんなありきたりなハッピーエンドじゃないから面白いのですね。
杉咲花さん、若葉竜也さん、すごかった!
私が私として生きるために
夏の道を鼻歌を歌いながら気だるそうに歩く若い女。
そのシーンで始まり、そのシーンで終わる。
2度目にみたシーンから受ける印象は、1度目にみたシーンから受けるそれとは全く別物になっている・・・。
この作品のテーマは何なのだろう。
戸籍制度の穴に落ちて「私」を「私」として証明できなくなった女性の悲しい物語なのか。貧困やヤングケアラー、一度落ちた者を救済する制度の弱い社会の問題なのか。愛なのか。
それは観る人によって解釈がちがうものだから、正解はない。
ただ、この作品を観て感じたのは、静かな佇まいの中にも、心の奥底に確固としてある「私として生きたい」という主人公の強い意思だ。彼女の「強さ」は子供の頃の場面から感じられた。
その意思を、強い言葉や動きで表現しない演出。杉咲花という俳優の演技。
感情を表に出さなくても、表情の変化に乏しくても、内から滲み出てくる何か。
季節はほとんんど夏だったように思う。気だるい暑さの中で滲み出てくる汗が何度もアップで映る。この汗には、主人公市子の悲しみや怒りといった感情が全部溶け込んでいるように思えた。
長谷川(若葉竜也)の行動で徐々に明らかになっていく市子の正体。長谷川の視点に寄り添ってみていけば、市子は悲しい、かわいそうな女という印象になるかもしれない。
しかし、どうだろう。
彼女がとった「私」を取り戻すための行動は、(それがほとんど発作的で衝動的な行為であったとしても)周りの人間の人生を確実に狂わせていっているのだ。悲劇である。
そう考えると、市子はとても恐ろしい女に思えてくる。底知れぬ怖さを持った女だ。
ほとんんど「素」の無表情に近い顔と演技で主人公市子を演じる杉咲花からは、いわゆる俳優の「オーラ」とは違う、形容しがたい「何か」がじわじわと迫ってくるものを感じた。
ああ、そういえば、顔面アップのポスタービジュアルからは、こちらに向かって「何か」を訴える力を強烈に感じたなあ。
戯曲の映画化と知って、なるほどと思った。悲しみ、哀れみ、絶望、悪、善、愛。一人の女の半生を通じて見せる。他人語りで見せる。最初と最後は同じシーンで。彼女の秘密を知った観客が、同じシーンを最後に見て何を思うか。
それを問いかける。問いかけられる。残った余韻の中で考えさせられる。
そういう映画なのかもしれない。
杉咲花に底知れぬ何かを感じた。
杉咲花さんの実力が存分に
「市子、ありがとな」
妹の名前は普通「民子」だろ❤
岩井俊二監督や大林宣彦監督をリスペクトしたい気持ちは分かるが、同じ手法を使っても脚本がしっかりしてしないから、出鱈目な時間進行になってしまっている。
謎の女性との出合い。そして、やっと出会えた幸せ。でも、実らず破綻する不幸。って事でしょ。
内容は複雑極まりないが、カルメンとか悪女系の古典からの転用ですね。
ましてや、実際の難病の方に対しての偏見につながらないのか?
と思うが。
タイトルなし(ネタバレ)
最後には市子と義則が再会できるのでは?と淡い期待を抱いていたのだが、会えずに終了、、、
妹も義理の父も過去を知る同級生も自殺志願者も全て殺して義則と一緒になるのかな?と思ったのにー!
この時は結ばれなかったけれど、アンメットでは一緒になれて良かった。
エンドロールの1番幸せだった頃の話し声が胸を締め付けました。
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