悪は存在しないのレビュー・感想・評価
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最後の巧の行動の意味は?
「悪は存在しない」という題名からは、「悪なき殺人」と「熊は、いない」を連想させられましたが、無口な父親と無邪気な娘が大自然の中を彷徨うという話の内容からは「葬送のカーネーション」を連想。「葬送のカーネーション」は祖父と孫娘の物語でしたが、本作の花を演じた西川玲と、同作の孫娘役のムサを演じたデミル・パルスジャンは、いずれも鼻筋が通って目もパッチリした眉目秀麗な顔立ちにしてロングヘア。また衣装も花は青のダウンジャケットと帽子、 ムサは赤のダウンジャケットと帽子を着けていて、色こそ違え色が強調されていたので、国が違っても似ている人はいるものだと感心したところでした。
いずれにしても、「悪なき殺人」、「熊は、いない」、「葬送のカーネーション」と同様の”外国映画の雰囲気”を漂わせていた本作。冒頭でも「Evil Does Not Exist」と英語の題名のみ表示されていて、外国映画そのものという感じ。日本を舞台にして日本人が演じているから日本映画というカテゴリーには入るけれども、そのまま舞台を外国に移しても何ら違和感がないような作品でした。
お話の内容としては、信州諏訪地域の山間部に位置すると思われる”水挽町”(架空の町のようです)に、東京の芸能事務所がコロナ補助金目当てにグランピング施設を建設する計画が持ち上がり、その施設の汚水が水源に流れ込むということが発覚して地元住民がざわつくというものでした。面白かったのは、コロナ禍という現実の大問題を背景に、政府や自治体の補助金目当てに企業がなりふり構わぬ生き残り策を模索し、さらにそんな企業をアドバイスすることでコンサル料を稼ぐコンサルタントの存在など、実社会の生臭い”大人の事情”が物語の土台になっているため、物語世界全体に非常に高いリアリティが与えられていたというところでした。
また、グランピング施設建設の地元説明会を主催した芸能事務所側の高橋と黛が、地元住民たちの意見を聞いていくうちに逆に説得されて行き、芸能事務所からしたら木乃伊取りが木乃伊になる展開もカタルシスを感じられました。
そして”伏線の回収”という部分でも、遠くから聞こえる鹿猟の銃声、主人公の巧が物忘れをしがちで、娘の花のお迎えを何度も忘れていること、野生の鹿は基本的に人を襲わないが、手負いの鹿は襲うかもしれないという話、好奇心旺盛な花が、学童保育所から一人で山中の道なき道を歩いて帰っていることなど、どんな結末になるか大方予想でき、その通りになった時は、安心感すら覚えました。
ところが、です。最後の最後の巧の行動は全くもって私の理解の範疇を超えており、いまだに合点がいっていません。自然と向き合って自然の中で暮らす巧のこと、大自然を相手にする時に最も合理的な方法があの”裸締め”だったのか?それとも親子の関係に他人を介在させたくなかったから取った行動なのか?はたまた善悪と関係なく、時に理不尽とも思えるような牙を向く大自然のメタファーとして巧を使ったのか?
もう一度観れば理解できるならもう一度観たいんですが、理解できる自信がないというのがホントのところです。
自然の息遣いを感じられる音響、森にいるのかと錯覚させられる映像から、都会人のエゴ、さらにはそれに疑問を感じ揺れ動く高橋や黛の心情、地方の観光開発による地元住民の生活への影響の考察など、非常に興味深い作品だっただけに、やはりあの謎のエンディングがウラメシイと感じるところでした。
そんな訳で、本作の評価は★4とします。
町の名前も場所も出て来ないけど
自然豊かな長野県水挽町で便利屋をする男と住人達、そしてそこに東京の芸能事務所がグランピング施設をつくろうとして巻き起こる話。
テロップが有る訳でも無いのにいつまでこれが続くの?なシーンで始まり、とにかく何も起こらず30分超まった〜り。
時々みせるBGMぶった切りのシーンチェンジは、どんな意図?
そして住民説明会になっていくけれど…浄化槽の先は浸透桝ってことですよね?
こういう事象に詳しくないけれど、この話しの流れだと行政はOK出してるんですよね?それなのにこの期に及んで行政トップの町長は何言ってんだ?そしてこの案件て住民説明会なんて必要なものなの?と色々と疑問が…。
そして終盤の一騒動、からの何がしたいのか全然わからない奇っ怪なラスト、なんだコレ?
主演の棒読みは朴訥とした雰囲気にも感じられそうだけれど、イマイチそういう性格っぽくも無いし、なんだか違和感のあるところが多かった。
そういえば、当たり前に浄化槽って言ってるけれど、都市部でしか生活したことない人は知らない人多いですよ。
(自分も少し前まで知らなかった)
衝撃だけが存在する
物言わぬ木々たちに感情はあるのだろうか?
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週末の渋谷の夜、濱口監督の新作を見る
冒頭から不穏な音楽とともに物言わぬ木々たちの姿がしつこく描かれる
セリフのない人物のアップとか薪割りのロング長回しとか突然途切れる場面転換とか意味ありげな老人の忠告とか…不穏なサインで知らず知らずに映画の世界に引き込んでいきながら、最後に理由もわからぬまま観客だけがその世界から置き去りにされる
そこにあった世界や人々はそもそも元からそこに存在したのかどうか、みんなどこから来てどこへ消えていってしまったのか、言いようのない不安だけが心に残る
見終わった後に放り出された夜の渋谷を行き交う人々…そのひとり一人の見知らぬ感情がなぜか心底恐ろしくなる
いろんな意味でメンタルにダメージが残る作品でした
(濱口ワールドを堪能したとも言えるのかも)
自分のスタイルを確立した稀有なる映像作家
いや〜面白かったなこの映画!
オリジナリティ溢れる語り口
私は濱口竜介監督のことを前作『偶然と想像』を観たあと"全身人間小説家"と勝手に名付けた、その異能をこの作品でも遺憾無く発揮。スクリーンから飛び出してくるリアルで魅力的な人物たちに時間を忘れてグイグイ引き摺り込まれて気付けばいつしか終映
こちらが頭を使わされる毎度のハラハラする展開のスリル感を堪能しました♪
いつもレビューはなかなか書けない、自分の中にゆっくりやってくる作品に関する回想と共に後からハッとしてジワるのも濱口映画の特徴かしらね
今時、こんなふうに自分のスタイルを確立してる映像作家は稀有な存在だと思います
取り急ぎの書き殴りでご無礼致しました
終わりが始まり?
開始後15分くらいジャンルも内容も分からなくて戸惑う。
途中からガラッと展開が変わって、なるほどこの為の表現だったのか、と前半の疑問が次々に回収される。物語のテーマが掴めてきたなと思った頃に突然鈍器で殴られたような衝撃的なラストシーンがきてまた迷子に…終映後しばらく呆然とするしかなかった…(エンドロール短っ)あれからずっと、あの4人のことをぐるぐると考えている…
とにかく撮り方が美しい。あの映像の艶やかさはなに?
そして音楽もひたすら魅力的。美しい旋律が感情を、思考を揺さぶる…
監督が伝えたいのは何なのか、観終わってからずっと考えてる。「悪は存在しないのだ」と思って観ていたけど、最後にはその思いが揺らぐ…
不思議と心地よい
観終わって「良かった」と思えた作品。
勿論、巧が高橋を絞め落とす場面なんかの最後の展開等…「?」と感じるトコが無い訳ではないですが、区長が語った「水は高い所から低い所へ…」の台詞から何故か不思議と腑に落ちました。
主要な人物にそれぞれ見せ場的な場面があるのも良かったです。
この作品を「水」に例えるなら序盤は「清流、軟水」、中盤は「畝り、硬水」、最後は「汚水」ですかね。
風景がとても綺麗なので殊更に最後の場面の「人の澱」が滑稽に見えました。
ただ…花ちゃんて何者なんでしょう?
映画本編、GIFT本編、GIFTのCD…何度も考えてみましたが、未だに判らない。
でも…花ちゃんがまた次の日も森の中を散策していてくれたら良いなと思いました。
人間の枠を越えて
2023年。濱口竜介監督。これすごい。長野の自然豊かな地域にグランピング建設計画が持ち上がる。元からの住民、自然に憧れて移動してきた移住者、計画を作った会社の担当者は、思わぬ形で交流・交渉を持つようになって変わっていく。ところが、人間たちの思惑を超えたところで、不穏な事態が進行しつつある、という話。
まず、「ハッピーアワー」出演者が次々と出てきて、それだけでまずうれしくなってしまう。久しぶりに顔見知りにあった感じ。それはさておき。
これはすごい。自然と共に生きる住民の静かな日常を丁寧に描いたかと思いきや、移住者の微妙な立ち位置や距離感を明確な陰影の元に描き、さらに、地域を脅かす計画の担当者たちの人間的な苦悩や変化をもユーモラスに描く。延々と薪を割る場面のような長いワンカットもあれば、切れ味鋭いカットバックもあり、林立する木々の間で動く人間たちを描く横移動もある。そのいずれもがすばらしいリズムと反復、そのなかでの差異を含んでいて、引き込まれます。なんと贅沢な映画体験なのだろう。
そしてなんといっても最終局面。人間たちがそれぞれに微妙に変化を遂げて和解ムードが醸成されつつあるなか、人間たちの安易な馴れ合いを赦さないとばかりにある事態が出来する。人間の枠を超えた出来事が起こることで、それまでのいきさつはすべて、たかだか人間の枠のなかでの相対的な軋轢と調整の世界であったことが明らかとなる。そこまで見ていた人間たちを驚愕と混沌のなかに置き去りにするラスト。おののくとはこのことか。なるほど確かにここにあるのは「悪」ではない。もはや名付けられない、人間を超えた何かである。すごい映画だ。
タイトルとか色々謎。
優しくない・厳しくない自然
この作品をみるときに大事なのは、これがおそらく「大作と大作の間につくられた掌編」だということですね。『ドライブ・マイ・カー』と、来るべき名作との間をつなぐ習作なのです。
掌編なのだと分かったうえで見れば、すぐれた映画的完成は画面に満ち満ちています。自然と人間の世界はただ並立してるだけで、自然は人間にとって善でも悪でもない。自然がもたらす恵みも、津波や地震のような天災も、自然の一部としてただそこにあるだけだ、ということを画面全体で定着しています。
それを実現するために、この作品の監督は自然の暮らしでただ静かに生きる人、都会で暮らす人々の猥雑さ、それらに対して何を言うわけでもなくそこにある自然の姿、をていねいに組み立てています。見るべきはこの映画的達成です。
エンディングは様々に解釈しうるでしょうが、おそらく「互いに干渉しない、ただ並立しているだけ」の人間と自然の平和な共存関係が、あるところで破綻する可能性を描いているのかもしれません。
ウィキペディアにこの映画の項目が作られていて、全体に日本語版としては意外によくまとまっていて感心したのですが、ある時点で「あらすじ」にどこかの迷惑ユーザーがエンディングを加筆して、この接ぎ木された部分だけ文章はヘンだし要約は的外れだしで呆れました。〈画面そのものを正確に見る〉のが実はどれほど難しいか、このしたり顔のバカ加筆がすばらしいサンプルになっている。
映画はただまっすぐ画面を見るべきだという姿勢は、『ドライブ・マイ・カー』よりさらに深化されています。
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