悪は存在しないのレビュー・感想・評価
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ドライブマイカーの様な心地良さと偶然と想像の様な企み
2024年劇場鑑賞32本目 良作 61点
濱口竜介監督の昨今の躍進から、注目せざるおえない作品
んんん、当方2018年くらいから意識して劇場に足を運んで、レビューを残し映画文化に触れて目も肥えてきた方だと自負していましたが、その日常が7年目になっても今作の様な奥ゆかしい味わいのある作風に理解が追いつかない作品との出会いが時折あり、ドライブマイカーなんかは玄人に比べれば半分も楽しめていないと思うけど、それでもその年の年間10位くらいに位置付ける程には楽しめた記憶で、反対に偶然と想像は年間ワーストクラスと堪能できるか否かがまだ定まりきっていない感覚ですが、今作はどちらかというと後者よりの味わいでした
タイトルや物語として伝えたいことというのは、要は侵略や継続を望む多様な人間もそこに本来住んでいた動物や木々などの自然含め、誰かの正義は誰かにとっての悪なのかもしれないけど、共通として残る残したいのは温かさであり愛なんだよね、ってことなんだと思う、抽象的な表現ですが
主人公が確か技術さんかなんかなんでしたよね、演技の力の抜け具合やハツラツとしていない発声、よそ者であったり達観している様は、会議の場でも客観的な立場からの物言いであったり、淡々と営みに励んでいるのが、妙な怖さにも見えた
確か東京から来た男女の一方の彼の簡単なやつっぷりがまさしく滑稽で、仕事しかりいい年して自分を貫く軸の無さが伺える
配信くんのかな、ドライブマイカーは結構時間かかったし、上映館も都内渋谷下北沢のみと渋っていたため観れてない人も多いだろうから、また理解を深めたいですね
他者を理解すると言う事。表象だけの理解では、物事の本質に触れる事は...
他者を理解すると言う事。表象だけの理解では、物事の本質に触れる事は出来ない。与える側と奪われる側の表裏一体性。賛否両論が分かれるだろう最後のあれ、自分にはマイナスだったかな (学芸会を見せられている様な気分になった)
視点を変えるとジャンルも変わる映画
偏見ではあるけど、田舎町の住民と芸能事務所の人間は、なんとも相性が悪い。
特に社長とコンサルは危険分子でしかない。
自然と人間がバランスを取りながら暮らしているところに、ウェーイなヤツらが来るかと想像すると、住民のざわつきも致し方ない。説明会のシーンは、開発側と住民の怒りや不安、苛立ちなど、垣間見える感情が人間臭くて見応えがあった。
高橋と黛は、自然に触れ、人に触れ、気づきはあったものの、ねぇ。
ラストは"なんで⁈"ってなる急展開。
町の人たちは知っているのか否か、初めての事なのか、それともいつもの事なのか。
いろいろ想像してみると、木々や風の音、銃声や水の流れなんかも、急に不気味にも感じられる、音と映像の説得力たるや。
世にも奇妙なっぽいエンディングで結構好き。
もう一度観たら、また違う何かが見えるかな?
問題提起型の作品です、明確な結末は画かれていません。
ざっくり言えば、自然と人間の共生、善意と悪意が入り交じる人間の曖昧さ、全体最適と部分最適の対立などを画いているように感じました。
終始重苦しい雰囲気で音楽も地味、映画って非日常を満喫するためのコンテンツと考えるならば、本作は観ない方がいいです、現実の見たくもない部分を見せられます。
以上
いい意味で眠くなる映像詩
日本にもまだこういう手付かずの自然に囲まれたところがあるんだなあとぼんやり見ていると心地よくなって何度か寝そうになりました。せりふ回しの自然な人、ちょっとわざとらしい人、棒読みの人の差があってそこが少し気になりました。ラストはやや解釈しづらいですが、それも悪くないと感じたのは筋よりも映像、音楽、雰囲気を楽しめたからだと思います。
意味深
「ドライブ・マイ・カー」(21)はギリギリ面白かったような記憶がありますが、今作はあまり楽しめなかったです(涙)。登場人物にあまり共感できなかったり、演出の意図がよく理解できなかったり、個人的に苦手な作風なのかなと思いました。特にエンディングには驚かされました。ここで観客は、大きな衝撃を受け、あれやこれやと考えさせられる仕掛けになっていると思いますが、私は置いてけぼりになってしまいました…(汗;)。
ドキュメンタリー映画のよう
役者さんが失礼ながら知らない方ばかりだったので変な先入観がなく世界観に没入できるのはよかった。父と子のやりとりや芸能事務所の社員の車中の会話や説明会のシーンなどリアリティがありドキュメンタリーを見ているかのようだった。
自然と人と。俳優がはまってくる不思議
物語の事前知識なく鑑賞。
最初は長回しの自然との共生が描かれ、昨今の話が進む作品に慣れている人には合わないだろうなと思いながら、リラックスしながら観る。
気になったのは、カメラワーク。
山葵、車の後部、鹿の死体、ちょっと離れた木陰からの視点など、いい意味で映画であることを感じることができる。
そのうち、だんだんと社会性の要素が描かれるとともに、最初は違和感があった俳優陣が住民として妙にハマってくる。
やりとりにも随所に濱口監督らしいユーモアがあり、劇場内で笑いが起こり、とても心地良い。
タイトルからわかるように、両面の人々から状況が描かれる展開は目新しさはないが、そこに自然がうまく入ってくることで、考えさせられる作品となっていた。
そして、キーとなっていた音楽。おどろおどろしいもの、ポップなもの、自然の中での非日常感を増してくれていたとともに、音楽と映像だけでも楽しめた。
引き込まれる感は流石
序盤、自然と風景に引き込まれ、中盤、会話劇も面白くまたそれぞれの人物も存在感があり時間を忘れ引き込まれました、これ、どういう結末になるんだろうと期待していたのに突然のラスト。
意味が私にはわかりませんでした。繋がっているようで繋がっていない、難しい映画体験でした。きっと全部作ったら、ドライブマイカーのように3時間超えなのでしょうか。
丁寧な描写が続いていただけに残念。完全版をみてみたいとは思いました。
Leviathan、青き衣を纏いて
OPから、
真仰り、
ま俯瞰の反対で、
木々の移動カット、
美しい。
だるまさんが転んだは、
コクトーの『オルフェ』の、
空間のあっちとこっちを感じさせる。
今回もアイデアいっぱいの、
シークエンス、カット、芝居が、
展開していくのだろう・・・
違った。
説明会以降の在り方。
10年程前のアカデミー外国語映画賞の、
ロシア映画の英題が、
『Leviathan』
昨年ようやく翻訳版が出版された
【万物の黎明】でも、
ホッブズのLeviathanも、
21世紀の現代には通用しないんじゃね?と、
言及している。
これらLeviathanの神話というか、
説話、思考が地続きであると解釈できなくもないが、
それほど便利な魔法のようなものではないのと、
その流れでいくなら、
芝居や描写、
特にフォーリーのアプローチが違う方法はなかったか。
青き衣を纏いて金色の野に降り立つ、
のか、
違うのか、
清浄の地に導いたのか、
どうなのか。
この流れでいくなら、
他の登場人物にしても、
存在が本質を越えていくような展開・・・
は長くなり過ぎるのと、
難解になり過ぎるのを避けたのか・・・
タイトルを、
『巧と花』とか、
『ある町の物語』にするなら、
このままでいい、
が、
悪は存在しない、
と風呂敷を広げるなら、
閉じた上で、
解釈は観客しだい、
が好ましい。
閉じずに、
表現しないで、
解釈は任せます、
は、
好ましくないが、
上記のアプローチから、
変えないと難しいが、
それも選択しないだろう。
満席なのは素直にうれしかった。
満席なのは素直にうれしかった。
【蛇足】
小3時の遠足、奈良公園。
クラスメイトが足元から鹿に角で突き上げられて、
50センチほど空中に浮いた。
シカはヒトを襲う。
クラスメイトは無傷、
アクは存在しないのかもしれない。
難しい映画ではないのだが、ラストが、なあ。
題名から想像するような難しい映画ではない。シンプルなストーリー、美しい自然を切り取った画面で、いつの間にか惹き込まれた。
しかし、ラストの唐突さが、それまでの気持ちを引きちぎる。人により評価が千差万別も、当然だろう。
会話劇のスリリングさ
冒頭は淡々と進みますが、途中から会話劇のおもしろさが出てくるので、まったくだいじょうぶです。
町民への説明会、運転中の会話、薪割りシーン、そしてラスト。
どれもが画面に釘付けになります。
ラストの解釈はいろいろあるだろうけど、誰かと語りたくなる映画です。
色々考えさせられました
#Bunkamuraル・シネマ渋谷宮下 さんにて#濱口竜介監督 『#悪は存在しない』 鑑賞。
高度経済成長期から映画のなかでは「リゾート開発=悪」としてステレオタイプな描かれ方をしてきましたが本作品ではそのような安易な描き方をせず、住民説明会のシーンでの住民と企業(芸能事務所)の討論は実にリアルで観ている方がヒリヒリしましたね。
本作品で一点だけ理解できなかったのは、本作品で描かれている地域(自治体)が昨今全国の自治体でも直面している少子化や過疎化、地域資源の少なさで財政面などで困窮しているかどうかの点。
自治体としてはグランピングなどの観光施設を誘致することで税収や関係人口を増やし、地元住民のための公共サービスを維持するため賛同したのであれば、作品の印象が随分と変わったかもしれませんね。
結局、地元住民と企業がお互いトコトン話し合い寛容な着地点を見いだせればいいのですが…。
誰もが本作の当事者になり得る題名通り『悪は存在しない』映画、色々と考えさせられました。
雰囲気的に仕方ないのかもしれないけど、 棒読みっぽい台詞が気になっ...
雰囲気的に仕方ないのかもしれないけど、
棒読みっぽい台詞が気になった
それ気にし始めちゃったら、
全然入れなくなってしまったまま、
終わっちゃった
人間と鹿は争わない。
原沢村の豊かな自然を聖なるものとするならば、芸能事務所は俗なるもの。この映画で使われるグランピングという言葉は華やかなものでは決してなく、とてつもない陳腐なものに聞こえる。
脈略のない俗世界に属する人間は徐々に浄化されていくわかりやすいプロットは、断絶するBGMやカメラのロングショットや揺れなどの効果は鳴りを潜めるようにも感じた。
つい悪や悪者を意識して劇中で追ってしまうタイトルではあるが、存在感のある徹底的な悪というよりは、立場による善悪の境界の揺らぎということなのか。
人間と鹿は争わない。
が、人間は鹿を殺す。
人間同士は争い、時に犠牲を伴うこともある。
チョークスリーパー
前半30分、危うく寝落ちしそうになるくらい、ゆったり時間が流れる映像
東京からの刺客が登場してから、話が動き始める
ラストの判断は観客に委ねる作りに
主人公の最後の行動に、キラー猪木をみる! オワリ!
僕には見る目は無い。多分。
欧州で評価されるということは、こういうこと。其処を理解しないと『作家性の高い』作品に、観客は呆気にとられるだろう。松竹ヌーヴェルヴァーグと呼ばれた大島渚たちの、独善的で実験的な作品群への、高評価と興行収入の乖離に似た匂いがする。そのため濱口監督の前作を、全く評価できない僕は、ル・シネマの満席に近い観客席に驚きを禁じ得ない。
外部の介入を映画という媒体を活かして伝える
セリフもほとんどない美しい自然の映像が相当時間続く。自然との調和を感じる表現だ。
開発者が入ってからは監督の魅力でもある淡々とした会話劇が続く。
開発者という外部の介入があってからの忙しなさが前半と落ち着きとの対比が強く、これは映画ならではの表現だと感じた。
多くのことを感じ、その後、頭の中に残り浸れる作品だった。
理解しがたい
『ドライブ・マイ・カー』にあった平板なセリフ読み合わせと同じような、淡々とした会話劇。
前半は状況・環境の説明を兼ねつつの日常セリフや、林、空、湖などを重ねていき、眠気を誘発。
後半は、テントなどの道具や食事を提供するホテルみたいなキャンプ(グランピング)場を、補助金狙いで村に作ろうとする芸能事務所と、村人たちの対立構造を描く。
建築許可は県や市が出すので、当事者である町が計画を聞くのが一番最後、着工間際で、説明会を開けばアリバイ成立という今の行政の不備を指摘する内容はよかった。
『悪は存在しない』というタイトルだが、グランピング場開発を企む、芸能事務所の社長とコンサルの二人には明らかな悪意てんこ盛りで、タイトルに偽りがないかどうなのよと思いつつ。
主人公・巧の唐突な最後の行動には、たしかに悪意は存在しなさそうなものの……ちょっと理解しがたく。
前向きに考えたら、考えるな感じろなA24系の亜種で、観る人間に意味を感じさせようとする意図があるのかもしれません。
しかし、私には驚かせるための意外性しか考えていないような、投げっぱなしの脚本に思えました。
なんで銀獅子賞だったんだろ?と思うくらい、尻切れ蜻蛉。
「わかりにくいことが芸術性」というなら、私は芸術がわからない人でいいです。
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