悪は存在しないのレビュー・感想・評価
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水は低い方へ流れる。
水は低い方へ流れる。だから、上に住んでいる人間はそれなりの義務があるという。ならば、文化も教養も高い人たちがそれを下々の愚民に与えるときも、それなりの義務はあるでしょう。僕は愚者なので、このラストをどう解釈していいのかわからない。冒頭からずっと続いていたタラタラした時間の流れも、きっと何か心の晴れるような気づきを与えてくれるのだろう、だからじっと堪えて見届けよう、と我慢していた。その何かが謎解きであろうが、哲学的な示唆であろうが、ちゃんと最後に用意してくれていると見入っていた。それがあのラストだ。あれがその何かだと言われても、なるほどそうですかとは答えにくい。わからないからこそお前は愚者なのだと言われても、そうですよそれが何か?と開き直る気分だ。別にいいですよ、僕の立ち位置がタクミでなくてタカハシでも。調子のいい方に流されやすいと言われても。けっこう煩悩にまみれているので。めんどくさい奴と言われるよりも全然ましなので。ちょっと★がついているのは石橋英子の音楽の心地よさの分。
すべて意味のわかる形をしている意味のわからなさ
とりあえず、監督の作品の中では一番好きだが、
終盤「頼むからここで終わるのはやめてくれ」と願ってたら終わってしまって
「…………え!!!!?????」となった
始終わかりやすい映画なのに終盤の短時間で地面をひっくり返されるくらいの不可解が襲う。その不可解の不可解さはすべて意味のわかる表現をしているからこその不可解さで、今まで味わった事のない鑑賞後感を味わった。
くやしい気もする。
まんまとという気分だ。
もう一度見て、ラストに繋がるヒントを探したいし、これを観た人の意見もききたくなるし、語りたくなる。
くやしい。
しかし、終盤の展開がなかったとても、この映画が好きだ。
くやしい。
濱口監督のセリフ回しは岡田利規を思い出す。と思って検索をかけたら、2人のトークイベントが引っかかった。お二人の繋がりは正直よく知らないのだが、「テキストを発話すること」についてのトークだったようで、なるほどと何か腑に落ちる。
濱口監督の演出は言ってしまえば棒読みなのだが、舞台演劇(特に岡田利規)を観たことがあると、それはただの棒読みではなく「演劇的棒読み」とでもいうメソッドなのだとわかる。
棒読みで長回し。なのに、聴いていると驚くほどテキストの意味が「入って」くる。心地よさを感じる。
(比べて申し訳ないが山﨑貴の演出と真逆だなぁ…などと思った)
悪は存在する!
相性が悪い
確かに悪は存在しないが悪意は時として現れる。
世の中には理解されることを拒否した映画というものがある。芸術家を気取った演出家や俳優が高尚にみえる理屈を振りかざし観客の解釈を意地になって否定するといった類のものである。
濱口竜介監督の本作も一見そのような作品に見える。「ドライブ・マイ・カー」でアカデミー賞を取り、本作ではヴェネツィアの銀獅子賞を取った濱口への期待感は凄まじく今日の劇場も満席だった。それだけにがっかりした、よくわからないという感想も多いのである。
私は濱口が自分本位のゲイジュツ映画をつくったとは思わない。彼は商業映画の制作者としての立ち位置を十分理解しているようだし自分はこれもそれなりに面白かったから。
ただこの映画を理解するために、というか共感するためには気づくべきポイントが2つあると思う。
1つ目は単純な二項対立は排除されていることである。「善と悪」そして「自然と人工」、「田舎と都会」、「無垢と不純」。グランピング場の造営を企む企業が自然豊かな町に乗り込んでくる話なので対立構造になりがちであるがよく観ると単純な善玉、悪玉の設定はなされていない。企業側、町側の双方に戯画的人物が配されている。企業側はいかにも軽薄なコンサルタント、町側ではすぐエキサイトする金髪の兄ちゃんなど。(余談ながらこのコンサルはいかにもの感じですね。ロジックの組みたて方なんかが。こういう人たちには自分もひどい目にあわされたのでよく分かります)
巧の娘の花も純粋無垢というよりは何か屈折のある危なっかしい娘に見えるしそもそも巧が得体がしれない。(演技力がないからだけかもしれないが)
つまり登場人物はすべて等価であり価値観の色付けはされていない。これは大事なところだと思う。
2つ目のポイントは感覚的なものであり全編を覆う不穏なというか不吉な感じである。これは挿入される何か不安定な感じの音楽にもよるし、ぼそぼそとしたセリフ廻しからくる印象でもある。時としてシーンが突然カットされるようなこともあるし、特定の画面でカメラを固定して(例えば学童保育のシーン)妙に狭苦しく感じさせるようなところもある。
そのような演出でストーリー展開に緊迫感を与えるとともに、世界観に奥行きを持たせているのである。
我々の生きている世界は、表面上は穏やかであってもひと皮剥けば内側には薄暗いものどもがうごめいているのではないか。それは一言でいえば「悪意」という概念で説明できる、そういった世界観である。我々は知らず知らずのうちに我々の社会の作り出した悪意の固まりに絡み取られている、通常はそれは人々の善意や努力で覆い隠されているが時として噴出することがある。
この映画で濱口が描こうとしていることはそんなことではないかと私は思っている。そしてそれはすでに「ドライブ・マイ・カー」で濱口はやろうとしたのではないか、ただあの映画は原作者の意向もあったし達者な役者が多く出演したため監督の思いは封印された。やりたいことはこの映画で実現されたのではと思っている。
でもこの世界観はあまりポジティブとはいえない。だから濱口は明確にコメントしていない。次作を観れば多分わかるよね。
銀獅子
良いタイミングで
良い映画に出会う。
作品パンフで監督が書き出している
成り行きで出来上がった作品だそうだが
まさに僕にとっても良いタイミングで出会えた秀作だった
311は都心にいる安心安全を求める上であり得る
危険大変を受け止めて、黙々と支えてくれた地域で
不幸な出来事が起こった。
これを反省材料として都心が内省を深めていれば
随分とコロナ前の時点で世の中は変わっていた筈である◎
が、実際は各々の安心安全幸せを求め続け
世界的に一律で起こった災で再び地方を食い物とし
生き延びようとする都心のエゴが出た。
その様子を見え易い表現で映画化してくれたのが
本作だろう。
ちなみに、僕にとってはこれから
行おうと思っていることにチェックすべき点を示唆して
くれる内容だった⭐︎
ちなみに、映画サムネで西川玲ちゃんを見て大人びた表情を見て割と適度な妙齢女子を想像していたから
実際の演技姿を見て驚いたよ!
きっとこの子は芦田愛菜越え確実の期待すべき存在だわ(^^)
良い映画ったなぁ🎞️
【良い没入感がエンディングで嫌な感じで醒めた】
見るためにはかなりの知識を要するし、結局何を述べたいかはっきりしない
今年174本目(合計1,266本目/今月(2024年5月度)8本目)。
(前の作品 「水深ゼロメートルから」→この作品「悪は存在しない」→次の作品「」)
※ はじめていったミニシアターでお手洗いの位置などで迷ったため、10分ほど視聴が抜けている部分があります。
正直、かなりこう感想の書きにくい映画なのですよね…。
個人的には、補助金の在り方、適正な使い方という論点(行政法、一部地方自治法ほか)という観点で見たのですが、海外にも「補助金」という概念はあろうと思いますが、日本では「補助金」に関しては行政法上の争いが多く(行政と会社などが癒着しているケースほか)、補助金(助成金も含む。詳細後述)の返還を求める行政事件訴訟法の話になると日本、韓国など行政法が一つの分野として独立している国程度しか理解ができず、まず消去法としてこの映画が「海外で」賞を取っていることからすると、その観方で考えるのは難しく(海外の方が日本の行政法に詳しいということはおよそ存在しない)、正直「何を述べたいのだろう」という点にかなりいってきます。
エンディングの「あの部分」については賛否両論あるかな…といったところです。
典型的に2,3回みないと理解が難しいのではないのかな、といったところです。ただ、私も10分くらいお手洗いにいっていた部分もあるし、そうでない方も「理解が難しい」という声が多いようなので、程度の差はあっても理解はしにくい映画なのかなとは思います(幸いにも大阪市では2映画館で分けて放映しているため、2週以降行くことが可能)。
採点に関しては「わかりにくい映画だなぁ」と思った点はあるものの、私もお手洗いに抜けていた時期もあったし、他の方も書かれている通り、「観念的な悪」を見るのは難しい映画なのではないかな(視聴難易度は極めて高い)映画といったところで採点上考慮なしにしています。
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(減点なし/参考/補助金と助成金はどう違うか)
似たようなものですが、助成金は何かの条件が示されていて、「これをやりたいから金銭面でサポートしてください」と言えば条件が整う限り通ります(予算不足除く)。ただし、厚労省が行う「人」をターゲットにする助成金は、社労士以外が代行するとアウトです(行政書士がやるとアウト)。それ以外の経済産業省ほかの「助成金」は行政書士の独占業務です(こっちは今度は社労士がやるとアウト)。
これとは別に「補助金」というのは、「こういう建物を作りたいと思っていますが、一部費用を出してもらえませんか?」というもので、予算や国・地方自治体が求める条件(たとえば、民間運営の図書館なら、本は何冊以上にしなさいだのといったこと)を満たして、はじめて競争になるものです。もらえない場合もあります。コロナ事情においても活用されたのは「補助金」のほうが多いです。これも行政書士の単独業務です(まぁ弁護士は可能)。
異様にややこしいのが、日本には99%以上の会社が中小企業であり、それらの中小企業は何らかの形で中小企業診断士との提携を持っています。そして実際に「経営のコンサルタント」であるのは彼らであることは間違いありません。ただ、そうであるとしても、補助金の申請代行は中小企業診断士にはなく(これも行政書士以外がやるとアウト)、一方で行政書士に頼んでも「行政書士も(中小企業の)経営のプロではない」とはいえ、特にコロナ事情の2021年~の「補助金」に関しては(上述の通り、「厚労省の、人をターゲットにする」「助成金」(契約社員の無期転換などが代表例)は、明確に社労士の独占業務)、日本で「行政書士vs中小企業診断士」で火花を散らしていたことは実際に存在します。
※ この点、コロナ事情がある中で、、役所も「中小企業診断士しかないなら、行政書士に代行させろ」といって帰らせるのも難しかったし、そもそも役所でさえこの論点がわからず受け取ってしまったケースが存在した。
ただ、この論点は極めてマニアックなので、まさかそれを指して言っているわけではなかろうというところです(こんなマニアな話、誰も理解できない)。
身近に感じた
映画的なショック
森の中の移動ショットが素晴らしい。山の霊性、人の関係性、夢の中、いずれも説明的でなく絵でしっかりと描き出しており、しかもとても美しい。
薪割り、水汲みなどをロングで長回しするショットも良い。永遠に見続けたいと願うほど魅力的。長回しの中、高橋が見事に薪を割る瞬間がこの映画のひとつのクライマックスになっている。
監督が得意な会話劇も素晴らしい。無駄なカット割りをせず、すべて引きのショットでドキュメンタリータッチに描いた説明会シーン、車中で芸能事務所のふたりがお互いのことを話すシーン、いずれも精緻。
話されている内容はドラマチックでも何でもないし撮影もいたってクールだが、だんだんと感情が高揚し胸が熱くなってくる。これぞ濱口映画。
ラストのつるべ落としはネタバレになるので書けないが、とても映画的なショックが与えられる。
濱口組といってもいいような人たちと、演技経験のない主役を組み合わせたキャスティングも見事。
そもそもMVとして始まった企画なのに、音楽が映像のクオリティーに追いついていないのが残念。
森の中の父娘
悪とは
スマホのある時代に生まれたことを強く悔やんだ。
最初の森の長回し。
すごくその森のことが気になったし
物語に入り込むには十分だった。
男の棒読み感に
ああ、大学サークルの延長か、OBか、と思った
がっかりした。
女の子もベルギー映画に出てくるような、
2人共にバランスの悪さを感じた。
チープさ。
荒いカメラワーク、
暗くて絵が見えないカット
チカチカする長回し
けれどそれでいて
むしろ身近に感じられるという作用。
途中からはもう男のような存在が欲しく、花が羨ましかった。あんな存在が欲しい。
私はずっと子供なのだと思った。しっかりしてなければいけない、子供。
男の包容力を感じてからは
少し良いなと、思うようになった。
あの生活、あの落ち着き。良いなと思った。
羨ましいなと思う良いなと、これって良いな、の気づく良いな、だ。
東京から来たプロダクションの2人、
最初は背景に過ぎなかったが
女の意志を感じ、そして車の会話劇は名シーンだ。もうすんごい多幸感。こういう映画を見ていたいし、作りたいし、でたい。かと言ったら
もしかしたら作りたいが一番強い。
そこからはどの登場人物も愛おしかった。
それはすごいよなあ。
最初意識的に引き込まれていなくても
掴んで離せない何かはあって
最終的に持っていかれる。
わたくしはこういう関わり方をしたい。
こういう環境にいたい。
有機体のような恐ろしさ
自我の気化 人の希釈
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