悪は存在しないのレビュー・感想・評価
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真実は人の数だけ存在する
「ドライブ・マイ・カー」を、そんなに好きではないけれど、終始退屈せず集中して鑑賞して観た者です。話題になっているけど解説やレビューではどうにもイメージが湧かず、自分の目で観に行くことにしました。
環境問題が題材かと思えばそうでもなく、誰かの立場に立って反対勢力を糾弾するものでもなく、淡々とした雰囲気がリアルだなと思いました。でも大音量のBGMが急に消えたり、効果音がバーンと始まったりと場面の切り替えが派手で、自然や田舎暮らしの情景の映像がやたらと美しかったりするので、静かでも退屈せず集中できます。
悪は存在しない、というタイトルのとおり、絶対悪や絶対善などというものはなく、みんな自分の都合で自分で優先順位をつけて生きていくしかないなぁと思いました。自分で決めるのが怖いという人が、なんやかんやと後付けで理由(言い訳?)をつけて後ろ盾にするんだろうなと。
ラストはある程度想像していましたが、想像を超えるレベルでした。監督に「あとは自分で考えてね」と言われたような気分です。
何事も白黒はっきりさせたい方はイライラするかもしれませんが、人間の不条理を面白がれる方には一見の価値あり!の作品です。
映画館で見て良かった
あまり、良い意味ではない。家で見ていたら、チャンネルを変えるか早送りしてしまっただろう
いわゆる悪の裏にもある事情や立場があり、悪が存在しない事を、表現したかったのだろうか?
だとしたら、世の中にまみれてしまった身として、個々のキャラクターが抱える事情や立場に感情移入してしまえるものの、その時感じた自身の悪意を
思い出してしまい、悪は存在しないとは思えなかった。
監督が意図しているのは、そんな簡単な事で無く、一周回って、その悪すら許されるべきで、存在しないといいたいのだろうか?
いろいろ、考える作品は好きだけれど、自身が答えにたどりつけなかった自分の力不足を棚に上げ、答えにたどりつけなかった作品の評価を低くするのは、お金払って映画館にいたのだから、悪では無いと思う。
"悪があるから善がある"と言うならば
あっ…!上から下へ流れる
東京組にキャラクター性を持たせることで、現代社会に生きる私たちの相手への配慮に欠けた無関心な言動=他ならぬ暴力を浮き彫りにしているようだった(そこの社長やコンサルが如何にもな権化だったが自分は"普通"と思っても)。そして、やはりそれらも個人の気付き次第で、"100も1から"といずれより多数へ流れていくのだろうか?
リアウィンドウから撮られた映像。そして、劇伴が途中でブツ切りされるのは勿論、様々な"音"も印象に残った。
あまり進んで喋るタイプでない、濱口監督らしい淡々飄々とした感じの主人公に、説明会シーンから東京組が入ってきて喋り会話量がどっと増える印象。飾られた写真でしか出てこない主人公の奥さんや明かされないバックグラウンド然り曖昧さがある一方で、東京組は車中シーンでベラベラと喋るし、何なら(少なくとも表面的には)主人公たちより彼らの方が共感性が高い描写がされていた。それはまるで自然と現代社会に汚染された個人(観客)という縮図のようだった。
あらすじになるようなメインのストーリーライン以外にも色々な要素を盛り込みながら、最後は観客に解釈を委ねるような曖昧なラストへと流れていく。例えば、この導入プロットで自分が作ったら、あのまま東京組が乗り込んできた当初の目的は果たされて、地元が大変なことになる…なんて表面をなぞっただけの薄っぺらなものになっていたかもしれない。けど、無論そんな想像からは違った。その中で、皆知らず知らずの内に暴力を振るっているということを考えさせられた。
思ったより断然笑えたし、自分の中でまだ咀嚼しきれておらず考える時間が必要だけど、すごい作品だなと感じる。
このなんとも言えない濱口的後味(笑)
不安をあおってくる劇伴
さて、渋谷に行くのが嫌すぎて(苦笑)見て見ぬふりをしていたわけですが、やはり濱口監督作品を無視することはできずに公開からようやくの3週目、サービスデイにBunkamuraル・シネマ渋谷宮下へ。このシアターは初来館の私、渋谷TOEI時代も入ったことがなかったので、ちょっとドキドキですwなお、公開から時間が空きましたが、毎度の如く前情報なしで挑みます。いつも聴くラジオ番組の映画評も、このレビューをアップするまではオアズケです。
で、始まって早々に気が付く「何、この劇伴。。」何となくですが不安をあおってきます。なるほど、このレビューを書くのに読んだ情報でようやく気付いたのですが、この映画、音楽を担当する石橋英子さんとの共同企画だったのですね。兎に角、音楽が鳴り始めると「何か起こるのでは?」と不安を感じます。そもそも題名がこれですから何も起きないわけがないだろうと想像の相乗効果で最後まで目が離せません。そして後半に案の定「事」が起きるのですが、起きる少し前、物語り中でも一番緩くちょっと可笑しく劇場からも笑いが起きていたのに、、という意地悪な展開により一層のショックを感じます。
観終わって誰しもが考察したくなる終盤に起きるそのことは、その少し前の会話に鍵があることは誰しもが気づくと思いますが、考えれば考えるほど実はあれもこれもが伏線に思えてきます。どんな質問にも簡潔に答える巧(大美賀均)が明言しないことにどんな意味があるのか、しっかり鑑賞者に考えさせる余韻を残してくれています。そして、何といっても作品のベースになる話(グランピング場建設計画)自体が興味深く面白いし、思いのほか為になることも重要な点だと思います。これも後で知ったことですが、銀獅子賞以外に受賞している賞の種類・幅にもなるほど納得です。
キャストの何人かは「見たことあるけどお名前は…」という方もいらっしゃいますが(衝撃の最後でクレジットを確認できませんでしたが、丘みつ子さんがいらしたと思います)、いわゆる「有名な方」が出演されていません。そんな中でも高橋を演じる小坂竜士さん、滑稽で最高です。状況に応じて器用そうに振舞っていますが、実は往々にして脊髄反射している部分など案外身につまされますし、ついつい苦笑します。
かなり好みの作品で、踏ん切りをつけて渋谷に来た甲斐がありました。何ならもう一度観たいくらい。満足です。
拓は、鹿だった。
ラスト不明の名作
わかるところとわからないところ
自然
水は低いところに流れる
自然との共存の難しさ
擬人化した自然がもたらす、予測不能な結末だと感じました
自然との共存しようとしても、時には地震などで命を落としてしまいます
自然は生態系のバランスを取るため、まったく悪くない人も殺してしまう。悪は存在しない、というのも、「悪い人」ではないということだと最後のシーンを見て、しばらく考えた後、思いました。なので演技が下手ではなく、なにものにも動じない自然を演じていたのですね
住民説明会までは眠たいのですが、途中から惹き込まれていきます
もう一度、観たいと思います
結果としての生死は重要ではない
濱口監督は2011年の震災時に在学していた東京藝術大学からの派遣スタッフとして現地に入り津波を体験した地元住民のインタビューを大量に撮影したそうで「自然(津波)は悪?じゃ自然界の一部である人間は?」というテーマは当時からずっと抱き続けていたのだろう。記者会見でタイトルについて「普段の生活の中で考えないようなことを考えさせてくれることを期待して」と述べているけれど、観客はあまりにも考えさせられ過ぎて困る。面白い映画であることは間違いないが悲しいかなこの制作規模では「自然と人間」を描くにはあまりにもスケールが小さくちゃちくて薪割り水汲み山菜摘み果ては動かぬ剥製の鹿ではとうてい山に生きる男としての説得力を得られるものではなく、実写映画を観るというよりはむしろ挿絵付きの小説を読んで映像を補完している感覚に近い。前作「ドライブ・マイ・カー」では「イタリア式本読み」と呼ばれる感情を込めない演技指導が話題となったが、今作はまさに主人公の巧(大美賀均)が100%棒読みの素人であるのに対し、自然を蹂躙しに東京からやってくる高橋(小坂竜士)はどちらかというと大きめの芝居でそれぞれの立場を反映し対立軸がはっきりして良かった。近づいているようで、親密さを増していくかのようで、その間の溝が埋まることはない。友人と一緒に観た後居酒屋に入りエンディングの解釈で議論するにふさわしい映画で監督はそれを狙っているという狡さ。でも答えはスリーパーをかまされた高橋が発した台詞に示されている通り「なんなんだ?!」
自然が主役級
ル・シネマ渋谷宮下で鑑賞🎥
冒頭のカメラを真上方向に向けて木々の枝を仰ぎながらズンズン進む映像から引き込まれた感じだった。普段、真上を見ながら自然の中を歩くことなど無いので、とても新鮮な風景に見えた。
カメラは信州の山村の自然を次々と切り取って、スクリーンに映される。バックでは音楽が流れ、「これは自然を描く映画だよ」と濱口監督が言っているような映画🌿🍃🦌
「きれいな水」が山村の人々にはとても大事な生活基盤であり、薪割りして火にくべるような生活も続けている自然と人間が上手に共存している村。
そんな村にグランピング場を作ろうとする会社の人間が、山村の人々に説明会を開くが、こてんぱんにやられる会社側の2人。彼らも会社に戻ってから再び山村を訪れた時には住民側に寄り添おうとする気持ちを持ち始めるのだが……といった流れで物語は進む。
あの清流で作ったうどんorそば、食べてみたい!😊
ラストは「えっ!」という驚きで、「その後どうなるの?」はスクリーンの霧の中🌪️🌪️🌪️
自然を映した映像が素晴らしく、濱口監督なかなかの佳作であった🎥✨
<映倫No.124282>
確かに悪は存在しないが犯罪はある。
子鹿を守るために親鹿は躊躇しないだろう。
相手が猟師であろうと少女であろうと。
環境を守るために全力で抵抗する人もいるだろう。
相手が親切で好意を持っていても。
そんな抵抗や反動は悪ではない。
正当防衛行為なのだ。
それがたとえ傷害以上の行為だとしても。
野山の自然の静寂な環境の中で何かが起こることは悪ではないが、人間社会環境から見れば犯罪となってしまう。
これを理不尽、不条理という人も居れば、言われる人もいる。
いつからか自然も社会環境の一部となったからか!?
毎週、山歩きをする者として自然の社会化は、
文明の高度化と比例する故に仕方ないことと諦めるより仕方ない。
要約すると、「無用の用」 なのか? 老子
ちと、違うなぁ…
(^_^)
悪は存在しない
劇場公開日:2024年4月26日 106分
「ドライブ・マイ・カー」でアカデミー国際長編映画賞、カンヌ国際映画祭脚本賞、「偶然と想像」でベルリン国際映画祭銀熊賞(審査員グランプリ)を受賞するなど国際的に高く評価される濱口竜介監督が、
カンヌ、ベルリンと並ぶ世界3大映画祭のひとつであるベネチア国際映画祭で銀獅子賞(審査員大賞)受賞を果たした長編作品。
「ドライブ・マイ・カー」でもタッグを組んだ音楽家・シンガーソングライターの石橋英子と濱口監督による共同企画として誕生した。
自然豊かな高原に位置する長野県水挽町は、
東京からも近いため近年移住者が増加傾向にあり、ごく緩やかに発展している。
代々その地に暮らす巧は、娘の花とともに自然のサイクルに合わせた慎ましい生活を送っているが、ある時、家の近くでグランピング場の設営計画が持ち上がる。
それは、コロナ禍のあおりで経営難に陥った芸能事務所が、政府からの補助金を得て計画したものだった。
しかし、彼らが町の水源に汚水を流そうとしていることがわかったことから町内に動揺が広がり、巧たちの静かな生活にも思わぬ余波が及ぶことになる。
石橋がライブパフォーマンスのための映像を濱口監督に依頼したことから、プロジェクトがスタート。
その音楽ライブ用の映像を制作する過程で、1本の長編映画としての本作も誕生した。
2023年・第80回ベネチア国際映画祭では銀獅子賞(審査員大賞)を受賞したほか、映画祭本体とは別機関から授与される国際批評家連盟賞、映画企業特別賞、人・職場・環境賞の3つの独立賞も受賞した。
悪は存在しない
劇場公開日:2024年4月26日 106分
噛み応えがあるね
高橋は私だ!
受賞作に期待したのだけど、それほどではなかった。彼の映画は評価して...
受賞作に期待したのだけど、それほどではなかった。彼の映画は評価しているし、映像も美しかったし、開拓民、自然との関係、芸能プロなどの設定も知的ではあったけど、途中で終わった感。主人公の何を考えているかわからない感はよかった。そして芸能プロダクションの二人のいい加減さと、社長、コンサルの薄っぺらい感じ。自然の中で生きてる住民との対比は明確。鹿の出てくる映画は多い。ここでも息を呑む美しい映像だった。
全166件中、61~80件目を表示