「濱口監督の空気感に共感できるか否か」悪は存在しない ジョーさんの映画レビュー(感想・評価)
濱口監督の空気感に共感できるか否か
自然と人間、環境問題、地域創生といった観点から見ると、見事に裏切られる。
流行りの社会課題解決の観点から見ても、芸能事務所がグランピング施設を作る計画など、そもそも眉唾もので、町議会で議決されるとは到底思えない。この非現実的な状況設定は、おそらく濱口監督の中では単なるお膳立ての材料にしか過ぎないことは容易に想像できる。
描きたかったのが現実問題である地域創生、村起こし等でないならば、本作の行方は混沌とする。
そもそもが石橋英子のライブ映像から派生した作品ということだが、あの木の枝を下から長回しした冒頭とラストのシーンを見ていると、現実問題とはリンクしない何か象徴的なものを表現しているようにも思える。
ドキュメンタリー映画監督の森達也氏は、「映像はレトリックよりも生理を伝えることに適性がある媒体なのだ」と言っている。「生理」という言葉で若干糸口が見えてくるような気がしてくる。おそらく濱口監督の「生理」の伝達とは、森氏が言うように、撮影する側の主観を焼き付けることで空気や濃度を生々しく伝えることなのかもしれない。
言ってみれば、濱口監督の「生理」によってもたらされた空気感に共感しない限り、本作は、村起こしのその後の展開がちっとも見えない尻切れトンボの作品と嘆くしかないのだろう。
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