けものがいるのレビュー・感想・評価
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特殊すぎる構造を持つ近未来SF
本作にはSF的な要素が溢れてはいるものの、それらを真逆のクラシックなストーリーテリングへと落とし込んでいるのが本作のユニークさだ。舞台となる2044年では人間の感情というものが、もはや不測かつ理性的な判断に欠ける「脅威」とみなされている。それゆえ人間に与えられるのは3K的な仕事ばかり。もしもそれ以外の上級職に就きたければ、「意識を前世にまで遡らせる」という半ば儀式的な審査過程を経た上で、感情の浄化(消去)を行わねばならない。本作の肝ともいえるこの設定と展開。セリフだけで聞くと理解するのに時間がかかるものの、私は途中から「要は『インセプション』の感情版のようなもの」と半ば強引に解釈することで少し受け止め易くなった。評価が割れる作品ではある。それでもなお魅力を失わず成立したのはセドゥとマッケイの磁場があったから。今よりも10年後、20年後に理解が追いつき、再評価されるタイプの作品かもしれない。
Modern Alienation
La Bête is a critique on the Western world's love of tech, done with a tongue-in-cheek approach reminiscent of films like The Square or Bad Luck Banging. There is a sci-fi narrative that parallels Je T'aime, Je T'aime in its scenes that jump across time and space. Its focus on an LA incel vlogger and gunman is characteristic of what a late Godard film might have been. It's funny to think it is based on a 1903 novella.
不安や恐怖を哲学的に描いたSFサスペンス
「SAINT LAURENTサンローラン」のベルトラン・ボネロ監督が過去、現在、近未来の3つの時代に転生する男女を描いたSFサスペンス。
近未来2044年のパリはAIに支配され、人間の感情は不要とされ主要な職業に就くには感情を消去しないといけない。ガブリエル(レア・セドゥ)は消去を決意しAIによるセッションを受ける。
ガブリエルは得体の知れない不安や恐怖の感情を抱いていてそれを消去するためのセッションとして前世の1910年と2014年にさかのぼる。
それぞれの時代でルイ(ジョージ・マッケイ)に出会い惹かれるのだがガブリエルはどの時代でも悲劇的な予感に支配されている。1910年のパリでは大洪水、2014年のロサンゼルスでは地震や殺人鬼だ。セッションではこうした過去の恐怖を消去するために、DNAを浄化するというものだった。
映画的には1910年のパリを舞台とした時代劇、2014年は殺人鬼が登場するサスペンススリラー、2044年はクールな近未来SFと3つの映画を行き来し飽きることがない。
また、鳥、人形、包丁、ダンスといったイメージが各時代に共通要素として登場するのも不穏。
ストーリーとして語られていないが前世というものが神秘主義的なものと考えると過去のイメージはAIが作ったものだとも解釈できる。
上記共通イメージが反復したり、なぜか同じセリフが各時代繰り返されたり、バグのようにフリーズしたり繰り返したりのシーンがあるのも怪しい。
獣=恐怖のメタファーだとすると、未来の恐怖は人間の感情を管理支配するAIかもしれないという警告とも捉えられる。
各時代の恐怖や不安を演じ分けたレア・セドゥがすばらしい。
畏怖による破壊
SF映画だが、SF的な小道具や舞台を用意せずに、近未来を表現する作品が大好きだ。そういう映画は現実とファンタジーの境が溶け合い、真に心を打つ。そんな傑作がこの映画だ。
これは純愛映画だ。愛に対する我々の畏怖が世界を破壊した。普遍的だった。
この普遍的なテーマを描くのに、この映画はかなり珍しい手法をとった。冒頭のイタリアで会っていた2人は『去年マリエンバートで』のオマージュだし、その他『ラ・ジュテ』『アルファヴィル』といった優れたフレンチSFからの影響も強く感じた。反復的なカット編集が繰り返される人の業を思い起こさせた。前世という概念自体が仏教的な側面もある。
昔から007でレア・セドゥのことは大好きだったが、今作の彼女はいつにも増して完璧だった。素晴らしかった。完璧な彼女を観るためだけに映画館に足を運んでもいい。
愛の喪失
愛してるって、言うな!!
時を越えて、常識も越えて、駆け引き重視の恋愛でウキウキしてる様な奴らは、前戯でイっちゃってパンツ冷たくなって泣きながらカラオケボックスから帰るくらいが丁度良いのだ。
めんどくさいヤツとめんどくさいヤツの奥手な性描写にヤキモキする時間の連続は、克・亜樹先生の作品を読んでいた中学生の時の感情を思い出す。
めんどくせぇコイツら。と思いながら横目でチラッと。
水浸しの部屋は、二人が恋する惑星だ。
なんだかなぁ、確信に触れるとそうじゃなくなる感じ。はっきり言われると、実ってしまうから怖かったのではないだろうか。
鳩が飛び立って鳥肌が立つとは、これいかに。
嗚呼、百年の恋も終わってしまった。
愛なき時代のAIは、長い長いエンドロールの夢を見るか。
けものがいる?
斬新すぎてついていけない
鳩と人形と男と女
130年を越え繰り返される、ある男女の邂逅を描く。
予告やイントロダクションからはもっとロマンス寄りの物語をイメージしていたのだが、実際は、転生や業や運命・縁といったものを題材にしているようだ。
人間は転生を繰り返している・前世の記憶を持っている・前世の経験が今世に影響している、という本作の世界観は東洋の我々にはなじみ深いものだが、海外の観客はどう受け止めたのだろうか。個人的には、SFとスピリチュアルが結びつく構想も日本のコミックや小説のようで、スムーズに受け止めた。
ルイとガブリエルの関係の変遷を見ると、2人の繋がりは、見方によっては運命というドラマチックなものよりも、1910年あるいはそれ以前からのガブリエルの未練にも見え、運命や肉体を離れた執念をどう捉えているかによって印象が別れそうだった。本作のような概念に慣れている人・慣れていない人、運命にドラマを感じる人・感じない人からそれぞれ感想を聞いてみたくなった。
運命をドラマチックに扱うのではなく、ポジティブな面もネガティブな面もドライに描く筆致が印象的な作品だった。作中の2044年の人間は前世のトラウマを解消した後、誰かと引き合う・誰かに引き寄せられる輪から抜け出せたのだろうか。
エンドロールやエピローグを劇場の外に置いたのは、感情を排した2044年の世界観の表現らしい。自分が行った劇場ではQRを読んでいる人の方が少なそうだった。アクセスした人がどれくらいいるか知りたい。
映像的な説明がほとんどないから難解だけれど
ルイ・ルワンスキ
「ゆーきーは、降るー。あなたは来ないー」
全然違うんですけどね。「リベリオン」「プリディスティネーション」「エクス・マキナ」が好きなもんで、予告(チラシ)で惹かれて観てみたらば、さすがのおフランスでして一筋縄ではいかない作品に仕上がっておりましたね。好きです。因みに多少古い所も持ってくると「ダークシティ」「未来世紀ブラジル」辺りも好きです。
みんなで、"良いルワンスキ""悪いルワンスキ""普通のルワンスキ"を語り明かしたい位にルワンスキ(役名)な映画でしたが、メインはレア・セドゥを堪能する映画で間違っていないので、その方向で飛び込んで頂いて間違いないと思われます。洋画=ハリウッドな脳になっていると中々にキツイ所もありますが、良い意味でのカルチャーショック映画だと感じました。
短いエンドロールにいちばん感心した。
一組の男女の19世紀末、近現在、近未来と三つの時代に渡る因縁を描く映画だ。何故、こんな難しくしてしまうのだろう。私流に解釈すれば、不安や悩みを抱えた2人が結ばれそうで結ばれない悲恋の物語。と単純に言ってしまおう。
時代が前後するし、それぞれ事件が起こる。妄想や夢が入り交じって、理解するのが難しくなる。まして、近未来ではAIが人間を支配する世界になっていて、正職に就くためには、感情を消去しなければならないという設定になっている。恋愛障壁がAIになっている。ヘンリー・ジェームズの小説がネタ元になっている。日本ではヘンリー・ジェームズは人気がない。シェーンベルクの「浄夜」をまさか映画館で聴くとは思ってもいなかった。
場所もパリとロスアンゼルスに移り変わるし、言語もフランス語・英語が使われる。観客を韜晦させている作品としか私は思えない。しかし、エンドロールは良かった。延々と続くエンドロール(理由はわかっているが)には飽き飽きしている。出来れば、映画上映前の製作に関わった会社のロール(なんていうのかな)も止めて欲しい。
いわゆる映画というものへのアンチテーゼ?・・・分からん、難し
冒頭から相当変わった入り方、途中も出役が変わらず時代が行き来して、内容も似て非なるもの─でも全く別物でもないような・・・シンプルなようでかなり複雑な展開・構成で、結構ガンバって見ていたのに、ヤバい!置いて行かれそう・・・と思いきや、中途半端なところで場内の明かりが付いて映像もブラックアウト─まじか!こんなブッツと終わってしまうエグい演出の作品なのか!?と思ったのですが、それは考えすぎで、単に劇場の警報装置の誤作動で上映が止まっただけでした。残り30、40分ぐらい・・・安全確認・動作確認の後、続きを上映とのことだったので、待つこと30、40分、結局上映中止となり無料券を頂きました。たくさん見たけど中途半端、無料券でまた見るべきかどうか・・・正直また最初からこの小難しい作品に付き合うのはきついのですけど、結構次の展開が気になる場面でのぷっつりだったので、めっちゃ悩む~・・・という挙げ句、その日はメンタル的にパスしました。
後日、最初から観賞。一度見たところは、ぶっちゃけ寝ました。ここ!というところから頑張って目を見開き─、いやーやっぱ訳分からんけど、最終版を見逃すと作品の真の姿は掴めなかったなぁ・・・だから見てよかったと思うと同時に全部しっかり見切ったところで咀嚼できたかどうかは微妙なところ。カラオケ、ネット、分割・繰り返し、バグった感じ・・・まぁ何となくこれら全てはあるビジョンなんだと感じ取れるし、ちょっとしたディストピアなのかな?と思ったりもできましたけど、オチはいまいち理解できなかったし、あのエンドロール?もねぇ・・・あのせいでこちらは何だコレは映画へのアンチテーゼなのか!?全部・・・と変な勘ぐりまで─。
なかなか絶妙な体験をできた作品でしたが、そもそも見なければこんな・・・などと負の感情で満たされてしまった次第です。
🎵雪は降る あなたは来ない…… SFを身にまとった大メロドラマ(悲恋の物語)には奇妙な昭和テイストが漂う
舞台はAIに管理された近未来。効率的な社会の運用の前に人間の感情は邪魔物扱いされ、重要な仕事に就くには感情を消去する必要のある時代になっていました。主人公のガブリエル(演: レア•セドゥ)は意を決して感情消去プログラムを受けます。そのプログラムの中で彼女は前世でトラウマのあったと思われるベルエポックの頃のパリとか、2014年のLAとか、その他諸々の時と場所に出現することになります。そして、そのどこでもルイという青年と出会います。
とまあこんな話なのですが、鑑賞者の数だけ解釈が生まれそうな作品です。AIとか、感情消去プログラムとかのSF仕立ての内容がありますが、実はガブリエルとルイの恋愛を描いた古典的な恋愛映画、それもロミオとジュリエットばりの悲恋の物語だと私は感じました。この恋愛を成就するためには乗り越えなければならない壁がある、ところが、その壁を乗り越えてしまったら、恋愛感情が消えて恋愛そのものが成り立たなくなるーーそんな八方塞がりのキャッチ22的な状況に陥ってしまった、永遠に結ばれることのない愛を描いた悲恋の物語。まあ、そんなのは星の数ほどある解釈のうちのひとつに過ぎなくて、この作品の本当の醍醐味というのは本篇のそこかしこに散りばめられたいろいろな仕掛けを楽しむことにあるのかなという気もしています。
監督/脚本のベルトラン•ボネロさん、いろいろとやってくれます。LAが舞台のときに英語を使うのは当然ですが、ベルエポックの頃のパリでのガブリエルとルイの会話、最初はフランス語で途中からシームレスに英語にスイッチします。で、英仏を行きつ戻りつします。どういう意味だろうと考えていたのですが、よく分かりませんでした。原作のヘンリー•ジェームズの小説を直接引用するため英語を使った? まさか、ねぇ。このフランス語、英語問題は別のところにも。クラブでガブリエルが女性3人組と会話するシーンが2回出てくるのですが、1回目が英語で2回目がフランス語。この3人組、1回目の英語のときに汚い4文字言葉連発でしたから、2回目も同様のことをフランス語でもやってるはず。英仏両言語に堪能な人には笑えるシーンなんでしょうね。
あと、画面サイズも時折り、変えてきます。たぶん、デジタルではなくフィルム撮影の箇所もあるかもしれません。横幅が狭くなったシーンではダンスフロアみたいなところで「ここは緩衝地帯だから」とかなんとか、そんなセリフが出てきました。そして、突如流れる日本語の🎵雪は降る あなたは来ない…… サルバトーレ•アダモさんの歌う哀愁メロディが否が応でもメロドラマ感を高めてくれます。
また、私だけかもしれませんが、セルロイド人形の工場のシーンあたりから、絶えず、既視感というか、なんだか懐かしい感じに襲われておりました。たぶんですけど、作り手側が1960年代、70年代あたりの映像のテイストを意識していたのではないかと。日本では昭和40年代、50年代の昭和真っ盛りの時期にあたります。近未来を舞台にしたSF仕立ての作品に漂う昭和テイスト。なかなかの見ものです。
まだ、いろいろと小ネタがあるでしょうけど(セルロイドの人形工場での鬼太郎のおやじみたいな目玉とかね)、キリがないのでこの辺で。あ、最後にレア•セドゥさん、とても素敵でした。
難解で壮大、そして切なく美しいラブストーリー
1910年、2014年、2044年と3つの時代をタイムトラベルし続けながら物語が展開していきます。
過去から未来へと順番にではなく、何度も立ち変わるように移っていくのがまた難解にしている所。
前情報がないと物語もセリフも非常に複雑で分かりにくく、終盤までは鑑賞者は置いてけぼりになると思います。
また地味で静かなシーンが多いので、眠くなるというレビューもよく分かります。
実際に劇場でも自分の周りにはちらほら寝落ちしている人が……笑
ソウルメイトのように、生まれ変わる度に必ず出逢う主人公の男女二人の運命、
浄化の儀式が何を意味するのか、3つの時代の構造、
そういったものがようやく頭の中で整理されてくる終盤、
この映画がどこまでも切なくて美しいラブストーリーへと色づいていきます。
映画は複雑だけど、描いているものは純粋な愛だと思う。
この結末もいつかの来世で思い出す過去生となって、
二人はまた出逢っていくんだろうなと思えるラストでした。
途中までのわからなさを耐えて最後まで観てよかった。
作品内における「現代(いま)」である未来(2044年)
1か月半ほど前、映画館で目に入ったチラシに写る「こちらを向くレア・セドゥ」。気にならないはずもなくタイトルに目を移せば『けものがいる』。興味深い...(ひらがなだし...)これは絶対観ようと心に決め、そしてようやく公開の今週、サービスデイを狙ってシネマカリテへ。10時からの回はなかなかの客入りです。
と言うことで、今回も予告編やあらすじを一切見ず、前情報なしで取り組んだわけですが、、、始めに言っておきましょう。本作、難解すぎて1回観ただけではその「趣旨」が解らず、言語化なぞ到底出来そうもない。何なら、解らないだけに迂闊にネタバレしかねないため、取り敢えずこのレビューを書くために映画.comの「解説・あらすじ」に目を通します。ところが、それを読んだところで「膝を打つ」ような閃きもなく、またそれ以上どなたかの考察を読んでまで詳しく知りたい欲も沸かず。。決してつまらなかったわけではありませんが、そんなこんなで申し訳ありませんが総評としては「それなり」。まぁ、レア・セドゥの美しさは当然に裏切らず、それだけはチラシが物語っていた通りでした。
まず冒頭から、意外性たっぷりな状況に「え?そっち??」と戸惑いを隠せず、その後の展開もしばらくそのイメージに引っ張られてノイズに。(一応、この件は終盤近くになって回収されます。正直、されたところで、、とも思いますが。。)それでも観進めれば徐々に話の構造が解り、次第にストーリーについていけるようにはなります。ところがまたすぐに襲いくる困難、劇中で交わされる会話がまるで真理を解くような哲学のよう、、ああ…思わず眠気が。。。いかん、いかん、とツボを押しながら何とか中盤まで辿り着けば、ようやくそこまで蓄積された「それぞれの時代」に共通するシチュエーション、キーワード、或いはアイテムの登場でリズム感は掴めるようになりますし、更にはなかなかに緊迫するスリルが加わり、中盤以降は「ノレる」ようになって眠気も忘れます。
ただ大変に残念なのは、作品内における「現代(いま)」である未来(2044年)が、1910年、2014年に比べてフンワリと抽象的な表現が多くイマイチ切れが悪い。そもそもこれが20年後の「設定」と思えない緩さ、甘さが最大のネックとも思える「SFドラマ」。まぁしょうがないんでしょうど、ちょっとリアリティは感じません。
勿論、構造的な複雑さを持たせてまで語り直そうとする「挑戦」は素晴らしいのですが、残念なことに私は「置いて行かれた」気分。それならば、原作であるヘンリー・ジェイムズ作品集 『密林の獣』を読めば、本作にももっと興味が持てるかもしれませんが、これまたかなり難解そうだしな。。兎も角、本作において一番肝心な趣旨である「けもの」とは一体何なのか?について、せめて「考察したい!」と興味を沸かせてくれるだけの掴みは欲しかったかな。あほですいません。
睡魔に負けてしまいました。睡魔せん。(^_^;
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