「感情を失った先に、人は何を見るのだろうか」けものがいる 緋里阿 純さんの映画レビュー(感想・評価)
感情を失った先に、人は何を見るのだろうか
【イントロダクション】
AI(人工知能)によって管理された2044年のパリを舞台に、ひとりの女性がトラウマと向き合う為、前世(1910年、2014年)へと向かい、愛する男性と出会う姿を描く。100年の時を越えて惹かれ合う男女を『007/スペクター』(2015)でボンド・ガールを務めたレア・セドゥと、『1917 命をかけた伝令』(2019)のジョージ・マッケイが演じる。
監督・脚本・音楽は、フランスの鬼才ベルトラン・ボネロ。その他脚本に、ギョーム・ブロー、ベンジャミン・チャービット。
原作は、ヘンリー・ジェイムズの短編小説『密林の獣』。
【ストーリー】
2044年、AIは人間社会を管理し、人間の仕事の殆どを引き継いでいた。それにより、失業率は67%を越えていた。AIは人間の感情を不要なものと判断しており、人間が重要な職務に就くには、“浄化”と呼ばれる感情消去プログラムを受けなければならない。
ガブリエル(レア・セドゥ)は、自らの能力の高さを誇りに思っており、AIに現在就いている単純作業ではなく、もっと重要な職務に就かせてほしいと懇願する。しかし、ガブリエルもまた“浄化”なくしては重要な職務に就く事は出来ない。
面接室を後にするガブリエルは、同じく面接にやって来たルイ(ジョージ・マッケイ)という青年と知り合う。
最初の浄化セッションで、ガブリエルは1910年の前世へと向かう。その前世では、ガブリエルは高名なピアニストであり、人形製造工場を経営する夫・ジョルジュと裕福な生活を送っていた。
ある夜、パーティーの席でガブリエルは6年前にナポリで出会ったルイと再会する。ガブリエルは6年前に、ルイに「何か恐ろしい事が起きる気がする」という生涯抱え続けてきた不安を打ち明けていた。ルイは彼女を連れて、霊媒師の元を訪れる。
次のセッションで、ガブリエルは2014年の前世へと向かう。彼女は女優志望のモデルであり、成功を夢見てロサンゼルスにやって来ていた。しかし、現実は簡単には行かず、彼女はハウスシッターの仕事をして生計を立てていた。
対するルイは、“インセル”として「自分を相手にしない女性達への憎悪」を募らせ、その様子を動画撮影してネットに投稿していた。ルイは、ガブリエルと同じく生涯抱え続けている恐怖心があった。
やがて、ガブリエルは現実の2044年でルイと再び出会う事を願う。
【感想】
大枠は壮大なスケールのSFスリラーだが、フランス映画とあって、ハリウッド映画とは違う美しさと不穏な空気による「雰囲気」を前面に押し出した印象を受ける作品。作中の殆どが静かな台詞のやり取りによる会話劇と、現在と過去を行き来する難解なストーリーテリングで構成されている為、中々に睡魔を誘う作風となっている。
しかし、そうした雰囲気や提示されているテーマ、ラストの非情さ含め、決して嫌いな作品ではないし、寧ろ好ましくすらある。
だが、流石にこの内容で約2時間半という上映時間は長過ぎる。せめて、2時間の枠に収めてくれていれば、もっと賞賛も出来たのだが。
スリラーとしても、そもそものAIに支配された2044年世界の描写力・説得力の乏しさからディストピア感が薄く、それがラストの衝撃を響きにくくさせてしまっている。
この辺りは、スリリングに展開するハリウッド映画的な作劇ならば盛り上がったのではないかと思い、残念である。
原作は短編小説であり、過去には原作に比較的忠実な映像化もされているそう。しかし、本作はキャッチコピーにもある通り、《ヘンリー・ジェイムズ「密林の獣」を自由に翻案》した様子で、最大の変更点は、SF要素を加えた点だろう。それ故に話が複雑化し、作品の本質を捉えにくくしていると思われる。但し、原作にしろ本作にしろ、“けもの”の正体が「人間の感情や欲望」という点は共通している様子だが。
ジョージ・マッケイの演技が素晴らしい。1910年では育ちの良い貴族風の立ち振る舞いが、2014年のインセル*の青年では破滅的な危険性、社会への、女性への憎悪を滲ませた立ち振る舞いに変わる演技の幅広さに唸らされる。「女性に愛されようと、努力はした」と語りながらも、絶妙な生理的嫌悪感を抱かせるのだ。
※インセルとは、ネットカルチャーの1つで、“Involuntary Celibate(不本意な禁欲主義者)”の略。女性との交際経験、性交渉経験の無い=非モテの男性が、女性やモテる男性への憎悪を強め、女性蔑視に陥っている人々のコミュニティ。本作のルイは、2014年にカリフォルニア州で実際に起きた、エリオット・ロジャーによる銃乱射事件を基にしていると思われる。
個人的には、ルイをはじめとしたインセルの非モテ思考は、同じく非モテで童貞の身としては涙を禁じ得ないし、共感出来る部分はあるのだが…。とはいえ、無関係の女性に対して悪感情を抱いて凶行に走るほど狂ってもおらず、世の非モテ男子は殆どがそうだろう。
【ガブリエルが恐れていた「そのこと」とは】
ガブリエルが絶えず恐れ続けていた事。それは、洪水や地震といった天災でもなく、理不尽な復讐心による暴力でもなく、感情を失った先で人を「愛せなくなること」であり、同時に「愛されないこと」だったのだろう。
彼女自身が語るように「ひとりでいたくない」、彼女は“孤独”をこそ生涯恐れ続けていたのだ。だから、彼女はひたすらに“愛”を求める。
その様子は、彼女がRoy Orbisonの『Evergreen』を耳にして涙する様子に現れている。
[愛がエバーグリーン(常緑樹)なら]
[世界に示そう、私達の愛は永遠なのだと]
しかし、AIにとっては、「愛」を含めたそうした人間の感情や欲望こそが、排除すべき“けもの”であり、その為に“浄化”と称して感情消去プログラムを行う。
面白いのは、「AI」という科学技術の果てとも言うべき存在が世界を支配していながら、感情消去プログラムに“前世”というスピリチュアルで非科学的な要素を持ち出す点だ。それを用いる以上は、AIも前世というものを肯定しているという事になる(単に、人間に理解させやすいように、仮装空間を前世と表現している可能性はあるが)。また、感情消去を“浄化”と称するのは、宗教的な要素も感じさせる。
ラスト、目の前に居るルイが“浄化”によって最早現実世界では人を愛せなくなっている=占い師の言う「彼は夢の中でしか交われない」事を知ったガブリエルの悲痛な叫びが切ない。ルイの台詞は、要は「夢で逢いましょう」という事。
ガブリエルは前世への旅を経て、ようやく自分の中にある愛を自覚し、愛すべき人を見つけ出せたのに、愛する彼は目の前に居ながら、2度と現実で心を交わす事は出来ないのだ。
【斬新?QRコード表示のエンドクレジット】
エンドクレジットをQRコード表示にするというアイデアは斬新というか、時代と言うべきだろうか。一説によると、海外ではエンドクレジットが始まると席を立つ観客も少なくない事から、それに対する配慮ではないか?と言われている。
しかし、このエンドクレジットは是非とも鑑賞しなければならないと思う。なぜなら、途中に2014年の前世で出会った占い師による“警告”のシーンが挟まれるからだ。
彼女は「ガブリエル?何処にいるの?聞いて。241番という小さな部屋に行ってはダメよ」と告げる。しかし、突如銃声が響き、やり取りはシャットアウトされる。
占い師が本編中に言っていた「(あなたの)後ろにいる人に聞かれたくない」とは、ガブリエルの感情を“浄化”しようとするAIプログラムの事を指していたのかもしれない。
また、この映像自体が「どのような世界になろうとも、人は感情を失くしてはいけない」という、我々観客へ向けたメッセージだったのだろう。
【総評】
短編小説である原作に大体なアレンジを加え、SFスリラーに仕立て上げた監督の思い切りの良さ、フランス映画らしいお洒落な雰囲気に包まれた独特な鑑賞体験は印象に残る。
しかし、アレンジによる物語の複雑化、内容に対して些か不必要にも感じられる長尺化には疑問を抱く。テンポ良くスタイリッシュに語るハリウッド映画的作りでは決して体験出来ない映画体験なのだろうが、やはりもう少しコンパクトに、テンポ良くはしてほしかった。
ところで、本作の鑑賞後にRADWIMPS『前前前世』が頭を過ったのは私だけではないはず。
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