オッペンハイマーのレビュー・感想・評価
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我は死なり。世界の破壊者なり。
『ダークナイト』『インターステラー』『TENET』等、今や世界で最も新作が待望されている監督の1人と言っても過言ではないであろう、クリストファー・ノーラン監督の最新作。第二次世界大戦下、政府の要請で原子爆弾の開発に携わり、後に「原爆の父」と呼ばれる事になるJ・ロバート・オッペンハイマーの人生を描く伝記映画。
個人的には、ノーラン監督にとっての新境地であったように思う。『ダンケルク』でも第二次世界大戦を扱っているが、あちらは音楽と作中の時間経過を効果的に扱って、観客に追い詰められた兵士の恐怖を追体験させる“体感型”の戦争映画という側面が強かったように思う。対して今作は、オッペンハイマーと彼に敵対するストローズの視点を軸に、稀代の天才の人生と原爆開発という人類の大罪を追ってゆく伝記映画なのだ。
まず初めに述べておきたいのは、本作は明確な“答え”を示すタイプの作品ではなく、あくまで我々観客一人一人が鑑賞後どう受け止め、どう考えるかという“考え”を促すタイプの作品だったのではないかという事だ。
また、本作はあくまで史実を基に淡々と会話劇で展開していく作品なので、ノーラン監督が得意とする「荒唐無稽なアイデアを、複雑な構成や物理学の知識を用いて格調高い作品に見せる」という特徴は多少鳴りを顰めている(オッペンハイマーとストローズの視点をカラーとモノクロ映像で区別し、交互に見せるといった構成の複雑さはあるが)。
本作1番の特徴は、膨大な登場人物の数々と、それらについてのある程度の基礎知識を要する作品であるという事。
宣伝チラシの登場人物紹介は、事前予習として役立った。パンフレットの充実ぶりも素晴らしく、人物紹介は勿論、作中の用語解説や時系列も記載されているので、鑑賞前の予習にも、鑑賞後の復習にも非常に役立つと思う。
ようやく本題に入るが、先述した通り、本作は明確な“答え“を提示しない。なので、これはあくまで私個人の本作に対する一つの考えである。
私が本作を鑑賞して抱いた感想は、【世界の破滅は、「賢者」の皮を被った「愚者」によって招かれるのかもしれない】という事だ。
既に指摘している人を見かけたが、本作は宮﨑駿監督の『風立ちぬ』を彷彿とさせる。主人公の堀越二郎は、あくなき飛行機への情熱で零戦の開発に携わる事になるが、オッペンハイマーもまた、愚直なまでに人類の可能性を追及した事で、パンドラの箱を開けてしまった一人という印象を受けた。しかし、あちらよりもオッペンハイマーの人間性は、より丁寧に、より具体的に描写されているように思う。念のため誤解されないように断っておくと、『風立ちぬ』に関する私の評価は、素晴らしい作品という認識だ。
『風立ちぬ』における堀越二郎の描かれ方は、空想家で自らの好奇心に忠実。女性に対する接し方は、「綺麗だ」と容姿を褒める言葉ばかりで内面を深く見ていない。所謂“非モテのオタク気質”な人物として描写されていた。だからこそ、特にクリエイターやそれを志す観客の中には、彼に自分達を重ねて「これは俺たちの映画だ」と、一種のクリエイター賛歌として評価していた部分もある。
対して、本作におけるオッペンハイマーの描かれ方は、類稀なる頭脳の持ち主だが、決して他者への共感力や想像力までも持ち合わせているわけではないという事が随所で示されている。子育てに追われ、精神的に疲弊して酒に溺れるキティや、2階で泣き叫ぶ我が子の元にすぐさま駆け付けない様子。そんなキティを放って、かつての恋人であるジーンの元へ行き、体を重ねる等、一時の感情に身を任せた自由奔放な恋愛に邁進する。正確には、ジーンとの交際中に人妻であるキティと恋に落ち、彼女を妊娠させてしまった事でジーンには別れを告げるという酷い有様。決して、良き恋人でも、良き夫、良き父親でもなかった事が示される。また、マンハッタン計画のメンバー選抜、足りない人員の補充におけるスカウトも、人間性より能力を重視したもので、それが後にソ連のスパイを招いていた事にも繋がる。
ノーラン監督は、決してオッペンハイマーに同情させようという気はないのだ。
しばしば議論の的になる、本作における広島・長崎への原爆投下や犠牲者に関するシーンの欠如に関して。本作はあくまでオッペンハイマーの視点に立った物語であって、原爆投下の瞬間を見ていない彼には、まして他者への共感力や想像力の乏しい彼には、あの時点で自らの行いに対する被害を想像する事は出来ないのだ。
だが、それでもノーラン監督は、映画ならではのあらゆる手法を用いて、オッペンハイマーに罰を与えている。投下の成功を祝したスピーチの際、「ドイツにも落としてやりたかった」と語る彼が見つめた観衆の1人に、原爆で焼け爛れた皮膚の人間が重なる。やがて、彼にとって喝采は悲鳴となり、足元には炭と化した人間の幻を見る。喜びの嗚咽を漏らす女性の姿は、家族や友人を失った被害者の悲痛な嗚咽に見え、肩を抱き合って座る男女は、瓦礫の山となった街で行き場を無くした人々に映った事だろう。
また、ラストで明かされる、アインシュタインがオッペンハイマーに掛けた言葉が実に印象的だ。
“君が十分な罰を受けた時、罪は償われたと彼らは君の肩を叩くだろう。君のためじゃない。彼らのために。”
この一言で、本作は原爆開発の責任者であったオッペンハイマーだけでなく、それに携わった全ての人々に、等しく批判の目を向けているのだと知る事が出来る。「開発には携わったが、自分達は使用に反対した。罪の意識を持っているオッペンハイマーの肩を叩く事で、自らも許された気になりたい。」と願う人々も痛烈に批判するのだ。
それを更に強調するのが、握手を求めるテラーを鋭い眼差しで睨みつけるキティの姿だ。あの瞳の中には、単に夫と敵対した裏切り者を見つめているだけでなく、水爆というもう一つの世界の破滅を招く兵器を生み出した者に対する怒り、侮蔑が宿っていたように感じられた。
あるいはそこには、ノーラン監督が本作で明確には示さなかった“答え”の一つがあるのかもしれない。
「人間の好奇心、向上心は素晴らしいが、その先には決して開いてはならないパンドラの箱もある。あなた方は愚かにもそれを開けたのだ」と。
もう一つ、ノーラン監督が明確な“答え”を提示しなかった事で浮かび上がってくる事がある。それは、【これは現実に起きた事であり、原爆の開発によって世界は変わった。そして、その変わってしまった世界で我々は今日も生きている】という事だ。
実際、つい先日ガザに原爆投下を提案する発言をした議員がニュースとなった。ラストでオッペンハイマーが想像した、“核の炎によって焼き尽くされる世界”の説得力が増すというのは、何とも皮肉な話だ。
現実だからこそ、未だ人類は答えを出せずにいる。だから、考えを促すのだ。フィクションではなくリアリティだからこそ、簡単に答えは出せないし提示すべきではないと考えたのではないだろうか。
長くなったので、ここから先は駆け足で行くが、オスカーを受賞した主演のキリアン・マーフィーとロバート・ダウニー・Jrは勿論、体当たり演技を披露したフローレンス・ピュー、ラストの眼差しが抜群のエミリー・ブラント、味のある顔付きになったジョシュ・ハートネット、他にも挙げ出したらキリがない名優達の素晴らしい演技の数々は、それだけでも鑑賞料金分の価値があった。
更に、監督の前作『TENET』でも組んだルドウィグ・ゴランソンの音楽が抜群に良い。会話劇中心の本作において、名優達の演技と同じくらい重要な役割を果たしていたと思う。
新境地に達し、更なる円熟味を感じさせるクリストファー・ノーラン監督の次回作が早くも楽しみで仕方ない。
3時間飽きさせない傑作
原爆を扱う3時間のノーラン作品と聞いて尻込みする人も多いかもしれないが、原爆の製造過程(マンハッタン計画、トリニティ実験)と、戦後オッペンハイマーがセキュリティクリアランスを持つべき人物に値しないと糾弾される聴聞会のシーンが交互に組み合わされることにより、オッペンハイマーのみならずその周りの登場人物がどう考えどう行動したかが段々と解き明かされていく構造となっており、観客を飽きさせない仕組みとなっている。これが時系列順にシーンが並んだのっぺりとした映画だったら、耐えられなかっただろうと思う。
このストーリーテリングの巧さに加え、原爆製造を成功に導いたオッペンハイマーの栄光と苦悩がキリアン・マーフィの非の打ち所がない演技によりよく表されている。自らの任務に邁進する軍人、虚栄心の強い政治家、それらにうまく利用され、各々の運命を生きるしかなかった科学者たち。天才オッペンハイマーも、その一人にすぎなかったということだ。
昨年、「バーベンハイマー」としてバービーとオッペンハイマーをコンビにして観賞するキャンペーンが出た時は被爆国出身者としてさすがに許せなかったが、この映画自体は原爆投下を正当化するものでは全くなく、オッペンハイマーの人生を中心に描きながらも原爆被害の凄惨さを客観的事実や演出により所々見せており、私自身はその点ネガティブな印象はなかった。ただ、日本人の評価が分かれる点ではあろう。
アインシュタインの謎めいた登場のさせ方もうまかった。彼の最後の言葉がいつまでも耳に残る。
「君は君が成し遂げたことの責任を取るんだ。そしていつの日か、彼らが君を十分に罰したら、彼らは君を招待して、サーモンとポテトサラダを振る舞い、スピーチをして、君にメダルを与えるだろう。君の肩を叩き、君はもう完全に許されたと言うだろう。でも覚えておきたまえ。それは君のためではないぞ。それは彼ら自身のためなのだ。」
結局、人間はどこまでいっても身勝手で利己的な存在なのであり、その人間が核兵器を作っているのだいうことを忘れてはならない。
博士が見た未来のフラッシュバック
2023年の全米公開時辺りで広島サミットが行われており、電撃訪日していたゼレンスキー大統領が原爆慰霊碑の前で神聖な気持ちで頭を下げていた事を全世界に中継されていたのに『バーベンハイマー』とふざけた言葉が一気に見る気が失せた。
戦後の我々日本人は漫画『はだしのゲン』で放射能による原爆症のグロテスクな模写を見ている。
また戦後、ウランやプルトニウム爆縮形の核爆弾よりも強力な原水爆のキャッスルブラボー作戦が行われた時、第五福竜丸が死の灰を浴びて船員の放射線障害を受けていたと日本の医師が主張していたのに、合衆国側は肝炎だと嘘の主張をしていたのをドキュメンタリーで見た。
オッペンハイマー博士は、現代の世の中でICBMの核武装の未来をラストのフラッシュバックで描かれていた事から、時間を戻す事が出来ない事をやってしまったことに酷く後悔して苦悩されていた個人的な映画だったので、オスカー賞を取ったのは頷けます。
この映画で、どんなことがあっても核を使ってはならない事も主張しているように思います。
水素爆弾を作ったのは、テメェのメンツのことしか考えてない忘八者共でした
この映画、広島や長崎の被爆者団体が指摘している「原爆の被害を描いてない」ってのは確かにその通りです。しかし、はっきり言いますがそれよりも何十倍、何百倍も大事なことを描き切ってくれました。
原爆開発に成功したオッペンハイマーは、水素爆弾の開発には消極的……というより明らかに反対していました。それは、水爆を作ってしまった後の世界情勢を見通していたからなのですが、オッペンハイマーよりも大きな功績を上げたいテラーやらローレンスやらが当時アメリカ国内に吹き荒れていた赤狩りを利用して公聴会を開きました。これはもしも裁判にすると、原告側は立証責任を果たさなきゃいけないという事情もあります。
で、その公聴会を主導していたのが、オッペンハイマーに対して個人的な恨みを持ってるストローズです。
つまり、水爆なんていう人類を滅ぼす力を持った兵器を作った連中は、嫉妬だのあの時恥をかかされただのに顔を真っ赤にするようなケツの穴の小さな雑魚だったというわけです。
そんな喧嘩はバーでやればいいのに、奴らはオッペンハイマーの上にのし上がる手段として水爆を開発しました。
「嫉妬に狂った中年男」は、本当に怖いと改めて思い知らされる映画です。
人間、J・ロバート
原子爆弾を開発した男の人生。
同時期に生きた科学者たちとの邂逅や憎悪、そして信じるものへの執着が絡まり描かれる。
科学者としての好奇心が興味が先行し作られた原子爆弾。それがもたらす世界の秩序の変化とは?
そして成し遂げた者のみがたどり着く孤独と絶望。
そんな孤独な彼がアルベルトと交わす会話がとても印象的だった。
彼自身の純粋さと物事の捉え方、そして赤狩りが横行する時代を生き権力者や同じ科学者たちに翻弄された彼。これは彼が正しかったのか?間違っていたのか?という視点で描かれたものではなく途方もないものを作った男の中を覗き込んだ様な作品だと感じた。
原爆開発という白羽の矢が立った研究者の運命
5月の頭に1回目の鑑賞、その後パンフレットを読んでから2度目の鑑賞。NHKBSのオッペンハイマー特集を見て、なんとかコメントを書くまでこぎつけました(笑)。重大な史実を元にした映画なので、基本的な事実も理解せずにいい加減なコメントを書いてしまってはいけないな、と思いまして、少しだけ勉強してみました。
ちなみに映画館での2度の鑑賞は、どちらも満員で色んな年齢層の方が観に来ていて、本作に対する日本での関心の高さを感じました。
物語は、物理学者オッペンハイマーが、学生時代、大学での教員時代を経て、マンハッタン計画で原爆開発を成功させるまでの人生を順を追って描きつつ、その時代と行きつ戻りつしながら、次の2つの場面も描きます。1つは、原爆投下を経て終結した第二次世界大戦後に、オッペンハイマーにかけられた「ソ連のスパイ容疑」をめぐる聴聞会の様子(1954年。オッペンハイマーが狭い部屋の中で聴聞を受け、研究者仲間や妻、マンハッタン計画の責任者である軍人グローブスなどの関係者も同室に呼ばれて証言を求められる)。もう1つは、オッペンハイマーの因縁の相手となり、戦後に水爆開発を推進してオッペンハイマーとも対立したストローズが、商務長官として任命されるにふさわしい人物かを問う公聴会の場面です(1959年。この中でストローズは、戦後一度は国民の英雄となったオッペンハイマーを国の安全保障を脅かす存在であるとして失墜させたことについて、追及を受けます)。
この映画を観て個人的には、もとは純粋な理論物理学者であったオッペンハイマーの悲劇は、国から「原爆を開発せよ」という白羽の矢が立ったことにあったように感じました。もちろん国からの命を受けたのは彼の意思ですし、マンハッタン計画に関わり始めた当初から彼は、自分が開発する技術が大量破壊兵器に使われることは理解していました(オッペンハイマーが、これから、マンハッタン計画に関わろうとする自分になぞられて「ノーベルは偉大な科学者だが、彼が開発したダイナマイトが大量破壊兵器となった」と口元に笑いを浮かべながら話す場面があります)。その意味では、「悪いのは自分ではなく、国が自分に白羽の矢を立てたこと」とは言い切れず、自分が研究に関わったことが、原爆という凄惨な兵器の使用につながり、その後の核開発競争を招いています。それでも当時の視点で見るならば「ドイツに開発される前に、なんとしてもアメリカが核兵器を開発しなければドイツを阻止できない」「アメリカが開発しなければ、ドイツあるいは他の国が開発するだけ。オッペンハイマーが指揮をとらなければ、遅かれ早かれ他の国の別の科学者が核兵器を開発するだけ。」という考え方も道理があるように思いました。
そう考えると、オッペンハイマーは、兵器開発競争の激しい戦時中、優秀な頭脳があったがために、その後一生悔いるような使命を背負ってしまった…私にはその苦しみは想像を絶するものに感じられました。私自分の小さな人生を考えてみたら、こういう戦争に関する苦しい使命を国から背負わされるようなことがないのは本当に幸せなことだと思いました。平和が保たれて来た今の日本だからこそ、戦争に関係のない「何か」を自分の生業や使命として選ぶこともできるわけですし、ありがたいなと思いました。
「歴史は繰り返す」という言葉があって、人間の愚かさに対して「(愚かな)人間は全然進歩しない」という意味合いでよく使われるように思いますが、「繰り返す」かどうかはさておいて、歴史というものは決して「後戻り」しないものだと思います。今から大量破壊兵器が生まれる前の時代に戻ることはできませんし、すでに地球上に沢山配備されている核弾頭が、ビデオテープを巻き戻すように前の状態に戻って、跡形もなく姿を消すこともありません。けれども、人間が「さらに進歩する」ことによって、今意味を持っている核兵器が、意味を持たなくなるように出来るかもしれないし、そうなったらよいな、と思いました。
本当に夢物語かとは思いますが、もし科学技術が進歩して、今配備されている核弾頭を無力化するような技術が出てきたら(迎撃ミサイルなんかも、ある意味、無力化する技術なのかな、と思いますが)、時代は今とは全然違う、新しいものになる、、、そうなったりしないかな…そんな想像を未来にめぐらした今回の映画鑑賞でした。
過去のことを振り返って、あの時何が悪かったのか(あるいは正しかったのか)を問うのではなく、原爆開発、原爆投下をオッペンハイマーという科学者の立場に立って追体験し、「それで、あなたは、未来に向かってどうして行きたい?」とノーラン監督に問われていると感じました。考えさせられる良作でした!
予習しといた方がいいと思う。
カットや時間軸が入り混じっていても違和感なく見れるのは流石。
あと音楽、さらにいうと振動音やSEがドクドク身体に伝わってきて映画の世界に没入できるのも良い。
YouTubeで予習してから観たので特に駆け足の序盤などは脱落せずに見れた。それが無かったら難しいかもしれない。
やはりどうしても日本の話題が出るとセンシティブな気分になるが、なるべく冷静に見ようと思った。だけどやはり心の奥にザワザワしているのも感じた。
主人公は「偉大な」業績を挙げつつも後悔の念や周囲の裏切りに合い、使い捨ての扱いになった。形では業界から認められた存在ではあるが、挙げた成果に対して本質的にはその責任だけがのし掛かった。
上映時間ほど長さはそこまで感じなかったし、動きが少なくなんだか難しい会話だらけの後半も退屈なく観れた。
日本人からして中々センシティブな題材で、一時期日本上映はどうなんだ?という話題になったと思う。
いや、日本人だからこそ見ておくべきだ。的な主張もあったという記憶がある。
個人的な総括としては、別にその日本人としてのセンシティブさ、切なさを感じながら、もしくは耐えてまで観るようなレベル感の作品でもないように思えた。
あくまで「主人公の人生」がメインに思えたし、なにか反戦要素や原爆投下に対するメッセージ性もそこまでではないし。
映画の最後に伏線や謎が回収されてドヤって終わる演出。またそれかってなる。
映画館で観てほしい
池袋グランドシネマIMAXにて鑑賞。
何から話せばいいのか、、たっぷりどっしりの3時間でした。
原爆という、言葉そのものがネガティブなイメージであるのにそこに引っ張られず、あくまでオッペンハイマーの主観、作り上げた科学者視点を貫いた映画となっていました。
映画を鑑賞する際、先入観を持たないよう前知識をあまり入れずに観ることが多いのですが、この映画は時代背景だけでも知っておけばよかったかなと思いました。
まずまず、怖い!!!本当に怖かった、、、。
1人では本当に辛かったかもしれない。それは観終わった後に感想を共有する相手が欲しい!という意味でも誰かと行くのをおすすめしたいです。
IMAXはすっごく音の振動がくる!!!
もう五感に響く恐怖がやってきました、、。
どなたかのレビューに、原爆の表現は弱かった、が、他国が思う原爆や核に対する考えを知ることができた、とありました。
原爆と関わりの深い日本に生まれて、小さい頃から戦争について学び、長崎や広島は修学旅行先でもよく選ばれます。
確かに、本物の核爆発はあんなものではないと思いますし、原爆投下後の被害は全く映されておらず、日本の被害が無かったかのようにも思います。
しかし、原爆に対して使用した国と、使用された国とでの捉え方はこんなものだろうと感じました。
対岸の火事です。(もうそんな規模ではないが)
これは原爆、戦争の話ではなく、あくまでもオッペンハイマーの物語でした。
そこが崩れなかったところが、私のように鑑賞後悶々と映画について考え、鑑賞後考察を見まくるのような、一回で終わらない映画であったと思います。
映画に対していろんな意見があると思いますが、どんな感想を持っても、みんなが「原爆」「戦争」「核」について関心を持ち、意見を交わし合うことにこの映画の意味を感じました。
広島や長崎の地名を知っている外国人はどのくらいいるのでしょうか?悲惨さは映されていなくとも、この映画をきっかけに耳に入るだけで原爆について知る大きな一歩だと思いました。
原爆に関する歴史があり、それを後世の私たちがどう感じるか?にノーラン監督は託して、反戦の気持ちを込めたと受け取りました。
祝賀会にて皮がめくれた女性を自分の娘にしたこと、人型の炭をオッペンハイマーに踏ませたこと、ここにぎゅっと原爆に対する悲しみ、苦しみを込めたんじゃないかなと思いました。
祝賀会で、本当にこれはみんな喜んでるの?と感じました。祝いの会なのにどんどん不安がつのっていく映像に(足音でつくる拍手のような音や、誰かが泣いていたり、吐いていたりなど)混乱しました。
これはオッペンハイマーが後悔や、自分に対する非難、原爆完成を道徳的に過ちだったと感じているシーンと聞きました。
原爆完成後、原爆の1000倍の威力がある水爆も続いて完成され、各国が保有するようになりました。
世界はいつでも自分たちで終わらされるものとなりました。
恐怖は映画の中だけでなく、それが今も続いていることにあります。
オッペンハイマーが原爆を作らずとも、遅かれ早かれこの現実になっていたのではとも思いますが。
知ることは怖いことだけど、1人でも多く核について知り、オッペンハイマーやアインシュタインが恐れていた未来にしないこと、それを繋げていくことが私たちの使命かなと感じます。
映画館でしっかり3時間観て、考えて欲しいという意味で、おすすめの映画となりました。
あーーーー言語化難しい!!!!自分の能力が!!
みなさんのレビュー素晴らしすぎる!!!!!
社会的制裁と向き合う科学者の苦悩
彼自身の科学者としての探究心、そして何よりオッペンハイマーとも交流を持っていた優秀な科学者を多く抱えるナチスドイツよりも早く核実験を成功させなければならないというプレッシャーがオッペンハイマーを嫌でも駆り立てる。
けれど、結果的にはナチスドイツは降伏し、後は破滅的な状況ながら降伏する気配のない日本のみ。
米国兵を守るため、という大義名分の基に一度猛烈な勢いで走り出し始めてしまった核開発という名の列車は止めることはできない。
そして、否応なく巻き込まれる利権争い。
前半部分が締めへの伏線になっており、気を抜いて観てはいけないので注意。
恐ろしい物を作って色んな意味で後悔した人の話
オッペンハイマー博士は理論の人で実践は苦手な人です。
ですが天才なので一般人には理解出来ないことを理解出来る特殊能力を持ち、人を説得、やり込める能力も持ち合わせています。天才は常識や倫理観など持ち合わせていません(笑)
そんな彼は数式を見るだけで何が起こるのかが解ります。音楽家が楽譜を読まないで聴いただけで演奏を再演出来るように。
彼には原子爆弾、アトミックボムがどういう結末を招くかをマンハッタン計画が始まった時点で理解していたのです。
本来研究が先行していたと見られていたナチスドイツが降伏した時点で造らなくて良かったと彼も了解していたが、ソ連がそのうち作ってしまうのなら先に造ってしまえと流されてしまいます。
アインシュタインに数式を持って相談に行く場面が最初にあります。
この場面がハイライトだったと思います。
この作品はオッペンハイマーの核開発を描いていると同時に彼と彼を取り巻く人々のサスペンス劇とも言えます。
オッペンハイマー博士は自分の立ち位置を理解した人ではない為率直な意見を言いがちのようであらぬ敵を作ってしまいます。原爆開発はやり遂げますが、水爆は拒みます。これが原因で敵を作ってしまいます。彼は天才で常識人ではありませんが悪魔にはなれなかったし、なりたくなかったんですね。
倫理観は持ち合わせてませんでしたが理性はあったのです。
出演者は豪華、何処で見た人、映画に詳しくない人でも分かる俳優が出演しています。必見の価値ある作品です。
公開後に被爆国である日本、広島、長崎に配慮が無いと意見がありましたが、そんなことはないと思います。
劇中に広島長崎の名は頻繁に台詞に出てきますから。
あと原子爆弾の爆破テストをCGでやらなかったのが失敗とする意見も散見されますが、この作品の主題は核爆弾の開発、プロジェクトX的なものより群像劇、サスペンス劇によせた物ですからそこは重要ではないと思います。
劇中のオッペンハイマーも爆発威力よりもキチンと爆発するかを心配していました。威力は彼に初めから分かっていたのですし。
オッペンハイマーがアインシュタインに数式を見せた時にアインシュタインが言ったようにドイツの科学者と共有して、核開発をお互いに行わなければ原爆、水爆は無かったかと言えばそうではないと思います。
愚かな人類は誰かが同じ物を作ったでしょうね。
それがオッペンハイマー博士だったというだけでしょうね。
あとR15指定なのは観れば分かります(笑)
カ◯ティス◯ルメイに勲章を送っている。
「策士でなければ、この国(ワシントン?)では生き残れない」と言う台詞。
ここまで、臭い台詞を言わせて、水爆の製造に反対する議員がJFKとは、僕はこの映画にこそ!策士と言いたい。更に、
元副大統領が「日本人はそれを作った者よりも、それを使った者を恨むだろ」なんて、稚拙過ぎる台詞♥
この計画がなぜ極秘だったか?
つまり、仮想敵国はこの段階では日本。日本に知れては困るのだ。では、なぜ知られては困るか?
投下する前に「降伏」されては最終的成果が得られないからなのだ。
「ドイツ」「ソ連」には使うつもりなど最初からない。日本へ落すのは最初から決まっていた。この映画から、それがよく分かる。アイゼンハワーの名を出すが、ドイツ系アメリカ人なのは誰でも知っている。また、フォードもドイツ系(?)で、親ナチス。若しくは、反ユダヤ主義(?)だ
民主党主導のアメリカ合衆国が、「自由と民主主義を守る為の行為」として「正当化して来た経緯」がよく分かる。ルーズベルトは何も知らなくて、後を継いだ間抜けな大統領が平然と愚行を冒した。
さて、東京大空襲(原爆以上の10万人を一夜)の爆撃の計画を練ったカーティス◯ルメ◯に勲章を送っている。
あの間抜けな大統領よりも我々はもっと空気が読めていないのかもしれない。
ネタバレあり
最後の場面を見て、
追記
原子爆弾、水素爆弾の問題では無い。それを利用したエネルギー政策に一石を投じている様に僕は感じた。
この当時のアメリカ合衆国を描いている様だが、黒人が1人だけ手てくる。史実かどうか理解し難いが、なんかわざとらしい。
追記
オッペンハイマーさんの山高帽。
どっかの国の誰かに似ているのが、何か狙いがあるのかなぁ?まさかね。
使い捨ての英雄になるまで
恐怖をみせつけ相手を降伏させ平和を守るという大義のもと、政府の計画の主役になった天才の頭脳。
そして日本への原爆投下を遂げアメリカの英雄となるオッペンハイマーはその一方で成功の罪に苛まれていく。
幻想シーンは自分自身を追い詰める様子が見事に表現されており彼の苦悩の程がよくわかり苦しい。
いや、罪なき命を一瞬にして奪う兵器の開発をすすめてしまった報いならばそれは甘いくらいなのかも知れない。
なぜなら現地には比べようもないくらいの地獄が広がっていたのだから。
しかし、彼がどんなに悔やもうがその危険を止めるボタンはすでに手元にはない。
これが一番の恐怖なのは、世界の現在、未来に続く〝脅威〟だからだ。
英雄を賞賛する関係者や民衆が喜ぶシーンのおぞましさを味わうのはそのことを知っている私達ならではだろう。
鑑賞後、レビューを書くにも気持ちが前を向かずにいるなか、オッピー、オッピーと歓喜と感動に浸る人々の笑顔が瞼の奥にこびりつく。ダンダンダンと賞賛をあらわす重い音が耳のなかでリフレインする。自己中心性と想像の欠落した熱いコールのうねりが人間によって迎えるこの星の終焉の可能性を告げていることに震えるのだ。
そして物語が進む中、そこに至るものがみえてくるとさらに唖然とする。
より強く、より速く相手を凌ぐために〝陰にとどまる権力〟の陰謀に包囲された使い捨ての英雄オッペンハイマー。
本質を見抜く目が茫然と自分から去ったあの時、水面に歪む自分と背後の世界にとりかえしのつかない未来が渦巻いたのを彼はみたのだろう。
答えを出された蒼白の顔を思い出しては考える。
人種や思想の差別、国同士の権力争い、とまらない確執…次の開発に反対した彼の人間性をそこに垣間見れたものの時既におそし。
悪意を帯びて転がっていく悲劇の過去から人はなにを学んだのか。果たしてここからの希望をどうつなげていけばいいのだろうか。でも諦めたら最後だ。もはや瓶のなかの蠍が2匹だけではないことをわかっていても。
修正済み
アメリカ本位
成功した実験でやめておけば良かった。
日本人なら皆そう考えるだろう。
科学者初め携わった人々皆の
成功感達成感満足感を満たす必要はあったか。
元々政治が絡む。
実験製作に着手したのも国家や軍からの要請である。
戦時下でありこの世界大戦は、
ヒトラーを皆の敵としてナチスよりも先に、と
つくり始めた、らしいが。
ドイツ近隣でなくともユダヤ人として人ごと
でなく捉えていた人々も多かっただろう。
と言っていたにもかかわらず、
ヒトラー亡き後、
中断されるどころか、
標的が日本に移ってしまった。
やはりどこかに落とさないと気がすまない、のだ。
そして、白人には落としたくないのだ。
実験だけでは
世界に知らしめることができない、
アメリカが君臨する為には、
落とすべきと至ったのだろう。
戦争終結?違うだろう。
もちろん、当時の日本陸軍等も非難されて
当然ではある。
が、しかし、となる。
びっくりしたことに、オッペンハイマーが
ソ連のスパイだと⁉️
どこをどうすればそうなるのか。
つくづく人とは恐ろしいもの、だと思った。
女と見ればすぐ手を出す節操の無さと
自身の量子力学を思う存分研究し
できれば形として表したい科学者特有の
願いを持つだけの男だ。
結局ストローズに嵌められていた。
ストローズいやらしい人間だが、
こうしないと生きられないのか。
周りにたくさんいるかも。
いくら科学の産物といえど、戦争の兵器と
なれば別物だ。
憎い日本やドイツに落としたとして、
被害を受けるのは、兵士よりも民間人。
女性や子供や高齢者が大半となる。
これまでのアメリカの中東への爆撃を見ても
同じことをしている。
核爆弾か爆弾か、大規模か小規模か、の違い。
アメリカは敵なら関係ない人々を殺すことなど、
何も感じないようにとれる。
ましてや戦時下なら日本の犠牲者のことなど、
意に介さないだろう。
オッペンハイマーが協力者に演説した時や
トルーマン大統領にけなされた時に、
原爆の犠牲者の被爆の有り様を目の当たりに
見てしまったり
黒焦げの子供の遺体を足で踏んでしまったような
幻覚を見たようにしたりして
被爆の現実を表しただけ
マシかと思った。
物理学賞受け取ったが、やっと
名誉回復を成し遂げたか。
2回目
監督は、原爆の惨たらしさをわかっていたが、🇺🇸では主張しにくいと考えたのだろう。
🇺🇸人監督ならどんな風に描いてくれれば🇯🇵人として納得できたのか⁉️
いや、しかし、どう描こうが納得できる筈も無いなぁ。
あのイヤな奴も際立っていた。
事前に情報を入れて観た方がよい作品
念願の「オッペンハイマー」。残念ながら時間が合わず、IMAXGTレザーでは観れなかったが、まあまあ大きなスクリーンだったので、由としたい。
映画には事前に情報を入れて観た方がよい作品と、逆に事前情報がない方がよい作品の2つがあると私は思っている。本作は事前情報なしではさっぱりわからなかったに違いない。事前に解説動画10本くらいはみて、おまけに量子物理学や原子爆弾のことなども十分勉強してから観たおかげで、全編3時間、じゅうぶんに堪能出来た。さすがはクリストファー・ノーランである。
3時間、ずっと会話が続く。時系列が次々に転換する。カラーと白黒。たくさんの登場人物。難しい物理学の専門用語・・・・。予見なしで観たなら、理解不能で、寝落ちしたかもしれない難解な映画。でも、よく出来た映画だと思う。情報さえ持ってみれば、ほんとに面白い映画である。評価は★4つ、かな。
「日本も核兵器を持つべきだ・・・」という感想を書くと、あんたはなにを観てきたのだと言われそうだ。そうだよね。でも・・・日本も戦時中、核兵器開発に手を染めていた事実を知る私は、すでに地球を何度も破壊できる数の核兵器が世界中に拡散するおぞましい現状に、底知れぬ恐怖を覚えるしかない。広島に落とされたリトルボーイの3300倍といわれる世界最大の核爆弾であるツァーリ・ボンバは、日本の隣国ロシアが持っている。北朝鮮、中国も核保有国。そんな反日の核保有国に囲まれる日本は、いまさら核の是非など、言うてる場合ではない。相手に使わせないためには自分で核兵器を持つ以外にない次元にすでに私たちは暮らしている・・・。
核兵器はそれぞれ自国の勝手な事情で使われる可能性はゼロではないのだ。それが心に沁みた映画でもあった。広島・長崎・・・そして全てはオッペンハイマーから始まった、というべき、映画だったと思う。
観た後で読んでください
面白かった。そろそろ終演の週、TOHOシネマズで鑑賞。大部屋で時間帯が遅く、そこそこ入ってるくらいで、快適だった。
オッペンハイマーの過去から入り、ロスアラモス研究所、実験の成功、原爆投下後の栄光から一転、ソ連のスパイではないかと疑われ、委員会から無意味で長い尋問を受ける、という展開になっている。
アインシュタインとの会話や他の科学者たちとの関わり、才能のある者だけが参加できるところをいいなと思って見ていた。
爆音もすごくて迫力があった。
原爆投下計画については、私も日本人であるし、複雑な思いだった。結果日本は世界で唯一の被爆国となった。日本軍の圧力と政府の対応が甘かったせいでもある。戦争で被害を受けるのはいつでも一般人だ。
ロスアラモスでも、研究中に被爆した人がいるかもと、検索してみたら、科学者の中に被爆して死んだ人がいたらしい。
ロスアラモスでの展開はテンポが良くて面白かった。爆音は何故か無音にしていた。しかし後半の尋問場面は長く退屈だった。史実を忠実に表現したかったのだろう。本当にバカバカしい質問ばかりだった。
トルーマンがバカっぽく描かれていたのは、当時の政府への皮肉の様に思えた。ゲイリー•オールドマンどこに出てたっけと思ったらこの役だった。
委員会からの尋問のシーンで裸の二人がイメージで出てたけど、これはいらないんじゃないかと思った。そこまでプライベートに立ち入られてたという表現かもしれない。ポール・トーマス・アンダーソンの「マスター」でもそんな幻想シーンがあったけど、いる?そのシーン。印象づけしたいだけでしょう?
ストローズ役の俳優が受賞して、アカデミー賞でアジア系のプレゼンターと目を合わせなかったことが話題になっていたが、彼は役に忠実に振舞ったのかな。
核が地球を滅ぼす。そんな日が来ないことを祈ります。
待望
アカデミー賞とったのに日本では避けられていた映画
1年ほど?待って待望の上映!!
GWに見に行ったからかもしれないが、上映から1ヶ月経ってるのに満員だった。
3時間と長丁場の映画だが、最近は3時間台の映画が多いため特に心配なかった
原爆の話だから日本で公開しないっていうのはおかしいって思ってたけど、いざ見てみると日本人にはちょっと辛いシーンがあった。まだ20歳前半だけど何故か少し悔しくて泣けた。
本当はドイツに落とす予定だったが、完成間近でヒトラーが無くなったため、「じゃー日本で」って感じで日本に原爆を落とすことが決まってたのはびっくりした。
マルタ会談?ヤルタ会談?でソ連も日本に落とすこと賛同してたらしい。(学校で習ったかもだけど忘れてた)
社会派の映画だが映画館で見た方が迫力あっていいと思う。
キャストも豪華でびっくり。
一緒に行った連れがレオナルド・ディカプリオいたよね?って言ってた。確かに似た人いたけど、、!笑
原爆の父オッペンハイマー自体習った記憶はない。
映画のワンシーンで、矢面に立たされるのは原爆を作った科学者ではなく、私(大統領)だと言ってたのはその通りだと思った。
重いテーマだが良い映画だと思った
アカデミー賞にぴったりなんだろう
この映画を見事にしている3つの柱
(完全ネタバレですので必ず鑑賞後にお読み下さい!)
この映画『オッペンハイマー』を見事な作品にしている要因に、以下の3つの柱があると感じられました。
1.ナチスの原爆開発に対抗するための、核分裂による兵器(原爆)の開発を量子力学の物理学者として陣頭指揮する姿
2.妻や恋人(愛人)との悲劇的含めた関係性
3.赤狩り(共産主義者の追放)により、戦後にソ連・共産党との関係を疑われ事実上に公職追放される聴聞会の場面
これら3つの、原爆開発での物理学者の振る舞い、妻や恋人(愛人)との関係、共産主義者としてのスパイ疑い、にまつわる不安や深刻さは、時系列が織り交ぜられることで、それぞれの場面で溶け合い錯綜し、映画で人間の矛盾に満ちた深さを表現することに成功していると思われました。
私個人も、当時のアメリカによる焼夷弾による日本の都市への焼き払い空爆や、原爆の投下は、明らかな国際法違反だと思われています。
であるので、この映画が原爆被害を直接描いていない批判があることも理解します。
ただ一方で、日米の当時の戦闘で、特にペリリュー島や硫黄島や沖縄戦での日本軍の激しい玉砕的な抵抗で、日米双方に多大な犠牲が出ていたこと、沖縄戦での多大な犠牲が出ても日本は(沖縄戦と同様の)本土決戦をあきらめる気配がなかったこと、そもそも日本が中国や東南アジアを侵略的に民衆含めて攻撃していたこと、もっと言えば当時は国際法違反である民間人への攻撃をさしてどの国も考慮していなかったこと、元はと言えば西欧もアジアを植民地的に支配していたこと、など、双方の積み重ねられたそれまでの経緯描写が出来ない限り、この映画で1つの場面だけ切り取って一方的な加害者/被害者の描写をしなかったことは、私には許容範囲で理解は出来ました。
よって、映画としてこの『オッペンハイマー』を、原爆・水爆への強い拒否感も含む複雑な対峙を含めて、見事な作品であると私的には思われました。
多くの日本の観客も、一方的な加害者/被害者には分けられない、その複雑さを受け取ったと思われています。
緊張感ある伝記映画
オッペンハイマーをIMAXで見た。
正直大雑把に映画の情報を見ていたので、会話劇が中心とは思いませんでした。
正直前半2度ほど気を失いかけました。中盤から実験のシーンの流れの緊張感には見入ってしまいました。
印象にあるのはやはりアインシュタインとの会話これがのちに重要な出来事を招いてしまうきっかけとなってしまうのだが。
広島長崎の描写が足りないという声もあるが、私的にはサラッと流してしまうのかと思っていたので、想像以上に出ていたと言う印象です。批判覚悟で言うならアメリカが作ったアメリカ人物理学者の伝記映画であるのだから仕様がないのかなと思う、そして中途半端に語るくらいであれば、映画で描かれくらいでいいのではと言うのが正直なところです。自分が思っていたより日本への投下の過程がでてたような気がする。原爆投下後記録の映画を見たオッペンハイマーが目を背けるシーンがある。そこに写っていたであろう映像は写真などで見た惨状だと想像できる気がする。自分の想像以上の被害に絶望する彼に、追い打ちをかける結論の決まっている公聴会見ていてイライラしてしまい、イライラするシーンになると鳴らされる行進するような、足音の演出に私もイライラして見てました。
最後のアインシュタインとの会話とその後の絶望した顔、天才同士通じるところがあるのでしょう、そして天才になりきれない普通の学者は嫉妬などで、本来の自分がなすべき目的を見失うのでしょう。と考えながら見ていました。
また、終映後友人と昔も今も女性は強いねと言う話になりましたオッペンハイマー夫人が夫に放つ「戦うのよ」は妙に印象に残っています。
この映画で、個人的に驚いたのは、オッペンハイマーの敵役ルイス・ストローズ役がロバート・ダウニー・Jrだったんだと全く気づきませんでした。
それが一番ビックリでした。
ほんとはどんな気持ちなのか気になる
気になってた映画だったので鑑賞!
第二次世界大戦下、アメリカで立ち上げられた極秘プロジェクト「マンハッタン計画」
これに参加したJ・ロバート・オッペンハイマーは優秀な科学者たちを率いて世界で初となる原子爆弾の開発に成功する
しかし原爆が実戦で投下されると、その惨状を聞いたオッペンハイマーは深く苦悩するようになる
冷戦、赤狩り一激動の時代の波に、オッペンハイマーはのまれてゆくのだったー。
世界の運命を握ったオッペンハイマーの栄光と没落、その生涯とは
今を生きる私たちに、物語は問いかける
というのがあらすじ!
カラーとモノクロに分かれてましたけどモノクロが過去かと思ってたら逆でした笑
3時間はちょっと長かったかも…
それに映画にしたことで話の展開が早かった感じ🤔
ちょっとわからなくなった時もありました笑
ドラマでじっくりと描いて欲しかった
オッペンハイマーが核を作ったことでその連鎖で他の国も作りいつか世界を焼き尽くすんでしょうね
あと最後のアイシュタインとの会話は衝撃でしたね
それとオッペンハイマーが実際はどんな気持ちだったのか気になりますね
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