オッペンハイマーのレビュー・感想・評価
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科学者としての苦悩や哀愁を強烈に描き出した最高傑作!
予備知識なしで観ましたが、原爆が何かが分かれば大筋の内容は把握できると思います。
とは言え、序盤から聞き慣れない人名や専門的なセリフが出てくるため、ウトウトしてしまいます。
実際にオッペンハイマーをリーダーとした原爆の実験が行われる辺りから緊張感が高まり、映画の世界に入っていけました。
何と言ってもキリアン・マーフィーがカッコよすぎで、オッペンハイマーの表情やしぐさに自然と惹き付けられます。
終盤は彼が告発されて、科学者としての苦悩や哀愁を深く感じることができました。
アカデミー賞も納得の作品で、オッペンハイマーの表情が心に残る映画でした。
人間の本質
不穏な空気感からの始まり。
予告で拝見した音や画像も気にかけたので視聴。
長丁場の3時間、9割は人間ドラマの会話劇。
開発と投下は別、技術と論理も……。
科学者達の傲慢な態度、無神経な政治家。
日本人として悲痛を感じ苦痛で聴きたくない
セリフもある。ただ、あの時何がおこっていた
かという史実が映画で表現されている。
量子力学や宇宙のシーンは圧倒的。
トリニティの実験の慎重さと緊張感は此方にも
伝わってきた。
物理学者オッペンハイマーの苦悩と没落。
人間の愚かさをはっきり感じただろう。
絶え間無い人類のおぞましい本質を観た
映画でした。
なぜノーランはオッペンハイマーを描いたのか
(映像と音響による観客の没入体験に重きをおく)鬼才ノーラン監督がなぜオッペンハイマーを題材に作品を作ったのか、納得できた気がする。
過去と今の時間を複雑に交差させる構成、主観と客観を織り交ぜたストーリー構造。三時間という短い時間で決して詰め込み感を感じさせないのはノーラン監督ならではの力量。
広島、長崎の惨状を描かないことに賛否両論入り乱れているが、(長崎市出身で友人知人に被爆者家族もいる)自分としては、そのシーンは(作品の構成を歪める可能性が高くなり)必要ないと解釈した
(鑑賞のうえで、この論点を盛んに議論できることは歓迎したい)。原爆の暴力性は別のシーンで十分に伝えられているし、被爆シーンがあったとしても伝わらない人には決して届かない。
(いつか誰かが発見するという意味での)経路依存性を持たない自然科学の研究者が陥る「悪魔の誘惑」や、神への生贄を誰かに負わせたがる大衆の暴力性、悪魔性は十二分に伝わってくる。
何度か観ないと監督の本当の意図は理解できないかもしれない。
だいぶ集中力が要る
・3時間、字幕の言い回しと内容が難しかったりひねってるので、だいぶ集中力が要ると思った。たまたま体調が良かったのか、ちゃんと観れて良かった。NHKのフランケンシュタインの誘惑でオッペンハイマーを取り上げてて、原爆を作って使い所がなく試したくてたまらなかった人っていう勝手な印象を作り上げてたけど、自責に苛まれていたり、女好きだったり、作ったら政府に取られたような形になってて驚いた。登場人物が多くて複雑な関係なのと演出がノーランっぽい時系列の組み合わせで、若干混乱した箇所もあったけど何となく理解できてみることが出来た。
ストローズが恨みに思ったという裁判?とアインシュタインとのやりとりのところが割とあっさりしてるように見えて、えっ?あれで?と思い、そんなに恨んでたんだ、、、と驚いた。
事実が知りたくなる作品
反戦映画でも核推奨映画でもなく、オッペンハイマーという人の栄光と後悔と苦悩をもう本当に淡々と描いているなという印象でした。
実験のシーンは、カウントが少しづつ減っていくのがとても恐ろしく感じました。
(小さな頃からの平和学習が原因かも)
少なからず、人への被害こんなもんじゃないから!!って思う方もいるかもしれないですが、そこには重点を置いてないようなので、それでいいのだとわたしは思いました。
(オッペンハイマーが核兵器を作らなくても)いずれ誰かが作ったというセリフに心が痛かったです。
全編通して随所に、人間の愚かさが感じ取れ、ストローズが腹いせでオッペンハイマーを表舞台から引きずり下ろそうとしたり、元カノとズルズル関係を続けてしまっていたり、原爆使ったらどうなるかなんて実験を見れば分かるのに使ってみたいという気持ちが勝ったり、どんな人間にも存在する愚かさというのを、描いていたのかなと感じました。
だからといって、愚かな行動はやめようね!というメッセージも込められてないです。
ずっと何だかやるせないな、という気持ちになります。
でも個人的には、この映画のおかげで、オッペンハイマーという人物や、戦争、原子爆弾、核兵器について、色々と知りたくなりました。
私のように映画を通して様々な方がそれらについて考え、議論するきっかけになるといいなと思います。
エンタメとしてはキツいものの、歴史の教科書を映像化したものと考えればセーフかもしれない
2024.3.29 字幕 イオンシネマ久御山
2023年のアメリカ映画(180分、R15+)
原作はカイ・バード&マーティン・J・シャーウィンの『American Prometheus: The Triumph and Tragedy of J. Robert Oppenheimer(アメリカのプロメテウス:J・ロバート・オッペンハイマーの勝利と悲劇)』
原爆の父オッペンハイマーのマンハッタン計画とその後に行われた秘密保安聴聞会と上院承認公聴会を描いた伝記映画
監督&脚本はクリストファー・ノーラン
物語は、第二次世界大戦中のアメリカにて、ドイツの核開発に対抗する科学者たちの奮闘を描いていく
冒頭にて、1954年に行われた秘密保安聴聞会(カラー:主にオッペンハイマーの共産党員疑惑追及)と、1959年に行われた上院議員公聴会(モノクロ:主にオッペンハイマーをマンハッタン計画に推奨したルイス・ストローズの進退問題)が描かれ、それぞれのシーンから「回想」へとつながっていく
ロバート・オッペンハイマー(キリアン・マーフィー)は、共産党員との関わりを疑われ、それは恋人ジーン・タトロック(フローレンス・ピュー)が共産党員だったことと、それにまつわる告発が行われたからであった
ルイス・ストローズ(ロバート・ダウニー・ジュニア)は、自身の昇進の意見交換会にて、「なぜ、オッペンハイマーを選んだのか」について追及され、「当時は有能な科学者だった」と、彼の背景に関して疑わなかったことを訴えていく
オッペンハイマーの回想は、ケンブリッジ大学時代から紡がれ、そこでは恩師パトリック・ブラケット(ジェームズ・ダーシー)の研究シーンと、大学で講義を行うニールス・ボーア(ケネス・ブラナー)とのやりとりから始まる
このパートでは「青酸カリとりんご」が登場し、彼の隠された破壊衝動というものが描かれる
ストローズの回想では、高等研究所に彼を招く様子が描かれ、そこでオッペンハイマーとアルベルト・アインシュタイン(トム・コンティ)の「秘密の会話」というものが描かれる
ストローズは二人の会話の内容が気になっていて、しかも数年前に行われたある会合でバカにされたことを根に持っていることが暴露されていく
この2本の物語の軸があり、「オッペンハイマーの回想は彼の研究生活」に言及し、「ストローズの回想はオッペンハイマーの共産党員との関係」を紐解いていく流れになっていた
科学者の人脈が広がるのがオッペンハイマーの回想で、プライベートの人脈の広がりがストローズのパートとなっていると考えればわかりやすい
その後、人脈が描かれた後に「マンハッタン計画への打診」というものが行われ、オッペンハイマーの元に陸軍大佐のグローヴス(マット・デイモン)とニコラス中佐(デイン・デハーン)が登場する
この時点のオッペンハイマーは、カリフォルニア大学バークレー校にて教鞭を執っていて、その時の生徒であるロマニッツ(ジョシュ・ザッカーマン)が後にグローヴスとの連絡係になっていた
また、隣の教室で実験を行っているアーネスト・ローレンス(ジョシュ・ハーネット)との交流が描かれ、友人のアルヴァレス(アレックス・ウルフ)や弟のフランク(ディラン・アーノルド)たちとの交流が描かれる
高原に馬で訪れる場所がのちの「ロスアラモス」で、そこに街が建設されていくのである
原爆開発に入ってからのメインイベントは「トリニティ」で、ここではシカゴ大学から合流したデヴィッド・ヒル(レミ・マレック)やエンリコ・フェルミ(ダニー・デファリ)たちとの研究が描かれていく
ここまででも登場人物の3分の1くらいで、マンハッタン計画に関わったアメリカ人科学者が15人くらい、軍部関連で10人以上、公聴会の議員が5名、聴聞会のメンバーが5人ぐらいは登場する
ぶっちゃけ、当時の人間関係と原爆投下後に何が起こったのかを知らないと意味不明な会話劇を眺めるだけになってしまう
人物の理解にパンフレットはさほど役に立たず、オッペンハイマーの年表とか、各用語の解説は使えると思う
登場人物相関図を個人的に作ったが、B4用紙まるまる細かい字で埋める感じで、全ての関係性を線で結ぶのは不可能に近い
印象として「ストローズの公聴会(議員から吊し上げ)」「オッペンハイマーの聴聞会(赤狩り関連)」「プライベートとしての共産党員との関わりと学外活動」「ケンブリッジから始まる科学者人脈の広がり」「マンハッタン計画で関わる科学者と軍人」という感じに区分けはできると思う
とにかく、180分間の講義を聞いている気分になるので、字幕を追うだけでかなりのカロリーを消費する
そして、脳が疲弊した時に「ドカン!」とくるので、なかなか強烈な映像体験だった
公開が伸びた経緯とかを掘り下げるとキリがないのだが、この映画は「原爆肯定」でもないし、「戦争賛美」でもない
アメリカの開発者目線における「原爆の投下」なので、被爆した広島や長崎の映像を当時の彼らが知ることはない
戦後にようやくそれらの情報が彼らの元に舞い込むのだが、その頃に聴聞会が行われ、その後に公聴会が行われたという流れを掴めばOKではないだろうか
いずれにせよ、人物が登場するたびに字幕で説明が必要な感じになっていて、鑑賞のハードルは思った以上に高い
180分の長さはそこまで感じないが、時系列が入れ替わりまくるので、全体像を把握するまでに時間がかかる印象があった
IMAXでの鑑賞も考えたが、かなりの混み具合で断念、会話劇なのであまり意味はないだろうとは思っていた
実際に観ればその違いはわかると思うので、時間が許すならIMAXレーザーで鑑賞したいと思っている
要予習
過剰に大きな効果音や長過ぎる上映時間などのため、観ていてやや苦痛を感じる作品だった。
実在した学者が何人か登場するが、いずれも本人に似せた風貌となっているあたりに製作者のこだわりを感じる。モノクロを使って時期や場所の違いを表す手法も面白い。
史実や実在した人物を掘り下げて描く作品は、展開のわかりやすさよりもインパクトを重視してつくられる場合がある。本作もそのような作品であるため、視聴前にオッペンハイマーの人生や身近な人物を予習しておくと展開を理解しやすく、作品をより楽しめるようになると思う。
予習を怠ったため展開を追うだけで精一杯となってしまい、監督の意図をあまり読み取ることができなかった。再視聴を検討中。
ストローズ(ロバート・ダウニー・Jr. 、本作でアカデミー助演男優賞)にも注目すると入ってきやすい
クリストファー・ノーラン監督の原爆を題材にしたオスカー作品。
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「まちがいなくアカデミー賞っぽい」「やや長く重苦しい」「クリストファー・ノーランとロバート・ダウニー・Jr」「おもったよりも作品は「原爆」ではなかった」
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<印象に残ったもの>
①ロバート・ダウニー・Jr. (ストローズ役):序盤から気になったが重要な役どころだった。もしもう一度見るなら、彼をよく見る。
②映像美:主人公のオッペンハイマー視点はカラー、主人公以外(ストローズ関連シーン?)はモノクロで表現され、映像美の要素としてのみでなく、話の道筋の理解の参考にもなった
③音:原爆の恐ろしさ、主人公と他の人との距離などの表現に音響効果が”極めて”印象的だった。できればまたDOLBYなどで鑑賞したい
<作品メモ>
原爆の父である主人公の科学者としての倫理観が作品全体のテーマ
①ナチスとの原爆開発競争から実験成功、日本への実戦投下、ソ連側の原爆開発脅威との向き合いといった時代を背景に
②大学での研究、砂漠の研究所の開発、公聴会の3つのシーンで描かれ
③対峙するもの(共産党員関係者として見られていたこと、軍人や政治家etc)との重苦しさがそのまま作品に暗い影を落とす
エンディングの暗転したスクリーン。その向こうに私たちが見出すもの・・・
この映画は、カラーで描かれるパートとモノクロで描かれるパートで構成されます。
どちらのパートも、オッペンハイマーにかけられた国家の安全保障政策(水爆開発)や国家機密に対する彼の思想・行動の危険性という嫌疑を審理する、その「裁き」のプロセスを描いています。
Fission「核分裂」(→原爆を象徴する言葉)というタイトルがついたカラーパートは、嫌疑をかけられたオッペンハイマー自身の申し立てを、彼の言葉によれば「彼の今までの人生全体を時系列的に」述べることで審理委員たち、そして私たち映画の観客に伝えようとするのですが、ノーラン監督は、そこにオッペンハイマーの心象風景、彼が幻視した核の脅威のイメージも含めながら映像化しています。それは確かにこの映画を見る私たちには訴えるものがあるのですが、一方、オッペンハイマーが申し開きする審理委員たちに彼の心の中のイメージまでは決して伝わらず、審理の場での彼の孤立感がますます深まっていく様子が描かれます。
一方のモノクロパートにはFusion「核融合」(→水爆を象徴)というタイトルがついて、嫌疑をかけた側、その中心人物ストローズという男の証言をメインに構成したもの。しかもこのモノクロパート、オッペンハイマーを裁いたいわゆる「オッペンハイマー事件」の数年後、彼に嫌疑をかけたストローズ自身のホワイトハウス高官就任の是非を問う聴聞会での、ストローズの証言、国家への危険人物と見なされたオッペンハイマーとストローズの関りについての彼の証言、という形で構成されています。
オッペンハイマーが裁かれるプロセスと、その数年後に彼を裁きにかけたストローズも審理にかけられるプロセスを、交互に構成しながら二人それぞれが迎える審判に向けてストーリーは展開するのですが、映画では冒頭近く、このストローズという人物の動機、彼とオッペンハイマーとの間の確執のきっかけが、二人の出会いのシーンにさりげなく描かれます。(原作にはないノーラン監督オリジナルの脚色ですが、ちょっと向田邦子を思わせるピリピリした味わいがありました。)
プリンストン高等研究所の所長に推挙されたオッペンハイマーと、彼を推挙したストローズの出会いのシーン。commuteという言葉を「通勤の便」という実務的な意味で使うストローズと、そこに「重荷の軽減」或いは「重い刑からの減刑」という意味をかけているオッペンハイマーの気持ちのずれ。ストローズの前職shoe salesmanをlowly「卑しい」と形容してしまう名門出のオッペンハイマーとjust「まっとうな」とみなすたたき上げのストローズとの間の微かな緊張感。そして、オッペンハイマーとアインシュタインという知の巨人二人の会話を遠くから遠望するストローズ。彼はその会話の中身を知りえないまま、それを自分への中傷と思い込み・・・
出会いの時の気持ちのずれ、思い込み、小さな反感・・・それを疑念や憎悪、そして復讐心へと募らせていくストローズ。
そんなストローズに仕組まれた裁判は、オッペンハイマーの人格と業績を卑しめるための意趣返しに変質し、ただの茶番のような様相を帯びてくる。
過去の交友関係をほじくり返し、その不倫現場を再現し、ささいな虚言をあげへつらう、そんな展開が延々と続くカラー、モノクロそれぞれの裁判シーン。そこには真実が暴かれる高揚感・スリルのようなものは感じられず、むしろ何とも言えないやるせない感じ、彼らは何を裁いているのだろうという思いが募ってきます。
本質的にそこで審理されるべきは、「人類はいかにして核に向き合うべきか」という、今や人類全体の生存に関わる課題、水爆は必要なのか否か、という問題であるはずだった。オッペンハイマーはその課題を敵も味方もないオープンな場で議論することの必要性を唱え、機密という殻で真の脅威を秘匿することの危険性を訴えただけ。それが、いつしかその主張は敵国へのスパイ容疑、国家の安全保障への裏切りにすり替えられ、過去の思想傾向や、不倫、ささいな虚言に結び付けられながら彼の人格、個人的な欠陥の裁きに矮小化されてしまう・・・
この茶番のような裁き、審判の結果が、今なお世界に覆いかぶさる「核の影」なのか、という暗然とした思いに囚われるけど、それこそがノーラン監督が意図したことでしょう。
そして、そのような裁判が行われた時代の国民の姿、感情を直接的に描かずに、ストーリーは密室の裁判劇、或いは砂漠の研究所での秘密の開発ドラマとして進められる、そこにもノーラン監督のある種の意図が感じられました。
直接的ではないけれど、じわじわと不気味に浮かび上がってくる感じ・・・
日本への原爆投下を研究所メンバーたちが無邪気に喜ぶシーン。そしてトルーマン大統領の登場シーン。
G・オールドマンがチョイ役ながら印象的に演じるトルーマン大統領。歴史においては、彼こそ影の主人公・ラスボスのように思います。
「私の手は血塗られている」とつぶやくオッペンハイマーに「広島の人々に呪われるべきは、原爆投下を決めた私だ。君が背負うことではない」と諭したトルーマンの言葉には、何億という国民の命(それはあくまで自国の民だけど)を背負う政治家としての矜持、重みが伺えます。(トルーマンはこの会見後、「彼の手は私の半分も血塗られていないよ」と言い捨てたとか) 核の時代の真の脅威を理解しない凡庸な大統領が原爆投下を決定し、朝鮮戦争の戦火を開き、民主党大統領でありながら「赤狩り」を黙認し・・・それでも国民は1948年の大統領選で彼を再選するのです。そして、今なお多くのアメリカ国民が原爆投下は戦争早期終結のため必要だったと信じるに至った、その端となったのもトルーマンの言葉。
ロスアラモスの集会所で、足を踏み鳴らしながらオッペンハイマーを英雄として迎えようと集まる研究所職員たちの姿に、或いはトルーマンという大統領を支持した国民の声なき声に、民衆は歴史の被害者だけではない、時に加害者となりうることを描こうとするノーラン監督の意図を感じました。ふと、映画キャバレーのtomorrow belongs to meのシーンを見たときの印象もよみがえる・・・。(このロスアラモスの職員たちが踏み鳴らす足音は、世界の破滅への足音としてオッペンハイマーが幻聴する足音として劇中何度も現れます。)
この映画は、オッペンハイマーという人物やオッペンハイマー事件について既に多くを知っている人には、不満の残る部分があると思います。広島・長崎の惨状描写や、それへのオッペンハイマーの悔恨感情の描き方が甘いという指摘は確かにあるかもしれない。ただ、彼の悔恨は、広島・長崎へのそれ以上に、それが切り開いた核に支配された未来、それがもたらすかもしれない世界の壊滅への恐れであり悔恨であった。同時代、もう一人の「パンドラの箱」を開けた科学者・ウェルナー・フォン・ブラウン(彼は後にアポロ計画のリーダーとしての栄光を手に入れる・・・)の手になるV2ロケット、それはやがてICBMとして無数に空に向けて放たれる・・・彼が見たそんな未来への悔恨が原爆後の彼を突き動かしていたことに重点を置いたノーラン監督の意図は十分に理解できました。むしろ私自身は、オッペンハイマーの行動の支えとなったニールス・ボーアの思想、「the Open World」(開かれた世界)という言葉に集約されるボーアの哲学をもう少し掘り下げてほしかった。映画では一度も使われなかったこのOpen Worldという言葉に、個人的には核の問題だけではなく、今の世の中の様々な断絶、分断へ対峙する時に最も求められる姿勢を表しているように思うだけに、そこだけは少し不満が残ったかな・・・。
それでも私は、オッペンハイマーという人物、安易な感情移入を拒む複雑で矛盾に満ちた人物がたどった運命をあえて今この時代に描くこの映画の意義はとても重いと思います。何年か前、スミソニアン博物館での原爆展に異を唱えた人々、原爆投下は戦争の早期終結に有効だったと信じる人々、或いはオッペンハイマーという人物なんて知らなかったという人たちが、改めて今世界にかぶさる「核の影」、「世界終末時計」90秒前という世界、様々な国の元首が他国との交渉の手札に核兵器をちらつかせる、そんな世界の今に目を向けること・・・茶番の裁判で審理されることのなかった「人類はいかにして核に向き合うべきか」という課題に、何らかの思い・感情・或いは明確な意思を抱くそのきっかけとなること・・・それを私たちに促す力を、ノーラン監督のシナリオと映像は、そしてキリアン・マーフィーをはじめとする俳優の演技は十分持っていると思いました。
この映画のエンディングのシーン、茶番の裁判劇にストローズを駆り立てるきっかけとなったオッペンハイマーとアインシュタインの会話の秘密が明かされます。その後、世界終末を幻視したオッペンハイマーが耐えかねるように目を閉じる・・・
そして画面は暗転。真っ暗になったスクリーンは、その先にあなたは何を見出すのかというノーラン監督の問いかけだと思うのです・・・
長すぎた。三時間も見たが、私の疑問はここで解決されなかった。
最初の一時間ぐらい、この映画に引き込まれていかなかった。理由は「オッピー」(ロバート・オッペンハイマーキリアン・マーフィー)の性格。エゴの塊で,神経質で、不安定で、ドラマの主人公気取りの好事家で、女たらし.....との評判らしい。こういう人間の行動は疲れる。
でも、まだ私の知りたいところまでいかないので見続けたが.............私の知りたいことはロスアラモスでの核実験の後( Trinity Test on 16 July 1945) 、この土地に住んでいた先住民たちがどうなったかと言うことだ。それをどう表しているか知りたかった。人間が住んでいない砂漠で実験しいたわけでなく先住民やラテン系の住民が住んでいたわけで、その当時、オッピーにそこまで考えられる余裕があったかどうかを知りたかった。
映画ではトルーマンからの質問で、これからどうするかと聞かれ、『Give it Back to the Indians』と答えているだけだ。広島長崎の被害の結果は数字だけだし、先住民たちがどれだけ苦しんだかは本人も知らないのかもしれない?
トルーマンはオッピーのことを 『Crybaby (オッピー)はここに戻ってくるな』と言っている。オッピーはトルーマンにこの原爆はこれから核の競争になると。そして、核兵器管理機関の創設を提案すると。トルーマンはソ連の力に疎いね。そして、ソ連の脅威を考えてるなら、なぜ、ロスアラモスを閉じると。オッピーが自分の手に血がついている感じがするって。そしたら、白いハンカチをオッピーに差しだす。広島や長崎の被害者を考えてるんだろうとトルーマン。トルーマンが原爆は私が落とした。オッピーは責任を感じる必要はないと言ったとき、Crybaby.....を使った。トルーマンの言い方に疑問があるから、あとで調べてみる。
それに、原爆を開発中からオッピーが精神的に参ってきているのがわかる。自分のやっていることに科学者として、誇りを持っているが、結果的に大量殺人をしていくとわかったわけだから、精神的に苦しむのは無理はない。この心の葛藤が統合失調症の幻覚疑似のように現れてくる。
マンハッタンプロジェクトに関わった科学者、軍隊、その家族,子孫、近隣のラテン系住民、先住民には被曝・内部被曝の問題は当時すぐ話題にされず、その後は、後遺症となって現れたのかも知れない。ニューメキシコ州ロスアラモス、広島、長崎、の一般市民には何一つ警告を与えず、実験が内部秘密で実行されたわけだから。
私は先住民が謝罪、後遺症の補償問題についてまだ戦っている読んだことがある。
The Atomic Bomb’s First Victims Were in New Mexico People who lived near Trinity and other nuclear test sites began to identify themselves as “downwinders,” and made connections between their communities’ health problems and the government’s nuclear tests. In 1990, the United States passed the Radiation Exposure Compensation Act to provide money to some downwinders of the Nevada test site near Las Vegas. However, the act doesn’t provide any compensation or apology to the downwinders of the Trinity test site.--History classic より抜粋した。
日本に落とした原爆は『The world remember this day』とオッピーが演説した通りになった。その演説の時は広島長崎の被害者の苦しみはまだわかっていなかった。そして、ドイツで使えればよかったって。ほとんどの科学者はナチからの迫害の結果、リクルートされたユダヤ人だからね。
三時間という長すぎるバイオピック映画になっている。私の気になった箇所を書き留める。
まず:ナチス・ドイツより先に原爆を完成させる必要があり、ドイツへ落とすための原爆が真珠湾攻撃の結果とヒットラーの死により、シフトが日本に。それから、原爆プロジェクトを米軍と科学者との一体化に。科学者でアドミにも強いレスリー・グロース将軍がマンハッタン・エンジニアのリーダーに。ヒットラーは死んで、原爆は必要なくなったというが、日本にとオッピーが言っている。レスリーグロース将軍(マット・デイモン)は力のある人で、人を見抜く才能を持っているし、動きがはやい。1942年10月カルフォルニア州バークレー大学でオッペンハイマー(オッピー)にあった時も、グロースの原爆のプロジェクトのチームの一人として、オッピーのことを考えて引き抜いている。そして、ハンバーガー屋は経営できないと。共産主義のきらいがあるが、可能性を含めて、オッピーを即座に選んだ。しかし、公聴会でレスリーグロース将軍は核兵器技術など機密情報の漏洩を疑われたオッピーにオッピーを選んだことは一番賢い決断だったと言って外に出る。? 本人も妻のキティも実弟のフランクもアメリカの共産党員だったことなども介して公職追放される。赤狩りの初めの時代だから、罪があってもなくても共産党とみなされ、弾糾された時代だからね。難しいねえ!
次に:それに、レスリーグロース将軍の一言一言がアメリカの決定に大きな力を与えた。例えば、原子爆弾の落とし方やどこに落とすか国務長官ヘンリー・スティムソンの事務所で決める時、レスリー・グロースは。。。。と言って、オッピーに口を挟ませない。彼の発言が重要な決定権を持っている。開発した科学者オッピー以上に軍の力の大きさに私は衝撃を受けた。
最後に:当時の国務長官ヘンリー・スティムソンはアメリカ国民の抗議が出るのを心配しているようだ。
それに、大方、日本の一般市民の命を救いたいという考えのようだ。しかし、レスリー・グロースの一言が大きかったようだ。
1。原爆のパワーを日本に見せよ。
2。日本が降伏するまで原爆を落とし続けよ。
国務長官ヘンリー・スティムソンはどこに落とすかを決めるとき、京都を十二のリストから抜いて十一にした。理由は日本人にとって京都は大切なところだからだと。それに、妻とのハネムーンで行ったところだと。
顰蹙をかうかも知れないが、妻との.....それには笑っちゃった。
これで書くのをやめる。
『American Prometheus』by Kai Bird+Martin J. Sherwin をノーランが脚本にしていると書いてあった。このストーリーはギリシャ神話のように作ったね。
三時間は長くて長くて、やめてくれと途中で叫びたくなった。ロバート・オッペンハイマーのバイオグラフィーでもYouTubeで見た方が良かったかもと思ったりした。
原子力による兵器は世界を滅ぼす
この映画はあくまでオッペンハイマーの伝記です。そして赤狩りを通して彼の人生を振り返るという形式をとっています。
よく広島長崎の描写がないと言われていますが、間接的でしかも効果的な表現はあります。投下について知った彼は自分がしたことに対して恐怖感を持っていますが、周囲の開発者たちとの反応の違いに戸惑っています。万雷の拍手とひな壇の足踏みの中、彼は原爆によって被災した少女の叫び声の幻聴を聞き、消し炭になった人の体の幻覚を見ます。
私は、直接的な広島長崎の描写ではなく、この間接的な恐怖感の表現の方が映画的に見事だし、原爆の恐ろしさが伝わると思いました。
インセプションやテネットのような洗練されたSF感がよく知られているノーランですが、今回はそのような絵はかなり少ないです。
ほぼ研究者や赤狩りの人がしゃべっているシーンに覆われています。
トリニティ実験の爆発は、今まで映画でみたどんな爆発より印象的でした。
ジーンという愛人がsexに集中していないオッペンハイマーにサンスクリット語を読ませながら挿入するシーンがあるのですが、刺激的でした。
追記
かつて私はこの映画がレッドパージが主題としましたが見直して考え方が変わったので訂正します。会話の多くはそのような政治闘争で覆われていますが、テーマはあくまで
1. 歴史への名の残し方
2. 原子力による世界の破壊
3. オッペンハイマーの後悔
です。大量の人間を殺戮したオッペンハイマーの後悔は、世界を破壊してしまうのではないかという悪夢に繋がるのです。
オッペンハイマー
ロンドンでみてきました。
すでにこの映画をみた友人から割とショッキングなシーンはあるよ。と言っていたので、イギリス人でも
どこに原爆を落とすかの会議をしているシーンは衝撃だったよう。
ただ反対にすごく良かった!という同僚もいるので、見た方はやっぱり人それぞれ。
日本で上映されるかまだわからないってのはこのシーンとこのシーンがあるからだろうなとわかったけど、原爆を肯定している映画ではないし、
主人公の苦しみも描かれているから、全部が全部日本のことではない。
ただ不愉快に感じるシーンは確かにあった。
2つの原爆をアメリカ軍が実験場から持ち去っていくシーンはこれから日本に…と思うと辛かったです。
もっと原爆の怖さ、オッペンハイマーが感じた恐怖が描かれててもいいのかなとは思った。
ただどう捉えていいのかわからなかった。
オッペンハイマーは、一人の科学者として爆弾を作って、決してどこかに落とすために作った訳では無い。
ただ科学者としての成功。でもそれは多くの人が死んでしまう結果を招いた。
もう一つむむ。と思ったのがトルーマンのセリフ。オッペンハイマーが自分が人々を殺したと、自分の手に血がついている。といった時に「君が原爆を落としたのではない、俺が落とした。」と言っていて、
あれをどう捉えていいのかわからなかった。
オッペンハイマーへの慰めの言葉には聞こえなかった。
アインシュタインが出てくるのも二人が苦しみを分かち合える所があったからなのかなとも思う。
日本人とは違う視点知るというふうに見るとちょっと違ったふうにみれるのかな。
あとは俳優、女優さんたちは圧倒的にすごかった。
キリアン・マーフィー、ロバート・ダウニージュニアには拍手。
確かに技術はすごいけど、わたしはすごいよかった!またみたい!とは言えない。
難しいからこそもう一度観たい。というほうが強い。
反戦映画ではない。だが原爆肯定映画でもない。
8月某日、ロンドンで鑑賞。
ヨーロッパでも映画の広告をかなり見かけ、こちらでも注目されている映画だと感じていた。ただ、他の方のレビューがあまりにも偏っているように感じたので、このレビューを書く必要を感じた。
映像と音楽の描写などは、さすがノーラン作品だと感じたが、別にこの映画は「反戦・反核」を目的とした映画ではない。しかし、アメリカ映画にあるような原爆礼賛の映画でもない(ちなみにノーラン監督はイギリス人だ)。
この映画はオッペンハイマーという一人の男の数奇な人生を描いたもので、それ以上でもそれ以下でもないのだ。
だからこの映画に「核の悲惨さ」や「原爆投下の是非」を問うこと自体がナンセンスだと感じる。
映画のハイライトとも言える、ロスアラモスの核実験のシーンはやはり圧巻であった。たしかにあのシーンだけ切り取れば日本人には拒絶反応を感じる人もいるとは思う。ただし人が被爆するようなビジュアル的にキツいシーンは出てこない。それよりも、オッペンハイマーの想像の中で起こる、音と光の妄想のほうがむしろ想像を掻き立てる分怖いようにも感じる。
ノーラン監督が原爆肯定であるかのような評価も見受けられたが、私はそんなことはないと思う。原爆を恐ろしいもの(作ったオッペンハイマーですら悪夢に苛まされるような)として描くメッセージは、欧米が作る原爆映画ではターミネーター2に次ぐぐらい強烈である。それをグロいシーン抜きで実現したノーランはさすがだ。
またオッペンハイマーも、明らかに日本への原爆投下を後悔していた。それは投下後の彼の暗雲たる態度でよく伝わる。
戦争終結後、オッペンハイマーは赤狩りやロシアスパイ疑惑など、とても名誉ある者とは思わぬ扱いを受けることになる。この辺は当時のアメリカの赤狩り事情を知っていないと、ついていけなくなるかもしれない。詳しくない方は予習をオススメする。
まとめとなるが、この映画はオッペンハイマーの人生を描いた映画であり、反戦・反核を目的とした映画ではない。ただし、原爆開発した科学者の数奇な運命に興味がある人ならば、見る価値は充分にある映画だと思う。
反戦映画ではない
クリストファーノーラン監督も大好きだし、キリアンマーフィーも大好きだし
だから二人の作品は逃さず見ています。二人が組むのはバッドマンビギンズからこれを含め5作品目かな。
まず、最初に褒めときたいのはキリアン。
本当に素晴らしかった。ビジュアルも100点、常に憂いと絶望の淵に立たされた人間の心情を完璧に演技できていたと思う。
だからこれはオッペンハイマーの半生であり、伝記映画です。
んで、ここからがノーラン監督で
彼はこれを反戦映画だと言っていたけど原爆の悲劇はほぼまったく出てきません。
もちろんその描写のあるなしで語るべきではないですが、おそらく広島長崎のことは何も勉強していないのかな?
度肝を抜かれたのがニューヨークタイムズに語っていた劇中のセリフ変更の話で
軍部上層部の人間が京都に所縁があったことで、京都が対象から除外されたことは日本ではある程度有名ですが、それをセリフにしたことをとても興奮していました、
馬鹿かこいつと思いましたね。
家にあるノーラン作品を全部捨てたい気分になりました。
ヨーロッパで鑑賞しました
もし日本人でなくてアメリカ人の立場なら、もう少し楽しんで観れたと思います。
CGを使っていないということですが、原爆実験の箇所は本当にリアルでした。
オッペンハイマーの恋模様も描かれますが、かなりwomanizerということが分かりました。てか不倫してるし。
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