オッペンハイマーのレビュー・感想・評価
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映画館で観るべき作品
これは、映画館の大スクリーンと良い音響で観るべき作品。効果音や音響の使い方がスゴい
科学者、理論物理学者、さらには人間オッペンハイマーの光と影を描いてると感じた。
マンハッタン計画や後日談の主要登場人物を知らないと時系列がコマ切れで話が進むので混乱するという前評判は、たしかにそうだなと思った。まぁ、クリストファーノーラン監督作品だから、簡単だとは思ってない事前の心構えも影響してるかもw
人間だから完璧はないが、ほんと自己中で、自己顕示欲やプライドが肥大化してる人物に胸くそ悪い気がした。ドキュメンタリーではないので、ある程度の脚色もあるかもと思うようにする。
いろいろな人の背景を知ること、対ナチスドイツ用に開発を進めた兵器を日本に使ったという事実を忘れないこと、が鑑賞後の感想
2回見て内容が理解できました
映画としての出来は素晴らしいと思いますが、感情的に引っかかる部分はありました。
細かい話かもしれませんが、妻がどういうスタンスなのか、少々掴みづらかったです。
アルコール依存で一貫性がないのかもしれませんね…。
最も恐ろしいカウントダウン
原爆を開発したオッペンハイマーをFUSION(核分裂)、オッペンハイマーに恨みを持つ政府閣僚のストローズをFISSION(核融合)、この2つの視点で作品は描かれています。
時折、オッピーの頭の中の映像が映し出されますが、もしIMAXで観ていたら完全に彼の脳内に引き摺り込まれていたに違いない…。(通常のスクリーンでも十分持っていかれましたが)
トリニティのカウントダウンはあまりにも恐ろしくて満席と思われる場内が心底静まり返っていました。
この作品を担当された翻訳者さんは苦労されたと思います。情報量が多く専門的な内容だけでなく、原爆を生んだ人物を描くという事も含めて。
冒頭のスクリーンに映し出される言葉がある意味全てを物語っています。そして、最後に明かされるアインシュタインとの会話。
もう一度観に行こうか、考えています。
原爆映画ではない。1人の物理学者のおはなし。
アメリカという国が原爆をどう描くのか、半ばジャッジするくらいの気持ちでいたかもしれない。
しかし本編が始まってみれば、博士の葛藤こそあるものの、映画そのものは戦争や原爆の是非を問うものではなかった。
この映画は、天才的な頭脳と傲慢なプライドを持ち、誰よりも繊細な神経を持ったただ1人の物理学者のおはなしだった。
日本に落とされた原爆の是非よりも、それを作らざるを得なかった、落とさざるを得なかった、そして博士を追い詰めた、当時のアメリカという国がとてもリアルに描かれているように思う。
余談だが、この映画そのものはさすがの完成度であった。だからこそ尚更、アメリカ公開時に巻き起こったバカみたいなミームが最低最悪の下品なものだったと再認識してしまった。とても残念。
観た後にみんなに考えさせる作品、それだけで成功
映画館を出たとたんに忘れ去られる作品が多い中、
あれやこれやと考えを巡らせることになる、それだけで見た価値がある
複雑な時系列や多くの登場人物、時代背景をある程度知っていることが
前提など、たくさんの人が考えを巡らせるにはハードルが高いが...
予習要の傑作
予習無しではさっぱり分からなかった。町山さんの解説を入れて再度観たらほぼクリアになった。ノーランらしい複数時間軸の話でもあり、初見で予備知識無しでは無理だよ…
最低でも以下の点は理解しておくべき。そうじゃないと理解できない。
1) カラーはオッペンハイマーの観点、モノクロはストロースの観点であること
2) オッペンハイマーの観点は54年のセキュリティクリアランス(公職に就けるかの審査つまり赤狩り)の聴聞会を軸に回想形式で綴られること
3) ストロースの観点は59年の商務長官指名を受けた際の公聴会 (承認されるかどうか) を中心に描かれること
それを理解して観たらまぁすべての演出がピタリピタリと填まっていて、傑作であることがよく分かった。
研究者と言うよりは超優秀なPMのような力を発揮する天才が原爆を開発するまでと、その使用をコントロール出来ないことから罪悪感に苛まれる様子が描かれる。
広島長崎の被爆の様子を描かないことから批判されたりもしていたが、それでもこれは紛う事なき反戦映画です。
科学がどのようにして政治にせき立てられて暴走するかを、力を持ってしまった政治はどうしてもそれを使わなくてはいられないのだという様子を、残酷なくらい赤裸々に描いている。
科学者たちがそれぞれの想いに基づいて推進したり反対したり、反対に鞍替えしたり。それに比べてストロースたちのやることなすことの小さいこと…
科学者たちは、それが開発できるものならば開発せずにはいられないのだ、ってのもあらためて問い直さないとねというのがノーランの思いなのかな…
役者陣は最高。キリアン・マーフィは今まで観た中で一番の芝居だったし、ロバート・ダウニー・ジュニアもエミリー・ブラントも凄かった…
予習は必要だけど、観ておくべき作品と思います。
人類滅亡に導く発明…被爆国の日本人はどう捉えたらよいのか?
アカデミー賞を総なめにした話題作、遅ればせながら鑑賞。
アメリカ人にとっては、核爆弾を発明し『原爆の父』と呼ばれる物理学者オッペンハイマーが、国家戦略へと巻き込まれていく数奇な運命を描いた史実物語として観るのだろう。しかし、世界唯一の被爆国の日本人にとっては、広島、長崎のあの惨状が殆ど触れられていない本作を、どう受け止めたらよいのか…。単純にエンターテイメント作品として楽しめる人は少ないのかもしれない。
しかも本来は、ドイツのナチスを倒すために発明された核爆弾が、ヒットラーの失脚、自殺によって、ドイツが衰退した結果、その矛先が日本へと変わったというのも初めて知り、改めて、日本にとっての悲運な史実であったことを理解した。
個人的に、鑑賞後に3つの見方があると感じた。
1つ目は、世界に先駆けて核爆弾を発明したアメリカが、星条旗の下で終戦の名の元に核爆弾を投下したことで、世界のリーダーとしての強い国のイメージを印象付けるもの。
2つ目には、核の恐ろしさを知らしめると共に、きな臭くなってきた現代の世界とこれからの世界に向けて、改めて、非核と反戦を訴えるもの。
3つ目には、太平洋戦争を終結に導いた核爆弾の発明者・物理学博士オッペンハイマーの栄光の陰にある、ヒューマンドラマとしての苦悩と葛藤、そして、サスペンス要素を組み込んだ国家的陰謀を描いたもの。
である。
物語は、核爆弾の投下を1945年8月を前後して、オッペンハイマーが、核爆弾の開発に至るまでの過程と、戦後には今後の水爆開発への警鐘を鳴らしたことで、ソ連のスパイ容疑者に仕立てられて、諮問機関に尋問される、2つのシーンから構成されている。前半部では、その2つのシーンが混在して描かれ、核物理学の専門用語も飛び交うために、凡人には、なかなか理解に追いつくのが難しかった。
しかし、いよいよ核実験が本格的に始まるシーンからは、それまでの布石もわかりやすく一つずつ回収し、見入ることができた。特に、トリニティー・サイトで7月16日に初の核実験が行われるまでの緊迫感や実験の衝撃的な威力の爆発シーンでは、怖さや不気味さに包まれる効果音、そして、放射能を感知するガイガーカウンターの様なノイズによって、気持ちが煽られる演出は見事だった。相変わらず3時間という長帳場のノーラン作品だが、最後まで入り込んで鑑賞できた。
出演者もなかなか豪華。主役のオッペンハイマーには、ノーラン作品では欠かせないキリアン・マーフィーが演じ、その妻にはエミリー・ブラント。他にもマット・デイモン、ロバート・ダウニー・Jr、ラミ・マレック、ケネス・ブライナー、ジョシュ・ハートネット等、主役級の俳優陣が脇を固めているの、見どころである。
最近ではウクライナとロシア、イスラエルにガザ地区、北朝鮮、中国…と世界中できな臭い状況が毎日のように報道されている。核保有国が、決して最後のボタンに手をかけない事を祈るばかりだ。
人間の敵は欲望なのか?
「広島・長崎の惨状が描かれてない」と賛否両論あったそうだが、この映画は戦争や原爆の悲惨を描いた内容ではなく、国のプロパガンダや人間の欲の虚しさをオッペンハイマーと言う人物から描いた映画に思えました。確かに人間は向上心を持って生活を豊かにしてきた訳だが向上心が欲望に変わった時、それは全く異質なものとなる。最後に「前の様に研究者に戻るには国を捨てる事だ」「私はこの国が好きだから捨てられません」というやり取りがあったが、愛国心の強い人ほどプロパガンダに騙されやすい様に最近の国際情勢からも伺えます。また、大きい事を成し遂げる達成欲の為、倫理や哲学を見失う事もあるでしょう。その様な事をこの映画は伝えたかったのではないでしょうか。いずれにせよその様な事で何十万の命が亡くなってしまったという虚しさだけが残りました。
天才の苦悩
常々、ノーラン監督とデビット・フィンチャー監督は資質が似てるなと思っていた。
今回観ていて、「ソーシャル・ネットワーク」を思い出した。
どちらも個性派カリスマ監督が天才の孤独を描いている。
そして、長時間を飽きさせず一気見させる力がある。
ま、観てる僕はド凡人なんですが💦
物語は、原爆の父と呼ばれる物理学者の苦悩を描いている。時系列がバラバラの上、ものすごいスピードで会話が交わされるので、付いて行くのが大変、というか付いて行ってない😅
それでも興味を失わず観せきる手腕は流石。
劇中、やはり日本人にとっては胸糞悪いシーンがあるのですが、それすらも狙い通りであり、ある意味よくやったなと思う。飽くまでもオッペンハイマーという人の目線で描く物語なので、納得も出来る。
テンポが良い作品なので退屈はしてないのですが、観終わって、疲れが出てしまう作品でした。
#クリストファーノーラン 監督
#オッペンハイマー
人間はガン細胞みたいなものです 滅びるまで増え続けるだけです
原爆の実験が成功した時、喜んでいるアメリカ人とは対照的に顔がひきつていくのを感じた
魔王の誕生を見るようだった
日本人だからじゃない
まさに、世界のあり方を変えてしまった瞬間
これまで何度も言っていますが
ヒトという種は、地球という小さな規模であっても存在してはいけないんじゃないかなと思ってしまうんですよ
人が素手で抵抗する人を殺そうとしたら、どれだけの労力と狂気がいるかは想像を絶するものです
特別な訓練をした殺し屋でもなければできません
でもナイフがあれば、人殺しはだいぶ楽になります
ただし、血まみれになるかもしれません
そして、拳銃
人差し指を少し曲げれは人を殺せます
少しの怒りとかの感情があれば、簡単に人を殺せてしまう
銃を簡単に買えるアメリカは、そういう状態です
核が存在するという事は人殺しどころじゃない
いま、世界中にある核爆弾で地球を何回滅ぼすことが出来るか
そして、原発です
天変地異やテロがあるだけで爆弾と化す原発を含めれば、地球に未来がある確率なんてとても少なくなります
本来、自然な状態なら爆発するはずの無いものをたくさん作っている人間って、地球にとってはガンみたいなものです
腹が立ったら殴ってしまういう単純な感情をまだ制御出来ない人類が破壊にだけ特化して進化し続ける歪(イビツ)
征服に、力の誇示に、宗教に武力を使うしか能のない連中が未だに世界を牛耳っている
そして、殴られたら殴り返すしかない世界
核爆弾ができてまだ、100年も経っていない
人に、いや地球に未来があるなんて、誰が想像出来るんだろう
だから、誰も先なんて見てない
のほほんと今を生き、寿命がつきるか、突然核の炎に焼かれるか
それがヒトの生なんでしょう
そういう意味では、動物や虫と一緒です
多分、もう取り返しは出来ない
そういう瞬間に、ふと我に帰って思い出させる作品です
アインシュタインがもう自分では何も出来ないと放棄したように、物理学者は遠い未来に希望なんてもっていない
全ては、始まりがあれば終わりは必ずやってくる
それくらいの悟りの境地なんでしょう
190分、つまり3時間10分
ほとんど会話
会話の嵐
字幕に集中するのはさすがに疲れた
吹替えにした方が楽だったかも
だから、マット・デイモンが出ていたことも、ルイスがアイアンマンのロバート・ダウニー・ジュニアだった事も、不倫相手が、ちょっと前に観た”砂の惑星 デューン 2”のフローレンス・ピューだったことも気づかなかった
というか、気にならなかった
奥さん、エミリー・ブラントだったんだ
ふーん
知るべき作品
予備知識がなかったのでパラレルに進行するあのグレーの世界がなんなのか、理解するまで時間を要してしまいましたが、、
研究者達がどのように巻き込まれていったのか、目的を達成した後のオッペンハイマーの苦しみや事件の真相など歴史の一部を知ることができたことはよかった。
標的を失ったにも関わらず、そこで止まらなかった原爆の投下。改めて、日本にとってなんと不運が重なったことか、広島、長崎の悲劇を思うと悲しみが止まらない。
原爆開発、人間性、責任問題と内容テンコ盛り
クリストファー・ノーラン監督ですからね、映像・音響・ストーリー展開、どれを取っても濃厚です。
長編ながら最後まで楽しめたんだけど…
個人的には実験の後の体育館のスピーチで終わっても十分だった気がするな。
そうすると、重心がずいぶん原爆開発とその苦悩に寄ったと思うし。
でも、どうしてもオッペンハイマーの人間性とかその後の物語を描きたかったんだろうな。
ということで内容がテンコ盛りになってます。
世界の恐怖に引火した男
オッペンハイマーの原爆開発道程とその余波を、共産スパイ疑惑事件を交錯させて描くドラマ作。
傑作。
世界の在り方を変えてしまった現代のプロメテウス。その強迫的なまでの探求心と脆い理性。力を望む者の狡猾さと、世界の恐怖に“引火”したという後悔が、彼の心を擦り潰す。
* * *
星/雨/炎/硝子に重なる、極大化された光と波の幻想。量子力学に憑かれた男の圧倒的な脳内イメージ。ナチスが敗北してなお目的を挿げ替えて開発継続した最大の理由は、世界の破滅をも軽視するほどの科学への好奇心だろう。広島・長崎の犠牲を経てようやく自身の業に気付き、責め苛まれるももう遅い。「恐怖を理解すれば使わない」などという思惑も空しく、原水爆はリスクを十分理解しようともせぬ権力者共のパワーゲームの駒に加えられ、世界に引火した恐怖は今もなお焼き拡がり続ける。まるでオッペンハイマー達が試算した悪夢の如く。だからこそのあの言葉。
「我々は破壊した。」
* * *
原爆投下の描写については日本人としてやはり敏感にならざるを得ないが、“原爆をあくまでオッペンハイマーの視点で描く”との意図は鑑賞中にも理解できたし、広島・長崎の惨禍と為政者達の振舞いを見て水爆反対の立場に転じた彼を見て感じたのは、「開発者も米国も原水爆の誕生を喝采と共に迎えるべきでは無かった。この兵器は人の理解も及ばぬほどに破滅的且つ予測不能な代物だ」という激しい恐怖だ。
“戦勝スピーチ”の場面で心を引き裂かれた彼のビジョンは強烈だし、彼の憂慮とはかけ離れた卑小な嫉妬心や軍事的野心によって彼がいたずらに貶められる様を見れば、やはり原水爆は無知で欲にまみれた我々 人の手には余ると感じる外無い。
その点では、ストローズの敵愾心の根元たるアイソトープ輸出議論の場面はやや淡白過ぎて思えたし、広島・長崎の写真を目にする場面では主人公の視点としてはっきり写真を見せるべきだったとも思う。そこが本作に対する数少ない不満点。
<了>
補足:
2つの時間軸を激しく往き来する構成ゆえ難解と感じる方も多いようだが、各場面で語られるテーマに着目しながら話を追えば、テンポは早いものの実は比較的シンプルと思う。本作での時間軸の交錯・対比はあくまでテーマを際立たせる為の手法と気構えしておけば良い。
あとはそこまで複雑な予備知識は無くとも、第二次世界大戦(特にドイツと日本)のおおまかな時系列や、米ソ対立に端を発する共産主義者締め出し運動≒“赤狩り”について軽く知っていれば十分に付いていけるレベル。
登場人物が多くて混乱するとの声もあるようなので、そこは公式サイト等で軽く下調べしておくことをおすすめ。
この映画の現在地点は?
時間軸もストーリーの1部にするノーラン監督なのだから、「オッペンハイマーの姿を通しての人類の現在地点」なのだろう?
・実験が不得意な理論家の学生
・ナチに原子爆弾に渡さない信念のプロジェクトリーダー
・軍拡反対を唱えて要職を解かれた科学者 ← イマココ
・科学的な側面の功績を称えられる人物
ラストシーンでアインシュタインが語るように、傷つき反省の先に栄光があるのだから。
む…難しかった
場面展開が難しかった…
過去の話が白黒表現なんだと思ってたけど違ったから、瞬間的な時系列の理解が遅れ、その遅れを取り戻すために記憶がチグハグになってしまった(´・ω・`)
(伝わるかな…)
原爆の実験のシーンはきつかった。
きつくて涙が出た。
その時を経験なんてもちろんしてないけれど、感情移入がしんどかった。
名優の名演技はほんとに脱帽。
『世界を破壊してしまった』の、セリフが全てだった。
国家と科学者の距離感
神経症気味の有能な物理学者が、ナチスと対抗するための国家機密プロジェクトのリーダーに抜擢され、ナチス崩壊後は対日戦を終わらせるためと称して原子爆弾の開発に成功し、時代の寵児となった後、赤狩りの時代に失脚したが、それは有力政治家との確執によるもので...と盛りだくさんな内容で、登場人物が多く、時制も前後していて、頭で理解しようとしても追いつかない。映像、音響とともに身を委ねるしかないが、それがクリストファー・ノーラン監督の狙いでもあるのだろう。
日本人としては、原爆被害の実態を描いていないことに関心が向くが、画面中に直接映されないものの、主人公が被害の映像を観てショックを受けるシーンや、世界を破滅させる兵器を開発してしまったことに苦悩する姿はちゃんと描かれている。
最も印象的だったのは、大統領との面談シーンで、自責の念に駆られている主人公に対し、大統領が「恨まれるのは爆弾を落とした私であって、爆弾を作った者のことなど覚えられもしない。」と言い放つところ。
作品全体を通して考えさせられるのは、国家と科学者の距離感。主人公が辿る国家との関わりを見ていくと、いかにもアメリカ的だなと思いつつ、今の日本でも、学術会議の任命問題や国家機密保護法など、ごく身近な問題であることに改めて気付かされる。
有名俳優がたくさん出ていることにも驚くが、主役のキリアン・マーフィは、主人公の繊細さと屈折さを体現している。ロバート・ダウニー・Jrは、眼鏡を外すまで気が付かなかった。アインシュタイン役がそっくりで誰だろうと思ったら、トム・コンティだった。
見どころはいろいろあるが、一度観ただけでは理解しきれない。改めて見直したら、理解も深まるだろう。
天才科学者の必要性とは
とてつもない緊張感が漂う3時間
とにかく音がその緊張をこれでもかと盛り立てる
そして次々と迫られる選択と判断
この人は誰?この人は何?
スパイ、反対者、理解者、推進派、慎重派
正直付いて行くのに精一杯でした。
でも史上最も悲惨な出来事の米国政府、軍、科学者側からの視点であるドキュメンタリー映画作品である事を承知しました。
サブタイトルに[天才科学者の栄光と没落]とあるがどちらも感じる事は出来なかった。苦悩の連続じゃないか。どんな運命に導かれてこのような破壊兵器を作ったのか、何故こんな人生を送らなければならなかったのか、歴史の恐ろしさの一面を垣間見たようだ。
さっさと見よう
今の時代、実際にあった戦争や物事を題材にすると上映するな!なんていう連中が出てきたりするが私はこれは上映をしなければならない作品だと思うよ。そして私たちは考え方を改めるべきだとも。
これは単なる歴史劇のようなもので、別にこの行動を称えている訳では無い。あまりにも戦争を知らない、経験をしていない私たちは核がなんなのかを知るにおいてはいいと思うのだ。映画きっかけに知識をみにつけて危機感でも持ったらいいのです。
これを上映している彼らには非は無い。だって彼らが核を作った訳では無いのだから。戦争を起こした訳では無いのだから。むしろこの作品を上映されなかったら、この話でさえ知らない、オッペンハイマーさえ知らない人間だって出てきただろうに。
悲しいから、悲劇だから、なんて理由で作品を中止にしたら見なかったりするのはあまりにも酷い。
なら悲劇的なものはどうしたら無くなったのか、もし私たちが当事者になったらどうすればいいのかを考えるためにあるんですよ悲劇は。喜劇なんかよりもよっぽど自分のためになる。(この作品は悲劇ではなく歴史劇的だが)
たまに外国人は嫌だ、なんて連中がいて理由を聞くと「過去の戦争」の話をしてくる人がいる。これは経験者ならまだしも、それを母に持っていて、もしくは祖母に強く聞かされてなら分かる。ただ、私たちは結局何もされていなくて、しかもその後に生まれた海外の方たちだって別に何もしていない。恨むべきは当事者、そしてトップであることを忘れている人が多い。誰も総理大臣なんかに反論できないだろう。戦争時に反対したら一発でやられてしまうのに。起こしたことが悪なのだから。
みんな人種の壁を勝手に作って、当事者でもない人たちを悪くいうのはやめようと、少しでも思ってくれたらと見ながら考えました。
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