オッペンハイマーのレビュー・感想・評価
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作った学者と使った政治家
アカデミー賞を獲った情報以外は入れずに鑑賞
原爆を作った人というのは知っていたが、
核爆弾の使用をアメリカ側から描いただけと予想していました
作った側の苦悩は本人しかわからないが相当なものだったはず
学者としては天才でも、世渡りの才能は皆無
最初は観ないつもりでしたが、観て良かった
冒頭で明らか、ダメ男オッピー物語
開始早々、女性と深い中になるあの安易なくだりでピンときた。
こやつ、仕事しかできないダメ男だな、と。
その後のカラーパートでの聴聞シーンでも映像そのもの、包み隠さず公の面前で不倫を明かし、妻を傷つけながらもお互いの関係を信じて証言に現れる、と言ってのけるあたりなど、
アタマ良すぎるタイプに散見される、人としてアタマ、ワル、な展開に呆れてモノも言えかった。
そこは濁すか、否定するか、証言には来なくていいとむしろおもんばかるのが優しさでは。人の心がなさすぎて寒気すら覚えている。
高度な抽象を綿密と扱い、その中で正確さをつきつめる。
情緒を排した作業の日々に、消え失せたのはそうした優しさのみならず恐れもまたで、
恐れを知らないとは無謀であり、無謀こそ真に賢明な者なら徹底して回避する成り行きだろう。
あくなき探求心、研究の成果なのか、功名のためか、祖国への忠誠か。
いずれにせよ越えてはいけないそれが一線である、と芯から恐れを感じ取れなかった、
仕事に忠実なだけだった、感情薄い主人公の愚かさが徹頭徹尾、愚かしくも悲しみを誘い、そうじゃないでしょ、と言って聞かせたい腹立たしさを誘った。
最後、そりゃあ、後悔しても遅いし、ハメられても文句は言えないな、と。
またちょうど鑑賞前日、「アインシュタインが娘にあてた手紙」というものの存在を知った。どうやら都市伝説のようなものらしいが内容は興味深く、「愛もエネルギーなら科学の範疇」と唱える「インターステラー」の元ネタではと気づき、本作は真逆と「科学が愛を失った成れの果て」を描いているのではと感じている。本編、日本の立ち位置はその一部に含まれている、程度で、原爆の功罪というよりも、主題はもう一回り大きい気がしている。
三時間が短かくてびっくり。
バストアップの多用される単調な画面を、煽り過ぎず、引っ込み過ぎず、音楽がちょうどいい具合に飾っていてこれまたよかった。
被爆の映像を挟むことはむしろ、それだけで見る人の思考を止めるだろうから、いらないと私は思う。
作った人は悪くない、使った人が悪い
原爆の父と呼ばれた、物理学者オッペンハイマー
彼の原爆開発成功に至るまでの姿、
そして原爆の脅威を知った後の彼自身による軍拡反対、水爆開発反対の意見、
それに対する周囲の渦巻く欲望・・・
アメリカの原爆はドイツを攻撃するために開発されたが、
ヒトラーの死後、ドイツは降伏、そして負けを認めない日本に対し、
原爆を投下することに・・・
この映画では時系列がシャッフルされ、カラーになったり白黒になったり、
また、登場人物も各自系列の中で多く出てくるため、観ながら混乱してしまいました。
ただ、さすがに原爆の完成が近づき、さらには日本への投下の話があがり、
8月6日とか、広島、長崎という単語が出てくると
胸に苦しいものが・・・
作った人が悪いのではなく、使った人が悪い
いつの時代も新たなものが生み出されると、こういった論議が行われるが・・・
映画冒頭、アインシュタインとの会話はなんだったのか、
それがエンディングでわかり、心に響いた
3時間、あっという間でした
ノーランが描く映画のキュビズムな手法
私は一応理系で科学史なども大好きな人間なので、おまけにノーラン映画の大ファンなので待望の映画でした。最初は次から次へと出てくる「現代物理学の巨人たち」にニヤニヤと。ただそんな私でさえ、「がっつり専門用語入れてくるなぁ」と、そこはぬかりのないノーラン監督。一緒にこのスクリーンを鑑賞している人の中で、今のセリフ、果たして何人意味わかっただろう、なんて無駄な同情することもしばしば。
で、着目したいのは今回のノーラン節なのですが、いつもの定番は案外軽めかと。時系列シャッフルは3つくらいですし、相変わらず伏線だらけですが、まあ解り易い方かな。ただ今回の監督の目論見は、ズバリ「映画のキュビズムな手法」ではないでしょうか(某有名画家の絵も解り易く入れてたしね)。オッペンハイマー博士だって人の子です。そりゃスケベでもあれば名誉欲もあり、主義主張を論じれば純粋な探求心もあり。こういった多角的な側面を我々に見せることで、ある一面だけでは人物は語ることのできない、複雑な人物像。原爆の是非ひとつとっても博士の心情は超難解、情報多すぎ、単純には評価できない、だからこそよりリアルに感じられる。なるほど、こう来たか。
主人公とと脇役の関係をこの映画らしく「核融合と核分裂」になぞって魅せるのも面白かったです。時代が変われば、当然関係性も変わっていく。昨日の友は今日の敵。これも人間のリアリティですよね。
後半はもう一人の主役ともいうべきストローズの話になるのですが、ダウニーJr.はさすがアカデミー賞の演技ではあるものの、ちょっと長いかなーと思いました。オッペンハイマー博士の名誉回復の意図もあったのかもしれませんが、アメリカ人好きな裁判もので名優の演技という保険かけてる気がして、そこが個人的に満点でない理由ですかね。赤狩りとか、日本人にはやっぱり印象が薄いのは仕方ないですしね。友情や夫婦愛もぬかりなく入れる、さりげなくはしてるけど、気が付くとそこもちょっとあざといかな。
最後に話題になった原爆投下の扱いですが、正直内容が薄くて無視に近いレベル。公開を見送るほどのものじゃなかったかな。あとフェルミの扱い少ないぞ、ノイマン名前さえ出ないぞ、結局あの方が最後持っていくんかーい、が個人的なツッコミポイント。総じて秀作でした。
天才なのかもしれないが…
天才物理学者も女と国家には振り回される
天才物理学者オッペンハイマー博士の伝記映画です。ケンブリッジ大学への留学以降の半生を描いています。
映画の冒頭、留学先で実験の失敗を叱責された彼は指導教官を毒殺しようとします。「当時俺はホームシックでちょっとおかしくなっててさ…」と後にサラリと振り返りますが、なんとも奇妙なエピソードです。「倫理観の破綻した天才」という印象を持ちました。
常人には見えない天才ならではのビジョンを、映画は幻視的なシーンを重ねることで表現します。原子の世界を花火で。原爆の被害を白い光と風と女性の皮膚の剥離で。何度か繰り返されますが、映像表現には新鮮味を感じません。
天才科学者の彼は、何一つ自分でコントロールすることができないように見えます。男女関係しかり、兄弟関係しかり、水爆開発をめぐる権力闘争しかり。そんな彼のセックスは女性上位です。彼は巻き込まれ型の人物であり、「NO CHOICE」と呟きながらどんどん原爆作製計画に巻き込まれて行きます。
彼はアインシュタイン先輩を「もう終わった人」と軽視するような傲慢さを持っていますが、一方彼自身も次世代「水爆の父」テラー博士から考えが古いと突き上げを喰らいます。
やっと自分が活躍できる場を与えられた彼は、ロスアラモス国立研究所の建設と原爆実験を成功に導きます。ストリングスのBGMが緊迫感をあおりますが、「三位一体」実験が成功するのは周知の事実であり、スリルはありません。
「他に選択肢はない」「すべての戦争を終わらせよう」を合言葉に原爆開発に勤しみ、その成功を祝う科学者達。科学者としての虚栄心と倫理観の間で苦しむ姿はほとんど描かれません。彼らは自分たちの仕事がもたらした大惨事に、その後どのように向き合ったのでしょうか。科学者たちの苦悩を描くNHKテレビ「フランケンシュタインの誘惑」の方が見応えあるかも知れません。
オッペンハイマー、ラビ、テラー、アインシュタイン、ボーアと多くのユダヤ人の天才科学者が本作のメインキャストです。ナチスの迫害に対し彼らは知性と創造力で対抗し、その成果物は日本人に向けて使用されることになります。
陸軍長官を交えた原爆の実戦使用の検討会議。「科学者は想像力で理解できるが一般人には見せてやるまで理解できない」「神の力の啓示を与える」と原爆使用に前向きな発言をしています。原爆投下とそれに伴う日本の降伏により、彼は一躍時の人に。その反面、水爆開発に後ろ向きな彼はもう「用済み」扱いを受けます。天才科学者といえども、国にとってはただの「駒」でしかない無情な現実が突きつけられます。
いつも自分の意志を明確にしないまま状況に流されているように見えてしまうオッペンハイマー。そんな彼と対象的なのが、一人は妻キティ。窮地に落ちた彼を励まし、「戦え!敵と握手をするな!」と叱りつけます。妻を主役にして妻の視点から描いていたら、もっと見ごたえのあるドラマになっていたのかも知れません。もう一人は原子力委員会委員長のストローズ。世間知らずでウブなオッペンハイマーと、叩き上げの老獪で野心的政治家、キャラクターの対比が鮮やかです。共通点はふたりともユダヤ人であること。ストローズはオッペンハイマーにメンツを潰されたことを根に持ち、彼の影響力を削ぐためにスパイ容疑で罠にはめます。さらにストローズはJFKとの間にも禍根を残します。もしかしたら後のJFKの暗殺に絡んでいたのではないかと勘ぐってしまうような含みをもたせたシーンでした。史実かどうかは分かりませんが。
証拠がないのにスパイだと告発されたオッペンハイマー。密室での聴聞会のシーンが延々と挿入されます。「自分はスパイではない」と証明することは悪魔の証明であり、当然明確な結論は出せません。国に対する忠誠心を証明しろ!というの無理な話です。日本人という外の敵、共産主義者という内なる敵に容赦しないアメリカが描かれます。聴聞会でスーツ姿の男達とオッペンハイマーの妻が見守る中、突然素っ裸で演技をさせられる異様なシーンが挟まれます。プライバシーを暴かれる羞恥心と罪悪感を映画的に表現したシーンですが、そのあざといシーンのせいでR指定になり子供らが観られないのは残念なことです。
彼の政治的な思想信条はどうだったのか。共産主義へのシンパシーはあったのか。ユダヤ教による宗教的背景はどうなのか。ユダヤ人としての苦悩があるのかないのか。どんな両親のもとにどんな環境で育ったのか。幼少時の特異な体験はないのか。兄弟の関係性はどうなのか。内面にどのような葛藤を抱えていたのか。科学者としての虚栄心はどうだったのか。多数の人命を奪うことになった罪悪感はどうだったのか。生命倫理観はどうなっているのか。なぜ東宝は公開を見送ったのか。本作を観てもよくわからないままでした。ただうつろな表情と「われは死神なり。世界の破壊者なり」というクリシュナの引用による抽象的な言葉があるだけ。あるいは幻視的な特殊効果のシーンが挿入されるだけ。オッペンハイマーという人物に焦点をあてながら結局彼がどんな人なのかよくわからない、不思議な映画です。原爆あるいはオッペンハイマーという人物はそもそもたかが3時間の映画で語れるほど小さな事象ではないということかも知れませし、オッペンハイマーは題材であり主役はクリストファー・ノーランなのかも知れません。
映画の中で彼がもっとも苦悩するシーンは元カノの自殺を知った場面です。本来彼には見えないはずの浴槽での自殺シーンが描写され、彼は気が違ったように嘆き悲しみます。本作中でクールな彼が感情を露わにする唯一のシーンでした。遠くの何万人という異教徒たちのむごたらしい死よりも、身近な一人の女の死の方が彼を苦しめたようです。
【彼の生涯】
1904 ニューヨーク生まれ
1925 21歳 ハーバード大学を首席卒業
1936 32歳 カリフォルニア大学、カリフォルニア工科大学教授就任
1943 39歳 ロスアラモス国立研究所の初代所長に就任
1945 41歳 人類初の核実験であるトリニティ実験に成功
1947 43歳 プリンストン高等研究所所長に就任
1954 50歳 スパイ疑惑により公職追放
1960 56歳 初来日
1963 59歳 エンリコ・フェルミ賞受賞
1967 62歳 喉頭がんで死去
【追記】本作の宗教的側面について
この映画は宗教映画でもあります。
本作の描くロスアラモス国立研究所の描写はまるで一大祝祭空間です。ここは宗教施設でもあり、無神論者(共産党員)や異教徒は立ち入れません。立ち入った者は罰せられます。
「他に選択肢はない」「すべての戦争を終わらせよう」を合言葉に原爆開発に勤しみ、その成功を祝う科学者達。科学者としての虚栄心と倫理観の間で苦しむ姿はほとんど描かれません。それはなぜか。言葉では語られませんが、『原爆の製造と使用は「神の摂理」である』という暗黙の了解があったからではないでしょうか。
悪天候の中、「朝には回復する!砂漠のことは俺がよく分かっている!5時半決行だ!」と宣言するオッペンハイマーはもはや科学者というより司祭様です。「三位一体」実験の成功により祭りは最高潮を迎えます。
スティムソン陸軍長官を交えた原爆の実戦使用の検討会議。オッペンハイマーは「神の力の啓示を与える」と神の名を出して、原爆使用に前向きな発言をしています。
原爆投下とそれに伴う日本の降伏により、彼は一躍時の人に。大衆に熱狂的に迎えられる彼の心の中では、ひそかに重大な「宗教的変節」が起こっています。原爆被害の実態を知った彼は『原爆の製造と使用は「神の摂理」である』という前提を疑ってしまいます。これは重大な罪に当たります。
『殺してはいけないという戒律はユダヤ教徒の内側にのみ有効で,異教の民には適用されない。神が殺せと命ずれば,それは絶対的な命令である。人間の判断が入り込む余地は微塵もない。もし,人が倫理や感情を持ちだして神の命令にそむけば涜神(とくしん)となってしまう。したがって,命令=契約を素直に,忠実に実行するのが正しい信仰の姿なのである。命令=契約に対して一切の疑義をさしはさむことはできない。』
(諜報謀略講座 ~経営に活かすインテリジェンス~ 第8講:一神教における愛と平和と皆殺し 東京農工大学大学院技術経営研究科教授 松下博宣 より一部抜粋)
トルーマン大統領との面談で、「自分の手が血塗られた気がする」と正直に吐露したオッペンハイマーを大統領は「科学者ごときが責任を感じるなぞw」「泣き虫!」と罵倒します。トルーマンもオッペンハイマーの宗教的信念の揺らぎを見透かしています。「いまさら日和りやがって!このヘタレが!」と言わんばかり。大統領の全く悪びれず堂々とした態度はどこから来るのか。もちろん、『原爆の製造と使用は「神の摂理」である』という宗教的信念からでしょう。
神の忠実な下僕であるストローズもオッペンハイマーの変節を見抜き、彼を宗教裁判(異端審問)である聴聞会にかけます。
オッペンハイマーは原爆を作った罪で断罪されたわけではありません。
彼の犯した罪は…
①無神論者(共産党員)へのシンパシー
②異教(ギリシャ神話やヒンドゥー教)の言葉を口にしたこと
③神の摂理である水爆開発へ疑義を挟んだこと
④核兵器を「国際管理」という名目で異教徒の手に渡そうとしたこと
また、ストローズを原子力委員会の最初のコミッショナーに抜擢したのはトルーマン大統領でした。トルーマンにはエドワード・ジェイコブソンというユダヤ人の親友がいることは有名であり、そしてトルーマン大統領は後にイスラエルの建国を承認します。さらにストローズはイスラエルの核計画の父と言われるベルクマン博士を支援したと言われています。
ストローズの商務長官就任に関する公聴会。上院議員の投票により否決されます(賛成46、反対49)。反対票を投じた中には将来大統領になるJFKとリンドン・ジョンソンがいたそうですが、本作でストローズが口にするのはJFKの名前だけです。JFKがカトリック教徒だったからかも知れません。
原爆がなぜ長崎に落とされたのか。だれがどのように決めたのか、いまだに明らかにされていません。『「長崎の原爆投下は日本とカトリック教会への攻撃だった」(ヴィクトル・ガエタン ナショナル・カトリック・レジスター紙シニア国際特派員)』という考察もあります。
本作には悪魔と天使の対決も用意されています。悪魔は無神論者(共産党員)でオッペンハイマーを性的に誘惑するジーン。天使は妻のキティ。聴聞会の場で、ジーンとキティはにらみ合いの直接対決を演じています。
この映画で最も印象的なシーン。ジーンの自殺を知ったオッペンハイマーが森の中の木にすがるように泣き崩れ、それをキティが励ましています。不倫相手の自殺を自分の妻に話したり、それを聞いて励ましたりする夫婦がいるでしょうか。極めて不自然なシーンです。これは夫婦の姿ではなく、悪魔の敗北と天使の導きを示唆した宗教的シーンではなかったでしょうか。原爆の作製と使用を神の命令と信じればオッペンハイマーは良心の呵責に苦しむ必要はありませんが、元カノの自殺には耐え難い苦痛を感じたようです。悪魔と天使の間でオッペンハイマーの心は激しく揺れ動いているようです。遠くの異教徒の大量の死も、彼の心をこれほど揺さぶりはしません。
原爆とこの映画の共通点はどちらもキリスト教徒とユダヤ教徒の手によって作られ、異教徒の理解は必要としていない点にあると思います。アカデミー賞の受賞やロバート・ダウニー・Jrの態度も含めて、「異教徒」である日本人のわれわれには理解が及ばない点が多々あるし、彼らもまた理解を求めてはいないのではないでしょうか。もしドイツの降伏が遅れていたとしたら、トルーマンは同じキリスト教徒の上に原爆を落としていたのでしょうか。
いっぱい賞取るのも分かる、良く出来た映画。特に一番の山場であるトリ...
いっぱい賞取るのも分かる、良く出来た映画。特に一番の山場であるトリニティ実験のくだりは素晴らしい。絶対押したらあかんボタンが押され世界が変わる恐怖と、最高にドキドキするエンタメとを両立させている。爆発の映像はちょっとしょっぱいが、音楽・音響で補っていた。
聴聞会シーンは若干退屈ではあるが、うまい役者が揃って味わい深い。ロバート・ダウニーJr.はアカデミーの授賞式でミソをつけたが、ここでの演技は素晴らしかった。
役者はチョイ役も全部ビッグスターで凄い。しかもみなさんだいたい実際よりちょっと老けた役をやっており、これがまた良い。トルーマンになりきったゲイリー・オールドマンがなぜか谷啓にそっくりでビックリした。
撮影は素晴らしかったが、IMAXで上映する意味があるのかどうかイマイチ疑問。
音楽も素晴らしいが、とにかくずっと鳴っているのでセリフにかぶり気味なのが気になった。
ちなみにDune2と同じスクリーンの同じ席で観たが、映像も音響もオッペンハイマーのほうが数段上だと感じた。
◇贖罪、相対性、そして時間
ノーラン監督作品の主たるモチーフと言えば、初期の『メメント』 から一貫して「時間」そのものです。置き換えられたり、繰り返されたり、巻き戻されたりする可変的な時間軸。そのトリッキーな技法に巻き込まれて、われわれは「意識=時間」が再構築されて洗い替えされるような感覚に晒されます。
時間の魔術師ノーラン監督が、『インターステラー』『テネット』などの作品でSF考証を務めたキップ・ソーンというノーベル賞物理学者を通じて、辿り着いたのがアメリカ🇺🇸の理論物理学者でした。核兵器を世に送り出したオッペンハイマーという人物です。
一人の人間にとっての「時間」とは、継続する自己意識の有り様です。記憶や思い入れや執着の連続体として、存在する「時間=意識」。原爆を開発したオッペンハイマーの気まぐれな心変わりを描き出すことで、生々しい「時間=意識」ドラマが創造されました。
原爆には積極的であったのに水爆開発には反対する姿、優柔不断な女性関係、共産主義者からの転向。自らの一貫性の無さが引き起こした核兵器の時代への贖罪を自虐的に露悪的に曝け出し続けることで、辛うじて保たれる「時間=意識」の物語。
そこには、力強い「善」の姿はなく、絶対的な「神」もなく、果てしなく続く相対主義的な不連続でブツ切りの価値観の虚しさしかありません。一人の歴史上の人物を通じて、現代の解体された「時間=意識」が描き出されているようにも感じ入るのでした。
予備知識が必要な映画
まず、物語の理解に必要なことが作中で説明されない部分が多くあるので、J・ロバート・オッペンハイマーのwikipediaの記事くらいは読んで鑑賞したほうが良い。脳内であれこれ想像して補完すれば恐らく理解できなくもないが、本来それは不必要な負荷だと思うので、事前知識を入れておくことをおすすめする。
物語のあわゆる部分がその時の時代や世界情勢に紐づいている。
原爆そのものよりも、科学と国家安全保障、技術競争、研究効率と秘密保全のバランス、政治的な主義思想など、そういったことについて考える良い機会になった。
我々はトリニティ実験が無事に成功するのを既に知ってしまっていて、その実験に関わる人達の緊張感や不安がうまく想像できない部分があるが、そのあたりの感覚をしっかり描いてくれたのが興味深かった。
今まで観た映画の中で、もっとも恐ろしかった。
濃密な3時間
結局何でもそうだけど映画の『カティンの森』というか「勝てば官軍、負ければ賊軍」で勝てば正義で負ければ悪なのかなと思った。
オッペンハイマーはEテレの『フランケンシュタインの誘惑』で見た。
知っていたのはマンハッタン計画の責任者だったことと、戦後は水爆に反対して重要な役職から外されていたこと。
この映画を見て新たにわかった事実は女好きだったことくらいかな?
実際の原爆投下のシーンが入っていないという批判があるようだけど別に気にならなかった。
オッペンハイマー側からすると広島、長崎で何十万人死のうと別に痛くも痒くもないし、よくわからないだろうから入っていなくてもいいと思う。
Eテレの方を見た感じでは、水爆に反対したのは平和の為というより、自分の業績が軽くなるか否定されるのがいやだったからとなっていたけど、こっちの方が正しいような気がする。
科学者ってそういう人が多いし、だから『フランケンシュタインの誘惑』みたいなことになる。
オッペンハイマーは原爆の父と言われているけど、原爆を投下された当事者でない日本人としては別に恨みはない。
オッペンハイマーがやらなくても誰かがやったと思うし、一人で開発したわけではないのでそれほど責任はない。
できればこの映画のアインシュタインみたいな態度でいてくれればよかったと思うし、一時的に失敗するか、何らかの理由でもう少し遅れれば広島、長崎の人は死なずに済んだのかなとは思う。
でも東京大空襲で使われて『フランケンシュタインの誘惑』でも放送していた「地獄の業火ナパーム弾」も同じような効果のある兵器だったから、ナパーム弾で空襲されていたら原爆投下に近い被害が出ていたかもしれない。
オッペンハイマーには恨みはないけど、原爆投下を決定した人(トルーマン大統領?)彼には恨みがあるかもしれない。
戦争を終わらせる為と言っているけど絶対違う。
第一の目的はどう考えても人体実験。
戦争を終わらす為やソ連への牽制だけなら最初はある程度の予告をして被害の少ない所に投下すればいい。
それでも戦争を止めないのなら都市部に落としてもいいけど、いきなり民間人がたくさん住んでいる都市部に投下する必要はない。
百歩譲って落とす必要があったとしても広島だけで十分で、長崎にも投下する必要はない。
広島がウラン型で長崎がプルトニウム型だったことからして、どう考えても人体実験だったとしか考えられない。
仮にアメリカ人の将兵の命を守る為で、戦後の日本を全て支配しようという目的もないのなら、ソ連の参戦を許せばいいだけで、そうすればアメリカは本当に何もしなくても戦争は終わっていた。
よくナチスドイツのガス室が悪の権化みたいに言われるけど、こっちもかなり極悪非道。
原爆やナパーム弾で焼き殺すより、ナチスドイツのガス室の方が苦しまない分だけ良心的にさえ思えてくる。
結局何でもそうだけど映画の『カティンの森』というか「勝てば官軍、負ければ賊軍」で勝てば正義で負ければ悪。
ヒットラーが「力は正義なり」とよく言っていたらしいけど、結局そういうことなのかなと思った。
現在ロシアがやっているウクライナ侵略だって、ロシアが勝てば正義とはならないかもしれないけど、また再び当たり前のことのようになって、力のある国はまた同じ様なことをやり始めると思う。
日本がアメリカと戦ったのは気が狂ったとしか思えなかったけど、弱い国がどうせ大国にやられるのなら、一か八か戦ってみようと思ったとすればなんとなく納得がいく。
昭和の時代、学校でいじめれていた生徒が、先生に「いじめられているので助けてください」と言うと、先生は「おまえが弱いからいけないんだ、悔しかったら強くなれ!」と言ってそれで終わりだったらしいけど、あながち不適切ではないのかも?
次は大東亜戦争開戦の背景、被爆国日本側からみた原爆の惨禍について映画を作って欲しい
日本での公開に賛否のあった、原爆の父オッペンハイマーを観てきました❗天才物理学者が大量殺戮兵器を作り、その為に多くの日本人を殺してしまった❕
また、彼は面談したトルーマン大統領に対し「私は自分の手が血塗られているように感じます」と原爆開発を後悔するようなことを言ったことや、水爆再発に否定的なことを話したため、後に共産主義の疑念を持たれ失墜してしまう‼️
オッペンハイマーは広島への原爆投下による犠牲者が五万人程度と聞かされたが、実際にはその三倍もの民間人が犠牲になったことに心痛めてしまった❕
彼は純粋な学者でアインシュタインとも親交があった人物❕殺戮兵器を作るのではなく、自分の理論が正しい事を証明したかっただけなのかもしれない‼️
今年1月に広島平和記念公園で原爆ドームと原爆平和記念資料館を訪れたためオッペンハイマーには良い印象をもっていなかったけど、同地を訪れている外国人が説明書きを食い入るように読み、資料館では涙する外国人を多く見たので、この映画で原爆の酷さ、戦争の悲惨さを改めて考える良い機会になりました‼️
山崎貴監督はこの水爆実験によりGODZILLAが産まれた事を映画にして米国で大ヒットした❕皮肉なものだけど、やはり唯一の被爆国として反対の立場からみた原爆の悲惨さを映画にして欲しい‼️
タイトルなし
原子爆弾ではなく人間を描いており、日本での公開が危機一髪だったのがわからない。広島だ長崎だ言う人には、実験成功を喜ぶ祖国アメリカの体育館や公聴会、果ては未来の地球にまで落とされた原爆と水爆が見えなかったのか。落としたのは人間でアメリカ人ではない。ドイツ日本ソ連、全人類でボタン押したと言って良い。被害者面は周りに任せれば良い。
またフォローイングを見てからだと構造が同じで手腕の恐るべき進化がわかりやすい。
ちなみにノーランをIMAX GTで見るようなこだわりの強い人ってどうして両サイドの肘掛け使えるのが当たり前だと思うのだろう。両隣と米ソよろしく冷戦状態になってしまった。自分も良くないな、肘掛けぐらい良いじゃないか。
とまで書いた後になりますが、
広島長崎に原爆を落とした後に自分の思考を変えたとなると、確かに原爆の威力を描けよ!と言いたくなりますね。
考えが遅くて駄目だなあ。
傲慢な科学者と靴屋
オッパッピーではない
ストローズっておっさん誰?とか、小部屋での聴聞はなに?とか基本的展開での疑問はもちろん、次々とさまざまなキャラが登場し、ノーランが大好きな時系列いじりが入り、さらに時間軸に沿って人物が歳を取っていくので、オッペンハイマーと本作に関する予備知識がないと正直、話がよくわからない(と思われる)。
のりぴーではなくオッピーの半生を3時間観せられる映画なので人物への興味がないとよりしんどいが、原爆の父という点で被爆国の国民としてはスクリーンを観続けるモチベーションがあるといえなくもない。原爆の恐ろしさはオッピー目線で入れてるけど、広島・長崎後、ヤンキーたちの喜びようを見せられるとやはりムカッ腹が立ってしまった。反面、後半のソ連に原爆技術が渡った?という疑惑の会話劇は事実は決している話だけにけっこう退屈。まあ、小バカにされたとの勘違いだけで嘘をでっち上げたストローズの低レベルな人格には呆れるが、役者がアカデミー授賞式での露骨なアジア人差別をしたロバート・ダウニーJr.だけに納得感はある(後付け)。
主人公の高慢な感じや女好きも描きつつ、6週間でオランダ語を身につけ講演したり、複雑な数式を見ながらあーでもこーでもないと議論する人間はどんな頭の構造なのかとは思うし、マンハッタン計画のためロスアラモスに街まで建設しちゃう徹底ぶりには恐れ入る。こんな顔アップばかりの映画をわざわざIMAXで撮ったり、撮影のたびに大セットをおっ立てたりしちゃうノーラン監督自身もかなりヤバいと思うのだが、それゆえオッペンハイマーに共感して映画にしたのかも(勝手な想像)。
プロメテウスの後悔
被害者が見えないと云う指摘があります。加害者の苦悩は分かるとして、被害者の苦痛を伝えないでは、リトルボーイも、ファットマンも、その本当の恐ろしさが伝わらない。だから、未だに核は無くならない。それどころか、ガザをヒロシマのように…と言い出す議員まで。
計らずも、この映画は、落とした側と、落とされた側の温度差を、世に知らしめることになりました。
公開前から、映画の出来を評価するのではなく、この映画の存在自体、是非が問われています。
私はこの映画を否定しません。少なくとも、この映画がなければ、爆撃者と被爆撃者との温度差を、ここまで痛感することは、なかったはず。それだけで、意味があると思います。どう思うかは、ヒトそれぞれですが…。
以上、本作の事前情報を、レビューしてみました。
やはりと云うか、流石と云うか、ノーラン節、炸裂の時系列ですね。ついて行くのに苦労します。でも、社会正義を振りかざし、声高に一方的な正しさを押し付けるのではなく、一個人にスポットを当てた心理描写の方が、このデリケートなテーマには、良かったと思います。
因みに、原爆の研究は、米ソだけでなく、このクニでもしていたそうです。仮にこのクニで完成していたら、皆様は、どんな映画を創ります?。ヒトは自らの業火に焼かれて、灰になるだけの存在なのか、更なる進化を遂げるポテンシャルを秘めた存在なのか、どちらがいいと思います?。
いずれにせよ、過去を変えることはできない。今、そこにある温度差を、解消することもできない。それでも、過去と今を知ることで、今よりマシな未来を描くことは、許されるのでは…。
本作が、その一助になることを望みます。
「ナイト・ブレーカー」
原爆被害は、極東の島だけではない。と云うか、原爆開発チームは、放射能の人体被害を、理解していたのか疑わしくなるお話。古い映画なので、視聴困難やも知れませんが、探して観て下さい。全て実話だとすれば、呆れ果てる話です。
結局同じことを繰り返しているんだな
映画館にて鑑賞しました。
もっと様々な背景を勉強してから見ると違ったんだろうな、と思いました。自分の学のなさが恥ずかしいのですが、オッペンハイマーが原子爆弾を開発した物理学者だということも、正直、この映画の宣伝で知ったぐらいです。
原子爆弾の開発までを描く映画かと思い鑑賞しましたが、その後の部分がメインでした。ストロースが色々語ることや原子爆弾開発までのオッペンハイマーの様子が描かれることで、随所に挟み込まれる聴聞会のシーンの重さがどんどん増していきました。前述したようにシーンの重要性というか面白さが後半になるほど大きくなるため、逆に前半の聴聞会のシーンは、若干の「なに言ってるんだ感」は感じました。
この映画で印象に残ったシーンは2つあります。
1つ目はトルーマン大統領とオッペンハイマーが面談した時のトルーマン大統領のセリフ「恨まれるのは開発者じゃない。落とした人間だ。」です(たしかそんな言い方だったと思いますが…)。このセリフは為政者と科学者の覚悟(なのか面の皮の厚さなのか…?)の違いを見せつけられた気がします。短いシーンですが、個人的にはかなり印象に残っているシーンです。
2つ目は終盤のアインシュタインとオッペンハイマーが会話しているときのアインシュタインの言葉「時が経てば君は祝福されるだろう。それは君を許したからではなく、彼らを許すためだ。」です(たしかそんな言い方だったと思いますが…2)。この映画を通して一番印象に残ったセリフですね。祭り上げられた側だから感じることができる視点だし、まさにその通りだな、と思ってしまいました。
にしてもこの映画を見ていると、人間は結局同じことを延々と繰り返すんだな、と思ってしまいますね。
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