オッペンハイマーのレビュー・感想・評価
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結構心臓に悪い
大人の映画です。でも大学生には見てほしい。
IMAXで見ました。三時間。音の迫力がすごいです。長いけど、それほど退屈ではなく。多分ですが、アジア人は一人も出てきませんでした。それどころか、黒人、イスラム系も。ユダヤ人、白人のみです。原題にも使われているプロメテウスとか、日本人には越えなければならない壁がいくつもある。A.アインシュタインは後半、結構ちょくちょく出てきます。
子供には不向き。字幕追いかけるのも大変だし、愛人とやっちゃってるのが、これみよがしで。最初は愛人ではなかったらしいし、もしかしたら共産党のスパイだったかも?みたいな描き方ではあるんですが。この時期、ソ連とアメリカは、連合国側で、対ドイツや対日本で共同戦線をはっていたので、それほど問題にはならないはずなんですが、やはり共産党は、戦後にアメリカ国内からは排除されてしまうわけで。ソ連の共産党員が身分を偽って、ロスアラモスにさえ潜入していた?このへんも子供にはわかりにくいでしょう。
話は、複雑。と、いうか、非公開の公聴会ともう一つの会議みたいのが、交互に重なる。
その進行に従って、オッペンハイマーの過去が暴かれてゆくという筋立て。
まあ、そんなに、あばかれるほどの過去はでてこないんですが。
見どころは、ロスアラモスです。
ちなみに、日本人なら一番気になる原爆投下のシーンはほぼありません。
うまく編集してあり、広島と長崎で焼けただれた人々が、苦しむシーンはゼロです。そのかわりに主人公が、ロスアラモス研究所の人々に演説をする場面が入っています。
監督のメッセージはすごく入ってきました。
この実験で、確率はゼロに近いが、大気の空気をすべて巻き込んでしまって地球そのものが破滅する可能性も考えられなくはないほど、大変な実験を行ったのです。
ロスアラモスでは被爆してる人たちは結構いたはずです。プロメテウスの火を手にしてしまった人類。
そして時代はすぐ水爆、ICBMの時代になるわけです。
ロスアラモスという、町そのものから、作り上げたというマッハッタン計画。ナチスドイツに二年?遅れていた原子爆弾の開発と製造。
とにかく、長い。でも理解するためには、二、三回は少なくとも見る必要があるような。
長くて私は見れてないけれど。
ラストが素晴らしい…
アメリカ人の為の映画
大嫌いな監督だが原爆に触れるのなら観なければ、と鑑賞。
アメリカ至上主義、その傲慢さ
そのダサさが世界中にバレてる中での
国を挙げてのプロパガンダ映画。
今更だけどアメリカ映画のテーマははほとんどが自由意志の追求の為なら何をしてもよいというスタンス(愛の為なら何をやってもいい等)
ノーランは近年のその筆頭といえる。
インターステラーを何度か見てみるといい。
最初は面白いかもしれないが(私も最初はそのファンタジーに酔った)何度かみるにつれそこには自由意志を基盤にしたありえない身勝手さと、自分の星の崩壊責任、テラフォーミングを差し置いてそれらを全てファンタジー物理で解決という異常さが浮き彫りになってくる。
主人公は「生まれた星で死ぬ義理はない」と言い切る。
殺戮を基盤にその傲慢さを維持してきたアメリカ。
彼らのアイデンティティ維持の為のアメリカ人の為の映画。
これまでの歴史で殆ど原爆について触れてこなかった中で
アメリカ視点での原爆が大々的に語られる。
それが世界における原爆における事実として「クラシック化」されるのが何より怖い。
「一個人の視点を述べただけ」という多様性を盾に「原爆投下は仕方ない一面があった」と言っている。
最近私はアメリカ映画から本当に遠のいてしまった。
GHQ支配下において広島島生まれでありながらアメリカ映画に酔っていた幼少期。
しかし現行のモラルではそれらは今とても観れない。
自分がいかに彼らの洗脳下にあったかを思い知らされている。
複雑な道のりと複雑な思いが伝わる
多勢の登場人物。そして彼らの、豊かな表情や意味深な台詞。また様々なシーンで、視覚的な印象が残る。映画ならではの良さ、という点で満足度が高かった。
選択がなされ決行されるまでの道のりは単純ではなく、博士をはじめ関係する人々の思いは一直線ではなかった、それがよく伝わってきた。もしこれが米映画にありがちなわかりやすく単純なものだったら受け入れ難かったと思う。言うまでもなく、エンタメや勧善懲悪のノリでは扱ってほしくない。簡単に結論付けられてほしくない。しかし、このように現実的な流れを丁寧に細かく追う路線ならば、割合受け入れやすくなると思った。
様々な人の思わくや判断そして世界情勢の変化などが絡み合っていたということを、この作品のお陰である程度具体的にイメージできるようになった。それはよかった。
映画館で見ずにVODで観たのは、わたしの場合は正解だった。ときどき数秒前に戻して台詞を見直すことができたから。一度では流れが飲み込めないところが結構あったため。(笑)
もう一度観ると理解が深まるかもしれない。
タイトルなし(ネタバレ)
VOD鑑賞
残念ながら理数系の脳が皆無なので
物理学的なことは全く理解できませんでした
でも、深みのある人間ドラマはとても見応えがありました
テンポよく進んで行く点、
時間軸が遡ったり
ドラマの主点が複数あったり
それが交互に描かれて緊迫感が盛り上がりました
原爆投下後のドラマは興味深く
二転三転、いやそれ以上に目まぐるしく展開が変わり
一気にエンディングまで楽しめました
ですが、
題材が原爆というのが‥
分かってはいたけど、娯楽性を感じることが
できないのが残念です
従来のノーラン監督作品よりも
複雑ではないけど
やっぱ、自分はテネットとかインターステラーとか
インセプションのような映画が好きです
次回はそっちに戻って欲しいな
音楽がいいですね
どっか居心地が悪い感じの音楽
でも、それが嫌じゃない
テネットみたいな音楽でした
臨場感が盛り上がりました
登場人物が多く複雑ですが
有名俳優さんが多いので
俳優さんで人物を把握できるので
そこは豪華キャストの産物ですね
人件費高そう
いや〜、見応えあるけど
人間って怖いものだと
つくづく再認識しました
やっぱ架空のエンタメのがいいな
だいぶ遅くなりましたが?…(本文に続く…)
(タイトルからの続きです…)書きます。
私的な趣向として(鑑賞済みと、未鑑賞のままの封〆(上映終了)の作品を合わせて)…先の大戦関連で、5(升型テレビ拝聴も含めて作…映画は3)作見たうちの…真ん中(時代の趨勢(終局間際のみ)もの)に相応しい作品でした。
因辣(ちなみに)順逆ですが、この作品を柱にして時代背景上…先に鑑れなかったのが…閑心領域(アウシュビッツの前期時の)で、同地域関連で見たのが(同上の後期同の、五十音順で)…シンドラーのリストと戦場のピアニストで(コメントしてる映画(連盟軍*3&4)とは)逆の枢軸側が主人公もので、観たものに同で、関心領域に近かったのが?…(ノモンハン〜ソビエト社会主義共和国連邦→コタンタン(*1&2)半島に渡った、韓国籍(?)の実在した人物(1920-96)の晩年のインタビューから元に生まれた!ドラマ?を映画化した…)マイウェイ12000キロの真実の作品です。
補足‥
*1は…フランス共和国内にあるノルマンディー半島の現地読みで、*2…あの地方は?…ブルゴーニュとも…いや後で確認してから再補記致します。
*3‥連合軍は、歴史教科書の…でして、*4日本ではこの映画の最後の投下(ファットマン)から6日後(1945/08/15)の降伏(武装解除を宣言)した為…ですが、*4実は?…大戦は?…最初は中立も、オッペンハイマーの先祖の地だったドイツで起きた総統暗殺(爆殺)未遂事件で、明るみに无了(なった)偽装亡命に手を貸したとして…国内で解散総選挙を行なって惨敗した中立派に変わって親独派の政権が発足した…パフラウィー朝イランが…偽装亡命の件の国際協力を拒否したために…戦争となり…イランも国連の休日元となった(1945/10/24‥日本では24-5)にサウジと大英帝国の湾岸諸国連合軍(ガルフユニオンズ)に降伏を申し入れたために…完全終戦(先の大戦の日付期間)は?…1937/07/07(or1)-45/10/24(or25)と記録も出来ます*5。
そのためソビエト社会主義共和国連邦に慄いたパフラウィー朝イランが…米英に近寄る政策を執った為?…1979/02/04に宗教革命が起こったのです…。
映画で被爆地の惨状を描かなかったのは、来日の際、オッペンハイマーが広島長崎の惨状を見ることが出来なかったことと同じで、彼の自責の念を描くためだったかもしれないと…
オッペンハイマーについては、
幾つかのドキュメンタリー番組があり、
彼の科学者としてやユダヤ人としての想い、
そして、人間としての苦悩についての
予備情報を得ていたが、
アカデミー作品賞受賞作でもあるので、
それらを超えてエンターテイメント作品
として何を描こうとしているのかと
この作品を鑑賞してみた。
この映画、
たくさんの要素を叩き込むような編集で、
ともすると私は置いてけぼりになりかねない
作風だったが、好感を持てたのは、
出来事の内実や登場人物の思考は多面的で、
決して単純化して描写出来るものではなく、
オッペンハイマーの苦悩そのものも
長尺の上映時間をもって描いていたことだ。
ところで、この作品には広島長崎の惨禍が
描かれていないとの批判があるようだが、
邦画の「ひろしま」や「TOMORROW 明日」
とはスタンスは異なるので、
戦争祝賀会での演説の際に
オッペンハイマーが見る原爆被害者の幻視、
また、ラストシーンでは広島長崎を超えての
人類の滅亡までを匂わしているのだから、
私にはその指摘は当たらないように思えた。
ただ一つ、秘密聴聞会での
愛人との裸の妄想シーンの必要性については
全くの疑問で、演じた2人にも
同じ画面に登場している俳優たちにも
訊いてみたいような恥ずべき演出に感じた。
さて、クリストファー・ノーランは、
「メメント」では時間の逆行、
「ダンケルク」では
異なる時間幅での同時進行、
そしてこの作品では
小刻みなカットバックと、
時間の扱いに特異な手法を使う監督だが、
この作品では、一科学者の思考世界に
観客を引き込む映像手法として
一番成功しているのではないだろうか。
彼の後悔について
連鎖反応
アメリカが描く反核映画。
事前に予習なく鑑賞しました。反省しました。 アメリカではオッペンハイマーは原爆の父と言われて浸透しており、アメリカ人なら初見でもわかる内容なのでしょう。
日本人が観る場合、事前にアメリカ、ドイツ、イギリスの当時の物理学者の基本情報と主人公との関係性を押さえておかないと、アメリカ映画らしくテンポよく進んでいく為、恐らく映画についていけなくなると思います。また、政治的な争いに巻き込まれる晩年の主人公も描かれています。それも時系列に描かれていないので事前にオッペンハイマーの伝記を読んでおくと混乱なく鑑賞できるかもしれせん。
日本への原爆投下の描写が全くありませんが、彼が後にその惨状映像から目を背けて全く見る事が出来なかったシーンで表現されていたと思います。
その後彼は水爆開発に反対する立場となります。 十分な反核映画だと思うのですが、何故日本での公開が遅かったのでしょうか、疑問に思いました。
被爆国である日本人が目を背けてきたかもしれない原爆投下国側の事情が、原爆の研究と開発の当初から知り得る機会になリました。
原爆開発の為にロスアラモスに町を作ってしまうあたりにアメリカの国力を感じました。
映像、音響も重厚に仕上がっていて流石にアカデミー賞受賞作品だなと思いました。
あと、ベッドシーンの描写が複数回あるのでカップルでの鑑賞にはご注意を。
この映画のどこが日本公開を躊躇わせたの?
昨夏、『バービー』と共にアメリカ映画界を席巻し「バーベンハイマー」の造語までもを生み出しながら、被爆国日本では「触らぬ神に祟りなし」の意向が働いて(?)公開が見送られて来た、原爆の父・オッペンハイマーの上映が漸く始まりました。アカデミー賞受賞がかなり硬いと言う前評判が、日本公開の後押しにもなったでしょう。そして、主要部門を実際に独占しました。
そこで、クリストファー・ノーラン監督作の撮影意図に応える気持ちでIMAXにて鑑賞しました。そして、観終えて。
この映画のどこに日本公開を躊躇わせた要素があったのでしょう。原爆開発に向かう政治の力や物理学者の熱意は正邪も善悪もないまぜで、彼がなぜ原爆開発に邁進したのかも明確には示さず、かと言って丸投げではなく観客に正しく考えを委ねています。この綿密な記録は、日本でこそ観られなくてはなりません。不満や疑問ががあれば、日本から映画で答えればいいのです。でも、お涙頂戴戦争映画しかスクリーンにかからない現在の日本ではそれを望むべくもありませんが。
また、原爆投下直後の広島・長崎の惨状が全く映されていない事を非難する声があり、日本人として確かに残念ではあるのですが、オッペンハイマー個人を見つめる映画としてそれは或る意味正しい選択だったろうと僕は理解します。アメリカ人の逃げや誤魔化しとは思いませんでした。
我は死なり。世界の破壊者なり。
『ダークナイト』『インターステラー』『TENET』等、今や世界で最も新作が待望されている監督の1人と言っても過言ではないであろう、クリストファー・ノーラン監督の最新作。第二次世界大戦下、政府の要請で原子爆弾の開発に携わり、後に「原爆の父」と呼ばれる事になるJ・ロバート・オッペンハイマーの人生を描く伝記映画。
個人的には、ノーラン監督にとっての新境地であったように思う。『ダンケルク』でも第二次世界大戦を扱っているが、あちらは音楽と作中の時間経過を効果的に扱って、観客に追い詰められた兵士の恐怖を追体験させる“体感型”の戦争映画という側面が強かったように思う。対して今作は、オッペンハイマーと彼に敵対するストローズの視点を軸に、稀代の天才の人生と原爆開発という人類の大罪を追ってゆく伝記映画なのだ。
まず初めに述べておきたいのは、本作は明確な“答え”を示すタイプの作品ではなく、あくまで我々観客一人一人が鑑賞後どう受け止め、どう考えるかという“考え”を促すタイプの作品だったのではないかという事だ。
また、本作はあくまで史実を基に淡々と会話劇で展開していく作品なので、ノーラン監督が得意とする「荒唐無稽なアイデアを、複雑な構成や物理学の知識を用いて格調高い作品に見せる」という特徴は多少鳴りを顰めている(オッペンハイマーとストローズの視点をカラーとモノクロ映像で区別し、交互に見せるといった構成の複雑さはあるが)。
本作1番の特徴は、膨大な登場人物の数々と、それらについてのある程度の基礎知識を要する作品であるという事。
宣伝チラシの登場人物紹介は、事前予習として役立った。パンフレットの充実ぶりも素晴らしく、人物紹介は勿論、作中の用語解説や時系列も記載されているので、鑑賞前の予習にも、鑑賞後の復習にも非常に役立つと思う。
ようやく本題に入るが、先述した通り、本作は明確な“答え“を提示しない。なので、これはあくまで私個人の本作に対する一つの考えである。
私が本作を鑑賞して抱いた感想は、【世界の破滅は、「賢者」の皮を被った「愚者」によって招かれるのかもしれない】という事だ。
既に指摘している人を見かけたが、本作は宮﨑駿監督の『風立ちぬ』を彷彿とさせる。主人公の堀越二郎は、あくなき飛行機への情熱で零戦の開発に携わる事になるが、オッペンハイマーもまた、愚直なまでに人類の可能性を追及した事で、パンドラの箱を開けてしまった一人という印象を受けた。しかし、あちらよりもオッペンハイマーの人間性は、より丁寧に、より具体的に描写されているように思う。念のため誤解されないように断っておくと、『風立ちぬ』に関する私の評価は、素晴らしい作品という認識だ。
『風立ちぬ』における堀越二郎の描かれ方は、空想家で自らの好奇心に忠実。女性に対する接し方は、「綺麗だ」と容姿を褒める言葉ばかりで内面を深く見ていない。所謂“非モテのオタク気質”な人物として描写されていた。だからこそ、特にクリエイターやそれを志す観客の中には、彼に自分達を重ねて「これは俺たちの映画だ」と、一種のクリエイター賛歌として評価していた部分もある。
対して、本作におけるオッペンハイマーの描かれ方は、類稀なる頭脳の持ち主だが、決して他者への共感力や想像力までも持ち合わせているわけではないという事が随所で示されている。子育てに追われ、精神的に疲弊して酒に溺れるキティや、2階で泣き叫ぶ我が子の元にすぐさま駆け付けない様子。そんなキティを放って、かつての恋人であるジーンの元へ行き、体を重ねる等、一時の感情に身を任せた自由奔放な恋愛に邁進する。正確には、ジーンとの交際中に人妻であるキティと恋に落ち、彼女を妊娠させてしまった事でジーンには別れを告げるという酷い有様。決して、良き恋人でも、良き夫、良き父親でもなかった事が示される。また、マンハッタン計画のメンバー選抜、足りない人員の補充におけるスカウトも、人間性より能力を重視したもので、それが後にソ連のスパイを招いていた事にも繋がる。
ノーラン監督は、決してオッペンハイマーに同情させようという気はないのだ。
しばしば議論の的になる、本作における広島・長崎への原爆投下や犠牲者に関するシーンの欠如に関して。本作はあくまでオッペンハイマーの視点に立った物語であって、原爆投下の瞬間を見ていない彼には、まして他者への共感力や想像力の乏しい彼には、あの時点で自らの行いに対する被害を想像する事は出来ないのだ。
だが、それでもノーラン監督は、映画ならではのあらゆる手法を用いて、オッペンハイマーに罰を与えている。投下の成功を祝したスピーチの際、「ドイツにも落としてやりたかった」と語る彼が見つめた観衆の1人に、原爆で焼け爛れた皮膚の人間が重なる。やがて、彼にとって喝采は悲鳴となり、足元には炭と化した人間の幻を見る。喜びの嗚咽を漏らす女性の姿は、家族や友人を失った被害者の悲痛な嗚咽に見え、肩を抱き合って座る男女は、瓦礫の山となった街で行き場を無くした人々に映った事だろう。
また、ラストで明かされる、アインシュタインがオッペンハイマーに掛けた言葉が実に印象的だ。
“君が十分な罰を受けた時、罪は償われたと彼らは君の肩を叩くだろう。君のためじゃない。彼らのために。”
この一言で、本作は原爆開発の責任者であったオッペンハイマーだけでなく、それに携わった全ての人々に、等しく批判の目を向けているのだと知る事が出来る。「開発には携わったが、自分達は使用に反対した。罪の意識を持っているオッペンハイマーの肩を叩く事で、自らも許された気になりたい。」と願う人々も痛烈に批判するのだ。
それを更に強調するのが、握手を求めるテラーを鋭い眼差しで睨みつけるキティの姿だ。あの瞳の中には、単に夫と敵対した裏切り者を見つめているだけでなく、水爆というもう一つの世界の破滅を招く兵器を生み出した者に対する怒り、侮蔑が宿っていたように感じられた。
あるいはそこには、ノーラン監督が本作で明確には示さなかった“答え”の一つがあるのかもしれない。
「人間の好奇心、向上心は素晴らしいが、その先には決して開いてはならないパンドラの箱もある。あなた方は愚かにもそれを開けたのだ」と。
もう一つ、ノーラン監督が明確な“答え”を提示しなかった事で浮かび上がってくる事がある。それは、【これは現実に起きた事であり、原爆の開発によって世界は変わった。そして、その変わってしまった世界で我々は今日も生きている】という事だ。
実際、つい先日ガザに原爆投下を提案する発言をした議員がニュースとなった。ラストでオッペンハイマーが想像した、“核の炎によって焼き尽くされる世界”の説得力が増すというのは、何とも皮肉な話だ。
現実だからこそ、未だ人類は答えを出せずにいる。だから、考えを促すのだ。フィクションではなくリアリティだからこそ、簡単に答えは出せないし提示すべきではないと考えたのではないだろうか。
長くなったので、ここから先は駆け足で行くが、オスカーを受賞した主演のキリアン・マーフィーとロバート・ダウニー・Jrは勿論、体当たり演技を披露したフローレンス・ピュー、ラストの眼差しが抜群のエミリー・ブラント、味のある顔付きになったジョシュ・ハートネット、他にも挙げ出したらキリがない名優達の素晴らしい演技の数々は、それだけでも鑑賞料金分の価値があった。
更に、監督の前作『TENET』でも組んだルドウィグ・ゴランソンの音楽が抜群に良い。会話劇中心の本作において、名優達の演技と同じくらい重要な役割を果たしていたと思う。
新境地に達し、更なる円熟味を感じさせるクリストファー・ノーラン監督の次回作が早くも楽しみで仕方ない。
シーツを入れてはならない
第二次世界大戦下、アメリカで勧められた「マンハッタン計画」に携わり、“原爆の父”とも称された物理学者、オッペンハイマー。
そんな彼の栄光と没落の物語。
戦争映画は嫌いだ。
だが決して目を背けてはいけないと、毎年この時期になると無理にでも観るようにしている。
今年は映画自体全然観れていないが、8月9日長崎に原爆が落とされた日に相応しい映画を劇場で鑑賞することができた。
まあ長い。そして難解。
ノーランお得意の時間軸の入れ替えというよりも、登場人物の多さと相関図の複雑さによって、途中からは全くついていけなかった。
オッペンハイマーの人生に興味が持てるかと聞かれたら正直興味は持てない。
この映画は色んな見方ができる。
私は日本人としてどうしても原爆の恐ろしさを基軸にこの物語を観てしまう。
しかし、話のメインはオッペンハイマーの葛藤に満ちた生涯である。
もしかしたら、この映画を未来への希望と捉える人もいるかもしれない。
だが、私はひたすら恐ろしい絶望の始まりに感じる。
どんな見方をしても良い。
1回で物語の大枠を捉えることは不可能に近い。
それくらい深みのある良い映画だと素直に感じた。
だからこそ、賛否はあって当たり前だと思う。
本作は日本公開時、原爆の被害に関する描写がほぼ無いと疑問視された。
だが、個人的には敢えて描かないことで今まで経験したことのないような恐怖を味わった。
実験ではあるが、あの爆発で何万もの人々が殺されたのだと思うと体がこわばった。
実験後、喜びに暮れる関係者たちの姿を見ているとなんとも言えない感情がグルグルと体の中を駆け巡る。
2つの原子爆弾がトラックに乗せられてロスアラモスを出発するシーン。
あのトラックの後ろ姿ほど恐ろしいものがあるだろうか。
戦後、オッペンハイマーに何度もフラッシュバックする閃光と焼け爛れた少女。
あの少女はノーラン監督の娘だと言う。
今回原爆投下や原爆被害に関する描写がないことについてノーラン監督は明言していないが、こういった端々に明らかな覚悟を感じる。
バーベンハイマーとかいう稚拙で醜悪なトレンドもあったが、それを乗り越えて無事日本公開してくれて本当に良かった。
ハリウッドでアメリカの罪に言及するということは革命と言ってもいいのではないか。
申し訳ないが前述の通り、オッペンハイマーの伝記的側面について語ることはできない。
全神経を集中してもついていけなかったのだから。
ただ、こういった戦争への向き合い方といい、脚本の素晴らしさといい、一切手を抜かない感じがやはり嫌いになれない理由。
世界で1番凄い映画監督だと言いたい。
劇伴も毎度素晴らしい。
これを書きながらサントラを聴き少し涙ぐんでしまった。
今もウクライナやガザでは多くの市民が犠牲になっている。
国際社会は分断の危機にあり、核の脅威はすぐ近くにあるこの状況で、唯一の被爆国に何ができるのか。
終戦から今日で79年。
核の傘の下でいつまでも黙っている訳にはいかない。
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